Xel Mes(])
蜃気楼の宮殿上部、一人その水の民の少女は眼下に広がる海を見つめていた。
「我はメルネス……滄我の声を聞き、代行する者なり」
胸元へ手を添え、少女はそっと目を閉じた。

「シャーリィ……」
「来たか、陸の民」
ゆっくりと振り返り、メルネスは部屋へ駈け込んで来たセネルたちを視界に入れた。その中に並ぶワルターの姿を見つけ、メルネスはピクリと口元を引きつらせる。
「ワルター、何故お前がそこに立っている。親衛隊長のお前は、私を守るためにいるのだろう」
暫く姿を見せないと思ったら、敵と共に戻ってくるとは。メルネスの言葉は最もで、ワルターはチクチクとした罪悪感を抱きながらも、一歩前へ出て背を伸ばした。
「メルネス……いや、シャーリィ、この者たちは君と戦いに来たわけではない」
「なんだと……?」
メルネスは柳眉を顰めた。ワルターの言葉に同意しながら、セネルも彼と並ぶ。
「そうだ、俺たちは話をしに来たんだ」
怪訝な顔をするメルネスへ、セネルたちは『静の滄我』にこの世界の成り立ちや大沈下によって何が起こるのかを教えてもらったこと、聖爪術を与えてもらったことを説明した。
「確かに私たちの先祖は、悲惨な種族闘争を積み重ねてきた」
「だけど、俺たちは今を生きているんだ。過去にこだわる必要なんかないだろう?」
「遺跡船を煌髪人の領土とするよう、各国にかけあってもいい。お互いが共存する方法を、探っていかないか」
クロエたちが口々に言うさまを一通り黙って眺めていたメルネスは、ひと段落ついたところを見届けると、「ふ」と小さく噴き出した。
「あははは! ここまで来て何を言い出すかと思えば!」
くだらない、と吐き捨てメルネスは笑みの中に怒りを見せた。
「シャーリィ、」
「動くな。それ以上近づけば、即座に光跡翼を発動させる!」
強い語調に、クロエたちは思わず足を止める。一人、さらに一歩足を進めたのはセネルだけだ。
「近づくなと言っている!」
「シャーリィ、俺はお前と話に来たんだ」
「ワルター!」
シャーリィはワルターの方へ睨みを向けた。
「親衛隊長なら、こいつらを追い払え!」
「メルネス、いやシャーリィ。俺は君の親衛隊長だ。君を守る、その心も」
「何……?」
ワルターの言葉の意味が分からずメルネスが戸惑ううち、セネルはあと大きく一歩進めば腕を掴めるところまで足を進めていた。
「シャーリィ、お前はシャーリィだ。メルネスだなんて楯を張ろうが、優しいシャーリィのままだ」
「私はもう、お前の妹じゃない!」
「そうだ。だから俺はここに来たんだよ、シャーリィ」
「え……?」
ふ、とメルネスはそれまで声を荒げていた雰囲気を捨て、まるで泣きそうな顔でセネルを見やった。セネルはフッと笑って見つめ返す。
「俺は君に謝ることがたくさんあるし、伝えたいことも同じくらいある。その中でも一番伝えたいのは、俺の気持ちだ」
「気持ち……?」
コクリと頷き、セネルは手を差し伸べた。
「兄と妹としてではなく、一人の人間同士として、俺はシャーリィと歩んでいきたい」
少女の目が丸くなる。震える唇を一度引き結んで、少女は目を少し逸らした。
「お姉ちゃんは……?」
「ステラを忘れたりはしない……忘れられない。だけど、思い出にする。今の俺にとって大切なのはシャーリィ、お前だ」
セネルの青い瞳は真っ直ぐシャーリィを射抜く。シャーリィはくしゃりと歪めた顔を伏せた。きゅ、と胸元で組んだ指が白くなる。
「……ずっと、ずっと、聞きたいと思っていた。だめだって言い聞かせても、心のどこかで夢見てた……まさか、こんな形で耳にするなんて」
「シャーリィ」
セネルだけではない、クロエたちも希望に顔を輝かせた。セネルは更に一歩踏み出し、シャーリィの手を取ろうと腕を伸ばす。
「私は今の言葉を胸に、自分の使命を果たすことにする」
ぱし、とセネルの腕を、少女は払い落した。
「シャーリィ!」
「どうして!」
「私はメルネスであることを選んでしまった。もう後には引けない」
「だからって、大沈下を起こすことをシャーリィ自身は望んでいるのか?!」
踵を返したシャーリィは、空との境近くで足をとめ、セネルたちの方を振り返り見た。
「私、メルネスだから。メルネスの使命を果たすことが、私の存在理由だから」
最早彼女に迷いは残っておらず、大沈下を止め陸の民を救いたければ少女を殺すしかない。少女の金の髪が青みを帯び、背に蝶のような鳥のような翼が現れる。それを見た途端、セネルの心臓が強く脈打ち、ぐわりとした熱のようなものがセネルの全身を、血流に乗って駆け上った。
(な、なんだ……?)
セネルは自分の胸倉を掴み、大きく息を吐く。興奮した少女もまた、荒い呼吸を繰り返しながら、攻撃の予兆を見せないセネルたちを睨んだ。
「どうして攻撃しない! 私、本気なんだから! 冗談なんかじゃ、ないんだから!」
喚くように叫ぶ少女を、クロエたちは堪らない思いで見つめた。彼女の表情が、声色が、すべてが、迷いを如実に表しているのだ。迷いのない人間のする顔ではない。
「シャーリィ!」
声を上げて一番前に出たのは、なんとワルターであった。シャーリィはますます泣きそうに眉を顰める。
「どうして! あんなにメルネスであれと言ったあなたが、どうしてそっちに立っているの?!」
「今までのことは詫びる……俺は親衛隊長として失格だった。君を、シャーリィという少女として見ていなかったのだから」
いや、『メルネスの親衛隊長』としては優秀だったのだろう。しかし一人の少女を守る騎士としては失格だった。それを、他でもない今まで忌み嫌っていた男に教えられたのだ。彼女が自分より彼を慕う筈である。
「シャーリィ、メルネスとして在ろうとするなら、そんな顔は止めろ。そんな顔しかできないのなら……君は、セネルに応えるべきだ」
「私は、私は……!」
「シャーリィ!」
「う……!」
シャーリィは頭を抱えた。すぅぅ、と光が溶け、髪の色が金に戻って行く。メルネスとしての力が弱まったのだ。
「あ、あれ……どうして、どうしてできないの」
「シャーリィ……」
「来ないで!」
頭を抱え、髪を振り乱し、シャーリィはセネルを近寄らせまいとする。しかしセネルは大きく足を踏み出し、彼女の腕を掴んだ。
「シャーリィ、もういいんだ」
「……おにい、ちゃん……」
フッとセネルが微笑むと、シャーリィは顔を歪めポロポロと涙をこぼした。そのままずるずると座り込む彼女に合わせ、セネルも膝を折る。ようやく、手を握ることができた。その事実に、セネルの目頭も熱くなった。
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