第4話 chapter4
最後にオフィスに現れたのは、タケルとヒカリだった。想像より落ち着いた様子のヒカリに安堵しつつ、その隣に並んだ弟の様子に、ヤマトは首を傾げた。
「どうかしたのか、タケル?」
「え、あ……ううん」
「……やっぱり、まだ無理しているんじゃあ」
「大丈夫だよ、兄さん」
パートナーのことをまだ気にしているのかと小声で話しかけるが、タケルはきっぱりと首を振った。それなら良いが、とヤマトは口ごもる。
その間に壁面画面の準備を終えた光子郎が、集まった子どもたちへ声をかけた。
「こちらが、先ほど届いたホメオスタシスからと思われるメッセージです」
画面に写されたのは、メール画面だ。光子郎曰く、送信アドレスがデジタルワールドのホストコンピューターのものなので、間違いないらしい。
簡素なメッセージだった。白い背景に、黒いデジ文字で一行だけ。翻訳したものがこれだ、と光子郎はキーボードを叩く。

『はじまりの ひに はじまりの ばしょ にて』

「始まりの日と、始まりの場所って……」
「光が丘? 光が丘爆破事件っていつだったっけ?」
「いや、多分違う」
きっぱりとした太一の言葉。子どもたちの視線が、ゆっくりと彼に集まる。
太一は壁にかかるカレンダーへ足を進めた。それから、まだ一週間ほど残るカレンダーを一枚切り離す。
「――多分、こっちだ」
赤く丸印の付けられた日――八月一日。
その日付から連想される始まりの場所は、一つだけだ。
御神渓谷――六年前の夏、太一たちが津波に飲み込まれたサマーキャンプの宿営地だ。
「――サマーキャンプの場所に……? そこに行って、何が起きるというんだい?」
「そこに行けば、パルモンたちに会えるってことじゃない?」
「何を根拠に……」
楽観的なミミの言葉に、丈はヒクリと頬を引きつらせる。
「いえ、中らずとも雖も遠からず、かもしれません。このメールはほぼホメオスタシスからと見て間違いありません。そんな相手からのメールですから……」
「デジタルワールドに関することで間違いない、か」
太一は納得したようだったが、ヤマトはまだ腑に落ちないようだ。
「けど、あのときワーガルルモンたちを強制送還したのだって、ホメオスタシスだ。信用できるのか?」
「それは……」
光子郎は口ごもる。ヤマトの言葉は止まらない。
「エンジェモンのことにしたってそうだ。あの状態で無理やりタケルと引き剥がしたくせに、今更になって会わせるとか。六年前のときだって、いきなりデジタルワールドから追い出されて……俺は、向こうに振り回されている気がして、納得できない」
「ヤマトくん……」
ソファに座ってそれを聞いていた空は、顔を伏せて膝の上に乗せていた手をギュッと握った。
「僕は行きたい」
静かになりかける部屋に響いたのは、タケルの声だった。
「行こうよ、御神渓谷に」
「タケル……」
「僕はまたパタモンに会いたい。少しでもその可能性があるなら、どこだって行くよ」
それに、と言葉を切ってタケルは真っ直ぐヤマトを見つめた。ヤマトは少し顔を強張らせる。
「あのときだって、僕らはいつだって選んできたじゃないか。与えられるばかりじゃない、あの冒険は、僕らの選んだ旅路だった」
選択肢は、与えられるものばかりだったかもしれない。それでも、辛い旅路を進み続けることを、途中で立ち止まることを、回り道をすることを――その果てに戦うことを選んだのは、紛れもなくタケルたち自身だ。
「だから僕は、また選ぶよ。パタモンと再会するためなら、罠だろうが構わない」
ヤマトはピクリと揺れた指を、グッと握りこんだ。
「俺だって、ガブモンに会いたくない、わけないだろ」
「……決まりだな」
太一がニヤリと笑って、ヤマトの首に腕を回す。それからグルリと辺りを見回すと、諦めたように丈は吐息を漏らしていた。その口元は、光子郎たちのように緩んでいる。
「八月一日、今年の記念日は、サマーキャンプに決定ね!」
ミミににっかりと笑って二本指を立てた。
部屋の壁際に佇んでいたヒカリも、静かに口角を持ち上げた。
「私は、」
盛り上がりかける部屋に、凛と声が響く。その発生源は、顔を俯かせたままの空だった。
「私は……やめておこうかしら」
「空……?」
「ほら、芽心さんのことも放っておけないし、それに」
「空」
苦く笑いながら言葉を紡ぐ彼女を、ミミたちは奇妙なものであるように見つめる。彼女の肩を掴んで、太一がその言葉を止めた。
「どうした?」
「……別に?」
力なく笑って空は太一を見やる。太一は真剣な面持ちで彼女を見つめ返した。空は笑みを強張らせ、また手元に目を落とした。
「……ちょっと怖いの」
「怖い?」
「私、エンジェモンが暴走したとき、ピヨモンも同じようになってしまうんじゃないかって、怖くなった。怖くなって……私、デジタルワールドに吸い込まれていくピヨモンから、手を離してしまった……」
他の仲間が懸命に腕を伸ばし、足を踏ん張ってパートナーを引き留めようとする中で、だ。驚きで目を丸くするパートナーの顔が、今も鮮明に思い出せる。
「究極進化をさせてあげられない私なんかの側より、向こうにいた方がピヨモンのためじゃないかなって……」
「空……まーた意地張ってんのかよ」
カッと空の頬が赤くなった。睨みつける空にたじろいで、太一は身を引く。彼の無神経ともいえる発言に、ミミや光子郎は呆れて吐息を漏らした。
「意地張って悪かったわね!」
「な、なんだよ!」
訳が分からないと言った顔の太一にクッションを投げつけ、空は立ち上がると部屋を出ようと扉に向かった。
「空だって、本当はピヨモンに会いたいんだろ」
ピクリ、とドアノブにかかった手が止まる。
ソファに座り込んだ太一は、頭を掻いた。
「進化させてあげられるとか……そういうのじゃないだろ」
「……っ」
バタン、と音を立てて空は部屋を出て行った。
しん、となる室内に、誰かのため息の音が響いた。
「太一さん……」
「ちょっとデリカシーないかも……」
「え」
「もう少し言葉を選んだ方が良いよ……」

◇◆◇

夜、夕ご飯の片づけを終えたヤマトが部屋に戻ると、携帯が震えていた。
取り上げて画面を見ると、空の名前が表示されている。昼間のことを思い出して少し指が止まったが、ヤマトは受信ボタンを押して携帯へ耳を寄せた。
「もしもし」
「もしもし、ヤマトくん。夜にごめんなさい」
「いや、一息ついたところだから大丈夫だ」
ヤマトは携帯を片手に、窓を開いた。熱気がこもり始めていた室内に、涼しい夜風が通る。
「どうかしたのか?」
「……昼間のこと」
「ああ……」
空の話は、ヤマトの予想通りだったらしい。
「変な空気のまま飛び出してごめんなさい。あのあと、大丈夫だった?」
「気にするな。太一も言葉を選ばなかったからな」
電話口から聞こえる空の声は沈んでいる。明日もう一度、太一に反省させなければいけないかもしれない。
「……ううん。私も悪かったから」
「空……」
「……ヤマトくん――私ね、怖いの」
「怖い?」
「ピヨモンに軽蔑されるんじゃないかって」
予想外の言葉に、ヤマトは返答が遅れた。
「デジタルワールドの方がピヨモンにとって安全な場所なんじゃないかって、自分で勝手に判断してあのとき手を離してしまった……分かってる、ピヨモンはそんなこと望んでいないって」
「空……」
「だからこそ……もう一度ピヨモンと会うのが怖いの。ピヨモンが、私こと、どう思っているか……知ることが、怖い」
何と言葉をかけるべきか、ヤマトは唇を食んだ。
その沈黙をどう受け取ったのか、携帯口で空は小さく笑った。
「太一の言う通り。私、意地張っているんだわ」
「空」
「ごめんなさい。もう少し頭を冷やすわ。八月一日の件は……少し考えさせて」
話ができて良かったと言って、空は通話を切ろうとする。ヤマトは咄嗟に呼び止めていた。
「……昼間は俺もああ言ったけどさ、本当に無理するなよ。俺たちにしか、できないことがある。けど、自分のペースでそれをやれば良いんだ」
「ヤマトくん……」
「だから……その……俺たちは、待ってるから」
うまく言葉を見つけられず、ヤマトは口ごもる。それと一緒に照れが沸き起こってきて、少し早口になって通話を締めた。
少し耳から離した携帯から、「ありがと」という小さな呟きが聞こえてから通話を切る。
携帯を握ったまま、ヤマトはゴロリとベッドに転がった。大きく息を吐き、そのまま目を閉じた。

◇◆◇

数日前までは涼しさが残っていた夜風も、今ではすっかり生温さを運ぶ夏の風になっている。
じわりと浮かぶ汗を拭って、空は扇風機のスイッチをオンにした。少し生温さは残るが、涼しさを含んだ風が肌を撫でる。
空は通話を切ったばかりの携帯のボタンを押して、メールボックスを開いた。
太一からのメールだ。一言だけ『昼間は悪かった』と書いてある。
空はそれに対して、返信できないでいる。
「空、今良い?」
ノックの後、母が声をかけてくる。空はハッとして携帯を閉じ、声を返した。
少しドアを開けると、淑子が部屋の生温さに眉を顰めた。
「部屋は暑くない? 扇風機だけで大丈夫?」
「昼間ほどじゃないから平気よ」
「冷房のある部屋で寝ても良いのよ。寝ている間に熱中症になることもあるらしいし」
「大丈夫だってば」
空が苦笑気味に断ると、言葉だけ淑子は納得したようだった。その話題はそこで終わり、代わりに「そういえば」と別の話題を切り出した。
「八神さんの奥さんから聞いたけど、サマーキャンプへ行くんですって? 準備はどう?」
空の呼吸が一瞬止まった。すぐに、口端を持ち上げる。
「んー……私は、ちょっと……」
言葉を濁した空を見て、淑子は眉を顰めた。
「行かなくて良いの?」
太一の母からどこまで聞いたか分からないが、淑子もピヨモンたちに関わることであることは察しているのだろう。自分の気持ちを両親へ吐露するには気恥ずかしさが勝ってしまい、空は曖昧に微笑んで話を誤魔化した。
素っ気なくしてしまっただろうか、と閉めたドアを見つめながら反省する。
クルリとドアに背を向けた空は、机の上に置いた色彩配色カードが目を止めた。服飾のリメイクをする過程で、配色の参考にするため購入したものだ。
何気なく手に取って、ペラペラとめくる。
デジモンたちの服を作る際、どんな色が似あうだろうとピヨモンに宛がったことを思い出す。
完成したポンチョを羽織って、嬉しそうにクルクル回るピヨモンを見て、空も嬉しくなったのを今でも覚えている。
「ピヨモン……」
キュッと眉を顰め、空は拳を握りしめた。

◇◆◇

「え、なんて?」
母の言葉を、タケルは思わず聞き返した。
野菜を炒めるタケルの隣で、たった今帰宅したばかりの奈津子は、苛々とした様子で麦茶を煽った。
「もう、お父さんには困ったものだわ……やっと連絡が取れたと思ったら……」
苛々とした調子で呟いて、奈津子はリビングへ向かう。彼女の後を追って、タケルもメインの生姜焼きの皿を手にリビングへ向かった。
「お爺ちゃんのところに、大輔くんたちがいたの?」
「ご家族が、ね」
大きく息を吐いて、奈津子はもう一杯麦茶を飲み干す。
今日、漸くフランス在住の祖父と連絡がついた。と、想ったら、彼からもたらされたのは爆弾のような情報だったのだ。
他ならぬ大輔たちの頼みで、彼らの家族をフランスへ匿っていた、と。
「どうやら、大輔くんたち――というかデジタルワールド側は、人間、それも日本に敵がいることに気づいていたようなの。そこで、家族に危険が及ぶ可能性を恐れて、大輔くん経由でお爺ちゃんに連絡がいったみたい」
祖父から娘や孫に連絡が届かなかったのは、半分祖父のミス。忘れていたらしい。そして半分は、敵の勢力が奈津子たちの近くに迫っていることが予測されたからだという。
「姫川さんのことを、お爺ちゃんは知っていたの?」
「デジタルワールドから、そういった旨の連絡が来たと言っていたわ」
電話の向こうでは、酒が入った状態らしい父の陽気な声が聞こえて来ていた。どうやらその酒盛りには男性陣の殆どが巻き込まれてしまっているらしく、伊織の母が代表して感謝とお詫びの言葉を述べた。
「肝心の大輔くんたちは……」
「デジタルワールドへ行ったきり、連絡がないそうよ」
ひとまず、子どもたちの家族の無事が確認できて良かった、と奈津子は安堵の息を漏らした。
タケルも同じように安堵したものの、疑問が残る。
太一たちの家族が保護の対象にならなかったのは、恐らく姫川が存在に気づいていたからだろう。ここで太一たちも家族ごと行方を眩ませれば、姫川はお台場だけにとどまらず、全世界へ被害を及ぼしていた可能性がある。
しかし、ならばなぜ、タケルとヒカリに連絡が来なかったのか。
(あのメッセージが本当にデジタルワールドからとして……八月一日になったら、大輔くんたちにも……)
まだ不安の残る面持ちで、タケルは七月も残り少なくなったカレンダーを見つめた。
「あ、そうだ。本宮さんの娘さんが、伝言を頼みたいって」
「?」
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