右手に拳銃、左手は君(trois)
「まいどありー!」
日用品でも売買するような軽い声を出して、おそ松はパチンと指を鳴らした。そのままサッと踵を返して部屋を出て行く彼を、一松が追っていく。トド松と十四松はその場に留まり、商売相手へ受け取りのサインを続けていた。
おそ松が外へ出ると、そこはもう夜の帳に閉ざされていた。時計を見ればしかし、大人の時間を始めるには遅くない。建物の前に止めていた車に寄りかかっていたカラ松が、兄の姿を見つけて組んでいた腕をほどいた。
「終わったのか」
「応よ。後はトド松たちに任せて」
カラ松の開く扉から車内へ身体を滑り込ませ、おそ松はぐぐ、と腕を伸ばす。隣に乗り込んだ一松は、しかしおそ松に追い払うように手を振られた。
「は?」
「だから」
お前は、あちらだと。渋々、一松はおそ松に言われるまま運転席へ――一度外へ出るのは面倒だったので、後部座席から無理矢理――座った。驚いたカラ松が窓に貼りつくのとほぼ同時に、トド松と十四松が現れた。
「お疲れー」
「はいはい……って、何で一松兄さんが運転席座ってるの」
彼の運転の荒さをよく知っているトド松は、あからさまに顔を顰める。十四松は「うお!」と声をあげ、元気よく助手席へ滑り込んだ。状況が分からないという顔をするカラ松と、嫌な予感に顔を歪めたトド松へ、開いた窓からおそ松が顔を向ける。
「お前らは後から来るチョロちゃんに乗せてもらえ」
「おそ松兄さんたちは?」
「次の取引まで暫くあるからなー。移動するにしても今日くらいハメはずしたっていいだろー」
「兄さんはいつもじゃないか……」
つまりは、しこたま飲んで遊んでからホテルへ戻るということらしい。トド松は溜息を吐いた。
「チョロ松兄さんに叱られても知らないよ」
トド松の小言を、窓を閉めることで遮り、おそ松は一松へ出発の合図を飛ばした。


#prologue:T


おそ松先導のもと三人が足を踏み入れたのは、琥珀色に似た灯りが室内を照らすバー。店外装飾の雰囲気が良かったので一度来てみたかったのだと、おそ松は言った。彼の言葉に適当な相槌を返しながら、一松はゆらりと視線を辺りへ向ける。
別段、荒っぽい雰囲気の人間はいないようだ。しかしかと言って、一般人ばかりというわけでもない。ルールを知り、場をわきまえた大人たちの集うバーのようだ。一松と十四松が僅かな緊張を背に置く傍ら、おそ松は軽やかな足取りでカウンターへ座り、向いに立っていた男へ声をかけた。
「何かオススメのちょーだい」
「ちょっと、兄さん」
「お前らも楽しみなよ」
お兄ちゃんのおごりよぉ、と人差し指と親指で輪を作って笑うおそ松に、一松は溜息を吐いた。この兄のこの言葉はとんと信用できない。しかしそんな一松を余所に、一つ下の弟は歓声を上げて、さっさと少し離れた丸テーブルの椅子へ座ってしまう。カウンターに並んで座るのは彼の性に合わなかったし、そもそも十四松は酒よりも食事を好む。カウンターでモリモリかっ食らっていては、他の客たちも興ざめだろう。一松は頭を掻きながら、十四松の向いに座った。
二人を見送ったおそ松の前に、そっと赤いカクテルが置かれる。添えられているのも真っ赤なチェリーで、おそ松は目を細めながらその茎を摘まんだ。
「あちらのお客さまから」
舌で実を掬い、柔い果肉に歯を立てる。茎の根元まで含み、暴き出した種を舌で転がしていると、マスターが手の平をおそ松の左手へ向けた。頬杖をついたまま、おそ松はそちらへ顔を向ける。
「……」
ぽと、と果肉から引き離された茎が手元に落ちた。そこに一人座っていた男はクイ、と自分の手元にあったグラスを傾ける。空になったそれと数枚のコインをカウンターに置くと、茶色いスーツを着た男は立ち上がった。
男はスッとおそ松の傍らに立つと、彼の肩に手を乗せる。スーツに包まれた肩が強張ったことで、微かに震える。カウンターから垂らされた手が丸まったのを目端に捉えたのか、男は口角を持ち上げた。
「――」
ぼそり、と耳元へ囁かれた言葉に、おそ松の瞳が大きくなる。軽く触れられているだけの筈の手が、ずしりと重く感じた。
「――兄さん」
ハッと、一松の声と共に、店内に流れていたジャズが耳に流れ込んでくる。怪訝そうな一松に軽く笑いかけて目を落とすと、グラスの足元に水溜りができていた。随分とぼんやりしていたらしい。
「……おそ松兄さん?」
「……悪い」
もう帰ろう、と掠れた声で一松に言うと、彼は少々まごつきながらも頷いた。十四松を呼ぶ一松の肩越しに店内を見回すが、茶色いスーツの影は見当たらなかった。



次の取引は一週間後。うち、移動には二日ほど費やさなければならない。到着は本日。つまりこれから五日間の休暇が、F6社営業員の六人には与えられるのだ。トド松はスーツではなくベストを主としたラフな恰好で、同じくラフな恰好のカラ松を引っ張り、街へ出て行った。昼を過ぎても眠りこけるおそ松をチョロ松に任せ、一松は十四松と共に郵便局へと向かう。手紙を出すのは十四松の方で、一松はその付き添いだ。
猫のように目を細め、十四松はたっぷり悩んだ後、この街の観光名所の一つである真っ青な海が印刷されたポストカードを購入した。その場で、十四松は借りた筆をポストカードに滑らせる。差し出し人には名前だけ、住所は書かない。宛先はいつもと同じ、東の小国の教会。
「……マメだよね、お前も」
「えー、そうかなー」
そうだよ、と返すと、何が可笑しいのか十四松はにっぱりと笑った。
一つ街へ着く度に、十四松は手紙を送る。教会で暮らす、嘗て戦場で出会った少女へ向けて。
一松も他の兄弟も、少女の名を知らない。だから兄弟内でその話題を出すとき、『彼女』と少女を呼んだ。あの長男は知っていそうだ、十四松は案外知らないのかもしれない。そんな憶測も、残った四人の間でまことしやかに交わされる。


#“SHE”


『彼女』は、おそ松がF6社を設立する以前、まだ松野の六つ子がバラバラに生きていた頃、十四松が戦場で出会った少女だ。その頃、次男三男五男は軍へ志願兵として所属し、末弟は慈善事業活動に参加し、四男である自分はハタ坊のツテを頼って細々と何でも屋を営んでいた。長男の行方を知る兄弟はおらず、その間、彼はF6社の基盤を作っていたと思われる。
兵士となった三人は、三人とも海を渡って国を出た――暫くして末弟も活動の一端として海外へ行ったので、その時分故郷の国に留まっていたのは四男だけだったらしい――。三男はパイプラインを巡った紛争に、次男と五男の二人はテロリストを追って発展途上国へ派遣された。しかし戦場は同じでも既に役職で僅かな差異の生まれていた二人は、別部署へ配置されたらしく、とうとう任務終了後まで顔を合わせることはなかったと聞く。
五男である十四松が配置されたのは、少し前に紛争を起し今なお冷戦状態の続く小国の国境付近だった。
嘗ては自国とも交流があり、その国にはこちらの民族の血を受ける者もいる。その友好関係が壊れたのは先のパイプライン争奪が原因で、テロリストの件もそれが発端となっている。テロリストたちはその小国の国民であると、軍部や政府は睨んでいるのだ。
十四松の仕事は主に、管制塔で国境を超えてこちらへ侵入してくる者がいないかを監視することだ。テロリスト捜索といったことは、カラ松の所属する本部隊が行っていた。
元々、貧困の目立つ小国だ。加えて他国から圧力をかけられ、それに拍車がかかっていく。国境は山にある。夜になると闇が深く、慣れた者でも灯りがなければ道を辿ることができない。そんな環境は、間引き先としてはうってつけだったのだろう。軍が設置した駐屯所の灯りを求め、国境を越える不法入国者として銃弾に倒れるのは、子どもが殆どだった。それに心を痛めた十四松と何人かの兵士が上司とかけあって、明らかに間引き目的で放置された子どもに限り、国境を越える際は保護するように取り計らった。勿論、そんな情報を聞きつけて孤児が増えても困るので、情報管理は徹底し、保護した子どもたちも軍の倉庫の一角へ隠した。件の少女は、そんな中、幼い子どもたちと共に十四松の手で保護されたのだ。
保護された子どもたちの中では一番年上だった彼女は、幼い他の子どもたちから姉のように慕われていたと聞く。子どもの管理を担当することになった十四松とも、自然と親交を深めていったのだろう。
事件が起きたのは、本当に突然だった。
十四松が『彼女』と食事を作っていると――保護する対価として、子どもたちには駐屯所の掃除洗濯・食事の用意をするよう言われていた――突然、子どもたちが駆け寄ってきた。わあわあ泣いて『彼女』に抱き着く彼らを漸く宥めて聞き出した事実に、十四松は息を飲んだ。上司が、保護した子どものうちから適当な者五人を選び、地雷原を歩かせたというのだ。しかもご丁寧に、大人と同じ重量になるようおもりを持たせて。三人は四肢を、一人は片足を、一人は転んで頭を吹き飛ばされたらしい。
中々テロリストが捕まらず、冷戦に再度火がつきそうになっていた、その矢先だった。
『彼女』と子どもたちを寝泊りさせている倉庫へ返し、十四松は上司の部屋へ向かった。ノックをし、扉を開いた十四松の顔を見るなり、上司は、ああ、と頷いた。
地雷が埋められている場所は、小国へ攻め入る絶好の抜け道だ。先の紛争の残りであるそれを取り除くことができれば、この膠着状態にも一石投じられる。しかし地雷探知機を供給してもらえるほど、軍事費に余裕はない。先の案は中々うまくいったが、おもりをつけた子どもでは、よろけて中々地雷原把握が進まない。あの少女ならば――
そこまで言って、上司は首を胴体から切り離した――切り離された。十四松が抜刀した短剣に、ヌラリとした血が滴っていた。
それからの十四松の行動は早かった。上司の部屋へ行く前に倉庫から拝借した爆弾を、『彼女』たちのいる倉庫を除く至るところへ仕掛け、ありったけの銃弾を腰ポーチへ詰め込み、銃を構えた。
以前より、この駐屯所は『彼女』たちを厭う兵士たちばかりだった。十四松と共に保護を願い出た数名は、別の戦場へ配置変えされたか、銃弾で胸を貫かれたかして、とうにいない。『彼女』たちはしっかり隠した。動くものは全て、打ち抜いて良い。
今思えば、それが原因で堪忍袋の緒が切れたのだろう。同時に、理性も擦り切れた。獣のように息を吐き、目をかっぴらいた十四松によって、その駐屯所は一夜のうちに壊滅したのだ。

アドレナリンが切れ集中力も体力も限界を超えた十四松は、いつの間にか、泥と銃弾と血で汚れた床にうつ伏せで眠っていた。意識を取り戻し、早く『彼女』の様子を見に行かなければ、と仰向けに転がった十四松の視界に入ってきたのは、数年来見ていなかった男の笑顔だった。
「おっす。酷い顔してんねぇ、十四松」
小奇麗な恰好でケラケラ笑う男の姿に、十四松はカラカラの喉を動かして唾を飲む。
「……おそ松、兄さん……」
「はあい」
長男は笑って身をかがめ、十四松の乾いた目元をそっと撫でた。そのじんわりとしたぬくもりに、十四松は目を細める。枯れていたと思った涙が、溢れた。

その後、おそ松とハタ坊の尽力で、『彼女』たちは不戦を宣言する東国の教会へ預けられた。十四松は除籍処分となり、おそ松の誘いに一二もなく頷いて、現在に至る。
十四松はあれ以来、『彼女』に会っていない。血と泥と煙に塗れた身体で様子を見に行こうとしたことを、彼は悔いているらしい。あのときは酷すぎるとおそ松に止められて初めてそれに気づき、チョロ松の服を借りたと言う。
「やっぱり俺は、あの子と一緒にいちゃいけないんだって」
人種や民族といったそんな僅かな違いではない。きっと、もっと根っこの部分で、『彼女』と自分は違う人間なのだと。ポストカードを投函し、十四松はポツリと言った。『彼女』は教会でそのまま働き、他の子どもたちを養うつもりだと、ハタ坊が言っていた。そんな風に、普通に生きることが似合う少女だ。比べて自分は、銃を抱きしめて眠る夜しか過ごせない。
うーん、と十四松が伸びをする。つられて一松が憎たらしいほど澄んだ空を見上げると、ボサボサの髪を撫ぜる風が吹く。少し、潮の香りがした。
「……当たり前でしょ」
腕を下ろした十四松が、疑問符を浮かべて首を傾げる。一松は首を前へ戻して髪をかき上げた。
「十四松は十四松。根っこも何も、その女の子とは全く違う人間じゃん」
「……なーる?」
伸びた袖を口元へ宛がい、十四松は猫のように目を丸める。
「僕は十四松? それって声とか顔とか名前とか、変わっても?」
「銃を打つとか打たないとか、そんな仮想、いくらしてもしょうがないでしょ」
するだけ時間の無駄。仮想はいくら考えても仮想でしかなく、現実は変わらない。いつだって信じられるのは、自分の目だ。
一松は袖に手を差し込み、ぎゅっと十四松の手を握りしめた。
「俺は今ここにいる十四松を十四松と呼びたいし、その女の子と違う人間でもそれが十四松だって、安心する」
「なるほど!」
十四松は大きく頷く。彼がこれで納得したかわからないし、そもそも一松もこれで正解なのかはわからない。けれどまあ、太陽が眩しいから良しとしようではないか。
「……海、行く?」
「オス!」



カーテンの閉め切られた部屋の中、赤い毛布を肩にかけ、おそ松は携帯へ手を伸ばす。ベッドから降り、僅かな隙間から光が射しこむ窓際、そこへ置かれた椅子へ座る。ドサリと背を預けてワイシャツから伸びる素足を組んだところで、送信中を知らせる電子音が途切れた。
「……何の用ザンス」
低く、不機嫌な声。おそ松はゆっくりと笑みを浮かべ、つれないことを言うなと揶揄する。相手は大きく息を吐き、諦めたようだった。ぎ、と椅子に凭れる音が受話器の向こうから聴こえる。安っぽい音だ。まだ経費削減とか言って古い椅子を使っているのだろうか。通話の相手・イヤミは昔から変なところで節約する男であった。用件は、と促す言葉に、おそ松はそっと舌唇を舐めた。
「……あの男に会った」
「……早いザンスね」
余程待ち焦がれていたのだろう、熱愛されているではないか。イヤミが揶揄すると、おそ松は吐き捨てるように嬉しくないと呟いた。
「てか、その口ぶりだと知ってたのか」
「ミーを誰だと思ってるザンス」
腐っても大国のエージェントだ。危険人物の動向には、敏感にしている。紙が擦り切れる音。書類を探っているらしい。
「開放されたのは一週間前。親族からの保釈金と監視を条件に出されているザンス」
「てことは今も監視付?」
「今のところ、定期報告は途絶えてないザンスね」
ならば、あの町で出会ったときも監視付だったわけだ。厄介だと、おそ松は舌を打った。武器商人は、政府からあまり良い目で見られていない。中には積極的に排除しようとする輩や、後ろ暗いところを突いて金儲けを企む輩もいる。おそ松も、決して罪を犯していないとは言わない。事実、イヤミにはそこに目をつけられ、獲物とされそうになったこともある。まあ、逆に財布を掠めてやったわけだが。それは余談として、今回の接触をネタにまたカモにされるのは面倒だ。
「ま。イヤミがいるならチビ太は平気か……」
「当たり前ザンス。ウチの技術屋に手だしはさせないザンス」
あの男を直接捕えたのは、イヤミの元で働く技術屋の男だ。彼が復讐目的でおそ松と接触してきたのだとしたら、狙いは一つではない。
「チミは自分たちの心配するザンス。……六つ子は厄介ザンスよ」
「だぁいじょうぶだって。あの人、俺たちの区別ついてるっぽいし」
「そういう意味じゃなくて……」
呆れたような吐息。なんだよ、とぼやくと、扉をノックされた。おそ松は口早にまた連絡するとだけ伝え、返答も待たず通話を切る。それとほぼ同時に、扉が開いた。
「起きたの? 兄さん」
「何だよ、チョロ松かよ〜」
携帯をそっと枕元へ放り、唇を尖らせる。入室したチョロ松は暗い室内に眉を顰め、窓際へ歩み寄るとカーテンを開いた。照り付ける日光から逃れるようにベッドへ移動し、おそ松はぐぐっと身体を伸ばす。
「他の奴らは〜?」
「……皆出かけたよ。兄さんもグダグダしてないで、少しは身体を動かしたら?」
「ん〜」
ちょいちょい、とおそ松が手招きすると、チョロ松は少々顔を顰めながらもベッドへ手をついて身を乗り出した。オフで気が弛んでいるのだろう、二つほどボタンの開けられた薄緑のワイシャツを掴み、引き寄せる。ベッドに両膝をついた足に素足を絡め、おそ松はニヤリと口元を曲げる。
「チョロ松が手伝ってくれんなら、運動するけど?」
「……」
チョロ松は無表情のまま、襟元を掴むおそ松の手に自分のそれを添えた。そして、
「いぎ!?」
「ふざけんな」
思いっきり外側へそれを曲げた。無理な方向へ捻られたことで筋を傷め、おそ松は唸って手を離す。さっと拘束から抜け出して距離を取ったチョロ松は、着替えと湿布をおそ松へ投げつけると、乱れた身なりを正しつつ部屋を出て行った。
「――」
去り際耳元で囁かれた言葉に顔を歪め、おそ松はムクリと身体を起す。
「……何か、アイツら結構似た者同士……?」
バーで言葉と共に吹き込まれた酒の匂いを思い出し、おそ松は頭を掻いた。


#幕開けの銃声


「おいしい〜」
だらしなく弛んだ頬に手を当てて、トド松はご満悦。その様子に口元を綻ばせながら、カラ松は珈琲を啜った。トド松はペロリと唇を舐めて、更に残るパンケーキへフォークを突きさした。メレンゲをたっぷり使ったパンケーキは、泡のようなしゅわしゅわとした音を立てて傾き、上に乗せていた生クリームを皿へ落とした。
「あの旅行ガイド、中々当たりだったね」
「そうだな」
女性に人気のパンケーキ屋。男二人、それも一目で兄弟と分かる二人組が、向かい合ってパンケーキを突く場所にしては、少々異質である。チラチラとした視線を受けながら、カラ松はサングラスをかけ直した。
「……トド松」
「分かっているけど、これ食べるくらいは良いでしょ?」
一般人の好奇の視線に混じった別の感情に、トド松も気付いていたらしい。まさかこんな衆目の中、手を出してくるとは思えない。それもそうだが、と口ごもり、カラ松は珈琲を喉へ流しこんだ。
たっぷり時間をかけて甘ったるいパンケーキを堪能したトド松は、「さて行こうか」と席を立った。彼の残していったオーダー表を取って、カラ松はレジへ向かう。兄を待つことなどせず、トド松がさっさと店を出て行ったので、カラ松は少々お釣りが出る金額を渡すと、「チップだ」と口早に言って彼を追った。
「トド松!」
「そんなに慌てて、心配し過ぎ」
自分だって護身銃は持っているのだと、トド松は不満げに呟く。機嫌を損なわせるつもりはなく、カラ松は慌てた。早くご機嫌をとらないと、この末っ子は後後にまで根に持つのだ。
「トドま――」
カラ松はしかし、言葉を止めた。トド松の先導のまま路地裏へ入った瞬間、背後に妙な気配を感じたからだ。トド松も足を止め、肩越しに視線をやる。カラ松は思わず舌を打ち、懐へ手をやった。
「あーあ、折角のバカンスだったのに」
ぷっくりと頬を膨らめるトド松を背にし、カラ松は振り返る。ズラリと並んだ銃口に、訊ねる言葉すらなくとりだした銃の引き金を引いた。

銃撃戦が巻き起こっていると、酷く慌てた様子の男が知り合いらしい男へ叫んだ。突然駆け寄ってきたその男は汗びっしょりで、息も荒く、正に命辛々といった風体であった。腕を掴むと同時に座りこんでしまった知人に驚き、相手が一体どういうことだと訊ね返しても、顔を真っ青にした男はそれ以上何も言わない。
一連の様子を見ていた一松と十四松はそっと顔を見合わせ、男のやってきた方角へ駆けだした。走りながら、一松は携帯をとりだし、ホテルにいる筈のチョロ松へとかけた。チョロ松はコール音一回で出た。
「街で銃撃戦があったみたい。トド松とクソ松かも」
「連絡は?」
チラリと一松が並走する十四松を見やると、同じように携帯を耳に当てていた十四松がブンブンと首を振った。
「トド松、繋がらないよ!」
「繋がらないって」
どよめき逃げ出す人々が増えてきた。こちらの道かと当たりをつけて、一松たちは柵を飛び越える。
「GPSを探知するよ」
「よろしく。いつもの無線つけとくからそっちに。俺たちは騒ぎを追ってみる」
「そっちの方が早いかもね。じゃあ後で」
プツン、と切れた携帯を懐へしまい、一松は一緒に持ち歩いていた無線を耳につけた。十四松も同じようにする。
逃げる人々の波を逆走し、やがて二人は流行りの服飾を扱うブティックと女性好きしそうなカフェの並ぶ通りへと辿りついた。
「トッティの好きそうなところ……」
「一松兄さん!」
血の匂いがする! と十四松は駆けだす。黄色い影が飛び込んだ角を曲がり、一松は足を止めた。
「これは……!」
路地裏も手を抜かない拘りか、パステル調の淡い色をした煉瓦が、なにやら模様を描く道。模様がはっきりと分からないのは、そこに赤いペンキのようなものがぶちまけられているからだ。その真ん中に転がっていたのは、見慣れた青いワイシャツ。
「カラ松兄さん!」
十四松は慌てて二番目の兄へ駆け寄り、頸動脈へ指を当てた。一松はさっと辺りを見回すが、襲撃者らしき死体も、いつも彼と行動している筈の末弟の姿もない。ただ次男が破壊しただろう、数個の銃火器が転がっているだけだ。
「くそ……!」
呻く声は聞こえるから、命はあるらしい。とんだクソ松だと唾を吐き、一松は無線の通話ボタンを押した。



男はカチンカチンと、銀色を帯びるライターの蓋を指で弾いては閉じることを繰り返していた。手持ち無沙汰のようだが、単に落ち着きない癖のようでもある。室内は薄暗く、男の目の前に置かれたパソコンのブルーライトのみが光源だ。皮膚の分厚い指で整えた顎を撫で、男はニヤリと口元を歪めた。
「……」
ぼぅ、とライターのほの赤い炎が揺らめき立つ。それに照らしだされた部屋の片隅では、斑模様のカーディガンを着た人影が、ゴロリと転がっていた。


#正体


「こんにちは」
街がほぼ一望できる、高層ホテルの喫茶フロア。窓辺の二人用席をその男は陣取っていた。グレーのワイシャツと焦げ茶色のベストを合わせたその男は、見知った顔を見つけると立ちあがり、にこやかな笑顔で手招いた。桃色のワイシャツとダークグレーのスーツにポークパイハットという商談用の服装で現れた男は、にっこりと笑って小さく手を振った。普段彼の背後へぴったりとくっつく青いワイシャツとサングラスの男の姿はなく、代わりに緑のワイシャツとダークグレーのスーツをかっちりと着こなした男が、ポークパイハットの男の砕けた態度を咎めるように目を細めている。
「待たせてごめんねー」
「いや、こちらが急に呼び出したからね」
ポークパイハットの男に椅子を勧め、着席を確認してから自らも腰を下ろす。緑のワイシャツの男は、椅子の背後へ控えるように立ったままだ。
ベストの男と彼らは、顧客と販売元の間柄だ。取引を初めてまだ数年であるが、それなりに良い関係を築けていると、ベストの男は自負している。特に窓口を担当する桃色のワイシャツの男――トド松とは世間話も弾み、ちょっとした友好関係も築きつつあり、お互いこんな仕事をしていなければ、気兼ねない友となれたかもしれないと思ったこともあった。あまいと言われればそれまでだが、そのお蔭でちょっとした観察眼を身に着けることができたのだから、悪いことばかりではない。
「それで、話って?」
ベストの男は口元へ当てていた手を外し、「ああ」と頷いた。それから彼は少し身を乗り出し、声を潜める。ポークパイハットの男も、背凭れから背を離して身を乗り出した。
「『ウチ』にリークがあった。『F6社を潰すなら今だ。頭の行方が絶たれている』と――」
ス、と二人の目が同時に細められる。さすが一卵性だとこみ上げる笑みを噛み潰し、ベストの男は身を引いた。ポークパイハットの男は踏ん反り返ると、足を組んだ。
「……情報元は?」
「それはさすがに。情報屋は大切に飼わないと」
「じゃぁ理由は?」
「ウチ以外にもリーク先があるかもしれないですしね。あなた方が倒れられると正直困る。一番お気に入りの『お店』なので」
勿論、情報を真に受けて事を起すつもりはない。ベストの男の言葉に、ポークパイハットの男はニヤリと笑った。
「こっちが危なくなったらさっさと手を切れば良い。お気に入りの店は、何も一つじゃないでしょう?」
「……まあね。最大の理由は半分賭けでしたよ……今分かったから、賭けて良かった」
ポークパイハットの男は眉を顰める。分かっていないらしいその様子に、ベストの男はククと喉で笑った。それから腕時計を一瞥し、「失礼、次の約束が」と立ちあがった。
「急だったものでこんな形で申し訳ありません。また改まった場所で、ご挨拶を――『いつもの方』にもよろしくと、お伝えください」
では、と会釈し、ベストの男は立ち去った。彼の姿がフロアから消えるのを見届けてから、ポークパイハットの男は大きく息を吐いた。ズルズルと腰を浅くしていくと、ポークパイハットが目元を隠した。その様子をだらしないと窘めながら、緑のワイシャツの男――チョロ松は、先ほどまでベストの男が座っていた椅子へ腰を下ろす。
「さすがはA社きっての営業担当だけはあるね、鋭い」
「ん〜、さすがあつしくん」
身体を起し、膝に落ちるハットを拾い上げる。チョロ松は頬杖をつき、どうするのだと息を吐いた。
「おそ松兄さん」
桃色のワイシャツを着たおそ松は、苦笑してハットを回した。

「根回しが早いよね、まだ一日だよ」
トド松が行方知れずになって、まだ24時間も経っていない。あれから襲撃者は現れていない。ベストの男の元にのみ情報がもたらされたのか、情報を鵜呑みにしていないのか。どちらであっても、トド松を取り戻すという目的は揺るぎない。
「あの男は信用できるのか」
無理矢理医師を言いくるめ、退院をもぎ取ってきたカラ松が、不機嫌さを露わに呟く。A社の商談は主にカラ松とトド松の二人に任せていたから、三人の間に何があったかおそ松たちは知らない。しかしトド松はA社の代表であるあの男を気に入っており、反対にカラ松は酷く疎んでいることは、周知の事実であった。
「私怨による意見はいりませーん。根拠と理論のある建設的な意見を求めまーす」
ソファに座り、おそ松は一瞥もカラ松へくれない。カラ松は荒々しく舌を打った。
彼が伸した襲撃者は全て、金に釣られたチンピラたちであった。写真の男を連れて来いと、依頼されたらしい。大勢に配ったのだろうか、質の悪いカラーコピーに写っていたのは、間違いようもなくトド松であった。依頼人の素性は、全く知らないとも言っていた。
一松は眉を顰め、机の上にばらまかれた現場写真の一つを取り上げた。依頼人が、トド松とおそ松を取り違えたのだろうことは分かる。おそ松を浚い、今が潰し時だと方々に触れまわるという行動から、主犯はF6社を潰したいのだということも察せられる。こんな商売だ、人の恨みも買って来た。しかしここまでの手回しを行える主犯像が、思い浮かばなかった。
「こいつの仕業なんじゃないの?」
ばさ、とおそ松の目の前に紙の束が落とされる。それは一松たちも囲っていた机の上で、全員の目に紙の束の表紙が映った。
「『東』……『郷』」
目つきの悪い男の顔写真と、その横に綴られたプロフィール。十四松が名前を読み上げると、ガタリと音が立った。一松と十四松が顔を上げると、少々顔を青くしたおそ松がチョロ松の首を掴んでいた。平然とした顔で、チョロ松はおそ松を見おろしている。
「お前、どこでこれを……!」
「イヤミはお前だけの情報屋じゃないんだよ」
そもそも彼はとある国のエージェントであるのだが、それを指摘するのは本人のみでこの場にはいない。チョロ松が首元を掴む手を無理やり解くと、おそ松は糸が切れたようにソファへとへたり込んだ。
「……どういうこと?」
さっぱり話の掴めない十四松たちは、二人を交互に見やる。チョロ松は襟元を正し、顎で紙の束を示した。
「とある国の凶悪犯罪者。名前も偽名で、本名は不明。死刑になるほどじゃあなかったけれど、終身刑に。模範囚だったことと最近親族から多額の保釈金が支払われたため、仮釈放になっている」
チョロ松の要約を聴きながら、一松は紙の束をめくる。左右からはカラ松と十四松が覗きこんだ。
「……おそ松兄さんと、何があったの」
「……端的に言うと、俺はそいつの最後の被害者で、逮捕されるよう罠に嵌めたの」
パッと手を開き、おそ松は力なく笑う。渋い顔をする一松たちにニシシと笑って見せ、おそ松はチョロ松に「あの人じゃないよ」と言った。
「あの人は、俺とお前らの区別はつく。『トド松がおそ松じゃない』ことは分かる筈だ」
それからカラ松を見やって、「あのあつしくんも違う」と続けた。
「アイツも、トド松との区別だけはつくだろう。犯人は俺とトド松を取り違えている……つまり、この二人じゃない」
「だが、アイツはトド松を気に入っていた! トド松を手に入れるために今回のことを企て、疑いを自分から逸らすために……!」
「カラ松〜ぅ、お前ほんとにあつしくんが嫌いなのな」
おそ松はカラカラと笑う。カラ松はグゥと言葉を詰まらせた。
「まあ、その可能性もなきにしもあらずだね」
チョロ松の同意に、カラ松は目を輝かせる。しかしチョロ松は彼へ一瞥もくれない。おそ松は頭を掻き、「それよりも」と一枚の紙を机に置いた。
「もっと可能性高い奴がいるでしょ」
四人はそれを覗きこみ、ああと頷いた。
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