十二
「織田が白樺の番犬と会っていた?」
思わずといった風に佐藤の語尾が上がる。「おやまぁ」と口元へ袖を添え、谷崎も目を丸くする。地べたに正座した太宰と坂口は、コクリと頷いた。
「ま、これもとある筋からの情報なんだが」
「写真もあったし、確かな情報かと……」
太宰はしゅんと項垂れる。
「まさかオダサクさんが白樺の鼠だったとは……ああ、勿論、冗談ですよ」
佐藤の睨みを受け、谷崎はコロコロと笑った。佐藤は顔を青くした太宰を一瞥し、また吐息をこぼした。
「鼠は鼠でも、だな……下手なことをして猫に捕まっていなければ良いが……」
りーん、ごーん。訪問者を告げる鐘の音が聞こえる。俄かに、部屋へ緊張感が走った。
坂口が立ち上がり、閉じていた窓のカーテンを少し持ち上げた。この窓からなら、正面玄関にいるであろう訪問者の姿を見ることができたのだ。
郵便局員らしき服と帽子を身に着けた人間が一人、重そうな鞄を肩から下げて門の前に立っていた。応答がないことに不安がったのか、きょろきょろと辺りを見回している。
坂口は目を細めた。

パッと織田から手を離し、志賀は腰へ手をやった。織田はカクン、と項垂れる。
「ま、精々可愛く尻尾でも振ってな」
「……先生は、別にワシのこと」
「俺はアンタのその反応が見れただけで、手ごたえを感じているけどな」
 織田はもう何も言い返さず、座布団へ視線を向けたまま。志賀はもう興味がないというように表情を無くし、扉へ向かって歩き出した。
チラ、と志賀は部屋の隅へ蹴飛ばされた食料の入った袋を一瞥する。「志賀?」と立ち止まった彼を不思議がって武者小路が声をかけると、視線を外す。
「……言っておくが、多喜二がお前と出会ったのは偶然だぜ。俺は本当にそこで待っていろと言っただけだ」
 織田が声をかけて食料を与え、会話する仲になったのは志賀の思惑ではない。小林も、織田が三羽烏とは知らなかった。最近になって志賀が教えたのだ。渡りに船だと利用したのは、志賀であるが。
「……ワシかて、多喜二クンがアンタのやて、知らんかったよ。気づいたのは最近や」
項垂れたまま、織田は呟いた。小林と出会った場所の近くで志賀たちを見かけることが二三度あり、そこで漸く察したのだ。小林が白樺の者と知っていれば声をかけることなど――いや、志賀を陥れるネタを掴むために声をかけたか。しかし接するときの、心の持ち方は変わっていただろう。
「……ほんと、やなお人……」
掠れた声で呟いて、織田は座布団に顔を埋める。すっかり丸くなった背中に視線もくれず、志賀はさっさと部屋を出て行った。

「花袋、独歩、島崎、白鳥!」
母屋から渡り廊下一本で繋がる離れの戸を、徳田は荒々しく開いた。いつもなら、彼らはここにいる筈だ。しかしそこにいたのは花袋と白鳥の二人だけ。花袋は徳田の声を聞くと、ビクリと肩を飛び上がらせた。
「しゅ、秋声」
「その様子、身に覚えがあるようだね」
腕を組んだ徳田が睨みつけると、花袋はダラダラと汗を流して背筋を伸ばした。対して白鳥は落ち着いた様子で、花袋の態度に呆れている。
「鏡花から聞いたよ。どういうことだい」
「えっと……その……」
花袋は詰め寄る徳田から顔を背け、震える手の平を向けた。仁義に厚い男であるが、嘘をつけないのは困りものだ。心中呟き、白鳥はそっと息を吐いた。
「俺たちの、特にあの二人の気持ちも汲んでやれ」
「ばっ……おい!」
花袋は更に顔を青くし、彼から視線を白鳥へ向けた徳田は意味が分からないというように眉を顰める。
「何が言いたいんだい」
「慕っている人間は、今の状況に不満を持っているということを」
「……」
徳田は花袋へ詰め寄るのを止め、白鳥の方へ身体を向けた。
「……僕に文句があると言いたいのかい」
「まさか。ただ、いまだに組が落ち着かないというのに、学業へ専念とは暢気なものだなと」
カッと徳田の眦がつり上がり、白鳥を睨んだ。しかし白鳥は微動だにせず、悠然と腕を組んで壁に寄り掛かる。
「お前は自覚が足りない。だから泉派だ、徳田派だと外野が五月蠅いんだ」
「だからこんなことをしたって?」
理由にならないと吐き捨て、徳田は眼光の鋭さを深める。
「――白樺と秘密裏に手を組んでまで、君たちは!」
声を荒げた徳田は、ピタリと言葉を止めた。
「まさか、狙いは……」
「悪い、秋声!」
パン、と勢いよく手を合わせ、花袋は深々頭を下げた。
「俺もどうかと思ったけど、相手は三田の烏だ。しかも北原と繋がりまである……それがお前の弱みになったら!」
「ちょ、ちょっと待って!」
 土下座する勢いの花袋を制止させ、徳田は話が読めないと頭を振った。
「三田の烏? オダサクさんが?」
「気づいていなかったのか」
「今この時までね!」
 彼は本当に一学生だと思っていたし、彼の前でだけ徳田は若頭の地位を忘れて一般人でいられたのだ。まさか同じ穴の貉だと、想像すらしなかった。
(オダサクさんは、知っていて……?)
 初めに声をかけてきたのは、彼の方だった。身体が弱く講義を休みがちだから、課題を見せてくれと。序でに勉強も見てくれると嬉しいと。そう、笑っていたのは向こうの方だ。
ずきずきする頭を抑え込むように、徳田は前髪をぐしゃりと掴む。目を閉じ、徳田は静かに呼吸をした。花袋と白鳥は、口を噤んで徳田の言葉を待つ。数分後、前髪から手を離して、大きく息を吐き、徳田はやっと目を開いた。
久方ぶりに見る冷たい墨色の瞳に、花袋の背筋が泡立った。
「……独歩たちはどこ?」
「秋声、それは、」
「案内する」
「白鳥!」
咎める花袋の声を無視し、白鳥は壁から背を離した。徳田は袖をくくっていた襷を外し、パサリと投げ捨てた。
「花袋、羽織りを」
「秋声……」
視線だけを向けられ、花袋は何を言っても無駄と下唇を噛んだ。一度頭を垂れた彼が、母屋へ戻る背を見送り、白鳥は徳田を一瞥した。
「始末は自分でつけるよ」
 それで満足だろう――言外に吐き捨て、徳田は部屋着の襟元を緩める。白鳥は彼の背後で肩を竦め、移動手段の準備のため離れを出て行った。
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