第2話 chapter5
せめて、文化祭当日までには誤解を解こう。ミミはそう意気込んだものの、意図に反して噂は悪化していた。
ヤマトと空は本人たちからの告白により、公認のカップルとなった。しかし、ヤマトのファンの中には、それを妬ましく思う生徒もいたらしい。ヤマトのべた惚れっぷりを見て、空へ何かする者はいなかった。代わりに――と言って良いものか――その矛先がミミへ向いた。文化祭当日までにミミは、ヤマトと空の仲を邪魔する女敵になっていたのだ。
(どうしてそうなった……)
そう思わずにはいられない。
太一やヤマトを直接知る上級生たちはその噂を一笑に付していたし、ミミと親しくなった同級生たちは信じていない。ミミを名前しか知らない一部の生徒が、その噂を信じて目の敵にしてくるのだ。
ちなみに、特進クラスの様子はどうかと光子郎に訊ねたところ、そもそも校舎も時間割も違う特進クラスが一般クラスのゴシップに興味を持つことなど稀で、今回も『隣の国が何か騒いでいる』程度の認識らしい。
同じクラスで噂を信じているのは、例の忠告してきた三人だ。せめて、彼女たちの誤解だけでも解きたい。しかし、話すタイミングを掴めず、文化祭当日に至る、というわけだ。
「はあ……」
「ミミちゃん、笑顔笑顔」
もう接客の時間は始まっている。同じ係の女子生徒に肩を叩かれ、ミミはピンと背筋を伸ばした。
「いらっしゃいませー」
「ミミちゃん」
「空さん!」
入り口を見やると、芽心と空が店内を眺めながらこちらへ手を振った。
「来てくれたんだ!」
笑顔で駆け寄ったミミは、ハッとする。例の三人は同じシフトに入っており、調理ブースの方から嫌な視線を感じたのだ。
ミミは少し引きつった笑みを浮かべ、二人を席に案内した。
「紅茶とケーキをお願いします」
「かしこまりました」
「……このあと、芽心さんと、ヤマトくんのライブ見に行くけどどうする?」
空はチラリと教室の隅の方を一瞥する。ヤマトのライブの時間、ミミが自由時間になっていることは、空も知っていた。ミミは苦く笑って、遠慮すると首を振った。空は素直に「そう」と身を引いた。
「太一は、後で来られそうだったら、光子郎くんとヒカリちゃんと来るって言ってたわ」
現在、ヤマトと太一はお化け屋敷のシフト中らしい。そう言えば、二人の仮装が何か聞くのを忘れていたことを思い出し、少しくらい覗きに行こうかと、ミミは思った。

◇◆◇

「お兄ちゃん」
着替えを終えた太一は、控室の教室を出たところで声をかけられた。見ると、ヒカリと光子郎が立っている。二人の足元には、パーカーや帽子で頭まで隠したアグモンたちもいた。
「ヒカリ。アグモンたちを連れてきたのか」
「タケルくんと光子郎さんのオフィスに寄ったら、寂しそうだったから」
他のデジモンたちはタケルが連れて、それぞれのパートナーのところを回っているらしい。
「タイチ、似合ってたよ、マミーモンの仮装」
「お化け屋敷にいたのかよ……って、あれはミイラ」
吐息を漏らし、太一は腰を屈めるとアグモンの口元を拭った。既に何か食べた後らしく、ケチャップがついていたのだ。
「どこ行く?」
「ミミちゃんのところ……はやめておいた方が良いかな」
噂を聞いていた太一は苦く笑う。
「光子郎さんのクラスは、何かやっているんですか?」
「特進クラスは、研究発表をしているんです」
それでなくても、文化祭なんてやらず図書館にこもろうとするクラスだ。研究発表等というと大仰だが、興味のあるテーマについて調べてまとめ、それを展示するだけでもやれというのが、担当教師のお達しだ。
「光子郎のテーマは?」
「『デジタル社会の有能性とそれに伴う危機について』です」
見に行きますか? と誘う光子郎だったが、太一は首を振って断った。
結局、八神兄妹と光子郎は屋台を回った。適当にフランクフルトやポテト等食べ物を購入して、どこかで座って食べることにしたのだ。
「あ、僕はミネラルウォーターで」
「いろいろあるのに、良いんですか? 烏龍茶とか」
「光子郎は、烏龍茶は苦手だよな」
「え、ほんまかいな、光子郎はん?」
「ちょっと、太一さん」
「ほら、俺が小五の春休み、ディアボロモンが現れたことがあったろ」
「ああ。確か、烏龍茶の飲みすぎで光子郎さんが席を外している間に、興奮したお兄ちゃんがパソコンを叩いて、危うく負けかけた」
「ま、まあ、それが一つ。で、その後、第一志望の高校の推薦試験前、緊張からまた烏龍茶がぶ飲みして、腹壊して試験は失敗」
「それで、二次試験があるここの特進クラスに入学したのね」
「二度の失敗ですっかり懲りた光子郎くんは、烏龍茶を断つようになりましたとさ」
「光子郎はん……」
「太一さん! 人の失敗談を面白おかしく語らないでください!」
やがて辿り着いたのは、よく光子郎と太一が落ちあう中庭の隅だった。
初夏の日差しも和らぎ、汗ばんだ肌を撫でる心地良い風も通る。芝生に腰を下ろしたアグモンたちは、焼きそばやたこ焼きに舌鼓を打っていた。
ソースを口端につけたアグモンは、青天を突き抜けるように遠くから聞こえるホイッスルの音に気づき、顔を上げた。
「向こうで何かやってるのかな」
「ああ……サッカー部の招待試合かな」
ホイッスルの聞こえてきた方角には、運動場がある。歓声も聞こえるから、どちらかのチームがゴールを決めたらしい。
アグモンは、コテンと首を傾げた。
「タイチは、サッカーやらないの?」
サア、と風が吹いて、太一の前髪を揺らす。
「……今は、良いかな」
アグモンはフウンと頷いて、立ち上がった。空になったトレイをテントモンの持つゴミ袋へ入れ、アグモンはトタトタと歩き出す。
「おい、アグモン」
「タイチ、サッカーボール」
ひょい、と校舎の影に一度隠れたアグモンは、泥だらけのボールを持ってまた姿を見せた。長い間放置されて泥だけになっているためアグモンには分からなかったのだろうが、それはドッチボールだ。
少し空気が抜けて柔らかいそれを太一の手に押し付け、アグモンはニコリと笑った。
「やろう、サッカー」
「……俺は怪我してるんだけど」
少しくらいなら、と太一は渋々立ち上がった。光子郎とヒカリが、少し緊張したような面持ちでこちらを観察している。それに気づいていた太一は、ボールを爪先で蹴った。
「ほら、光子郎」
「え」
不意打ちだったが、光子郎は慌てて立ち上がって、地面にボールを足で受け止めた。
「ちょっと、僕はブランクあるんですよ」
「少しくらいならへーきだって」
「まーまー、えーやないですか、光子郎はん」
「全く……」
光子郎はため息を吐いて、ボールを爪先で蹴り上げた。トントン、と膝や胸でボールを打ち上げ、光子郎は太一にボールを返す。
「ナイス」
「結構、身体が覚えているものですね」
「ボクもボクもー!」
アグモンも参加し、太一たちはボスボスと鳴るボールを蹴り合った。その様子をテイルモンと眺めながら、ヒカリは首から下げていたデジカメを持ち上げた。カシャ、カシャ、とシャッターを押す。
「ヒカリ、撮れたのか?」
テイルモンの言葉に頷き、ヒカリは撮ったばかりのデータを確認する。画面に映った太一は、楽しそうに微笑んでいた。
「久しぶりに、サッカーしてるお兄ちゃんを撮ったかも」
ヒカリの横顔を見つめながら、テイルモンは「そうか」と呟いた。
「おー、さぼりの生徒発見」
転がるボールを追いかけるアグモンを見つめていた太一は、ポンと肩を叩かれて身体を強張らせた。
振り返ると、食べかけのフランクフルトを片手に持った西島が、ニヤリと笑っている。
「さぼりじゃないっすよ。文化祭なんだから、好きに過ごしても良いじゃないっすか」
「こういうイベント時に人気のないところにいる生徒には注意しろってのが、教師の考えだ」
諦めろ、と西島は太一の肩を叩く。つまり、人気のないところで悪さをする生徒がいないよう、見回っていたのだ。
制服で特進クラスと特定された光子郎は、少し苦く顔を歪めながら、素直に学級と名前を告げた。
「あ、西島せんせーだ」
「お、デジモンたちじゃん。連れてきたのか」
それで人気のないところにいたのか、と西島は納得してくれたようだ。
「アグモンだよ。タイチたちとサッカーやってたんだ」
「サッカーか、懐かしいな」
アグモンと目線を合わせるために膝を折った西島は、その手にあるのがサッカーボールでないと気づいたようで、小さく笑った。それから、アグモンからボールを借りて、リフティングを始める。
トン、トン。爪先、踵、膝や胸も使ってボールを落とさないように蹴り上げる。そのボール捌きは中々のもので、アグモンたちは興奮して手を叩いた。
「西島先生、サッカーできんの?」
「これでも、中高でエースはってたんだぜ。怪我で止めちまったけど」
西島はそこで、太一へ向けてボールを蹴った。一度足で打ち上げて、太一は地面にボールを置く。
「怪我?」
「足をちょっとな。蹴ったり歩いたりするのは大丈夫だけど、前みたいに走れないんだよ」
言いながら、西島は左足を叩く。ヒカリは思わず、兄を見やった。太一の顔をしっかり見ることはできず、ヒカリはキュッと手を握る。
「八神、これは勝手な押し付けだけどな。好きなことと動く身体があるなら、悔いを残さないうちにやれるだけやっとけ」
嘗て子どもだった大人だから、口煩く言うのだ。西島はカラリと笑って白衣のポケットに手を入れた。

◇◆◇

やっと自由時間になったミミは、空き教室で大きく息を吐いた。
「似合ってるわ、ミミ」
「ありがと、パルモン」
パルモンは嬉しそうに、ミミの手に頬を擦りつける。中折帽子とコートを着たレオモンは一見すると大人の男性だ。彼が、パルモンとゴマモンを連れて来てくれたのだ。
お疲れ様、とヤマトは缶ジュースを差し出す。ガブモンはごくごくと別のジュースを飲んでおり、その頭を撫でながらヤマトは窓辺に寄り掛かった。
「ヤマトさん、ライブは大丈夫なの?」
「まだ時間はあるからな」
空と芽心は、一度クラスのお化け屋敷の方へ戻っている。ヤマトのライブを見るついでにお化け屋敷の宣伝をする予定だったようで、その看板を取りに戻ったのだ。
窓辺の椅子に座り、ミミは大きく息を吐くとパルモンを抱きしめた。
「私もう、パルモンやヤマトさんたちがいれば良い……」
すっかり気疲れしたミミは、くすぐったさに身を捩るパルモンに頬ずりした。
「そんなこと言うなよ。俺たち以外にも、友だちはいた方が良いって」
「そんなもん?」
「そういうもんさ」
幼子を宥めるような物言いに、思わずミミは頬を膨らめる。
「私は人間の世界のことは分からないが、ここも君たちが暮らすべき場所だろう。選ばれし子どもたちよ、君たちは二つの世界の架け橋なのだから、どちらか片方に偏ってはいけないと、私は思う」
「レオモン……」
「世界を守るためだけに、共に生きているわけではなのだから」
そう言って、レオモンは優しく微笑むとミミの頭を撫でた。
「まあ、人間誰しも、相容れない存在はある。そういうときは距離を置く方が良い。何かの拍子に仲良くなることがあれば儲けもの、くらいに考えておいた方が、気が楽だよ」
それでも本当に悩んだときは、ヤマトたちが力イになる。それが、仲間であり友だちというものだ。
「さすがヤマトさん、友情の紋章の持ち主」
「さすがにこっぱずかしいな……」
照れたように笑ってヤマトは頭を掻く。さらにガブモンからも賞賛され、ますます彼は顔を赤くしてしまった。

◇◆◇

「あ、丈さん」
「タケル」
パンフレット片手に校舎を歩き回っていた丈は、漸く見つけた知った顔にホッと肩の力を抜いた。
「一人かい?」
「はい。少し、見たい出し物があったので、ヒカリちゃんとは別行動したんです」
この後は、ヤマトのライブ会場で落ち合う予定だと、タケルは言った。
「ゴマモンも来てますよ」
「ああ……うん」
並んで歩きながら歯切れ悪い態度を見せる丈に、タケルは首を傾げた
「どうかしたんですか?」
「……ゴマモン、何か言っていたかい?」
タケルはパタモンと顔を見合わせた。レオモンと再会したとき、久しぶりに丈と戦えて楽しかった、と言っていたのは覚えている。それを伝えると、丈はますます苦虫を噛み潰したように顔を顰めた。
「……少し、ゴマモンや皆に申し訳なくて」
頭を掻いて、丈は呟いた。
受験勉強のため中々力になることができず、やっと戦ったかと思えばうまく立ち回ることができなかった。ローダーレオモンとの戦いは、レオモンが来てくれなかったら負けていた可能性が高かった。
「丈さん……やっぱり変わってないですね」
「へ?」
タケルはクスリと笑った。
「大丈夫ですよ。確かにゴマモンは丈さんと一緒にいられなくて寂しそうだし、僕らも丈さんがいてくれたらって思うときがあります」
「だよね……」
「でも、僕らは信じてますから」
え、と声を漏らして、丈は足を少し止めた。タケルがスタスタと先へ行ってしまうので、丈は慌てて足を速める。
「絶対に来てくれるでしょ。三年前のときも、一昨年の春休みのときも、丈さん、一生懸命来てくれたでしょう」
タケルは、丈の顔を覗き込んだ。
「僕らは丈さんを信じています。絶対来てくれるって。それは、ゴマモンも同じなんじゃないですか?」
時間がかかっても、必ず彼は来てくれる。そういう、誠実な人なのだ。タケルたちは勿論、デジモンたちもそういう丈を信じている。だから安心してほしいと、タケルは言った。
「受験勉強にばかり専念されちゃうと、寂しいですけどね」
「ははは……うん、大丈夫。呼んでくれればどこへだって行くよ。時間は、かかっちゃうかもしれないけど」
カリリ、と丈は襟足に隠れる項を掻いた。タケルが微笑むと、丈はふわりと口元を和らげる。
彼らのすぐ横を、緑色のスライムのような生き物が、のそりと通り過ぎた。
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