浮気(220117)
それを見つけたとき、クロームは思わず「あ」と声を漏らしてしまった。パッと思わず口に手をやる。クロームは細い指先で口を抑えたまま、もう一度チラリと視線を落とした。
そ、と口を抑えている方とは反対の手でそれを摘まみ上げる。
「……浮気?」
用事で訪れた上司の執務室。書類ばかり散らかって白いデスクマットに見える執務机の隅で、クロームの目を引いたのは、一枚のカードだった。
ふわりと鼻を撫でるのは、どこかで嗅いだことのある香り。深い紺のインクで書かれた筆記体は、紛れもなく愛を示すイタリア語だった。
クロームの記憶では、上司でありこの机の持ち主である青年には、パートナーと呼べる存在がいる。いるにはいるが、こんなイタリア男もかくやというような情熱的な愛情表現をするような性分ではなかった筈。
つまりこのカードの送り主は、彼のパートナーではない。
「と、思うんだけど」
それでも角が折れ曲がった様子もないカード。出先で貰って机へ放り投げたにしては綺麗すぎる。クロームは、一人では抱えきれないモヤモヤを思わず志を同じくする男たちへ相談してしまった。
犬は菓子を頬張る手を止め、千種はあからさまにため息を吐いて眼鏡を押し上げた。
「言いたいことは色々あるけど……そのカードって?」
「これ」
つい執務室から拝借してしまった手のひらサイズのカードを、クロームは差し出した。千種はしげしげとそれを見つめ、クンと鼻を揺らした犬は顔を歪めた。
「げ、それ……」
「何となく予想はしてたけど、ビンゴ?」
「?」
二人のやり取りに、クロームはコテンと首を傾げる。千種は少しカードを摘まんで、すぐにクロームの手の平へ戻した。
「考えすぎ。馬に蹴られるのは勝手だけど、こっちはごめんだから」
「跳馬?」「ちがう」
即答。しゅんと項垂れるクロームを見て、千種は小さく息を吐いた。
「とにかく、それは早めに返した方がいい」
「うん、そうする。ボス、今日の夜からオフだって言ってたから」
クロームは素直に頷いて、善は急げとばかり部屋を出て行く。彼女の背を見送った千種と犬は更なる面倒の予感に、思わず顔を見合わせた。

「ボス」
「え、クローム」
軽いノックの後、扉を開く。そっと中を覗き込むと、少し驚いた顔で綱吉が駆け寄ってきた。
「ごめんなさい、ボス」
「いいよ、さっき仕事終わったばかりだから」
綱吉は笑顔でクロームを招き入れる。執務室の絨毯を踏んだクロームは、ふと来客用のソファに座る黒い影に気が付いた。
「あ」
「……」
左腕を背もたれに乗せ、組んだ膝の上で右手の指を擦り合わせている雲雀の姿。ジロリとした視線を受けて、クロームはパッと目を逸らした。
「クローム、何か用事だった? 書類は置いてくれてたみたいだけど」
「あ、その……」
少し言い辛かったが、千種と犬が大丈夫と言っていたので問題はないだろう。クロームはそう思って、例のカードを手の平に乗せて差し出した。
「間違えて、持ってきちゃって」
「あ……」
ぴしり、と綱吉の身体が硬直する。クロームが首を傾げると、綱吉はグッと何かを呑みこむように唇を歪め、ゆっくりと口端を持ち上げた。
「あ、ありがとう。ごめんね、気を使わせて」
「ボス?」
何かまずいことをしてしまっただろうか、綱吉の様子が可笑しい。そう思ったクロームの鼻を、嗅いだことのある香りが撫でた。
「ふうん」
クロームの肩越しに伸びた腕が、綱吉の手より早くカードを浚う。「あ」と口を開く綱吉の目の前でヒラリとカードを振り、腕はクロームの背後へ引っ込んだ。
「あんなに文句言ってたくせに」
摘まんだカードを顎へ添え、雲雀は目を細める。その視線の先はクロームではない。カーッと頬を赤らめた綱吉は、グッと耐えるように拳を握った。
成程、とクロームは納得する。嗅いだことのある匂いの筈だ。日の当て方を変えれば、インクも紫だと分かる。
「ごめんなさい、ボス。今度から気を付ける」
「え、あ、いや、こちらこそ」
何か言いたげな綱吉に手を振って、クロームは部屋を出る。パタンと閉める扉の隙間から綱吉に詰め寄る黒い影が見えたが、さすがのクロームもこれ以上口は出さない。馬は背後に立つ方が危険なのだ。
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