夫婦(211122)
愛息子がイタリアに渡って数年。愛弟子に地位を譲って引退の準備に入っていた家光は、日本の自宅にいる時間の方が多くなった。漸く作れるようになった妻との時間は、まるで新婚のような鮮やかさに満ちている。そんな折、息子のお目付け役として共にイタリアに渡っていた親友から連絡が入った。
曰く、息子が生涯の伴侶を連れて日本に挨拶へ向かう、と。
家光は思わず携帯端末を取り落としたし、彼の様子に首を傾げつつそれを拾い上げて文面を呼んだ奈々は「まあまあ!」と頬を赤らめた。
「お出迎えのためにお掃除しなくちゃ」
息子とまだ見ぬその伴侶を出迎える準備をしなくては、と奈々はクルリ家光に背を向けた。
何のお花が好きかしら、夕飯は食べて行くのかしら、ケーキを用意するのは少しやりすぎかしら。そんなことを呟いて、奈々はテキパキと出迎えの支度を始める。彼女の動きを目に、声を耳に捉えながらも、家光は文面の衝撃に暫く動けないでいた。

家光にとってのXデーは、体感早く訪れた。朝から奈々はウキウキとした様子で身支度を整え、家光のコーディネートをし、部屋の飾りつけと食事の支度を揃えると玄関で息子たちの訪問を待った。家光は少々窮屈なスーツに身を包み、ソワソワと膝を揺らしながらリビングに座っていた。
やがて、昼近くにチャイムが鳴り、奈々の「おかえりなさい」という嬉しそうな声が聞こえてきた。家光は立ち上がり、玄関へ顔を出す。
「ただいま」
久方ぶりに見る息子は、随分精悍な顔つきになっていたように思えた。家光は奈々の隣に並んで、息子の帰宅を労った。それから辺りへ視線をやる。親友の前情報にあった伴侶とやらの姿が見えなかったのだ。
「疲れてない?」
「移動時間が長かったから、少し身体が痛いかも」
そんな会話をしながら、奈々と綱吉が家光の横を通り過ぎて行く。玄関に残った家光は困惑しながら首筋をかいた。
綱吉は全く一人で帰宅したというわけではない、供を連れていた。のんびりと靴を脱いでスリッパに足を通したのは、綱吉の守護者の一人である雲雀恭弥。まさかボンゴレに属することを厭う彼が、護衛役になっていたとは思わなかった。しかし、並盛は彼の縄張りであるし、誰よりも自然だったかもしれない。
そう思い直し、家光に挨拶一つせずさっさとリビングへ向かう雲雀の背中へ声をかける。
「ツナの嫁さんはどうした? 遅れて来るのか?」
ピタリ、と雲雀は足を止めた。それから少し顔を動かして視線を家光にくれる。
「何も聞いてないの?」
「――はあ?」
思わず家光は間抜けな声を出す。雲雀の言葉と直後彼が鼻を鳴らした意味を家光が正しく理解したのは、それから数分後のことだ。
「えっと、これが、俺の大切なひと、です」
余程恥ずかしいのか、真っ赤な顔を少し俯かせて、綱吉は消え入る語尾で告げる。その手の平が指し示すのは、黒いスーツで身を固めた男。涼しい顔で、奈々の出した茶を啜っている。
家光はヒクリと頬を引きつらせた。奈々は「まあまあ!」と頬に手を当ててキラキラと瞳を輝かせている。
「ツナったら、素敵なパートナーを見つけたのね!」
妻のその純粋さに惚れた身だが、果たして今それを窘めるべきか。ウキウキとした様子で茶菓子を用意するため席を立った奈々の背を見送り、家光は息子へ視線を戻した。
「あー、ツナ。つまりあれか、お前は雲の守護者と一緒になりたいと」
「その呼ばれ方は嫌いだ」
不機嫌そうに、雲雀は呟く。綱吉はますます恥ずかしいというように顔を俯かせ、小さく頷いた。雲雀の、湯呑を持つ左手に輝くシルバーリングを見つけてしまい、家光はガタリと膝を立てた。
「いつの間にそんなことになってんだ! しかも雲の守護者と?!」
身を乗り出すようにして声を荒げる家光。しかし雲雀はどこ吹く風といった様子で、のんびりと湯呑を机に置いた。それから傍らの綱吉へ顔を向けた。
「君の父親はパートナーシップ制度に反対だったみたいだね」
「そういう話じゃない! 大体ボンゴレはどうする!」
「彼は創設者に、栄えるも滅びるも好きにしろと言われたそうだけど」
「そ、組織はそうだとしても、リングは! あれはボンゴレプリーモの血縁者以外は認めないんだぞ」
「アルコバレーノは新しい仕組みができた。マーレは封印されている。ボンゴレだけできないことはない。幾らでもやりようはある筈さ」
ああ言えばこう言う。ぐぅと唇を噛んだ家光はそこでハタと我に返る。何物にも囚われない孤高の浮雲そのものであるこの男にしては、よく喋る。マジマジ顔を見てみれば、鋭い目を真っ直ぐ家光に向けていた。
並盛や風紀といった誇りに対する執着はあるが、仲間等といった人間関係に執心する姿を家光は知らない。――それほどか、それほどなのか。
家光の頭は冷静さを取り戻す。ストンと腰を下ろした家光を見て、綱吉は恐る恐るといった風に「父さん」と声をかけた。強く腕を組むと、ただでさえピンと張っていたスーツの布がピリリと音を立てた。腹を空っぽにするように深く、深く息を吐く。
「……パートナー、つまり夫婦となる意味をよく考えたんだな?」
「そ、そのつもり」
ピンと背筋を伸ばして、綱吉はコクコクと頷く。
「寂しさを埋めるために共寝をしたわけじゃないし、そこから沸いた情ばかりでもない」
「ヒバリさん、余計なこと言わないでください!」
綱吉が止めようとするも遅い。しっかり聞き取ってしまった家光の額に筋が一つ浮かんだ。ヒクヒクと動く口を何とか引き結んだ、家光は鼻から息を吐く。
「病める時も健やかなる時も、死が二人を別つまで」
ポツリと呟き、綱吉は柔らかく微笑んだ。少し照れたような顔をして、家光の息子は頬をかく。
「普通の人だったら神に誓うようなことを、俺たちはできないと思うんだ。俺とヒバリさんは肩を並べて支え合うような感じでもないし……」
でも、と言葉を切った彼は、隣に座る男へチラリと視線をやった。日の当たり方によっては紫も垣間見えるような黒曜。それを見つめる琥珀の瞳が、キラキラと光ったようだ。
「俺には、憧れの夫婦像があるからさ」
キッチンから、奈々の声が聞こえる。手伝ってほしいと綱吉を呼んでいる。仕方がないと小さく息を吐いて、綱吉は立ち上がった。
「……」
残されたのは雲雀恭弥と沢田家光。真正面から向かい合って言葉を交わした経験のなかった家光は、決まり悪くなって湯呑に手を伸ばした。
「……彼は」
シンとした沈黙を切ったのは、意外にも雲雀恭弥の方であった。口元へ持ち上げた湯呑を机へ戻し、家光は雲雀を見やった。彼は家光へは一瞥もくれず、キッチンの方へ顔を向けている。
「会えない時間が長くても良いから、たまの休みには一緒にご飯を食べて、時間があったらついでに昼寝して、出会った頃の気持ちを忘れなければ、それで満足らしい」
雲雀は小さく息を吐いて「僕には難しい」とぼやいた。家光は湯飲みを完全に手放した。
「……でも、付き合ってくれるんだな、ツナの理想に」
「ある程度は、だ。……夫婦になるんだし、僕だって妥協はする」
雲雀の言葉に、家光は口元を緩めた。ふと家光の方へ向けられた雲雀の鋭い目が、キョトリと丸くなる。
「お待たせー……て、あらあら」
「げ、父さん」
戻ってきた奈々と綱吉も、家光の顔を見て目を丸くした。綱吉は君の悪いものを見たというように、頬を引きつらせる。奈々はクスクス笑いながら、茶菓子の乗っていた盆を机へ置く。それから家光の傍らに膝をついて、彼の肩を撫でた。
「お父さんだものねぇ、家光さん」
そっと無骨な手に重なる、柔らかい手。カツン、とそれぞれの指にはまっていたリングがぶつかって、軽い音を立てた。
家光はもう片方の手で目元を覆う。奈々はクスクスと笑ったまま。
まだ若い二人は、さっぱり意味が分からない様子で顔を見合わせるだけだった。
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