十三
 室生は一人、廃屋の庭に立っていた。住人がいなくなって幾年経つのか、館の煉瓦の隙間からは蔦が生い茂り、庭は好き放題に伸びた草木のせいでちょっとした森の風体を見せている。
室生は花を散らした木の枝へ手を伸ばし、葉を指でなぞる。手入れをしっかりとすれば、さぞ美しい花と香りを魅せてくれただろう。しかし庭師も持ち主すら失くした木は、成長に任せて枝葉を伸ばし咲いては散る。
「……物悲しいものだな」
「同感だな」
 聞こえてきた返答に、室生は手を下ろしてそちらへ視線をやった。そこに立っていた男は、室生へ向けてヒラリと手を振る。それから庭から館の方へ首ごと視線をやり、目を細めた。
「懐かしいか?」
「……それなりに」
 小さく笑みを浮かべて誤魔化し、室生は背筋を正す。まだ感慨深く周囲を見回す男との距離を少し詰め、脇に垂らした手に力を込めた。
「息災ですか――志賀さん」
「ああ、見ての通り」
やっと室生へと視線を戻し、志賀は手を広げて見せる。首から垂らした若葉色のストールが、動きに合わせてゆらりと揺れる。この場に感じる気配はこの男一人。連れは、門前にでも置いてきたのだろうか。彼の腰で光る銀の剣を一瞥し、室生は口元を緩めた。
「やはり、お手紙を下さったのは志賀さんで? うちに出入りしている子がよくわかりましたね」
「野良のくせに人に懐き、毛並みが良いと来れば予想がつく」
 それもそうか、と室生は苦笑する。それから、すぅと冷えた目を向ける。
「では、俺が外で逢っていた子は? ……あの子は、そう簡単に他の人に懐かないと思っていたけど」
「あの烏は有名だろ? まさか、アンタまで知らなかったとか言わないよな?」
 副助詞の意図するところはよくわからなかったが、室生は「まさか」と肩を竦めた。
「三田の三羽烏については、こちらには名前くらいしか届いていませんでしたから。まあ、数日接して何となく」
 向こうよりは実年齢もその世界での経験も重ねているから、匂いや雰囲気には敏感なつもりだ。向こうがこちらの素性に気づいた様子はなかったが、警戒心の強い猫だ、そうと気取らせなかっただけかもしれぬと思っていた。
「それで、ご用件は? まさか志賀さんのような方が、情夫一人で俺を強請れると思ってはいまいでしょう」
 ニコリと室生は笑みを浮かべる。ジワリと顎や背中、手の平に浮かびそうになる汗を、そっと服の裾で拭う。
 志賀は腰に手を当て、苦笑を溢した。
「アンタからそんな台詞が聞けるとはな。曲りなりにも北原の双璧か」
「……誉め言葉として受け止めますよ」
 はあ、と息を吐いて、室生は肩の力を入れ直した。中々真意の読めぬ男だが、凡その予測は立つ。
「同盟の件でしょう?」
 志賀はニヤリと笑った。
「そうだ。端的に言えば、白樺に主導権が来るよう取り計らってもらいたい。この前は完全に対等、しかも互いの縄張りは不可侵って条件だったからな」
「当たり前でしょう……徳田派の勢力を伸ばそうと他の縄張りで動き回る紅露の若衆を、抑えるための同盟なんですから」
それぞれの自治能力を強化するための締約であって、一方が一方へ傘下に入るわけではない。思わず室生は頭へ手をやった。
「つまり、俺に白さんを裏切れって言うんですか? 幾ら昔少し世話になったあなたと言えど、難しいですね」
口では言いつつ、室生は理解していた。だからこそ、志賀は彼を――織田をネタに室生を呼び出したのだ。しかし、ここで要求を飲むことはできない。室生にとって、頭領である北原と相棒である萩原、そして仲間の北原組こそ優先すべきもの――例え、本心を偽ることになっても。
「……情夫なんてものを人質に取られた程度で組を裏切ると思われるなんて、俺も随分甘く見られたものだな」
「だろうなぁ」
 志賀とて、カードの力が弱いことは分かっている筈。カラカラと笑って、志賀は襟足をかきあげた。
「弱いから、ちっと手を加えてみた」
「?」
 眉を顰める室生へ、志賀は懐から取り出した何かを放り投げた。それは、薄汚れた白布だった。ふわふわ風に舞う布を掴んで引き寄せ、室生はますます小首を傾げる。
「情夫が三羽烏ってだけじゃあ弱い……なら、その情夫がウチに手を出したら、『お星さん』はどうしてくれるかね」
「!」
 白布にべったりとついた赤い染み。微かに鼻につく匂いが、血液による染みだと知らせている。ぐ、と布を握りしめ、室生は鋭い視線を志賀へ向けた。
「……単なる行きずりだったと説明しましょうか?」
「ならアンタの手で始末をつけるか?」
「……」
「それにアンタも知っているだろう? こういう商売、弱みを掴まれただけで命取りだ」
 志賀はゆっくりと歩を進め、室生の隣に並ぶ。身体の向きを揃えないまま、室生の強張る肩へ手を置き、腰を少し屈めて耳に口を近づける。
「――そんな顔をするくらいなら、さっさと首輪をつけて飼い殺しておけば良かったんだ」
 室生は引き結んだ唇の下で歯を噛みしめ、両手の平へ爪を立てた。その横顔を見て、志賀は満足げに口元を緩める。
先ほどの問に返答しなかったことといい、この反応といい、志賀の予想通り、室生の中であの烏は随分大切な分類に入っているらしい。
「アンタが駆除できないなら、俺がやってもいい。烏一羽くらい、ここに連れてきて一発でしまいだ」
「――!」
 室生はカッと頭に血が昇ったのを自覚した。自覚していたが、それを止める伝達が指の末端まで届かず、先に走った熱に促されて懐の拳銃を掴んだ。そのまま、銃口を志賀のこめかみへ当て、引き金に指をかける――志賀は室生の右側に立っており、左手で銃を掴んだ室生は半身を捻るようにしなければならなかった――次の瞬間、室生の左肩に熱い鉄をぶつけられたような痛みが走った。
「ぐ……っ」
 思わず銃身がぶれる。その隙を逃さず、志賀は肩に置いていた手を振り上げ、室生の左手を叩いた。辛うじて銃は取り落とさなかったが、下方へ叩き落とされた手を踵で地面へ縫い付けられてしまう。
「うぐ……」
「北原の双璧が挑発に乗るなんてな」
 腕に引かれ、室生は地面へ膝をつけた。手甲をつけていたため直接踵に踏まれることはなかったが、全体重をかけられれば痛みが走る。思わず銃を掴む指が緩んだが、蹴って遠くへ転がされることはなかった。
「手を出したのはそっちだ」
こちらを見下ろす橄欖石が、愉快そうに弧を描く。室生はギリリと歯を噛みしめた。
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