青空色と朝焼け色の双子と
「なんで俺が……」
「博士は今日、仕事の打ち合わせなの」
その日、コナンは灰原と共に米花デパートにやってきていた。荷物持ちをしろと襟首を掴まれたのだ。目当ては今女子に人気というブランドの新作ポーチ。ついでに、他の買い物も済ませる予定らしい。
「それに、良い気分転換になるんじゃない?」
「あ?」
「ここ最近、上の空だったじゃない」
そんなに静岡でのことが気にかかるのかと、灰原は訊ねた。コナンは少し間をおいて、コクリと頷いた。
園子に誘われた旅行先で、コナンは男子バスケットボール部の因縁が基で起こった傷害事件に遭遇した。事件はめでたく解決したのだが、コナンが気にかかっているのはその後だ。
コナンが事件解決に奔走している間、歩美たちが出会ったというランボという名の少年とその関係者。歩美たちは、小学生のランボと、その保護者である高校生の沢田綱吉――しかも前述の事件の関係者と知り合いだったらしい――そして、その保護者が「大人ランボ」と呼んでいた神出鬼没な青年。何より気にかかるのは、コナンが見かけた沢田綱吉が、見たことないエンブレムをつけた黒塗りの高級車に乗っていたことだ。
一高校生には分不相応な車だった。それに、貝をモチーフにしたあのエンブレム――幾ら検索しても、該当するものは見つからなかった。解けない謎に、コナンは苛立つ毎日だった。
確かに、延々と机の前で唸るよりは良い気分転換になるだろう。灰原の都合に合わせたところが大きいだろうが。
デパートが開店して一時間経った頃、コナンたちがその店を覗くと、予想通りそこは女性客であふれていた。
「俺、外で待ってるぜ……」
「了解。すぐに済ませるわ」
キリリとした表情で店内へ入って行く灰原を見送り、コナンは小さく溜息を吐いた。女性とはかくや、買い物になるとああなるのだろうか。買い物を終えた彼女にすぐ気づけて、他の客の邪魔にならない位置に避けて、コナンは壁に背を寄せた。
「あ、こことか良さそう」
「成程、女性が好まれそうですね」
ふと聞こえた声色と視界の隅を通り過ぎて行った姿に、コナンは思わず顔を上げる。すぐに店の中へ消えていった二つの背中を見送り、コナンはまた吐息を溢した。
「……男二人でこの店に入れるって、度胸あるなぁ」

店内は他にも心惹かれる品が並んでいたが、予算のことも考えると目移りしている余裕はない。灰原は人波をスイスイかき分けて、店の中央にディスプレイされた新作コーナーへと向かった。
新作デザインを使ったバッグに財布、ハンカチなどが並ぶ中、使い勝手がよさそうだからと目をつけていたポーチは、灰原のいる位置とは反対の場所にあった。円形の机に沿って移動し、ポーチへ手を伸ばす。
「あ、これ良いかも」
ひょい、としかしそれは灰原の手が届く寸前で別の方向へ消えた。そちらへ顔を向けると、若い女性ばかりの店内では珍しく、年若い青年が二人顔を見合わせてポーチを吟味している。
ふわふわとした黒髪と青空の瞳が印象的な青年の手に――キザったらしいことに、黒い手袋をつけている――、灰原の狙っていたポーチが二つ握られていた。ディスプレイを見回してもポーチの姿はそれ以上ない。先ほど別の客へ接客していた店員が、店頭に並んでいるもので在庫はすべてだと言っていたから、店の裏にもないだろう。つまり、青年が持っている二つがこの店の最後のポーチなのだ。
「良いのではないでしょうか。女性は、何かとポーチが入用と聞きます」
明るい髪色をした男の方は、目元をサングラスで隠している。黒を基調としたベスト姿というフォーマルな恰好に思わず身構えてしまうが、あの組織にしては不似合いな雰囲気を持つ男であると思い直す。
それよりも灰原が気にしていたのは、青年がもつポーチである。
両方と言わない、せめて一つだけでも棚へ戻してくれないだろうか。コナンが傍にいれば睨んでいると言われそうな眼光で、灰原は青年を見つめた。
彼女の視線に気づいていないのか、青年は二三度迷うように首を揺らす。それからやっと決心したように頷いた。
「よし、じゃあ、これにしよう」
「お二つとも?」
「そう。マシュとリッカの分」
青年はニコニコと嬉しそうに笑いながらレジへと向かっていく。その様子を微笑まし気に見守りながら、男も続く。
「……」
一人その場に残った灰原は、ぐぐ、と手を握りしめて沸き上がる感情をひたすら押さえつけていたのだった。

コナンははてさて、鋭い眼光で戻ってきた灰原に連れられ、一階のコスメ売り場にやってきていた。目当てのポーチが品切れになっており、仕方なく――といった風だったが、こちらも目的の一つではあった筈だ、絶対――こちらへやってきたのだ。しかしやはり女性メインの場所で、手持ち無沙汰な状態。
コナンでも聞いたことのあるブランドのチークやリップを手にとってジロジロと値踏みする灰原は、間違っても小学生の姿ではない。彼女の様子を一瞥して、コナンはポケットに手を入れた。
「……あの二股男め……」
ぼそり、と嫌な響きが聞こえた気もしたが、コナンは知らぬ存ぜぬを決め込み、何気なく目についたリップに手を伸ばす。
サンプルで目星をつけた一つを取りあげ、灰原はリップをしげしげと見つめた。蓋を取って中を伸ばしたところで、背後から伸びてきた黒い手袋で覆われた手が、スとそれを取り上げる。
「こーら」
振り返ると、蓋の空いたリップを片手に持った少女が、もう片方を腰へやり、灰原を見下ろしていた。朝焼けのような瞳と柔らかいオレンジの髪に、灰原の目が惹かれる。
「小学生がお化粧なんて早い!」
蓋をしめてリップを元の場所に戻しながら、少女は言葉を続ける。彼女の足元には、頬に大きな傷をつけた小学生くらいの女児がいて、コナンと灰原を順番に見回していた。コナンも女児の視線で二人の存在に気づいたらしく、驚いたように目を瞬かせている。
少女は立てた人差し指を、クルリと回した。
「そんな年からお化粧していたら、肌や爪が荒れちゃうことがあるんだから。おしゃれ障害って聞いたことない?」
科学者の灰原には馬の耳に念仏だろうが――現在の姿を考えれば少女の言葉は最もで、コナンは黙り込む灰原の代わりに「ごめんなさい、お姉さん」と言葉を返した。少女はチラリとコナンを一瞥し、膝を折って灰原と目線を合わせた。
「彼氏のためにおしゃれしたい気持ちは分かるけど、ここは大人になってからおいで?」
「かれ……!」
この勘違いはコナンにとっては慣れたものだ――歩美や旅行先で親しくなった少女たちとそういった関係に誤解されたことは一度や二度ではない――が、灰原にとっては先ほどの不満も重なって腸をかき混ぜてしまう言葉だったらしい。ヒクリと口元を引きつらせ、灰原は腕を組んだ。
「そういうあなたこそ、こんな化粧品売り場に来るには、子どもだと思うけど?」
「おい、灰原」
少女はキョトンと目を瞬かせ、それからクスクスと笑った。
「そうだね。私も高校生だから、こんなお高いのはまだ早いかな。その代わり――ここの三階にある、子ども向け化粧品メーカー、私好きなんだ。案内しようか?」
「あれ、リッカ」
コナンたちと目を合わせていた少女は、横から聞こえてきた声に顔を上げた。
灰原は「あ」と声を漏らす。先ほどの店で見た、青空の瞳の青年と彼の連れだったのだ。思わず、灰原の目が鋭くなる。
「立香」
少女は立ち上がって、青年と、二三歩後ろでたくさんの紙袋を持つ男を見やって、眉を顰めた。
「何その荷物。まさか全部?」
「そう、プレゼント」
ピン、と灰原の脳裏が閃く。先ほどの店で聞いた名前は、マシュとリッカじゃなかっただろうか。灰原の腹が、目当てのポーチを奪われたことと二股相手に悪びれなく笑顔を向けている男の態度に、フツフツと沸き始めた。彼女の異変に気付いたコナンが声をかける隙もなく、灰原は「ちょっと」と刺々しい口調で青年に声をかけた。
「ん、この子は?」
「そこで会った子なんだけど……そうだ、三階の化粧品コーナーに一緒に行こうって誘ったんだ」
「そうなんだ」
ニコニコと笑って、青年は膝を折ってコナンたちと視線を合わせる。
「可愛いカップルだね」
ニッコリと邪気のない笑顔を向けられ、灰原は思わず言葉を飲みこんだ。立香と呼ばれた青年はリッカと呼んだ少女へ顔を向け、こちらの買い物は終わったから一緒について行くと告げた。彼が立ち上がるとほぼ同時に、後ろに控えていた男が「失礼」と一言断ってから腕を伸ばす。
とん、と男の胸のあたりに、よそ見をしながら歩いていた男性客の背中がぶつかった。
「あ、すみません!」
「お前、よく周り見ろよな」
男の胸に当たった衝撃でふらりとよろけた男性客を追って、別の女性客と男性客がやって来る。二人が男へ頭を下げているうちに、最初の男性客は少々覚束ない足取りで歩き出した。
「ねえ」
「ああ、様子がおかしいな」
灰原と耳打ちし、コナンはその男性客を追おうとしたとき、進行方向にいたリッカが男性客と肩をぶつけた。
「きゃ!」
「おかあさん」
コナンはぎょっとして足を止める。舌足らずな言葉は、紛れもなく目の前でリッカの腕を引く女児から聞こえてきた。
(まさか、あの高校生が母親なわけねぇよな……?)
コナンがそちらへ気を取られていると、ドスン、と大きなものが倒れる音がした。ハッとして顔を向けると、リッカが顔を青くして足元を見下ろしている。コナンの背後にいた女性客と男性客も息を飲み、口元を手で覆う。
「きゃー!!」
彼らの目の前で、倒れ伏した男性客は腹部から血を流していた。

暫くして通報を受けた目暮たちが現場に現れ、規制線が貼られた。フロア内にいた全員が名前と連絡先を控えられ、特に被害者近くにいた被害者の友人と名乗る男女、化粧品売り場のスタッフ一名、コナンと灰原、そして彼らと会話していた青年少女と連れは、デパート側が提供したスタッフルームに待機させられた。
被害者は会社員の三十代男性。本日は婚約者の同年代女性と、彼の弟で二十代大学生の男性と共に、新居のための生活用品を購入しに来たという。婚約者の希望で化粧品売り場にやってきたところ、急にフラフラと一人で歩き出し、突然倒れたのだ。
婚約者と弟の様子を不審に思って被害者へ声をかけたのが、隣の売り場で接客を担当していた女性スタッフ。フラフラとしていた被害者とぶつかったのが、サングラスをかけた男と、灰原に声をかけてきた少女。直接的な接触者は、以上四名だ。
「刺殺か……」
担架で運ばれていく被害者を見送り、目暮はチラリと血の残る床を見やる。それからスタッフルームへ向かい、容疑者たちから話を聞き始めた。
コナンは灰原と並んで部屋の隅に立ち、容疑者たちを観察していた。一番怪しいのは直接被害者と接触した四名――さらにその中でも、最後にぶつかった少女が疑わしい。状況を聞いた目暮も同じことを思ったらしく、メモを取る?木を引き連れた彼はまず少女に声をかけた。
「まずはお名前からお聞きしましょうか?」
「えっと、藤丸リッカ、高校二年生です」
緊張した様子で、少女はしきりに橙に近い色の髪を指で弄っている。彼女の足元に隠れるように立つ女児の姿を見つけ、「おや」と片眉を上げた。
「妹さんですかな?」
「いや、この子は事情があって預かっている子で……」
リッカが背中を撫でると、女児は目暮に対してペコリと頭を下げる。
「ただの、ジャック」
「ジャック?」
「外国の子ですかね。でも女の子にジャックって……」
「あはは、ちょっといろいろ事情がありまして」
リッカは引きつった笑みを浮かべ、ジャックの頭を撫でる。不思議そうな顔をした高木も、それ以上追及しては失礼だろうと次の相手へ視線を向けた。
「えっと、では、あなたは?」
「藤丸立香、高校二年です」
「おや、藤丸?」
「あ、はい。リッカは俺の双子の」
二人は同時に頷いて、互いを指さした。
「妹です」
「弟です」
一拍。ギラとした睨みをお互いに向け、少年と少女は黙した。どうやら、長子の争いは根深いらしい。しかし、まさか双子だったとは。男女の双子は二卵性のことが多く似ていないと言うが、これほど色味が違う双子も珍しいだろう。
コナンが関心を示していると、灰原は「なんだ……」と少し安心したような声色で呟いた。
コホン、と慌てて咳払いを溢し、目暮は隣の男へ声をかける。
「あなたは?」
「自分は……高長恭と申します。本日はます……藤丸殿たちと買い物に」
「随分買い込んでいるようですなぁ」
高長恭の足元に並んだ紙袋を眺め、目暮は呆れの吐息を漏らした。高長恭はサングラスを外さぬまま、小さく笑う。
「すべて藤丸殿の大切な人への贈り物でして……」
「らん……言わないでよ!」
立香は慌てて高長恭の口を塞いだ。そんな二人のやり取りを見て、目暮はゴホンと咳払いを一つ。
「で、高長恭さん――あなたも海外の方ですかな――は、藤丸さんたちとはどういうご関係なんですかな?」
「私は、知人です」
「成程……ところで、できれば最後に被害者に触れたリッカさんの指紋を取らせていただきたいのですが……」
言葉を濁し、目暮は視線を少し下げる。黒い手袋に包まれた両手を重ね合わせ、リッカは迷うように視線を左右に動かした。
「えっと……」
すり、とリッカは右手の甲を左手で撫でる。すると落ち着かせるように、同じく黒い手袋をした立香の手が、彼女のそれを握りしめた。
「リッカはいつも手袋をしているから、指紋はつかないと思います。勿論、俺も。ジャックや、そこの子どもたちに聞いてもらえば、俺たちが直前まで手袋をしていたことを証明できる筈です」
「一応、今後の捜査で万が一ということもありますので、皆さんに両手の掌紋と指紋の採取はお願いしているのですが……」
おずおずと高木は言い、気まずさを誤魔化すように笑みを浮かべた。藤丸双子は本当に迷っているらしく、お互いに顔を見合わせて何か相談し合っている。
「……分かりました。一応、保護者に連絡をとっても良いですか?」
「ああ、それは勿論」
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