日記(220124)
沢田綱吉は、日記を書いている。家庭教師から出された宿題の一つで、文章力をつけることを目的としていると、雲雀は聞いた。他にも単身赴任中の父へ当てた手紙も書かねばならないらしく、そちらの方は全くやる気が出ないと文句を言っていた。
持続力が薄い彼でも気兼ねなく続けられるよう、家庭教師が与えた日記帳は並中の購買で売っているような大学ノートだった。一日に二三行程度、その日にあったこと、感じたことを書くだけのノート。時折、イタリア語の筆記練習もしてあった。
雲雀がそれを知っているのは、盗み見たからだ。ついでに取り上げてパラパラと捲ったこともあるから、始まりがリング争奪戦後、その戦いの回顧録から綴られていることも知っている。
そう、だからその日記には、未来での戦いも描かれている筈だ。
「成程、あなたは、パラレルワールドのヒバリさんなんですね」
沢田綱吉の十年後だと名乗った男は、そう言って小さく笑った。
雲雀は柔らかいソファの上で膝を組んで、今しがたパラパラと捲っていた大学ノートを机に放る。表紙は、雲雀が記憶していた沢田綱吉の日記帳のそれだった。
「どういうこと?」
「あの戦いが終わって、十年後である俺が目覚めてすぐ、このノートを見たんです」
机の上に放られたノートを拾い上げ、沢田綱吉は頁を捲る。
「書いてありましたよ、ちゃんと。未来での戦いのことも、それが全て終わったことも」
「そのノートには書かれていない」
「消えちゃいました」
インクが染みだすように現れた文字は、スゥとどこかへ吸い込まれるようにして消えたと、沢田綱吉は言う。意味が分からない。雲雀はそうありありと表情に出したので、沢田綱吉はまた苦笑した。
「多分、この世界の俺が、中二のときにあの戦いを経験していないからじゃないかな」
「……ここは八兆分の一の、一番可能性を秘めた世界とやらじゃないの?」
「それはヒバリさんの世界ですよ」
パタンとノートを閉じて、沢田綱吉は執務机に手を置く。ソファに座る雲雀に対して立ったままの彼は、随分高いところから見下ろすような形であった。
「確かにここは八兆分の一の世界だった。けれど、あの戦いと勝利によって、この世界もまた分岐したんです。あなたたちの世界は、八兆と一番目の世界になったんだ」
「……新しい可能性と分岐の世界?」
「だってそうでしょう。そちらではシモンっていう友達がいるみたいじゃないですか」
「ここでは違うの?」
沢田綱吉は答えない。代わりにノートを執務机に残して、雲雀と目線を合わせるように膝を折った。
「ヒバリさん、だからあなたは俺の知るヒバリさんとは別の雲雀恭弥さんになるんでしょうね」
「……くだらない。どんな存在であっても僕は僕だ。君が勝手に定義するな」
「あはは、ごもっともです」
雲雀の強い口調にも、ちっとも怯えた様子を見せず笑う沢田綱吉。成程、雲雀の知る小動物とは気配が違う。
「俺は勿論そうなんですが……きっと、ヒバリさんの未来はまだ決まっていない。だから、どうぞ、お好きなように」
――俺、日記にヒバリさんのこと、書いてないので。
眉尻が下がった、何かを呑みこんだような笑顔。雲雀がムッと眉間に皺を寄せたところで、煙が視界を遮った。

「あ、お、お帰りなさい……」
煙が晴れて、戻ってきたのは並中の屋上。コンクリートの床や鉄柵は見るも無残に壊され、声をかけてきた沢田は満身創痍。何が合ったか推して知るべし。
「ひ、ヒバリさん大丈夫でしたか……?」
頭にたんこぶ、頬に擦り傷を作った沢田が、雲雀の方へ駆け寄って来ておずおずと訊ねる。雲雀は彼の身体へ一通り視線をやった。
「君、日記はまだつけてるの?」
「へ」
脈絡のない質問に、ポカンと平和ボケした顔からさらに気が抜ける。
「リボーンに言われて、つけてますけど……」
「そう。……今日のことも書くの?」
「え、あ、多分。強烈な一日だったので」
ポリ、と沢田が頬を掻く。雲雀の質問の意図は分からないし、じっと見つめてくる視線にも耐え難い。そういった顔をしている。
雲雀は鼻から息を吐いた。
「僕にも見せな。添削する」
「え……は?!」
今日一番の声を出し、沢田は目を瞬かせた。雲雀は混乱する小動物をその場において、さっさと屋上を後にした。
雲雀は雲雀のやりたいように生き、なりたい自分になる。それは今までも変わらないし、これからも変えない。その一つとして取敢えず、沢田の日記に自分を刻んでやるつもりだ。

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