第4話 chapter5
終業式も終わり、夏休みに入った。
日差しは日に日に強さを増していく。
ジリジリと鳴るアスファルトを踏みながら、芽心は重い足どりで歩いていた。
ふと、汗を拭おうと足を止め、帽子のつばを持ち上げる。するとこれまで足元ばかりを見ていたため、前方の視界が開けた。
「あ……」
「こんにちは、芽心さん」
そう微笑んだのは、手に小さな花束を抱えた空だった。
「武之内さん……」
「今からお父さんのお見舞いなら、ご一緒しても良い?」
「……はい」
芽心が小さく頷くと、空はニコリと微笑んで彼女の隣に並んだ。病院までの道中、二人が言葉を交わすことはなかった。芽心はそもそも何か話しかけようと思わなかったし、話を振られてもうまく返答できる自信がなかった。その心情を察してくれたのか、空は穏やかな表情で口を開くこともない。道端の風景を眺めながら歩いている。
病院について、白い廊下を進む。芽心の足は、どんどん重くなっていく。
病室の前には、西島の仲間らしい男性が立っていた。芽心たちの姿を見つけると小さく会釈して「先ほどお休みになったところですよ」と囁いてくれる。
すっかり顔なじみになってしまった彼へ礼を返して、芽心は静かに扉を開いた。少し中を覗いて、ベッドの上の人物が寝ていることを確認すると、肩の力が抜けた。
「お休み中だったのね」
「良いんです。私も、こんなときばっかりなので」
病室へ入れるようになった芽心だが、まだ父が起きている状態で面会できたことはない。
「まだお父さんとお話していないのね」
「……はい」
空は、窓際の花瓶から萎れた花をとる。芽心は洗濯物を鞄に詰め、新しい着替えを置いた。
「そういえば、みなさんサマーキャンプへ行かれるんですね」
ふと思い出したのは、その話題だった。数日前、一斉メールでサマーキャンプの計画と集合場所が光子郎から届いていた。
「うん……私は、まだ迷っているけど」
「そう、なんですか?」
メールにはデジタルワールドに関係することだと書いてあったが、空は別の用事でもあるのだろうか。芽心は疑問に思ったが、口に出すことは止めた。
「そういう芽心さんは、夏休みどうするの? サマーキャンプに行く?」
「私は……」
芽心は言葉が見つからず、口を閉ざした。
空は、花瓶の隙間に自分がもってきた花を挿しこんでいる。
「ヤマトくんのお母さんから、話は聞いた?」
話を変えようとしたのか、空はベッドで眠る望月の父を一瞥した。意味が分からず、芽心は首を傾げる。
「いえ……あの事件のあと、一度お見舞いに来ていただいたくらいで、そんなにお話はできてないです」
「そう……」
空は何かを考えるように頬へ手を当て、視線を左右に動かした。
「あまり他人が口にだすべきことじゃないと思うから、詳しくは本人に聞いてね」
「はい……?」
「私もヤマトくんのお母さんから聞いただけなんだけどね……芽心さんのお父さん、家族写真を大切にしていたそうよ。芽心さんとお父さんと、お母さんの写った家族写真」
「え……?」
芽心は目を丸くした。
自宅の目のつく場所に、そのような家族写真はない。芽心だって、母と二人だけで写ったツーショットを部屋に飾っているくらい。そもそも、芽心の憶えている限り三人揃って写真を撮ったことはない――いや一度だけ、花畑の前で、三人で撮ったか。しかしそれは芽心が小学生の時の話だ。
「そんな、昔の写真を……?」
あの家庭に興味がない父からは想像できない。
「芽心さんがお父さんのことをなんて思っているのかは分からないけど……なにか誤解があるのかも」
話をしてはどうか、と空は提案する。
驚きで乾いた口内を唾で潤し、芽心は視線を動かす。
空の持ってきてくれた花が、花瓶で揺れている。季節の花、ひまわりだ。

――お父さん! お母さん!

小学生の頃、両親と一緒にひまわり畑を見に行ったことがある。詳しい地名などは覚えていない。ただ、自分の背丈より随分大きなひまわり畑の中から空を見上げると、黄色い海の中に沈んでいるような感覚がして、胸が高鳴った。
そんなひまわり畑の前で、親子三人で撮った写真がある。恐らくそれが、父の『大切にしている写真』だ。

――芽心。

名前を呼ばれて振り向く。ひまわりを抱えた芽心は、視線の先にいた相手へ、ニッコリと微笑んだ。
その相手が父と母どちらだったか、芽心はよく覚えていない。
「怖いんです」
ポツリと、芽心は呟いていた。
空が少し驚いたように目を丸くしているが、芽心の言葉は滑り落ちる。
「何を言われるのか――何を言ってしまうのか――想像できなくて、怖いんです……だって、私、メイちゃんにとても酷いことを言ってしまった……」
メイクーモンにも父にも、芽心は酷い言葉を投げつけてしまった。彼らから返されるかもしれない罵倒の言葉に怯え、さらに彼らを貶す言葉を与えてしまうのではないかと恐れている。
「……違いますね。私はいつだってずるい。いつだって、自分のことしか考えてない……」
芽心はただ、自分が傷つくことが怖いだけだ。
黙り込む芽心を見つめ、空はキュッと唇を噛みしめた。それから口元を和らげ、芽心の方へ手を添える。
「自分で間違えていると思うなら、正していけば良いじゃない。それってつまり、芽心さん自身だって話をするべきだって、思っているってことでしょ?」
芽心は顔を伏せたまま、何も言わない。フルリ、と黒髪が微かに揺れた。
「何度だってやり直せる。傷つけあったって、手は繋げられるわ。それがパートナーだもの」
「私とメイちゃんは、パートナーなんて」
「パートナーよ」
芽心は、俯いたまま息を飲んだ。
震える身体を安心させるように、空は両手で彼女の肩を撫でる。
「私たちには、十分パートナーに見えるわ。お互いに足りないところを補って強くなる、最高のパートナーに」
湿った声が、芽心から聞こえた。そのまま胸へ寄る身体を、空は優しく抱きしめる。
(そう、分かっている……。例え、届かないとしても、手を伸ばさなければ)
震える芽心を宥めながら、空は自身にもそう言い聞かせていた。

◇◆◇

ふあ、と欠伸が零れる。佳江は時計を見て、夜も更けていることに気づいた。夫はテレビ前のソファで晩酌を続けている。
そろそろ先に休ませてもらおうと一言断って、佳江は立ち上がった。
リビングを出ると、暗い廊下に一筋光が零れている。元を辿ると息子の部屋からだった。
薄く開いている扉をそっと押すと、パソコンに向かう息子の背中が見えた。
「光子郎、そろそろ休んだら?」
扉を叩いて存在を報せ、そう声をかける。光子郎はビクリと肩を揺らし、目元を指で揉んだ。
「すみません……もう少ししたら寝ます」
「そう? 先にお風呂いただくから、上がったらまた声をかけるわね」
「ありがとうございます」
少し疲れた顔で微笑む様子が気になったので、佳江は「無理しないでね」と一言伝えてから扉を閉めた。
閉まった扉を見て、光子郎は椅子を回してパソコンに向き直った。
「……やっぱりダメか」
画面を見て、大きく息を吐く。
サマーキャンプまでに、光子郎はどうしてもやっておきたいことがあった。ワクチンプログラムの改良である。
最初の完成品は、ダークタワーのデータを参考にしたためか、抵抗を持つ古代種のパタモンに効果は薄かった。しかしそれでは意味がない。ウイルスプログラムは、古代種など関係なく作用するのだ。
「ウイルスプログラムによる強制変化を抑える……アプローチは良い筈なんだ。何か……他に何か必要なことは……」

――光子郎はん、少し気分転換しましょ。

耳元で、そんなテントモンの声が聞こえた気がした。光子郎が根を詰めていると、そんな風に声をかけてくれた。凝り固まった肩と頭を解すには、丁度良いタイミングなのだ。
光子郎は頬杖をつき、マウスを動かして画像フォルダを開いた。そこには、ヒカリから貰ったパートナーたちとの記念写真のデータが入っている。
「アグモンは食べている写真が多いな……ミミさんたちは相変わらず。丈さんも」
メンバーから一歩引いていることが多い光子郎の側で、テントモンも仲間たちを眺めている。
写真には勿論メイクーモンも写っていて、楽しそうに芽心と頬を寄せ合う微笑ましい姿を見せていた。
「……そう言えば、こっちのデータ解析についてのメールが返ってきていた筈」
光子郎はメールフォルダを開いた。ロスのチャット仲間に、芽心のデジヴァイスの解析を、引き続き依頼していたのだ。代わりに向こうのビジネスを幾つか手伝うことになっていたが、些末なことだ。
「これは……!」
メールの英文を読み、慌てて添付ファイルを開く。そこに示されたデータの働きに、光子郎は目を丸くした。
それは、芽心のデジヴァイスに残されていた、メイクーモンのデータの一部だった。
「デジモンのデータを記憶して、復元している……?」
例えば、テントモンのデータをそのメイクーモンのデータに入れる。すると、データをコピーし、同じデータを復元したのだ。
一筋の光明を見つけたように、光子郎の頭が冴えた。
「そうだ、これを使えば……」
光子郎の手が動く。開いたのは、改良途中のワクチンプログラムだ。
メイクーモンのこのデータを組み込めば、プログラムを強制的に変更されても、復元することができる。
「しかし、こんなデータを持っているなんて、メイクーモンとは一体……」
疑問は深まるばかりだったが、まずは探り当てた光明を引き上げる方が優先だ。光子郎は目の前のブラウザに集中した。
根を詰めた彼には風呂上りの母の声も届かなかった。結局、翌朝キーボードに突っ伏す形で眠りこむ姿を母に見つかり、叱責を受けることになるのだった。

◇◆◇

「一応、許可貰って来た」
「そうか」
光子郎が母からの叱責を受け、気まずい中遅めの朝食を食べている頃、太一はヤマトとタケルと共にお台場中学校を訪れていた。目的は、サッカー部の部室である。
「しかし、何だよ『大切なもの』って」
太一の後に続きながら、ヤマトは吐息を漏らす。
奈津子を通してタケル、太一たちへ伝えたられた大輔の姉ジュンからの伝言とは、大輔からのメッセージだった。
大切なものを部室のロッカーに入れたので、太一に受け取ってもらいたい、と。
母校が懐かしいので部室を覗かせてほしいと顧問を言いくるめた太一は、隠れることなく部室の扉を開く。
既にサッカー部はグラウンドで練習を始めており、人気はない。少々乱雑に転がった荷物と、汗臭さがあるだけだ。
「大輔のロッカーは……ここか」
物珍し気に部室を見回す兄弟を置いて、太一はロッカーを見つけると扉を開いた。
「これ……」
小さく息を飲み、太一は中に入っていたものを取り出す。彼の肩越しに手元を覗き込んだヤマトたちも、少々驚きで目を丸くした。
三年前、大輔に譲り渡したあのゴーグルだったのだ。

◇◆◇

メイクーモンとも、ひまわりを見に行ったことがある。
祖父母の知り合いが管理する畑だった。小学生のときに訪れた場所よりは小さなところで、畑の隅に一列並んでいるような場所だった。
メイクーモンは、自分の体毛と似た色のそれをとても気に入ったようだ。帰宅した芽心が手土産に貰った分を硝子の花瓶に活ける準備をしている間、楽しそうに足元をぐるぐると回っていた。
危ないと、芽心は注意したのだ。しかし浮かれていたメイクーモンの頭には、忠告が欠片しか残っていなかったようだ。折角綺麗に活けた花瓶を移動させようとした芽心の足を、邪魔してしまった。そのため、芽心は花瓶ごと床に倒れたのだ。
その衝撃で花瓶は割れ、破片と水とひまわりが床に散らばった。その間に手をついた芽心は、指を破片で切ってしまう。
芽心の血を見て、メイクーモンは顔を青くした。そこでやっと、自分の行動を反省したメイクーモンを見て、芽心の胸に悪戯心が生まれた。
「もう、危ないって言ったのに、メイちゃんは悪い子やけん」
「め、メイは悪い子だが?」
「言うこと聞かない子は、悪い子だがん」
わざとつんけんした態度をとると、メイクーモンはしゅんと項垂れた。さすがに芽心もやりすぎたと反省し、ポンポンと頭を撫でる。
「大丈夫」
薄っすら涙目になるメイクーモンに微笑みかけ、芽心は救急セットを取り出した。
ガーゼで止血して、絆創膏を巻く。すっかり血の止まった指をクルリと回して見せると、メイクーモンは目を真ん丸く見開いた。
「心配してくれてだんだん、メイちゃん」
「だんだん?」
「『ありがとう』ってこと――えっと、あなたの気持ちが嬉しいって思ったときに使うの」
「うれしい……メイコは、うれしいの?」
「うん。メイちゃんが心配してくれたのが嬉しい」
「メイも! メイコに会えてうれしい! だんだん!」
メイクーモンはギュッと芽心に抱き着く。芽心も強く抱きしめ返した。
「私もよ、だんだん」
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