第2話 chapter1
「情報を整理しましょう」
場所は光子郎のオフィス。九人と九体のデジモンが揃ったことで大分手狭になったそこを見回し、光子郎はコホンと咳払いする。
「二年前――二〇〇三年の夏、デジタルワールドとリアルワールドを繋ぐゲートは一時的に閉ざされました。それに伴い、増加していたパートナーデジモンもすべて、デジタルワールドへ引き払い、デジモンたちは人間たちの前から姿を消しました」
理由は、二〇〇三年の春に起きたクラモン大量発生の後始末。それと、パートナーデジモンの増加による弊害をなくし、滞りなくデジモンと人間の共存が叶うように、とゲンナイからは説明された。
「しかし急に、クワガーモンがリアルワールドへ迷い込んできた」
太一の言葉に頷き、光子郎は壁にとりつけた薄型テレビへリモコンを向ける。パソコンとケーブルで繋がった画面に、クワガーモンの姿が映し出された。
「テントモンたちの話では、デジタルワールドの時間で一年ほど前から、暴走デジモンが増え、リアルワールドとの境界も不安定になっていたそうです。そこで、何かあったときのために、ゲンナイさんから簡易ゲートのデータをもらっていた、と」
「それが、携帯に現れた紋章だったのね」
納得だと頷いて、ミミは膝に乗せたパルモンを撫でる。
「暴走デジモンの詳細については?」
「わたしたちは何も聞いてないんだ。イービルリングや黒い歯車のようなものが原因なのか、分からない」
腕を組んで壁に寄り掛かるヤマトへ、テイルモンが首を振って答えた。
「それに関しては、先日のティラノモンのデータを解析してみます。短い時間だったので、十分なデータがとれるか怪しいですけど」
「頼む、光子郎」
「光子郎さん、一緒に、ゲートのデータも解析できないですか?」
タケルの進言に、光子郎は「ああ」と頷いてマウスを動かす。画面に、解像度の荒いゲートの画像が映し出された。
「ティラノモンが現れたゲートです。咄嗟のことだったので、こちらも十分なデータとは言えないかもしれないです」
「それでも、何か気になることがあるんだね」
「はい」
タケルが頷くと、丈は目を細めてゲートの画像を見つめる。しかし解像度が荒い上、丈は実物を見ていないので違和感を掴めない。
光子郎は「続けます」と言ってマウスをクリックする。先日対峙したばかりのデジモンの姿が、画面に現れた。
「『ジエスモン』――デジモン図鑑によれば、究極体ですね」
ゴクリ、と誰かが唾を飲む音が聴こえる。
タケルはそっと光子郎の隣に立って、もらったマウスを動かした。ジエスモンの隣に、マントをつけた獣型のデジモンが現れる。
「僕が見たのは、このデジモンです。『ハックモン』――ジエスモンの進化前だったのか」
「このデジモンが、クワガーモンが暴れた現場で目撃された――ティラノモンのときのことも考えると、暴走デジモンを倒すことが目的のようです」
「つまり、味方なのかしら」
「でも、アイツはミミちゃんたちを狙っていた。敵じゃないのか」
首を傾げる空へ、幾らか強い語調でヤマトが言い返す。
「……ジエスモンが敵か味方かは、まだ置いておこう。不確定要素が多すぎる」
「そうですね。……で」
太一が言い、頷いた光子郎はソファの真ん中に座る女生徒へ視線をやった。
太一たちのやり取りに圧倒されポカンと口を開いていた女生徒は、十六対の視線を受けてハッと我に返った。
「あ、えっと」
「ゆっくりでいいわよ」
不安げに視線を彷徨わせる彼女の肩へ空は手を置く。空の温もりを受けて少し落ち着いた女生徒は、深呼吸をして顔を上げた。
「も、望月芽心です。この子は、メイクーモンのメイちゃん。鳥取から来ました。高校二年生です」
たどたどしく自己紹介し、芽心はチラリと空を見やった。他に何を言えば良いのか、分からないようだ。
「メイクーモンは、芽心さんのパートナーデジモンなのよね」
「は、はい。引っ越しのとき、どこかに行っちゃって……それで昨日から探していたんです」
「迷子だったのか」
「メイ、まいごじゃない。いなくなったのは、メイコの方!」
テイルモンの呆れた様子が気に入らなかったのか、メイクーモンはプンプン頬を膨らめる。幼い迷子の常套句に、空たちは苦笑を溢した。
「メイクーモンとは、いつから一緒なんですか?」
「えっと、二年前くらいだと思います」
その頃を思い出すように目を細め、芽心はメイクーモンを抱きしめる腕に力を込めた。
芽心の家は父子家庭で、父は研究者ということもあって家にいる時間は少なかった。殆ど祖父母に育てられた芽心の楽しみと言えば、父が自宅に持ち込んだパソコンで遊ぶことだった。
「芽心さん、パソコン得意なんだ!」
「い、いいえそんな! ただゲームをしたりネットサーフィンしたりする程度で、みなさんみたいな高度なことはとても……」
芽心は首と手を、取れてしまうのではないかと思うほど振り、ミミの言葉を否定した。
「メイちゃんが家に来たときも、丁度パソコンを触っていました」
学校の授業で習った、絵のスキャンを試していたときだったらしい。スキャンした絵が映る筈の画面に現れたのがメイクーモンで、驚く芽心へ向かって一直線に飛び出してきた、と。
「メイクーモンが、いきなり?」
「は、はい。スキャンしたのが猫をモチーフにしたキャラクターだったので、てっきりデジモンってそういうものかと……」
芽心は話を聞くまで、アグモンやピヨモンたちも太一たちがデザインしたキャラクターの具現化だと、思っていたらしい。
フム、と光子郎は顎へ手をやった。
「少し気になりますね」
「けど、パートナーデジモンがいるってことは心強いな」
太一は芽心へニコリと微笑みかける。
「できれば、力を貸してほしい」
見つめられることになれていないのか、芽心はカアッと顔を赤らめて俯いた。
「わ、私にできることがあるなら」
彼女の言葉に頷き、ヤマトは腕を組んだまま太一を見やる。
「で今後の方針は?」
ヤマトの視線を受けて、太一はポケットへ手を入れたまま壁から背を離した。
「放課後に暴走デジモンがいないか、ゲートが開いていないか、見回りってところだな。で、見つけたらまず写真をとれば良いんだよな、光子郎」
「ええ。映像だと尚有難いです。解析の材料になります」
「暴走デジモンが現れたら、ディーターミナルを使って連絡。で、被害が出ないうちに倒す」
言葉にすればシンプルだ。しかし実際は戦いが続くことになるだろう。ゴクリと唾を飲んで、タケルたちは頷いた。
「でも放課後って、大丈夫なの? 太一とヤマトくん」
「ん?」
「何かあるのかい?」
「うちの高校、来月文化祭なんです」
確かに、それでは放課後の時間を確保することが難しいだろう。ヤマトは文化祭でライブをすると年度初めから意気込んでいたし、太一は毎日部活がある運動部だ。
「俺は大丈夫だ。何度もライブでやっている曲だから、少し合わせて、前日に詰めればいい」
メンバーからは、多少不真面目だと小言を受けるだろう。しかし、ヤマトが父子家庭で家事を担当していることを知っている者たちだから、その辺りを理由にできる。
「俺も。この足の怪我のリハビリって言えば大目に見てもらえる」
文化祭は他校を呼んで招待試合をすることになっていた。それも選抜メンバーのみなので、怪我をした太一は当然候補からも外れる。リハビリを名目にすれば、太一は放課後の時間を確保できるのだ。
「何か、太一さん不真面目……」
「あはは」
珍しいという感情をこめてミミが呟けば、太一は貼り付けたような笑い声を溢した。それを聞いていた光子郎たちが微妙な顔をしていたように見えて、ミミは思わず首を傾げる。
「……まあ、取敢えず、当面はそれでいきましょう」
誤魔化すような光子郎の言葉を最後に、その日は解散と相成った。

◇◆◇

一夜明け、新しい高校の制服に身を包んだミミは、清々しい気分で道を歩いていた。
新たな異変の予兆に、不安がないと言えば嘘になる。しかし新しい環境への期待と、再び始まったパートナーとの生活に心が躍るのもまた事実。
鼻歌交じりに軽く飛び跳ねるように道を歩いていたミミは、前方に見知った背中を見つけた。
「たーいちさん! おはよう」
「ミミちゃん。おはよう」
駆け寄ってポンと背中を叩くと、少し驚いた太一が振り返る。太一はミミを見て口元を綻ばせた。
「そうか、今日から?」
「うん。太一さんはいつもこの時間なの?」
隣に並んで歩き、ミミは太一の顔を覗き込む。鞄を持つ手を肩に乗せ、太一は首を振った。
「朝練がある日は、もっと早いよ」
「そっか、サッカー部だもんね」
納得して頬へ指を添えたミミは、チラリと太一の横顔を一瞥する。
「太一さん、何かあった?」
少し俯き加減だった太一は目を開き、ミミを見やった。ミミは小さく笑って、頬を掻く。
「昨日から何となく……ほら、私殆どアメリカにいて、こっちで何があったか詳しく知らないから、ちょっと気になっちゃって」
話したくないなら、教えてくれなくて構わない。ただ、もし力になれることがあれば力になりたい、とミミは素直に自分の気持ちを話した。
「あ、でもこういうのって空さんの方が良いのかな」
「ああ……まあ、空にはとっくの昔に看破されて白状させられたけど」
「じゃあ私、余計なこと言った?」
彼女に相談しても解決しない問題なら、ミミの手に余る。眉間へ皺を寄せるミミを見て、太一は首を振った。
「いや、誰に相談しても、俺自身が決めなきゃいけないことだから……でもそうだな、ミミちゃんにも、聞いてもらった方が良いのかな」
同じように選ばれし子どもだった仲間として、話しておいた方が良いことなのかもしれない。しかし年下である彼女に弱みを見せることになり、それは太一のプライドや見得が躊躇わせる。
(……ま、いっか)
結局、適当な折り合いを自身の中でつけて、太一はミミへ話すことにした。さすがに、タケルや大輔たちには秘密にするよう、念を押した。
「……本当は、高校ではやらないつもりだったんだ、サッカー」
「え……」
ミミは思わず、足を止めそうになった。彼女の反応は最もで、太一は苦笑する。
「始めは本当に好きでやってたんだぜ、サッカー。でも、いつからか――なんて、本当ははっきり分かっているんだけど――その形が変わってた」
「形?」
「ほら、最初の冒険の後、暫くアグモンたちと会えないときがあっただろ?」
そういえば、太一はリアルワールドへ戻ってきてから暫く、サッカーを止めていたと光子郎が言っていた。けれど再開することにはなったのだが、そのきっかけがアグモンからのメッセージだったと言うのだ。
「カクカクのドット姿で、一生懸命ボールを蹴るアグモンを見てたら、俺も立ち止まったままじゃいられないって思ったんだ」
同じ世界でなくても、アグモンがボールを蹴っているなら、太一もボールを蹴っていれば、繋がっている気がした。サッカーが、ゲートが閉じていたあのとき、太一とアグモンを繋ぐ唯一のものだと信じた。
「そこで気づいたんだよなぁ。全部根底には、アグモンがいるってことに」
サッカーをやるのも、歩き続けるのも、アグモンとの再会を信じていたから。唯一のパートナーに再び会ったとき、胸を張れるように。
「まあ、それに気づいたのが中三のとき。丁度将来を見据えた進路調査が来ていて、じゃあ俺はデジタルワールドに関わる仕事に就きたいって思うようになった」
表情が暗くなるミミを元気づけるように、太一はにかりと微笑んで立てた人差し指を回した。
「光子郎みたいに、デジタルワールドの謎を解き明かしたいわけじゃない。丈みたいに、怪我をしたデジモンや人間たちを救いたいわけじゃない。……俺はただ、デジモンたちと――アグモンと一緒にいたいだけなんだ。そういう仕事って何かなってずっと悩んでる」
今も、それは見つかっていない。結局、中学での太一の活躍を知っていた先輩に誘われるまま、高校でもサッカー部に入部した。
サッカー自体は勿論好きだし、強い選手と競り合うのは心が躍る。しかし一度でも根底にあるものに気づいてしまえば、心の中に隙間風のような疚しさも自覚してしまう。
だから、今回の怪我は少し有難かった。
「太一さん……すっごい難しいこと考えていたのね」
ズバ、と切り込むようなミミの言葉が、少し胸に刺さる。思わず太一は胸へ手をやるが、そんな彼の様子に気づかないミミは腕を組んで「うーん」と唸った。
「私はまだ、将来これだっていうものは決めていないから、やっぱり力になれないわ」
アイドルのような目立つ職業には憧れるし、たくさんおしゃれもしたい。美味しい料理を作ることだって楽しそうだ。
指折り話すミミを見て、太一は小さく噴き出した。
「ミミちゃんらしいな」
「そう?」
クスクス肩を震わせる太一に、ミミは小首を傾げる。
「太一、と、ミミちゃん。おはよう」
ポンと太一の肩を叩いて、ヤマトが声をかけてきた。二人が並んで登校する姿が意外だったのか、少し不思議そうな顔をしている。
その様子が少しおかしくて、太一とミミは顔を見合わせてクスクスと笑った。
前方に、校門が見えてくる。職員室へ寄る必要があったミミは「お先に」とスキップをするように足を速めた。その途中、ふと足を止めて振り返る。
「太一さん、さっきの話が決まったら、ちゃんとミミにも教えてよね」
亜麻色の長髪がふわりと舞った。それだけ言ってミミは校舎へ消えていく。
何の話だと問うヤマトへ肩を竦めて、太一も地面を踏みしめた。
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