昔日の楽園
(アスタリア、追憶の楽園編、ホド主従)


市都レイザベール。貴族たちが多く住まう都だが、中心から離れれば一般市民の姿も多く、昼間の食堂は昼飯にありつこうとする市民で溢れていた。いつもなら和やかな談笑と少しの愚痴で賑わうそこだが、今は一陣の不穏な風が流れていた。
「……咎人、か」
かたん、と目の前の席が音を立てた。口元へ手をやって考え込んでいたガイはハッと我に返り、顔を上げる。小さく手を挙げて、クレスは持っていたトレイを机に置いた。
「……大丈夫かな、ミクリオ」
「……」
クレスもガイも、騎士の家系ではあるが貴族ではない。しかし貴族であるミクリオは二人の友だった。初めて出会ったのは市都の外で、ミクリオはウリボアに囲まれていた。始めは彼の華奢な見た目もあって、魔物に襲われているのだと思った。勘違いだと気づいたのはすぐのことだ。ミクリオは携えていたロッドでウリボアを一払いし、ガイとクレスは抜刀した剣を手持ち無沙汰に立ち尽くした。パンパンと土埃を払い、漸くガイたちに気づいたミクリオは綺麗な顔を傾けてこう言った。「どうかしたのか?」と。
「あのときは思わず笑ったなぁ」
そのときの様子を思いだし、クレスはクスクスと笑う。そうだな、と同意し、ガイは手元へ目を落とした。話を聞いてみれば、ミクリオは超がつくほどの遺跡オタクだった。ガイも音機関に関しては我を忘れてしまうが、ミクリオも遺跡に関してはその比でなかった――クレスに言わせれば、どっちもどっちらしい――。一応稽古をしているため腕は立つようだが、熱中しているときは周囲への注意が薄れてしまうようで、一人で街の外を歩くのは心配だ。よく執事は許可しているものだ。そんなわけで、クレスとガイが護衛という名の友人になることを名乗り出たのだ。
「見た目は麗しいお貴族さまなのになぁ。アイツも意外と頑固で、子どもっぽいところがあるよな」
「そうだね」
「すぐムキになって、拗ねて……手のかかる子どもだった」
「……ねぇ、ガイ。一体、誰とミクリオを比べているんだい?」
「え……」
クレスの言葉に、ガイはキョトンと目を瞬かせた。クレスは少し身を屈め、ガイの顔を覗きこむようにじっと目を開いている。ガイは少し目を逸らし、何のことだと頬を掻いた。
「まるで、他にも貴族の友人がいるような話しぶりだなと思って」
「そんなこと……ない。それはクレスがよく知っているだろう」
流派こそ違えど、同じ騎士の家系で年も近い方だ。互いの交遊関係や趣味は大体把握している。ガイが首を振ると、クレスは「だろうな」と笑った。
「でもなんでかな、ミクリオはガイの隣に並ぶと正反対だなって思うよ」
「そんなにミクリオと似ていないか、俺?」
「うーん、何て言うか、ガイの隣にはミクリオよりもっと鮮やかな赤が似合うなぁって」
何だそれ、と今度はガイが呆れて笑った。クレスはたまに天然すぎる発言をする。マーボーカレーを頬張り、クレスはそんなガイの呆れに気づかず話を続けた。
「たまに……戦闘のときとか、ミクリオを呼ぶだろう? そうすると、本当にたまに『違う』って言われているような気がしたんだ」
ミクリオ! ――名を呼び駆け寄るとき、背中を合わせたその瞬間、僅かな呼吸だから本人が自覚していたかも怪しい。しかしクレスは感じたのだ。
「『君じゃない』――……『その名前じゃない』……」
フ、と笑ってクレスはガイを正面から見据えた。
「ガイも、そう言っていると感じるときがある。――『その名前じゃない』、『君じゃない』」
「……」
ガイはパタリと手を机に置いた。ガイ・セシル。それが自分の名であることには間違いない。姉と両親、四人家族。昔馴染みは目前にいるクレス、友人はさらにミクリオという名の貴族。
――……?
チクリ、というほどではないが、小さな針が刺さるような違和感が起こる。ガイは思わず胸へ手をやった。ガイが首を傾げている間に、クレスはマーボーカレーを平らげて両手を合わせた。
「まあ、そんなことはともかく、ミクリオのことなら心配要らないんじゃないか? 手紙の主――スレイだっけ。ローエンさんも信頼できるって言っていたし」
クレスがトレイを持って立ちあがったので、ガイも慌てて立ちあがった。
「それも不思議な話だよなぁ。博物館騒動で初めて会ったのに、スレイ、ミクリオのことをずっと昔から知っているみたいだった」
「そうだな……スレイの方が、俺たちよりミクリオの親友らしかった」
それは少し寂しいなぁ、とクレスは笑った。そうだな、と同意してガイは口元を緩めた。



「ここにいたのか、ヴァン」
軽く思案に耽っていたヴァンはその声で窓の外へ向けていた視線を室内に戻した。そこに立っていたのは天帝ラザリス。何かを見透かしたような笑みを浮かべるラザリスを冷静な目で見返し、ヴァンは「何用か」と訊ねた。
「そう怖い目で見ないでほしい。我らはこの世界を統べる天帝と宰相だろう」
「咎人が横行する今、世間話をする暇はないのだが」
「殊勝なことだ」
クスクスと笑い、ラザリスは口元を指で撫ぜる。半身を覆うような結晶が光で煌めき、ヴァンは目を僅かに細めた。協力関係にあるものの、根底では相容れない。それはヴァンだけでなく、ラザリス本人も感じている筈だ。だからこそ今、こうして戯れのように話しかけてきたラザリスの意図が読めなかった。
「そんな貴殿へ、日頃の礼だ」
「礼だと……?」
「何、根を詰め過ぎて倒れられてしまっても困るからな」
何の話だとヴァンが問い返す前に、二人のいた部屋の扉がノックされた。ラザリスはゆるりと首を動かし、「入りなさい」と入室を促す。ヴァンは口を結び、慎重にラザリスの動向を観察する。
「失礼します」
扉を開き、深々と礼をして入室してきた人物に、冷静に物事を分析しようとしていたヴァンは目を丸くした。彼の様子に、ラザリスはこっそり笑みを溢す。緊張した面持ちで敬意を表す姿勢を示すのは、ガイ・セシルだった。彼は市都で騎士をしている筈だ。そう、『設定した』のだ。
「本日より、ヴァン・グランツ宰相の護衛騎士を仰せつかりました、ガイ・セシルです」
「……どういうことだ」
頭を垂れるガイへ聴こえないよう、ヴァンは視線をやって声を潜める。ラザリスは剣呑さを秘めた瞳を一笑した。
「妹君がいなくなって、寂しい様子だったからね。気の置けない相手が必要ではないかと思っただけさ」
ヴァンは顔を歪め、小さく歯噛みした。ガイ・セシル――本名ガイラルディア・ガラン・ガルディオス。伯爵家の嫡子で、ヴァンが剣を捧げた相手。国によって、家族を失いトラウマを負った青年だ。だからこそ、この世界では王族とも関わらない市都で、貴族ではない家系の生まれに設定していたのに。これはラザリスの張った鎖だ。お互い心から信頼しあえる関係ではないと自覚している。そのため、ヴァンがラザリスの思惑から外れすぎてしまわぬよう張った、小さいながらも強い鎖。以前、それは実妹のティアであった。そのティアが、咎人が脱走した際、共に逃げ出してしまった。だからわざわざ、ラザリス自ら動いてガイを呼びよせたのだろう。睨むヴァンの視線を払うように、ラザリスは歩き出した。
「後はよろしく頼むよ、二人で昔話に花でも咲かせれば良いさ……」
「え、あの……?」
ラザリスの言葉に、ガイは心底困惑したように首を傾げる。ラザリスは扉へ手をかけ、少し二人へ視線をやる。
「ああ……二人は初対面だったか。――ヴァンに捨てられたら僕のところへおいで。白き獅子の一員にでもしてあげる」
「そんな! 恐れ多いです!」
クスクスと無邪気に笑うラザリスを、ヴァンは渋い顔で見つめる。困惑するガイと顔を渋く歪めるヴァンを見て笑みを浮かべ、ラザリスは部屋を出て行った。
「えっと……」
閉まった扉からヴァンへ視線を向け、ガイは困ったような笑顔で頭を掻いた。どう口火を切ったら良いのかわからないと言った顔だ。それはヴァンも同じで、深く息を吐いて頭へ手をやった。ガイはピクリと肩を揺らし、姿勢を正す。
「……貴公が、私に剣を捧げてくれるのか」
ポツリと、ヴァンは呟いた。ガイは慌てたように頷き、帯刀していた剣を腰紐から引き抜いた。片膝をついて両手に剣を捧げ持とうとする彼を、ヴァンは手の平を突きつけて止める。
「よい」
「え、けれど……」
顔を上げ、ガイは困ったように眉根を下げた。ヴァンはしかし彼から視線を逸らし、部屋に誂えた椅子へ腰を下ろした。ガイは仕方なく、剣を腰紐へ戻して立ちあがった。
「ヴァンさま……」
「……」
ヴァンは手摺に肘をつき、頬を手で支えた。目を細めると、耳の奥に残っていた幼子の声が浮かぶようだ。――ヴァンデスデルカ、と呼ぶ声が。
「――……ガイラルディアの」
「え?」
「――花は好きかね。オレンジ色の」
先ほどの名詞は掠れて聞こえなかったことを願いながら、ヴァンはそう訊ねる。困惑した顔は変わらぬまま、ガイは頭を掻いた。
「花には疎くて……」
貴族の友人ならその分野に明るかったと、ガイは小さく笑う。そうかと小さく頷いて、ヴァンは目を閉じた。自身の復讐心から始めたことであって、彼のためではない。騎士の家系に設定したのは、幼馴染故の気心あってだ。それなのに、何故だろうか。そうではない、と。傍らに立って敬称をつけてヴァンを呼び、剣を捧げようとした青年の姿を違うと叫ぶ自分がいた。
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