十五
「ったく、どこやねん、ここは」
溜息を吐いて、織田は頭を壁に寄せた。
部屋を出てすぐ出会った階段を登ってみたが、辿り着いたのは延々と続く廊下。織田から見て右手には窓がずらりと並び、中庭らしい場所が眺められる。あの部屋はどうやら、一度二階へ出てからでなければ、一階の玄関に辿り着けない仕組みになっていたらしい。
「めんどくさ……」
一階へ降りる階段も、広い廊下を眺めるだけでは見つかりそうにない。ぐ、と胸元を握りしめ、織田は足を進めた。
パン――と、乾いた音が耳を打つ。聞いたことがある音に、織田は咄嗟に身を屈めた。音の反響から、発生元は外だと推測できる。織田はそろりそろりと、窓から庭を窺った。
「! あれは……」
庭に生える樹の傍にある人影を見つけ、織田は目を丸くした。遠目ではあるが、間違いようもない。何故彼がここにいるのか――不意にそんな疑問が浮かんだが、すぐに頭を払って捨てる。今はそれを考えている場合ではない。
そう思い至った織田が窓辺から離れようとしたところ、背後に気配がポツリと現れ、思わず足が止まった。
「鼠がいると思ったら……君は確か、秋声の」
聞き知らぬ声だったが、誰の縁者なのかは分かった。
志賀め、そちらは別件だと言っていたくせに、しっかり手を回しているではないか。
織田は舌を打って、ゆっくりと振り返った。そこに立っていたのは、ぼんやりとした目の男だった。彼は矢を番えたボウガン片手に、首を傾けて織田を見やる。
何と声をかけるのが正解か、それとも振り返ることもなく走り去るべきだったか。いや、後者を選択していたら、確実にそのボウガンで狙い撃ちにされていた。
乾く口内を唾で湿らせ、口端を持ち上げた。
「……お兄さん、秋声さんのお知り合い?」
こちらは武器もなく丸腰なのだ。織田は腰の後ろに手をやって、相手の隙を伺う。何かを考え込むように首を傾げていた男は、ふと口を丸く開いた。
「やっぱり、秋声とよく一緒にいた」
「同じ大学の学徒ですぅ」
「ふーん」
気のない返事である。しかしそれが男の性質であるらしい。彼は徐に手を持ち上げて、ボウガンを織田に向けた。
「じゃあ、君はここで死んで?」
この男相手には、どの選択肢でも同じ結果だったようだ。織田は口元を引きつらせながら、後ろへ一歩引く。ぐ、と青年の指がボウガンの引き金を引いた瞬間、織田は踵を返して駆け出した。

じくじくと左肩が痛む。じわりと着物を汚すのは、紛れもなく己の血であった。狙撃されたことは自明の理。恐らく、館内に潜んでいたのだろう。
「さすがだろ? 徳田派の若衆は」
目を見張る室生を見下ろし、志賀はニヤリと笑う。
「奴らは、古い仕来りを重んじる現頭領派に嫌気がさしていた。それもあって、自分たちの希望となる徳田を、何とかして頭領にしようと躍起になっていた」
「……そのせいで北原(うち)や白樺の縄張りを荒らしていたから、約定を結んだ筈では?」
「鼠の歯も、使いようによっては獅子の脅威となるんだぜ」
ギリリと室生は歯を噛みしめた。どこまでもこの男の手の上であったか。さすがは、曲りなりにも嘗て『神』と呼ばれていた男である。
「あなたは、そこまでして……っ!」
「そりゃあな、こちらにもそれなりの意地と誇りと責任がある」
言い終わるや、志賀は踏みつけていた足を持ち上げ、室生の手ごと拳銃を蹴り上げた。拳銃はゴロゴロと地面を転がり、室生の手から遠く離れたところで止まる。びりびり痺れる手を何とか握りこみ、室生は志賀を睨み上げた。
「双璧は片方が狂犬で、片方が忠犬だと聞いていたが……アンタの方が狂犬だったか?」
「さてねっ……」
室生は地面を手で押して身体を浮かせると、足をついて立ち上がる。その勢いで頭突きを志賀の腹へ叩き込むと、不意をつかれた彼が身体を丸めるうちに駆け出した。
拳銃を拾う暇はない。館からの狙撃を紙一重で避けながら、比較的館へ近い位置にある木の裏へ飛び込む。志賀と距離をとる代わりに狙撃手に近づいてしまったが、この位置なら窓から銃身を出さないと届かない角度の筈だ。まずは狙撃手だけでも潰さなければ、と室生は袂へ入れていた予備の拳銃を取り出した。
さて、敵はどこだ。室生は、腹をさすってのんびり佇んだままの志賀への警戒も怠らず、杏子色の目を館の窓へ走らせる。
ぱりん、と何かが割れる音がした。室生は咄嗟にそちらへ視線と銃口を向けて――杏子色の目を丸くした。
「――先生!」
石榴色の星に、引き込まれる。
室生は銃を落とし、腕を広げた。すると、向こうも腕を伸ばす。赤い鰭を揺らす金魚を腕に抱きこみ、室生はやってきた衝撃のまま地面に倒れこんだ。

場面は少し前に戻る。
「おわ、と!」
男から逃げようと駆け出した織田は、矢が足を掠めて膝をつきかける。
「卑怯やろ、飛び道具て! こっちは丸腰やで!」
「それ、言っちゃう?」
「愚痴なんでお気になさらず!」
織田とて、それで見逃してもらえるとは思っていない。一度手を床についてから立ち上がり、織田は先ほどより速度を落としながら逃げる。男――藤村はのんびりと足を進めながら、照準を合わせた。
「……面白い子だけど、それが秋声の弱みになると困るんだ」
ひらひら揺れる三つ編みの根本へ鏃を合わせ、藤村は目を細めた。ふわ、と視界が赤一色になる。
「!」
「隙あり!」
藤村は顔面を覆った布を剥ぎ取り、背後に現れた気配へボウガンを向けた。目に入ったのは、煌めく銀。それが刃の煌めきだと経験が判断し、藤村の身体は床に手をつく形で屈んでいた。しゅ、と空気を裂くようにして、人の腕ほど大きい刃が頭上を通り過ぎていく。
「ち」
舌を打って相手は床に投げ出された赤い羽織を拾うと、しゃがむ藤村の横を通って織田の方へ駆けだした。音に驚いて足を止めていた織田は、こちらへ向かってくる人物の顔を見て目を丸くする。
織田の前で足を止めて鎌を持った青年は藤村に向き直った。
「待ってよー」
パタパタと大きな足音を立てながら走る男がまた一人、スルリと藤村の横を通り過ぎる。大きく肩を上下させて息をすると、その男は肩からずり落ちた羽織を正した。
目を瞬かせる織田とボウガンを強く握りしめる藤村の前で、鎌を持った青年は羽織を肩にかけ直した。それからニヤリと笑う。
「俺の出番だな、オダサク!」
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