第3話 chapter6
翌日は、休日ということもあり、子どもたちは朝から光子郎のオフィスに集まっていた。
芽心は骨折まではしていなかったものの、打撲が酷く、精神的な混乱もあるため、今日は自宅で休養すると連絡があった。ヒカリも、テイルモンの体調が優れないからと、この場にはいなかった。
昨夜のことがあったからか、子どもたちの表情はあまり晴れず、空気も重い。デジモンたちは、そんなパートナーの様子を心配そうに見上げていた。
「……現状を、整理するか」
口火を切ったのは、太一だった。机に手をついてじっとパソコンを見つめていた光子郎は、ハッと顔を上げた。
「そうですね」
思考を止めては、歩みを止めてはいけない――そんな場合ではない。場所や敵が違っても、いつだって太一たちはそうやって進んできたのだ。当然、気持ちがついて行かず、立ち止まってしまうこともある。そういうときは、引き留めず、気持ちの整理がつくまでそっとしておこうというのが、暗黙の了解になっていた。今ここにいない、ヒカリや芽心のように。
「ホメオスタシスによって、ウイルスプログラムとワクチンプログラムに関する仮説が証明されました。ただウイルスプログラムによって暴走してしまった場合、現状治す方法はない、と」
「倒して一度データに戻して、そこから取り除くしかないって言っていたわね」
不安が勝るのか、空はギュッとピヨモンを抱きしめた。そんな彼女を心配げに見やり、ヤマトは拳を握った。
「そのウイルスプログラムの発生元は、分からないままか」
「ホメオスタシスは、闇の気配が濃くなっていると言っていたけど……」
それが関係あるのだろうか、とタケルは眉を寄せた。闇の気配と聞いて連想するのは、六年前のデジタルワールドで、パートナーと相打ちした暗黒のデジモンと――三年前の戦いで存在を知った暗黒の海だ。
ぞわ、と嫌な空気に首筋を撫でられた気がして、タケルは思わずパタモンを抱きしめた。
「まさか……」
「……暗黒デジモンだけの仕業とは考えにくいです。ウイルスプログラムには、人為的なデータが見られます」
「昨日言っていたように、協力者――もしくは利用されている人間――が、現実世界にいるってことか」
うんうん唸って、丈は腕を組む。頭が痛くなることばかりだ。
「……だから、ホメオスタシスはあんなことを言ったのかしら」
ミミは、いつになく沈んだ声色を見せる。パルモンは思わず彼女の白い手を握った。
「『戦いから手を引け』なんて……無責任も良いところだ」
選んだのは向こうだろうに、とヤマトは舌を打つ。
「それだけど、光子郎、ゲンナイさんからの映像、再生できるか?」
「え、はい」
光子郎はキーボードを操作し、ハードディスクに保存していたデータを再生した。壁に取り付けられた画面に、砂嵐を伴ったゲンナイの姿が映し出される。
『――君たちの新たな力となるだろう』
「ここだ」
太一は人差し指を画面へ向ける。光子郎は慌てて、停止ボタンを押した。
「ゲンナイさんは、俺たちに戦うための新しい力を望んでいた筈だ――少なくとも、この時点では」
「そうか、ゲンナイさんはホメオスタシスに仕えるエージェントです。自律しているとしても、ホメオスタシスと意見を違えることはない筈です」
「どうだか。アイツ、俺たちと初めて会ったとき、ホメオスタシスが俺たちを呼んだことを知らなかったんだぞ」
「それは、デジタルワールドが混乱していたからで……」
それはヤマトも理解していることだろう、と光子郎は顔を歪める。不信感露わに、ヤマトはフンと腕を組んだ。いじけるヤマトに吐息を漏らし、太一は手の平を上げて見せた。
「まあ、つまり、俺が言いたいのはさ、初めはホメオスタシスも俺たちの力を必要としていただろうってことだ」
「それが急にあんなことを言いだしたってことは……」
「あの冒険のとき、最後まで俺たちを信じて託してくれたホメオスタシスが、だ。ホメオスタシスの想定すら超えた『何か』が起きたと考えるのが自然じゃないか?」
「でも……それって」
ますます自分たちでは力不足になるのではないのか、とタケルは眉を下げた。
「その『何か』って……やっぱりレオモンとメイクーモンの暴走のこと?」
「……ピヨモンたちの暴走の可能性かもしれないわ」
自身を責めるように目を瞑り、空は抱きしめたピヨモンの羽毛に顔を埋めた。
近しく親しいデジモンたちの暴走。現状、データに返還するしか解決策のない事態。太一たちの心を思って、ホメオスタシスはあのようなことを言ったのかもしれない。
「……その可能性は、最初から見越していたのでしょうね。だから、ロイヤルナイツのジエスモンを現実世界へ寄越していた」
悔しさが浮かばないと言えば嘘になる。自分たちは確かに、暴走したレオモンを前にして迷い、その足を止めかけてしまったのだから。
選ばれし子どもとして――ホメオスタシスの使命を受けた者として不甲斐ない。そう思うと同時に、彼らは自分たちの『選ばれし子ども』というネームバリューに少なくない誇りを持っていたことを、改めて自覚したのだ。

◇◆◇

八神ヒカリは、カーテンを閉め切った自室でベッドに座り込んでいた。足元に立ったテイルモンは、パートナーを心配げに見上げている。
「……夢を、見たの」
ポツリと、ヒカリは呟いた。
それは暫く前に見た夢で、最近まで忘れていたほど些細なものだ。
ヒカリは、暗く黒い海を見ている。そこには、大輔や京、賢に伊織のような影がいて、こちらへ向かって必死に何かを呼び掛けている。声は聞こえない。顔もはっきりしない。無音の中、海が小さな波を立てていることは何となくわかった。
「暗黒の海、か?」
「分からない……大輔くんたちが学校を休む前の夢だったから、ただの夢だと思ってすっかり忘れていたの」
今考えれば、何かの予兆だったのかもしれない。
それに、と呟いてヒカリは腕を摩る。
夢には続きがある。ふと足元を見やると、見覚えのある人間とデジモンの影が波間に揺れて、沈んでいくのだ。その影は紛れもなく、兄と自身のパートナーであった。
しかしそれを告げることはできず、ヒカリは唇を引き結んで自分の身体を抱きしめた。
「ヒカリ……」
テイルモンは何も言えず、そっと彼女の身体へ身を寄せた。
どれほどそうしていただろうか、ヒカリは唐突に顔を上げた。
「ヒカリ?」
「……行こう、テイルモン」
「……どこに?」
薄暗い部屋のせいか、テイルモンにはヒカリの瞳に闇の色が見えた。しかしそれでも真っ直ぐ、ヒカリは前を見つめる。
「私はまだ、聞かなきゃいけないことがある」

◇◆◇

「……その、ジエスモンについてなんだけど」
沈黙に落ちかける部屋の中、そろそろと丈は発言を示して手を上げた。
「話を聞くと、初めて太一たちの前に現れたときもメイクーモンを狙っていたようだけど」
「はい……今考えると、そうだと思います」
丈の言わんとしていることを察し、光子郎はまたパソコンを操作した。テレビ画面に写しだされたのは、文化祭のときと昨日の森林公園のときのメイクラックモンの写真だ。
「昨日のメイクラックモンの姿は、文化祭のときと比べると明らかに異質です。まるで、暗黒進化みたいだ」
「昨日はレオモンのように暴走してしまったと思ったけど……」
「その疑惑を裏付けるものが二点あります」
ぴ、と光子郎は指を二本立てた。

◇◆◇

望月芽心は静かなリビングで、一人ダイニングテーブルに座っていた。
いつもなら隣にパートナーが座り、楽しく食事を囲む場所だ。しかし今、隣の椅子には誰も座っておらず、机の上に料理も並んでいない。あるのは、黒いデジヴァイスだけだ。
デジヴァイスの画面には、メイクーモンの触手を連想させるような交差模様で作られたバツ印が浮かんでいた。
それを一瞥して、芽心は膝の上に乗せた手を握りしめる。
「……私、どうしたら……」
ギュッと閉じた目蓋の裏に浮かぶのは、パートナーと出会ったあの日の記憶。
――あなた、だあれ?
――うー……?
その残像が壊されそうな心地がして、芽心は思わず頭を抱えた。じわり、と目頭が熱くなる。怪我をした左肩が痛んだが、それよりもずっとずっと痛い場所がある。
「どうしよう……姫川さん……」
つい、そんな言葉が零れ落ちた。
それと一緒に、脳裏に掠める二年前の記憶。

――あなた、メイクーモンっていうの?

◇◆◇

「一つはあのデジヴァイスです」
二〇〇二年の冬以降、パートナーデジモンを持つ子どもたちに与えられたのはD3。彼女たちが出会ったのは二年前――つまり二〇〇三年。ならば、デヴァイスはD3の筈だ。
「そして二つ目は、常に成熟期の姿を保ったままだということです」
「それ、テイルモンも似たようなこと言ってたよ」
アグモンは少し目尻を下げた。太一がしゃがんで「本当か」と訊ねると、アグモンは頷く。
「ほら、テイルモン、ボクたちとは鍛え方が違うって言ってたでしょ。メイクーモンが初めて完全体に進化した後も成熟期のままだったから……」

――私はアグモンたちと違う境遇にいたから当然だ。しかし……あのメイクーモンが私と同じように鍛えているとは、思えないし思いたくない。

テイルモンの言葉を覚えている限り再現して、アグモンはしょぼんと頭を垂れる。ガブモンは励ますように、ポンポンと肩を叩いた。
「つまり光子郎くんは……――芽心さんを疑っているの?」
言葉を探そうとして、ミミは少し口ごもった。
「デヴァイスの形状からして、芽心さんとメイクーモンは二〇〇二年以前に出会っていた筈です。そんな嘘を吐く意味が分からない」
「それに、昨日のメイクラックモン……」
アグモンの頭を撫でながら、歯切れ悪く太一は口をはさんだ。
「あのとき、望月はただ怪我を負っただけだ。オロチモンに対して怒っていたわけでも、進化できなくて焦っている様子もなかっただろ?」
「そうかも。レオモンがゲートに入って安心してたんじゃないかしら」
芽心の近くにいたミミと丈が、太一の言葉を肯定する。
「暗黒進化ってさ、怒りとか焦りとか、負の感情エネルギーに依存すると思うんだ。実際……そうだったし」
「タイチ……」
「けど、昨日のメイクラックモンの進化条件はそれには当てはまらない、か……」
「どっちかっていうと、イービルスパイラルで進化したメタルグレイモンと同じ感じがした」
苦い記憶を思い出し、太一は誤魔化すようにこちらを見上げるアグモンを撫でた。
理性を失くした様子のレオモンたちと比べても、メイクラックモンは芽心の名前を呼んでいた。セイバーハックモンの台詞からしても、暴走状態ではないのだろう。
「何らかの外的要因による暗黒進化……」
「それが、芽心さんのせいだって言うの?」
ミミは少々眦を吊り上げた。
「だから、利用されているだけかもしれません。及川由紀夫のように」
「そんな! 芽心さんが……!」
思わず立ち上がったミミは、言葉を止めた。自身とメイクーモンとの関係について、そして家族について悩む姿を、ミミも見たことがあったからだ。そこをもし、暗黒デジモンにつけこまれていたとしたら。
「でも光子郎さん、それならウイルスプログラムを作ったのも、芽心さんてことですか?」
光子郎は、ウイルスプログラムに人為的な痕跡が見られたと言った。黒幕が暗黒デジモンだとしても、実行犯は人間である可能性が高いということだ。
「それよりも、可能性の高い人物がいます」
芽心の可能性も捨てきれないが、と前置いて光子郎はまたテレビの画面を変更した。
そこに映し出された三人の人物の写真に、タケルたちは目を丸くする。
「芽心さんはこの中の誰か――もしくは全員――に利用されているのではないでしょうか」
『望月教授』『姫川マキ』――そして『西島大吾』。
「望月教授と姫川さんは説明不要でしょう。芽心さんと近しい関係で、パソコンにも詳しいですから」
「でも、お父さんと、実の姉のように親しくしている人でしょ? そんなこと……」
「西島先生は?」
光子郎は太一を一瞥する。太一は真っ直ぐ、画面を見つめていた。
「……昨日のホメオスタシスの反応が気になって、少し調べてみました」
太一から視線をキーボードに落として、光子郎は言葉を続ける。
「西島大吾という人間が、教育大学の課程を修めたという記録は、見つかりませんでした」

◇◆◇

芽心は、チャイムの音でハッと我に返った。
咄嗟に時計を見やる。時刻は昼時に近い。そう言えば、心なしか空腹も感じる。そっと腹を撫で、芽心はチカチカ点滅するインターホンを覗き込んだ。
「こんにちは、芽心さん」
画面に映った人物にぎょっとする。
白い頬に影を落としたヒカリは、ニコリを微笑んだ。
「少し、お話がしたくて」
芽心はコクリと唾を飲みこむ。彼女はのろのろとした動作で動き、玄関のカギを開いた。
ヒカリは、テイルモンを連れていた。芽心が入室を許可すると、礼を言って上がり、ヒカリは靴を揃える。
「……今、お茶淹れますね」
「お構いなく」
ダイニングテーブルを案内し、芽心は台所へ向かった。ふと、テイルモンへもお茶を出して良いのかと疑問が浮かんだ。しかし、メイクーモンも芽心たちと同じ飲食物を口にしていたから大丈夫だろうと思い直して、湯飲みを三つ並べた。
「どうぞ」
「ありがとう」
芽心がお茶を出して向いに腰を下ろしても、ヒカリはすぐに話さなかった。芽心は少し居心地悪くて、両手で包んだ湯呑に目を落とした。
「……あの、お話って、なんでしょうか……」
気力を振り絞って、芽心は口火を切った。お茶を飲んで、ヒカリは湯飲みを置いた。
「本当のことを、聞きたくて」
「ほんとうの、こと?」
芽心の声が、僅かに上ずる。
「初めから不思議だったの。メイクーモンと芽心さん」
芽心は顔を上げた。ヒカリの頭上には影が差していて、彼女の瞳の光を際立たせる。その何もかも見透かしたような瞳に、芽心はドキリと胸を刺された気分だった。
「教えてください、メイクーモンと芽心さんのこと」
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