第3話 chapter2
ヤマトたちから、あとはそれぞれ分かれて軽く見回りをしながら帰宅すると連絡が入った。
落ち込んだ様子のヒカリの肩を叩き、太一は彼女の気晴らしもかねて見回りをしながら帰ると言って、オフィスを出て行った。
残された光子郎の携帯に入ったのは、母からのメール。夕飯の材料の買い忘れがあったから、帰り道にスーパーへ寄ってほしいという依頼だった。
というわけで、光子郎とジャケットを羽織ったテントモンは、オフィスと自宅の中間地点にあるスーパーマーケットを訪れていた。
「で、何を買うんや?」
子ども用のカートをカラカラ押しながら、テントモンは光子郎を見上げる。母からのメール内容を確認し、光子郎はきょろきょろと辺りと見回した。
「ほうれん草とジャガイモ……野菜コーナーはあっちだ」
「さいで」
「あれ、光子郎さん」
声を掛けられた光子郎とテントモンが足を止めると、タケルがヒラリと手を振って見せた。彼が押すカートには食材が入っている。通常子どもが座る位置には帽子をかぶったパタモンがチョコンと乗っていた。
「タケルくん。お買い物ですか」
「はい。今日は、母さんが遅い日なので」
母と二人暮らしのタケルは、夕飯当番なのだと言って少し笑った。
「光子郎さんも?」
「こうしろーたちの夕飯はなあに? タケルは今日、カレーを作るんだよ」
「ええでんな。ウチはオムライスとほうれん草のソテーらしいでっせ」
「美味しそうですね」
タケルが素直に褒めると、光子郎は照れたように頬を掻いた。
「あ」
学校の様子等、取り留めないことを話しながら野菜コーナーを物色していた光子郎とタケルは、またしても見知った顔を見つけて声を漏らした。
「泉くんと高石くん」
「望月さん」
「さっきぶりですね」
芽心は少し恥ずかしそうに俯く。芽心の押すカートには、パタモンと同じように座るメイクーモンの姿があった。
「本当はそのまま帰るつもりだったんですけど、メイちゃんが……」
「ガブモンの家は、今日はエビフライって言ってた! メイも食べたい!」
「って……」
「あはは、兄さんは料理が上手だからね」
大方、ガブモンがその美味しさを大仰に説明したのだろう。
ふと、芽心は目を細める。何かを考えるように一度俯いて、芽心はタケルへ声をかけた。
「……高石くんと石田くんは、ご兄弟なんですよね」
周囲のことを憚って、芽心は声を潜めていた。タケルは曖昧に笑って頷いた。
苗字の違う相手を兄と呼び慕っていたら、邪推してしまうだろう。それでも芽心は当初、幼馴染だから親しさからくる呼び名だと思っていたらしい。しかし、タケルが裕明を父と呼んだことで、芽心も二人の本当の関係を知ったのだ。
「……寂しく、ないですか?」
俯いたまま、芽心はぽつりと呟いた。
パートナーが探るようにこちらを見ているのを感じながら、タケルは頬を掻いた。
芽心は、父子家庭だと聞いた。母親がどうして家を出ることになったのか、タケルたちは聞いていない。しかしタケルたちにこういった質問をしてくるということは、似たような境遇なのかもしれない。
「確かに、寂しいときがなかった、とは言わないよ」
幼いタケルは、兄や父と別れて生活し、中々会えない日もあることを、すんなり受け入れることもできなかった。
「それでも、兄さんは僕を弟だと言ってくれたし、あの冒険のお陰かな、完全に父さんとも疎遠にならずにすんだ。だから、僕は今、寂しくないですよ」
間接的に言えば、パタモンのお陰かもしれない。タケルがそう呟くと、パタモンは嬉しそうに羽根を動かした。
「望月さんも、そうでしょ?」
「え、でも、私……兄弟なんて、いないし……」
「そやかて、血の繋がりだけが家族やあらへんで。せやろ、光子郎はん」
「僕にその話題を振りますか……」
光子郎は小さく息を吐いて、頭を掻いた。それから、これは自分個人の考えだと前置いて、口を開く。
「血の繋がりがあっても、家族の絆を繋げない人も一定数います。でも、血の繋がりがなくても、家族であることができる人たちも、また一定数いるもんです。だから……まあ、家族の形も人それぞれですね」
光子郎は言葉がまとまらず、口ごもった。
「つまり、芽心はん次第で、幾らでも家族の形も変えられるってことですわな」
「……そう、ですかね……」
テントモンが上げる手を握って、光子郎は口元を和らげた。芽心は光子郎の言葉を舌で転がし、首を傾げる。
「……私、次第……?」
「メイクーモンがいるでしょ」
光子郎の様子にこっそり笑みをこぼしながら、タケルはメイクーモンを見やった。芽心はキョトンと目を瞬かせる。
「だって、メイクーモンは芽心さんのために進化したんでしょう?」
そこには、家族と同じ――それ以上の絆がある筈だ。
「メイコ、メイは家族だがや?」
メイクーモンは芽心の袖を引いた。メイクーモンの言葉に少し目を細め、芽心は柔らかい毛並を撫でた。
「……そっだがんな」
芽心の手の暖かさと言葉に、メイクーモンは嬉しそうに微笑んだ。
ふわりと口元を綻ばせる芽心を見て、光子郎は心底安堵したように胸を撫で下ろす。励ましの言葉をかけることがまだ得意でない様子のパートナーを見やり、テントモンは首を振った。

◇◆◇

腕時計を見やると、時刻は八時を回っている。大学の研究室で根を詰めすぎたと心の中でぼやきながら、望月は自宅マンションの扉を開いた。
高校生の娘は帰宅しているようで、玄関からリビングへ向けて明かりはついていた。さらに、鼻孔をつく夕食の香りと、楽しそうな談笑の声。
リビングのガラス戸に映った全く形の違う二つの影に、望月は思わず顔を顰めた。
「あ、おかえりなさい」
望月がリビングへ入ると、エプロンをつけた娘がクルリと振り返った。足元にはオレンジ色の体毛を持った猫のような生物もいる。
望月は、助手を通じてこの生物の存在を知った。
娘にべったり懐いているこの生物は、あまり家にいない望月をまだ警戒しているようだった。望月は当初、研究のためにと何とか関係を築こうとしていたが、一向に懐かない様子を見て匙を投げた。
「ご飯、食べる?」
メイクーモンをじっと見つめていた父へ、芽心はおずおずと声をかけた。そこで芽心の存在を思い出したという風に父は顔を上げ、チラリとテーブルに並んだ料理を一瞥した。
祖母から譲り受けたレシピ本とにらめっこをしながら作った今日の夕食は、メイクーモンのリクエスト通りエビフライ。付け合わせにキャベツの千切りとポテトサラダ、それと味噌汁だ。
「……後で貰う。まだ少し、まとめたい資料があるんでな」
「あ、そう……じゃあ、ラップかけて置いておくね」
芽心は、ツキリとした痛みが胸に走るのを感じる。芽心の様子に気づかない父は、ネクタイを緩めながら書斎へ行ってしまった。
「メイコ?」
くん、とメイクーモンがエプロンの裾を引く。芽心は膝を曲げると、メイクーモンを強く抱きしめた。
「メイコ?」
「……私には、メイちゃんがおるもんね……私を置いて行ったり、しないよね」
瞼の裏に浮かんだ、家を出て行く背中の影を振り払うように、芽心は手に力を込める。
パートナーの行動に少し驚いたメイクーモンは、震える彼女の肩へそっと手を回した。
「……メイコ、悲しい?」
「……ううん。大丈夫」
パッと顔を上げ、芽心は少し赤い目で微笑む。それから、お風呂に入ろうと支度をするために一度自室へ向かった。
彼女の背中を見送りながら、メイクーモンは顔を歪める。
「……メイコを、悲しませるものは……メイが……」
ざわ、とメイクーモンの体毛が波打つ。首から伸びる二本の触手がふわりと持ち上がり、バチバチと黒い光を静電気のように弾かせた。
引き出しにしまったデジヴァイスが、点滅する。
「メイちゃーん、お風呂入るよー」
風呂場にやってこないメイクーモンを呼ぶ声。ハッとしたメイクーモン、緑に戻った瞳を動かし、芽心の待つ風呂場へと向かった。
メイクーモンの纏う黒い光が消えると同時に、デジヴァイスの点滅が止んだが、それに気づく者はいなかった。

◇◆◇

武之内家では、久方ぶりの家族三人が揃った夕飯となった。
すっかり懐いたピヨモンは、ソファで寛ぐ春彦の膝の上でニコニコと笑う。夕飯の片づけを手伝っていた空はその様子に呆れたものの、春彦も楽しそうな様子なので強く咎めずにいた。
「今回のお仕事の様子はどうですか?」
湯呑と急須を乗せたお盆を持って、淑子が訊ねる。ピヨモンを撫でながら、春彦はポリポリと頭を掻いた。
「まあ、そう難しいことじゃないよ。専門家同士の対談だからね。時間帯も平日のお昼で、よくある大学授業のテレビ放送の延長戦みたいなものさ」
心配事があるとすれば、教え子に任せてきたゼミの研究くらいだ。講義は、去年のものを録画した映像で賄っているらしい。
夫へお茶を差し出しながら、淑子は「録画しておきましょうね」と少しウキウキした様子だ。
「望月教授って、芽心さんのお父さんでしょ? どういう人だったの?」
ダイニングテーブルの椅子に座って、空はお菓子を齧る。両親には、芽心もデジモンを連れていることを伝えてあった。
「ああ……良くも悪くも、研究者って感じの人だよ。興味のあることはとことん追求して、周りが見えなくなることもあるから、助手の姫川さんが外部との交渉とかしているみたいだ」
夕方会った女性の姿を思い出し、空は成程と頷いた。
「それに……」
「それに?」
オウム返しに見上げるピヨモンへ「何でもない」と返し、春彦はピヨモンを空の方へ返した。
「少し、大学の仕事をしてくるよ」
「お夜食、ご用意しましょうか?」
「いや、お茶だけもらっていくよ」
春彦は湯気の立つ湯呑を持つと、手を振るピヨモンへ手を振り返して、書斎へ向かった。
静かに扉を閉め、電気をつける。お茶をこぼさないように湯呑を机へ置き、そこに散らばった書類へ手を置いた。
「望月、教授……」
気がかりはある。二度目の打ち合わせの際、裕明と奈津子が席を外したときのことだ。
春彦は、何気ない世間話のつもりで、望月へ娘の話を振った。同級生であること、同じようにデジモンがいること――その延長戦で、デジタルワールドの話になった。
そこで、望月は机に腕をついて、声を潜めた。
「武之内教授は、デジモンについてどう思われますか?」
「え、」
少々面食らいながら、春彦は頬を掻いた。
「人間と共存することで、成長していく生物……その起源や成り立ちは、人間の歴史や思想と密接に関わっていると考えられます」
「それは、歴史学者としての見解ですね」
「まあ、そうですね」
望月の意図が読めず、春彦は曖昧に微笑んでお茶のペットボトルを手に取った。
「……私は、デジモンという存在は可能性を秘めていると考えています」
望月は、指を組んだ手を口元へ当てる。
「デジモンは現実世界のネット環境に影響されます。生体データも、二進数で構成されている――なら、例えばこちらからデータ配列を弄ることも可能なのではないでしょうか?」
「は……?」
「あなた方の評論では、パートナーの人間の心の成長によって進化が促されるとありました。しかし、こちらからのアプローチによっては進化も容易に……いや、それこそ最強のデジモンを作ることも……」
「ちょっと待ってください、望月教授!」
口早になる望月へ声をかけ、春彦は手の平で机を叩いた。つい熱くなってしまった、と望月は我に返って頭を掻く。
「それが、ICT専科のあなたの、デジモンに対する見解ですか」
「そうですね」
事も無げに肯定して、望月もペットボトルを手に取る。彼が渇いた口内を潤し終えた頃、裕明たちが戻ってきたので、その話はそれで打ち切りになった。
しかし、その後もずっと、春彦の胸中には黒い靄のような不安がとどまったままだ。
「何を、考えている……」
父親として、不安がないわけではない。しかし明確な理由もないまま、同級生の家族に注意しろと言うわけにもいかない。
娘たちの向かう先に悲しい戦いが待っている予感がして、春彦の胸を締め付けた。

◇◆◇

一方その頃、八神家。夕飯後、太一は分厚い本をアイマスクにして、ソファへダラリと倒れこんでいた。
「太一、寝るなら部屋に行きなさい。それかお風呂入っちゃって」
裕子はだらしない息子の足を叩く。渋々太一が起き上がると、顔に乗せていた本が床に落ちた。それは床でウトウトとしていたアグモンの頭に当たり、「んが」と声を上げてアグモンは飛び起きる。
「痛い……」
「あ、悪い、アグモン」
床に転がった本を、呆れながらヒカリが拾い上げる。テイルモンと一緒に表紙を見やったヒカリは、思わず「あれ」と声を漏らした。
「パソコンの本?」
太一が読むには珍しい専門書だ。聞けば、光子郎から借りたらしい。
「タイチ、シュウショクナンになったら光子郎の研究所に拾ってもらうんだってさ」
「ああ……今日そんな話をしていたな」
納得したように、テイルモンは頷く。ヒカリが太一へ本を渡すと、丁度家事にひと段落ついた裕子もそれを覗き込んだ。
「あら、良いじゃない。光子郎くんなら将来安泰だし。働かせてもらいなさいよ、太一」
母の同意に、太一は思わず顔を歪める。
「そうだ、太一。まだ志望校提出していないんですって? 電話が来たわよ」
「げ……」
「取敢えず国公立で大学選んじゃいなさいよ。まだ変更できるんだから」
裕子はしっかり念を押すと、風呂場の方へ行ってしまった。残された太一は、大きく息を吐く。苦笑しながら、ヒカリはそんな兄の隣に腰を下ろした。
「まだ決めてないんだ?」
「悪かったな……ヒカリは、教育大学か?」
「まだ随分先の話だけどね……保育士になりたいから」
「ほいくし?」
それは何だとアグモンが訊ねる。始まりの町のエレキモンのように、小さい人間たちの世話をする仕事だ、とテイルモンが説明した。
「私、デジモンの幼年期も預かる保育園を開きたいの」
「ボクらみたいな成長期はだめなの?」
「んー」
そこまでは考えていなかった、とヒカリは口ごもる。
「考え直さないとね……だんだん、成熟期も預かってって言われるようにもなるかも……?」
「それは保育園というより、ペットホテルみたいだな」
「デジモンホテル?」
「それなら、一度デジタルワールドへ戻した方が良いのでは……」
風呂に入るよう促す裕子の声が響くまで、八神家のリビングではまだ見ぬ未来図の話が尽きなかった。
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