第4話 chapter3
以上が、あの日に起きたことだ。
それから、二週間が経っていた。
望月教授は病院へ搬送され、即入院。命に別状はないらしい。
混乱する太一たちに、現状の説明してくれる者はいなかった。西島は申し訳なさそうな顔をしたまま、同僚らしい大人たちと共に、姫川をどこかへ連れて行った。ホメオスタシスも深々と頭を下げただけで、デジモンたちをゲートに吸い込んだ理由も、白い『手』の正体も明かさぬまま、ヒカリの身体から抜けていった。
残されたのは、戦闘を示唆する地面と、立ち尽くす子どもたちだけ。
ヤマトと太一は学校で問い詰めようと西島を探した。しかし彼はいつの間にか辞職しており――教頭の話では『一身上の都合』らしい――そのままテスト週間へ突入してしまったこともあり、子どもたちは忙しない日常の波に呑まれてしまった。
そして今日。テスト週間の終わりを見計らったように、連絡が来たのだ。

『放課後。泉のオフィスで』

「よお」
太一が連絡通り光子郎のオフィスを訪れると、光子郎とヤマトの姿があった。他の子どもたちは、芽心に付き添って望月教授の見舞いに行っているらしい。
二週間前と同じジャケットを着た西島は、ヘラリと笑って片手を上げる。太一は仲間たちの視線を受けながら一歩前へ進んだ。
「説明、してくれるんだろ」
太一の瞳を見上げ、西島は頷いた。
太一はそれを見て、西島の向いに座る。光子郎たちは立ったまま、二人の様子を見守った。
西島はそっとポケットから取り出した黒い手帖を机に置いた。
「警察庁情報通信局サイバーフォース・デジタルワールド解析班――西島大吾。これが、本当の俺だ」
そう言って、西島は手帖を開く。固い表情の顔写真は、確かに西島のものだ。その下に記されている名前も『西島大吾』とある。
「月島総合高校では、潜入捜査をしていたんだ。サイバーテロの犯人を見つけるために」
「サイバーテロ?」
「二年ほど前から日本のネットワークのあらゆるところに、不審なアクセス形跡が見られるようになったんだ」
直接的な被害があるわけではないが、何かを探すような動きを見せており、西島たちのグループは警戒していたのだ。
「それがどうして、うちの高校に潜入捜査することになるんだ?」
「お前たちがいたからさ。デジタルワールドの救世主、選ばれし子どもたち」
西島たちは不審な形跡を残した犯人が、デジタルワールドを探していることを突き止めた。同時に容疑者も割り出した。それが、姫川マキだったのだ。
「じゃあ、ずっと前から姫川さんを疑っていたのか?」
「外れていてほしいと思ったさ。同級生ってことは嘘じゃないからな……けど、同級生だからこそ、アイツがデジタルワールドを求める理由が分かった」
西島は目を伏せる。
姫川マキが、デジタルワールドに深い関わりを持つ八神太一たちへ接触を図り、何かしら行動を起こすだろうことは想像がついた。だから教師として潜入し、現行犯で逮捕する瞬間を待っていたのだ。
予想通り、彼女は望月芽心を介して太一たち、そして彼らのパートナーデジモンと接触した。その際、幾つかのデジモンにウイルスプログラムをインストールしていたらしい。
「姫川さんが、デジタルワールドを求めた理由って……」
詳しくは分からないが、と前置いて西島は指を絡めた。
「姫川には、高校生のときに出会ったデジモンがいたんだ。彼女は、そのデジモンと再会するために、ゲートを探していたらしい」
「それが、どうしてデジモンを暴走させることに繋がるんですか?」
「デジタルワールドを混乱させて、八神たちに助けを求めたホメオスタシスがゲートを開くことを期待した……ってところだろう」
「そんな確証もない方法で? ……それに、あの『手』と『ゲート』のようなものは何だって言うんですか?」
光子郎は理解できない、と言いたげに眉を顰めた。西島は力なく「まだ調査中だ」と言った。
「パートナーデジモン……もしかして、西島先生も?」
姫川が西島へかけた言葉は、彼にもデジモンがいることを示唆していた。
西島は小さく口元へ笑みを浮かべ、首を振った。
「俺も姫川も、あれがパートナーデジモンだったとのかと問われれば、断言できない。お前たちのように、冒険したわけでも生活したわけでもない――デジヴァイスすら、俺たちは手に取ることがなかったんだ」
「は? それってどういう……」
ヤマトが訊ね返そうとしたとき、西島の携帯が鳴った。
話を中断させて、西島は携帯に出る。彼はすぐ顔を青くし、立ち上がった。
「――姫川マキが、逃げた……!?」

◇◆◇

総合病院の個室病棟。その一室で、包帯を頭に巻き、男はベッドに横たわっている。
命に別状はない。入院二日目は軽い脳震盪を起こし嘔吐を繰り返していたがそれも治まり、現在は他の怪我のため絶対安静の運びとなっている。
病室へ実際に入った丈たちから男の様子を聞く間、芽心はじっと俯いて喫茶ルームの机を見つめていた。
彼女は病室へ入っていない。勇気がないと言って空と二人、喫茶ルームで待っていたのだ。
「今は寝ていたけど、顔色は悪くなかった。医師の話では、経過良好だって」
重たい空気を和ませようと、丈は口元を何とか持ち上げる。しかし芽心は反応を返さず、ミミも気まずげに肩を竦める。
彼女の傍らに座った空が、膝の上で握られていた手へそっと自身の手を重ねた。ピクリ、と芽心は僅かに髪を揺らす。
「話したくないこともあるだろうけど、教えてほしい。もう芽心さんだけの問題じゃないの」
いつかは彼女の温もりを分けてくれた手が、今は冷たい。机の下で自分の手に重なる白い空の手を一瞥し、芽心は目を閉じた。
「……すみません。嘘を、ついていました」
たどたどしく、掠れるような小声。
丈たちは、固唾を飲んで芽心の言葉を待つ。
「……メイちゃんと出会ったのは、中学三年生の、夏の終わりごろでした」
残暑が厳しく、太陽の光が眩しい日だったと、芽心は言った。
「パソコンから飛び出してきたのは、本当です。でも、それはイラストをスキャニングしたときじゃない……メールを、開いたときでした」
メールには、添付ファイルがついていた。
『Meicoomon』――そう名前がついた添付ファイルをクリックすると、突然パソコンが発光した。驚く芽心の目前に飛び出してきたのが、猫型の不思議な生き物だったのだ。
「現れたメイちゃんは、本当に赤ちゃんみたいで、何を聞いても答えてくれませんでした」
パソコンから芽心の胸に飛び込む形となったが、目が合うと途端に飛び上がって部屋の中を逃げ回った。本棚や卓上をすっかり崩しつくしてしまうと、やがてベッドの下に飛び込んだ。
「パニックになって、私はある人に相談したんです」
電話で事情を説明すると芽心の混乱も落ち着き、ベッドの下からこちらを伺う丸い瞳を見つめ返せるほどになっていた。
どうしようかと迷った芽心の目に止まったのは、祖母が用意してくれていたおやつのクッキー。それを一つ半分に割り、手の平に乗せて差し出した。
フンフンと鼻を鳴らして匂いを嗅ぐ姿は、猫のようだ。警戒心より興味と食欲が勝ったのか、ぐいと首を伸ばし、芽心の手にあったクッキーに齧りついた。
やがて連絡した相手がやって来た頃には、芽心の腕の中でお菓子を頬張るほどに懐いていた。
「デジモン?」
その人が教えてくれた単語は、聞いたことあるような気がした。しかし芽心は、それがどういった生物か良く分からなかった。コテンと首を傾ぐ芽心へ微笑んで、その人は説明をしてくれた。
デジタルモンスター――通称デジモンは、現実世界のネットワーク情報を元に成り立つ異世界、デジタルワールドに住む生物であること。時折、パソコンを代表する電脳機器を通じてこちらの世界にやってくること。芽心も知っているお台場濃霧事件等が、デジモンが関わった騒動だったと聞いたときは、驚いた。
「じゃあ、この子にも名前がちゃんとあるんだ。あなたの名前は?」
「うー?」
芽心は脇に手を入れて抱き上げる。しかし名前を訊ねても、首を傾げるばかり。困った芽心は、先ほどの添付ファイルの名前を思い出した。
「――メイクーモン? あなた、メイクーモンっていうんじゃないかな」
「だ!」
「きっとそうね。猫のメイクーンみたいだし」
すぐに納得した様子は見せなかったデジモンだが、芽心が素敵な名前だと微笑んだことで、嬉しそうに声を上げた。
「私、芽心。よろしくね」
以前母がテレビを見ながら、可愛らしいと頻りに言っていた猫種を思い出した。
長毛種のメインクーン。芽心の名前と似ているね、と二人して笑ったものだ。

――いつか飼ってみたいなぁ。
――そうしたら、名前はどうしたい?
――うーんと、メインクーンだから……。

「メイちゃん」
芽心がそう呼ぶと、メイクーモンは大きな瞳をパチクリと瞬かせた。それからニンマリと頬を緩めた。
「めいこ!」

――それじゃあ、どっちを呼んでるか分からなくなりそうね。

母の笑顔が唐突に脳裏に浮かぶ。それは一瞬メイクーモンの笑顔と重なって、消えた。
回想を無理やり閉じるように、高校生の芽心はそっと目をつぶった。
「……デジヴァイスは、後から貰ったんです。もしかしたらメイちゃんは私のパートナーになるかもしれないから、あった方が良いだろうって」
「……貰ったって、誰から?」
「……――姫川、さんです」
デジモンについて教えてくれたのも、彼女だ。
芽心の説明に、空は内心「やはり」と納得していた。
光子郎の話では、テレビ局騒動の後に解析した芽心のデジヴァイスからは、暗黒の種とよく似たデータが検出されたらしい。それだけでなく、デジヴァイスの全体の構造、内蔵データも、空たちのものと全く似ても似つかない模造品だった、と。
姫川マキが、今回の騒動を起こすために芽心へ偽デジヴァイスを渡した。そして、内蔵されていた暗黒の種によってメイクーモンの暗黒進化が引き起こされた――光子郎はそう仮定していた。
芽心にメイクーモンとの出会いを偽るよう提案したのも、姫川だったそうだ。というのも、メイクーモンの添付ファイルがついていたメールの差出人が、姫川だったのだ。しかし姫川は添付ファイルに思い当たることがないと言い、混乱が起こると思うから、他の人には言わない方が良い、と芽心に提案していた。
ひどい、と思わず漏らしたのはミミだ。
「姫川さん……芽心さんのことを、利用していたなんて……」
潤み始める目を手で覆い、ミミは俯く。彼女も姫川のことを信じていたため、裏切られたという思いが消しきれないのだろう。
「……」
俯いたまま、ミミの言葉にも反応しない芽心へ、空は口を開いた。
「芽心さん」
――ピリリ。
そのとき丈の携帯が鳴った。それに一番肩を飛び上がらせていたのは本人だ。丈は慌てて携帯をとると、受信画面を見て肩の力を抜いた。
「光子郎だ……もしもし」
その場で電話に出た丈は二三言葉を交わす。そして唐突にガタンと音を立てて立ち上がった。
「ホメオスタシスから、メッセージが……!?」
空たちも目を見開き、丈の言葉を待った。丈は緊張した面持ちのまま、電話の向こうの光子郎の言葉を、一つ一つ拾っている。
「うん、うん……いや、こっちにタケルたちはいない。……うん、じゃあ、一度光子郎のオフィスへ行くよ」
「ホメオスタシスからって……デジタルワールドに関することかしら?」
「分からないわ……けど、一度みんなのところへ行った方が良いわね」
空とミミは立ち上がる。そこで一人、芽心だけは動かず俯いたままだった。
「芽心さん?」
「……私は、行けません」
「え?」
「私が元凶だったのに……これ以上、皆さんに合わせる顔がありません」
「そんな……悪いのは、」
「私は、」
ミミの言葉を遮り、芽心は顔を上げる。ゆっくりと空へ向けた顔には、引きつった笑みが浮かんでいた。
「――メイちゃんのパートナーには、なれませんでした」
ポロリ、と目の端から雫が零れる。
あまりの痛々しさに、丈は思わず目を伏せた。

◇◆◇

夏の日差しを受けて煌めく水面。コンクリートで固められた岸に一人佇み、ヒカリは川を見つめていた。
「ヒカリちゃん、ここにいたんだ」
微動だにしない彼女の背へ声をかけたのは、タケルだ。
「兄さんから連絡があったんだ。一度、一緒に光子郎さんのオフィスへ……」
携帯の画面を見ながら歩み寄ったタケルは、ふと言葉をとめた。
「ヒカリちゃん……?」
いつもの少女と、雰囲気が少し違うような気がしたのだ。
タケルに背を向けたまま、少女は口で弧を描いた。
「私は大丈夫。行きましょう」
「え、あ、うん」
戸惑うタケルの横を通り、少女はさっさと歩き出す。
「――私のデジモンに、会いに行かなくちゃ」
アスファルトに落ちた彼女の影が、じわりと闇の色に滲んでいた。
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