ポアロの新人バイト
その日、ポアロの扉を開いたコナンたちを出迎えたのは、笑顔が眩しい褐色肌の名物店員――
「いらっしゃいませ」
ではなく、そこそこ整った顔立ちの美青年だった。ポアロの制服を着こなすのは、蘭たちと同じ年頃の青年。こげ茶色の髪と、同じ色の瞳。来客へ声をかけるものの表情はあまり動かず、クールな性格だと伺い知れた。
「あれ、新しい店員さんですね」
「そうなのよ」
ウキウキとした様子で梓がやってきて、蘭とコナンを席に案内する。それから無表情の青年を手で示して、新しいバイトだと紹介した。
「岸波ハクノです」
礼儀正しく頭を下げた青年は、そう名乗った。聞けば蘭と同じ高校二年生で、普段は隣町の高校に通っているらしい。
「わざわざ米花町まで?」
「家族に送り迎えしてもらっているんです。知り合いに会うのは恥ずかしくて……」
照れている、というより少し困ったような顔で、ハクノは頬を掻く。そんな彼の肩へポンと手を置いて、梓は「彼、安室さんの紹介なんですよ」と嬉しそうに言った。
「安室さんの?」
コナンは思わず目を瞬かせた。梓は大きく頷く。
「そう。ほら、安室さんて突然お休みしたり早退したりすることが多いでしょ? 店長も気にしないって言ってたんだけど、申し訳ないからって」
「だから、俺が安室さんの休みに入ることになったんです」
学生なので百パーセント対応できるわけではないが、梓はこれで安室がいないときでも集客が望めると嬉しそうだ。
「安室の兄ちゃんの、お友だちなの?」
コナンが声をかけると、ハクノは少し腰を屈めて目線を近づけた。
「友だち……かな、うん。うちの仕事の関係で、助けてもらったり助けたり」
「え?」
ハクノの言葉をさらに追及しようと思ったコナンだが、彼が店長に呼ばれて仕事に戻ってしまったので、モヤモヤとした気持ちだけが置き去りになる。
笑顔を見せないため一見愛想が悪いようだが、口調や物腰は柔らかい。テキパキと給仕を行うハクノを観察していると、コナンは蘭に頬を突かれた。
「そんなに気になる? やっぱり、格好いい人って男の子も憧れるのかなぁ」
「う、うん、そうだね……」
「あ、蘭ちゃんも気になっちゃう?」
お盆を抱えた梓が、声をかける。仕事は良いのだろうかとコナンはジトリと見やるが、店内はだいぶ落ち着いているので少しくらい世間話をしても良いと判断したのだろう。梓はチラリとハクノを一瞥して、声を顰めた。
「でもだめですよ。彼、バイトを始めた理由が、彼女さんへのプレゼントを買うためなんですって」
ぽ、と蘭の頬に紅がさし、女性二人はキラキラとした瞳をハクノへ向ける。女性は本当に恋と名の付くものが好きらしい。苦笑いするコナンを余所に、二人の視線を受けたハクノはその意図が分からず首を傾げた。
「素敵ですね、ウエイター姿も様になって……白い手袋もまた、執事みたい」
いつコンセプトを変えたのかと蘭が訊ねると、梓は微妙な笑顔を浮かべて言葉を濁した。そこへハクノがやってきて、店長が梓を呼んでいることを告げる。梓は慌ててカウンターの方へ小走りに駆けて行った。
「ねえ、お兄さん」
「ん、なに?」
「その手袋……」
梓の様子では、ボアロの制服というわけではないのだろう。とすると、ハクノの私物か。指先まで覆う手袋を、常時身に着けている人間は珍しい。
質問したコナンへ「こら」と蘭が声をかけるが、ハクノはさして気にした様子も見せず「ああ」と手を持ち上げた。
「ちょっと昔、倒壊事故にあって、そのときの傷が残っているんだ」
人様に見せるものじゃないから、と呟きながらハクノは左手の甲を指でなぞる。無意識だろうその仕草が妙に目を惹き、そこを見つめてしまったコナンは、ぶしつけな質問をしてしまったことを蘭に叱られ、頭を小突かれるのだった。

そんな顔合わせが数日前のこと。ここ最近、安室は用事があるといってポアロを休んでおり、ほぼ毎日のように代役のハクノが出勤していた。
コナンが気になることと言ったら、安室とハクノの関係性、それに尽きる。
――うちの仕事の関係で、助けてもらったり助けたり。
安室と仕事、と言えば真っ先に思いつくのが公安である。協力者ということだろうか。彼の言っていた倒壊事故が、公安管轄の事件だとしたら、ある程度説明はつく。だとしても、ポアロでのバイトを斡旋する理由が分からない。
それとなく安室に彼のことを訊ねると、どこか疲れたような笑みを浮かべてはぐらかされた。「お金に困っている高校生へバイトを紹介しただけ。そんなに、何か企んでいるように見えるかい?」等と付け加えられてしまえば、それ以上言及もできない。
年や安室の様子からして組織の人間ではないのだろう、というところに納得をつけて、コナンは時折彼の姿を見かけても深く観察はしないように努めた。しかし生来の知りたがりが顔を出して、目で追ってしまいがちなのも事実であった。
今日も今日とて、蘭と共に来店したコナンは、カウンター席でオレンジジュースを啜りながら、店内で動くハクノを目で追っていた。
「まかり通る!」
そのとき、突然大きく扉を開いて店内に飛び込んできた姿に、コナンたちは目を奪われた。
カカッとハイヒールの踵が鳴り、ヒダのついた真っ赤なテールワンピースの裾が翻る。編みこんだ金髪をまとめるパールの髪留めも、ワンピースの上から羽織った薄いカーディガンも、上等そうなものだ。少女は仁王立ちしたまま、日本人離れした翠の瞳で店内を見回した。
パっと少女の顔がさらに輝く。コナンがその視線の先を追うと、無表情なハクノの頬が、僅かに引きつった。
「……ネロ」
コナンたちだけでなく、店内にいた客たちもみな呆気にとられた。タッと地面を蹴った少女は、真っ直ぐハクノに抱き着いたのだ。
「息災か、我が奏者よ!」
「……取り敢えず落ち着こう、ネロ」
ポカンと口を開くコナンたちの視線を受け、ハクノはポンポンと少女の背中を叩く。そこでやっと少女は周囲の視線に気づいたらしく、ハクノから離れてコホンと咳払いをした。
「喝采せよ! 余こそ薔薇の皇帝ネロ・クラ――えっと、うん、ネロである!」
エッホゲッホとさらに咳き込み、ネロと名乗った少女は胸を張る。彼女の勢いに圧倒されながらも、おずおずと蘭が手を上げた。
「えっと、お二人のご関係は……?」
「うむ、良い質問である!」
ネロはグイとハクノの腕に自らの腕を絡め、それはそれは嬉しそうに微笑む。
「岸波ハクノは、将来を誓った余の伴侶だ!」
一拍後、ポアロ店内は悲喜交々の叫び声が響き渡った。
「ここにいた!」
慌てたように店内に駆け込んできたのは、深緑のジャケットをきた青年だった。青年はハクノと彼にすり寄るネロと、周囲の反応を見て大きく溜息を吐く。ハクノはそっとネロから腕を取り戻して青年を「ロビン」と呼んだ。
「すまんね、岸波の旦那。少しばかり目を離してしまった俺が悪い」
「やっぱり、ネロ、抜け出してきたのか」
じっとハクノに見つめられ、ネロはウッと言葉を詰まらせる。
「な、なんだ、その目は。最近、奏者はちっとも余に構ってくれぬから」
「だからって仕事中に来て邪魔しちゃあ、岸波の旦那の迷惑でしょうが」
ロビンからも咎められ、ネロの瞳はウルウルと潤み始める。ポン、とハクノはあやすように彼女の頭を撫でた。
「ごめんね、ネロ。仕事中だから」
「奏者ぁ……」
「でも、お客様として来てくれるなら、俺は大歓迎だよ」
パアッとネロの顔が輝く。本当に良いのかと目で問うロビンにも頷いて、ハクノはカウンター席を手の平で示した。
「どうぞ、二名様」
意気揚々と腰を下ろすネロに呆れながら、ロビンも隣に座る。それは丁度コナンの隣で、じっと見つめていた彼はロビンから苦笑と共に手を振られた。
「お兄さんたち、ハクノ兄ちゃんの友だち?」
「ん? まあ、そんなもん」
「……あのお姉ちゃんが、ハクノ兄ちゃんの奥さんなの?」
ぶ、とロビンは吹き出した。
「またこの皇帝さまは……違う違う。旦那はまだ十七よ? 恋人なのは間違いないけど、それ以上の関係かは知りませんね」
ロビンの『旦那』呼びにもしや、と思ったがそれは彼個人の二人称の癖だったようだ。さらにロビンの言葉で裏付けされたように、ネロというこの少女こそ、ハクノがバイト代でプレゼントを贈りたい相手なのだろう。見たところ相当なご令嬢のようだし、一男子高校生のプライドを加味すると、想像に難くない心情だ。
「ハクノ兄ちゃん、よっぽどネロお姉さんが好きなんだね」
ネロに聞こえないよう、コナンは小声で囁く。ロビンは片眉を上げ、ニヤリと笑った。
「おたくにも分かるんだから、旦那の表情筋もまだ現役だね」
あまり微笑んだ姿を見たことがないハクノだが、ネロと言葉を交わす横顔はふわりと柔らかい。生来の知りたがりのせいで見つめていたために気づいたことでもあるが、コナンはそれをジュースと一緒に飲み込んだ。
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