第2話 chapter3

グッとD3を握りしめ、ヒカリは光子郎のノートパソコン画面へそれを突き付けた。
「デジタルゲート、オープン!」
テイルモンやアグモンたちが見守る中、声高らかに叫ぶ。D3に呼応してパソコンの画面から光が溢れる――筈だった。しかし現実はどちらもうんともすんとも鳴らず、光る予兆もない。
「……ダメか」
同じように見守っていたタケルは苦く顔を歪め、自分のD3を握りしめた。
力が抜けたように、ヒカリはストンとソファに腰を落とす。項垂れるように頭を抱えるヒカリの方へ飛び寄って、テイルモンは彼女の膝へ手を添えた。
先ほどから何回繰り返しても、ゲートは開いてくれない。ヒカリばかりではなく、タケルも同様だ。
「どうして……」
「ヒカリ……」
「ヒカリちゃん……」
彼女へかける言葉が見つからず、タケルは持ち上げた手を下ろして目を伏せた。頭の羽根を動かしたパタモンは、そっとパートナーの肩へ乗って頬を押し付ける。くすぐったさに、タケルは少し頬を緩めた。
「あまり焦るな、ヒカリ」
壁際で腕を組んでいた太一は、そう妹を慰めて頭を撫でる。ヒカリは目元を手で押さえ、コクリと頷く。
「光子郎、そっちはどうだ」
「こちらも何とも」
USBの解析を続けていた光子郎は、首を振った。
アグモンが預かって紛失し、メイクーモンが所持していたUSBのデータは破損が激しく、中に記録されていただろうゲンナイのメッセージが読み取れないのだ。辛うじて、それが映像データで、ゲンナイ本人が映っていること、何かをこちらへ向けて訴えていることは分かった。
「やっぱり全体的に破損していますね……USB自体に大きな傷はなかった筈ですが、やはり何かしら異変の影響があったのでしょうか……」
「復元できそうか?」
「やってみます」
光子郎の背後に回って一緒に画面をのぞき込みながら、太一は訊ねる。光子郎は一つ頷いて、マウスに手を伸ばした。
「通常、二次フォーマットやデータの上書を行わなければ、USB内のデータは存在している筈です。表示されない領域に……」
そこで光子郎はピタリと言葉を止めた。いつもの自分の悪い癖が出たと思ったのだ。チラリと太一を横目で見やる。以前なら難しいことは分からないから光子郎に一任すると言っただろう彼は、真剣な面持ちで光子郎の言葉の続きを待っていた。
「で? 続けろよ」
「……いいんですか?」
「少しは勉強しようと思ったんだよ」
察してほしいと肩を竦める彼に、思わず笑みがこぼれる。こつんと頭を小突かれながら、光子郎は言葉を続けた。
「USB内のデータは、表示されていないだけで存在している筈ですので、それを復元します」
「どうやって?」
「復元ソフトがありますので。それでも無理なら、差込口の破損か、OSの問題ということもありますが……一応フォルダを開くところまではできているので、その可能性は低いかと」
「分かった。頼む」
「光子郎さん、ゲートの方はどうですか?」
パソコンを得意とするのが現在光子郎だけなので、負担が大きい。申し訳なさを感じながらタケルが問うと、そのことかと光子郎は顔を上げた。
「そちらはロスのチャット仲間に解析を頼みました。短い動画のみなので、まだはっきり分かっていませんが、通常のゲートでないことは確かです。構成データが不安定というか……ウイルスに似たデータ反応が見られたそうです」
「ウイルス……もしかして、そのゲートを通ったから、暴走しているってことか?」
その可能性も無きにしも非ず、と光子郎は肯定した。接触だけでウイルス感染するというなら、こちらも注意しなければならない。
デジタルワールドでゲートを見つけたとき不用意に飛び込まなくて良かったと、アグモンとゴマモンは肩を震わせた。
「けど、デジタルワールドにも暴走デジモンはいましたで。そっちも、ゲートが関係してるんやろか?」
「ゲートが、というより、原因がデジタルワールドにあり、それがデジモンの暴走を誘発し、ゲートを開いているのではないでしょうか」
「その原因て?」
「それは……まだわかりませんけど」
光子郎は乾いた口内を潤すために、ミネラルウォーターのペットボトルを手に取る。行儀悪く机の角に臀部を乗り上げていた太一は、ふとディーターミナルにメッセージが入っていることに気が付いた。
「ミミちゃんからか……て!」
驚いて太一は立ち上がった。何事かとタケルや光子郎も反応し、ヒカリでさえ顔を上げた。
「ミミちゃんたちのところに、暴走デジモンが現れたらしい」

◇◆◇

予備校へ向かった丈と別れて暫く、都内を見回っていたミミたちは、大通りに面した大きな公園の上空にゲートが開いているのを見つけた。
「ここね!」
ミミたちが丁度ゲート近くまでやってきたとき、ドサドサと何かが落ちてきた。一体ではない。芝生の上でもぞもぞと動く幾つもの影を見つめるうち、上空のゲートはジジと音を立てて消えていった。
「これは……!」
「ミミ、キウイモンよ!」
パルモンは腕を広げ、現れたデジモンたちを睨みつける。
数十匹のキウイモンは一斉にパルモンたちの方を向いた。その目は一様に爛々と輝いており、ティラノモンのときのように暴走していることを示していた。
「ど、どうしましょう!」
「ミミちゃん、ピヨモン、行くわよ!」
「はい!」
「任せて!」
ピヨモンは胸を張ってパルモンの隣に並ぶ。ミミと空は、握ったデジヴァイスに力をこめた。
「ピヨモン進化――バードラモン!」
「パルモン進化――トゲモン!」
キウイモンはバードラモンとトゲモンを見つけると、一斉に飛び掛かる。比べると小さな身体のキウイモンたちを薙ぎ払う二体のデジモンを見つめ、芽心はゴクリと唾を飲みこんだ。
「す、すごい……」
「芽心さん、メイクーモンは進化できるの?」
「わ、分かりません、やったことない……」
芽心は力になれないことを恥じるように俯く。
「大丈夫よ、一緒に近くにいる人たちを避難させましょう」
「は、はい」
「ミミちゃん、お願いね」
「はい!」
早速避難誘導を始めようと空に促されて芽心は走り出す。彼女の腕の中で、メイクーモンはデジモンたちの戦い方を見つめていた。
「いっけー、トゲモン!」
「チクチクバンバン!」
トゲモンは回転し、針を飛ばす。それを受けたキウイモンは地面に倒れ伏し、別のキウイモンたちがさらに飛び掛かってきた。一体ごとの攻撃の威力は大したことないが、数が多すぎる。徐々に、バードラモンたちは押され始めていた。
「だ、大丈夫かな……」
「メイコ、メイも行く」
メイクーモンは手を伸ばして、芽心の腕の中から抜け出そうとする。「え」と芽心はトゲモンたちの様子を見て、ギュッとメイクーモンを抱きしめる腕に力を込めた。
「だ、だめ……!」
「なんで、メイコ」
「メイちゃんには、危ないよ」
芽心にはこの幼いパートナーが、ミミたちのデジモンたちのように戦えるとは到底思えなかった。むしろ、酷く傷ついてしまうのではないかという危惧が大きかったのだ。
腕の中で暴れるメイクーモンを抱きしめ、芽心は戦いの場から離れるように駆け出した。
「芽心さん?!」
「空さん、危ない!」
「!」
突然駆け出した芽心に驚いた空は、ミミの声を聞いて足を止めた。バードラモンたちの攻撃から逃げたキウイモンたちが、空の方へ向かってきている。持ち前の反射神経で咄嗟に避けた空は、しかしうまく受け身をとれず強かに地面に倒れこんでしまった。
「きゃあ!」
「! た、武之内さん!」
ハッと我に返った芽心は、尻餅をつく空へ駆け寄る。身体を起こした空は、少し顔を顰めながらも、「大丈夫」と笑みを見せた。
「空さん、ミミさん!」
顔を青くした芽心の頭上から、大きな声が聞こえる。顔を上げると芽心は初めて見るデジモン――ペガスモンとネフェルティモンの飛ぶ姿が見えた。その背にはヒカリと太一、タケルと光子郎が乗っており、空たちの様子を見ようと身を乗り出している。
「加勢しに来ました!」
太一と光子郎を下ろすと、ペガスモンとネフェルティモンはパートナーを乗せたままバードラモンたちの方へ飛んでいく。
「空、大丈夫か?」
「ええ、少し尻餅ついただけよ」
「ヤマトさんもこちらへ向かっているようです」
太一に手を借りて、空は立ち上がった。光子郎はアナライザーをキウイモンたちへ向け、そのデータを画面に映した。
『キウイモン』――成熟期の古代鳥型デジモン。羽は完全に退化しており、空を飛ぶことはできない。植物型の構造を持っており、頭部の葉で光合成をして栄養を補給する。
「キウイモンは本来、温和な性格の筈や。暴走しとるせいなんやろか」
「かもしれません……チビキウイモンと呼ばれる小型の追尾型爆弾で攻撃してくるようです」
「植物に似ているなら……太一」
「ああ。炎が苦手かもしれない」
太一は頷き、アグモンを呼ぶ。パートナーの意図をくみ取ったアグモンは「おう!」と大きく頷いて両手を上げた。
「アグモン進化――グレイモン!」
ズシン、と音を立てて、グレイモンはキウイモンたちの群れに向かう。空に呼ばれたバードラモンが、グレイモンと向かい合うようにしてキウイモンの群れを挟んだ。
「一気に片付けるぞ!」
「メガフレイム!」
「メテオウィング!」
上空から降り注ぐ炎に悲鳴を上げながら、暴走したキウイモンたちはデータに戻って行く。炎から逃れて逃げ出そうとするキウイモンたちは、トゲモンたちが追いかけた。
「カースオブクイーン!」
「ニードルレイン!」
「チクチクボンバー!」
「プチサンダー!」
芽心はゴクリと唾を飲みこんだ。
「す、すごい……」
あれだけいた暴走デジモンが、あっという間に制圧されてしまった。これが、『選ばれし子どもたち』とそのパートナーデジモンの力――芽心はその実力を改めて目撃した。同時に、腕の中で目を輝かせる自分のパートナーには同じように戦うことなど無理だと実感したのだ。
そんな彼女を木の上から観察していたハックモンが、そっとマントを翻して去って行く。その姿を見つけた者はいない。

◇◆◇

時刻は午後九時を少し過ぎた頃。予備校の授業後の自習を終えた丈は、カリリと項を掻く。中学時代ほど伸ばしてはいないものの、結べる程度に長い襟足を、丈は勉学するときだけはゴムでまとめていた。髪からゴムをとると、使いすぎて伸びきったそれは手の中で捻じれた。
ゴムをポケットにしまいながら、予備校の正面玄関を出たところで、ディーターミナルを開く。そこに届いていた仲間からのメッセージに目を通して、丈は小さく息を吐く。
「丈」
そのまま駅へ向かおうとしていた丈は、名前を呼ばれて足を止めた。首を回すと、予備校から少し離れた街灯の下で、兄とゴマモンが手を振っている。
「ゴマモン、兄さん」
「来ちゃった」
驚いて駆け寄ると、レインコートを羽織ったゴマモンはニコリと笑った。思わず、丈の頬から力が抜ける。
「車止めてあるから」
「ありがとう。二人で、迎えに来てくれたんだ」
そのままペタペタ地面を歩こうとするゴマモンを抱き上げて、丈は礼を言う。ゴマモンは嬉しそうに、大人しく丈の腕に収まった。
「また今日もデジモンが現れたみたいじゃないか。ゴマモンくんが心配して、丈を迎えに行きたいって言ったんだよ」
「兄さん、知ってたの?」
「今日は武之内くんが来たんだよ。小さな擦過傷だったけど」
戦いの場に間に合わなかった彼氏が一番心配していた――とその時の様子を思い出したのか、シンはニヤリと笑った。
そうか、と頷いて、丈は少し目を伏せる。並んで駐車場まで歩きながら、シンはそんな弟の表情を一瞥する。
「迷ってますって顔だな、丈」
シンがそんな弟に声をかけたのは、自身が運転席に座ってからだ。ゴマモンと一緒に後部座席に乗り込んだ丈は、「え」と声を漏らしてシートベルトを握った手を止めた。前方を向いていても分かりやすい弟の反応に苦笑しつつ、シンはキーを差す。
「あの中じゃあ最年長だから、年下たちにばかり任せていることを気にしているのか?」
車が動き出したことで、丈は慌ててシートベルトを締める。それからミラー越しに兄の顔を見やった。
「……どちらかに専念した方が良いって思う?」
ハンドルを回しながら、シンは「さあなぁ」と呟いた。
「正直、選ばれし子どもの使命の重要性を、俺がお前より理解しているとは言い難いよ。だから、そんなことは他に任せて勉強に専念しろなんて言えないし、ましてや、勉強は良いから戦ってやれなんて無責任なことも言えない」
兄の言葉にそうだろうなぁと納得して、丈はぼんやりと窓の外を見やった。キラキラと光る夜景が眼鏡へ移って線を引く。
一度目は、受験勉強に専念以前に、勉強すらできない状況に追い込まれていたから、選択は早かった。二度目は、使命を与えられた後輩がいたから、そのサポートで済んだ。今回は違う。今、現実世界がデジモンたちの襲撃を受けたら戦えるのは丈たち九人しかいないのだ。
「ジョーは今更だなぁ」
隣でチャイルドシートに座っていたゴマモンが、呆れるような声色で言った。少しムッとした丈が見やると、ゴマモンはパタパタと鰭を動かした。
「オイラだって戦いたいよ。ジョーと一緒に、ジョーたちの世界を守りたい。正直、ずっと留守番しているのはいやだ」
今日も、丈がいないことで進化できないゴマモンは、一人光子郎のオフィスで待機していた。帰って来たアグモンたちがパートナーにじゃれつく様子を見て、少し寂しさを覚えたのだ。だから、シンに我儘を言って丈の迎えに同行させてもらった。
「でも、ジョーにはジョーのやるべきことがあるんだろ」
「ゴマモン……」
「オイラ、待ってるよ。寂しくても、ジョーは来てくれるもんな」
ニヘラとゴマモンは笑う。つられて、丈は小さく笑んだ。
バックミラー越しに彼らを一瞥し、シンは微笑む。
「丈、そりゃ両立は難しい。なんだってそうさ。人間の手は二つしかないから、取りこぼすものだってある」
それは、研修医とはいえ医師として働くシンの、心からの言葉だったのだろう。シンは僅かに目を伏せた。
「けど、デジタルワールドを救うだけがお前の人生じゃないだろ? 何のための仲間だよ、丈」
「兄さん……」
モヤモヤと丈の胸に立ち込めていた霧が、少し薄まった気がした。そうかもしれない、と同意を返そうとした丈は、フロントガラスから見えた光景に目を開いた。
「兄さん、止めてくれ!」
「え?」
「ゲートだ!」
丈の言葉で、シンは慌ててブレーキを踏み、道路の端で停止した。夜更けのこともあってか、他に走行している車がないことも幸いした。丈はゴマモンと共に車を飛び降り、少し先の上空で嫌な音を立てるゲートを睨んだ。
ジジ、と揺れるゲートの奥から、何かが出てこようとしている。
「ゴマモン!」
「おう!」
嬉しそうにゴマモンは答え、丈はデジヴァイスを握りしめた。
「ゴマモン進化ぁ――イッカクモン!」
イッカクモンが姿を現し身構えた瞬間、ゲートから飛び出してきた影とぶつかった。
照明を受けて輝くのは金の身体。鋭い爪でイッカクモンの角を押さえつけた四足歩行のデジモンは、尾の鉄球を振り回した。
「ぐっ……うわあ!」
「イッカクモン!」
横からの攻撃を受け、イッカクモンは歩道の脇へ倒れこむ。
四つ脚で立った機械のようなデジモンは、爛々と目を輝かせながらグルグルと喉を鳴らす。剃刀のような刃が見え隠れする鬣が、回転を始めた。
イッカクモンは身体を起こそうとするが、それより早くデジモンが飛び掛かる。
「イッカクモン!」
「獣王拳!」
そのとき、ゲートからもう一つの影が飛び出してきて、デジモンの身体を地面へ叩きつけた。
「GAAAA!」
「フン!!」
悲鳴を上げるデジモンの足を掴むと、飛び出してきた影は開いたままのゲートへ向けて投げ飛ばした。
ゲートは吐き出したデジモンをまた飲み込むと、ジジ、と音を立てて消えていった。
呆気に取られるシンの傍らに、ゲートから飛び出した第二のデジモンが飛び降りる。ビクリと肩を飛び上がらせ、シンは車にへばりついた。
「大丈夫か? やつは完全体のローダーレオモンだ。職人気質で頑固だが、あそこまで凶暴なやつじゃない」
「あなたは……!」
「久しぶりだな、選ばれし子どもよ」
月光に晒された筋骨隆々な体躯と、夜風に揺れる鬣――かつてデジタルワールドで出会い、一度別れを経験したデジモンがそこに立っていた。
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