第1話 chapter3
「……っはぁ」
さすがの太一も息が切れて苦しい。
クワガーモンは土手のある川の上空を、グルグルと旋回している。太一は肩で息をしながら、服で顔の汗を拭った。
追い詰めたわけでも、行動を制限したわけでもない。ようやっと追いついたところだ。さて、ここからどうするか。
川原には釣りに興じていた男性や、犬を連れて散歩していた少女、ボールで遊んでいた親子連れの姿がある。皆、クワガーモンの姿を見つけると、顔を真っ青に、悲鳴を上げながら逃げ出した。
クワガーモンは彼らを追いかけるように旋回している。
太一は必死に頭を回転させた。
パートナーデジモンはいない、あるのは光を失くしたデジヴァイスだけだ。ゲートはあの日から閉ざされたままなのだから――ここで太一ができることは、一つだけ。
「……」
太一は覚悟を決め、足元の石を一つ掴んだ。
かつん。旋回するクワガーモンの固い羽根に石が当たる。太一が勢いよく投げたものだ。
クワガーモンの意識が太一へ向く。太一はもう一つ手頃な石を拾い上げ、赤い牙へ向けて投げた。かつん、とこれも狙い通り命中する。
クワガーモンはグワリと牙を剥き、太一へと狙いを定めた。こちらの思惑通りだと、太一はペロリと舌唇を舐めて駆け出す。
背後に聞こえる羽音に急かされつつ、太一は石だらけで若干走りづらい川原を走り回った。
紙一重でクワガーモンの牙を避けながら、太一は逃げる。太一がクワガーモンを引き付けていれば、他の人間たちに危険は及ばない筈だ。――しかし、それだけで良いのか。
疑問が頭を掠めた瞬間、クワガーモンの牙が太一の足元へ突き刺さった。
「!!」
太一は咄嗟に避ける。牙が地面に刺さったことで飛び散った石の一つが、避けた太一の脛に当たった。
「ぐ……!」
 ツキンと神経を刺すような感覚。勢いに押されたこともあり、太一は思わず尻餅をついた。
 フッと頭上に影が差し、クワガーモンが動けないこちらを見下ろす。何を考えているか分からないクワガーモンを睨み上げ、太一はうまく動かない足に舌打ちした。
「くそ……、やっぱり俺一人だけじゃあ……!」

――ピロリロリン。

 そのとき、聞き覚えのある音が耳を突いた。
逃げなければいけないのに、太一はポケットから携帯とデジヴァイスを取り出し、手の平に乗せていた。そうするべきだと直感したのだ。
点滅を繰り返すデジヴァイス。折り畳みの携帯を開くと、どこからかの受信を告げるマークが動いていた。
「……まさか、ゲートが」
ゲートは二年前の夏――あの戦いの数か月後に、再び閉じた。リアルワールドに溢れたクラモンの後始末と、これから増えるパートナーデジモンたちがリアルワールドで問題なく過ごせるように調整をするためだ、とゲンナイは説明した。
 またすぐ会える――彼のその言葉を信じ、太一たちは待ち続けていた。ゲートが開く、このときを。
 携帯の画面に、見慣れた太陽の形の紋章が浮かぶ。それは大きく開いた太一の瞳と重なり、温かい光を溢れさせた。
 天を貫くように伸びる光。その柱から、オレンジ色の身体が飛び出してきた。
「タイチ!」
「――アグモン!」
太一は携帯を手放し、オレンジの身体を抱きしめた。
互いに強く抱きしめたのは数秒で、顔を見合わせると彼らはすぐに腕を離した。アグモンは太一の足元に立ち、クワガーモンの方へ身体を向けた。
「久しぶりだね、タイチ」
「ああ。話したいことはあるけど、アグモン」
「分かってる。アイツの相手が先だね」
アグモンはキッと眦を吊り上げ、クワガーモンを睨む。太一はコクリと頷いて、デジヴァイスを握りしめた。
「頼むぜ、アグモン!」
「おう!」
言うや否や、アグモンは駆け出した。助走をつけて飛び上がり、口に貯めた炎をクワガーモンへ向けて吐き出す。
「ベビーフレイム!」
小さいが勢いの強い炎が、クワガーモンの顔にかかる。熱に驚き、クワガーモンは首を振って炎を取り払うと、羽ばたいて距離をとった。
「逃がすな、アグモン!」
「おーけー!」
太一はグッとデジヴァイスを握り、足を踏みしめて立ち上がる。しかし次の瞬間、骨を突き刺すような痛みに呻き、蹲った。
「タイチ!」
太一の様子に気をとられたアグモンへ、クワガーモンが頭を振りかぶる。
「アグモン!」
「!」
「プチファイア!」
瞬間、別の方向から青い稲妻が駆け、クワガーモンを弾き飛ばした。
よろよろと降下していくクワガーモンから、太一は稲妻の発生源へ視線を向けた。
「太一!」
「ヤマト!」
汗だくのヤマトが太一のもとまで駆け寄って来る。彼の手には淡く光るデジヴァイスが握られていた。
「ヤマト、こっちは任せて!」
「頼むぜ、ガブモン!」
彼の相棒が毛皮を揺らして駆け出す。その後を、桃色の翼とオレンジ色の翼が追う。
「マジカルファイア!」
「エアショット!」
二つの技は見事クワガーモンに当たり、巨体がよろける。そこへ身軽に跳躍した身体が鋭い一撃を叩きこんだ。
「ネコパンチ!」
クワガーモンは、川へと落ちて行く。
「お兄ちゃん!」
「ヒカリ、空、タケル!」
駆け寄ってきた空とヒカリは、太一の様子を見て青ざめた。
「また無茶して!」
膝をついたヒカリは、バッグから取り出したハンカチで太一の患部を覆う。太一は「悪い」と苦笑して謝る。全く納得していない様子のヤマトと空だったが、タケルに宥められ渋々口を閉ざした。
「まさか、みんなのところにもゲートが開いたなんて」
「急に携帯が光ったと思ったら、紋章が浮かんだの」
ヒカリの説明は、太一が先ほど体験したものとそっくり同じだった。
タケルとヒカリのデジヴァイスはD3に変化していたが、同じ頃からゲートを開くことはできなくなっていた筈だ。そんな彼らも揃って――小さいと言え――ゲートを繋ぎ、デジモンをこちらへ呼べたということは、他のメンバーも同じ状況になっていることは想像に容易い。
太一の予想通り、ここにはいない光子郎たちの元にもパートナーデジモンが現れたらしい。丈とミミからは何が起きているのだという驚きのメールが、光子郎からは取敢えずテントモンだけでも向かわせるという報せが、ディーターミナルに届いていた。
「来たぞ」
川の方を警戒していたヤマトが声をかける。太一とヒカリも身構え、子どもたちを守るように前に立ったデジモンたちの背中を見つめた。
「GA――――!」
咆哮を上げて飛び出したクワガーモンは、真っ直ぐこちらへ向かってくる。
「合わせろ、アグモン!」
「ガブモン!」
「お願い、ピヨモン!」
「パタモン!」
「テイルモン!」
パートナーの声に応と頷き、デジモンたちは技を合わせた。炎と稲妻が螺旋を描き、それを空気砲が後押しする。複合技が炸裂して体勢を崩すクワガーモンへ、止めとばかりテイルモンが拳を叩きこんだ。
「GYA――――!!」
引きつった悲鳴を上げて、クワガーモンの身体がバラバラに崩れていく。
「あれは……?」
過去何度も見た光景ではあるが、微かな違和感を抱きタケルは眉を顰めた。それからふと顔を上げた彼は、橋の欄干から小さな影がこちらを見下ろしているのを見つける。
首にゴーグルを下げ、裾がボロボロのマントをはためかせているのは、デジモンだ。見たことない種である。さらに目を凝らそうとしたタケルだが、一回瞬きするとその姿は消えていた。
「タケリュ?」
不思議そうにパタモンが声をかける。彼を腕に抱き留めながら、タケルは橋の方を示した。
「あそこに、見たことないデジモンがいた気がしたんだけど……」
「だれもいないね」
それと、クワガーモンが消える際に感じた違和感。うまく言葉にできず、タケルはうーんと唸った。
「なんや、一足遅かったようでんな」
細かく羽ばたきながらテントモンが姿を現した。テントモンは、一戦終えて緩んだ雰囲気を感じ取って頭を掻く。
「光子郎はんから伝言でっせ。一度寄るところがあるから、少し遅れる言うてました」
「なら連絡するか」
太一はディーターミナルを取り出し、光子郎へ事態が収束したことを伝える。
「丈先輩とミミちゃんにも、一応伝えておきましょうか」
ミミからの鬼電ならぬ鬼メールに苦笑しながら、空はポチポチとキーボードを叩いた。
「光子郎から、こっちに来てほしいって」
ヒカリの手を借りつつ立ち上がった太一が、すぐさま返って来た返信を告げると、ヤマトたちは分かったと頷いた。
「今のことを共有しておこう。また何かあったのかもしれない」
「大輔くんたちにも、一応メールしておくよ」
「テイルモンたちの話も聞きたいし」
ヒカリやタケルも賛同する。ところで、と丈たちに連絡を終えた空は首を傾げた。
「ピヨモンたちを普通に連れて歩いて良いのかしら」
そこでヤマトたちは、揃って自分たちのパートナーを見やる。
現在の姿は成長期。幼年期とは大きさが違い、高校生男子がぬいぐるみだと言って抱えて歩くには目立ちすぎる。
三年前の戦いでデジモンの存在は広く知られることとなったが、二年前からすべてデジタルワールドへ姿を消している。今リアルワールドでデジモンを連れているのは太一たちだけだろう。そんな中を連れて歩くのは、いろんな意味で視線を集めてしまい、動きづらい。
「そもそも、光子郎のオフィスまで結構距離あるしな……」
「時間がかかるけど、親父に電話して迎えに……」
「あれ、八神たちじゃないか」
ヤマトの言葉を遮って、こちらへ呼びかける声。その相手を知っていた太一たちは「あ」と口を丸くした。
「西島先生」
「勢ぞろいでどうした……て、それまさか」
目を丸くする西島は、黒いワンボックスカーの運転席から顔を出している。太一たちは顔を見合わせ、頷いた。
「せーんせ」
「……なんだ、八神」
ニッコリ笑う太一を胡乱げに見返し、西島は少し身を引く。さらにその隣にヤマトと空も笑顔で並んだものだから、嫌な予感はひとしおだったのか、西島はヒクリと口元を引きつらせた。

◇◆◇

黒いワンボックスカーへ、殆ど無理やり乗り込んでいく子どもたち。扉が閉まった数分後、話はついたのかワンボックスカーはゆっくりと走り出す。
「……」
その様子を対岸から見つめていた黒服の女は、そっと踵を返した。
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