Xel Mes(W)
「どういうことだ、セネル!」
激昂したワルターが、ズカズカと砂を踏んで二人へ近づく。クロエは剣に手を添え、セネルを庇うように立ちふさがった。
「待て、ワルター」
「貴様がクルザンドの兵士だと? ずっと我らを騙していたのか!」
制するクロエを無視し、ワルターは彼女の背後で座り込んだままのセネルを睨みつける。セネルはその視線に耐え切れず、顔を伏せた。
「メルネスは、知っていたのか」
「……話していない」
「……マウリッツは。ステラは!」
「誰にも話していないから、マウリッツさんも知らない筈だ。ステラは……知っていた。知っていて、俺にシャーリィを託したんだ」
ギリとワルターは歯を噛みしめた。
「裏切り者」
憎々し気に吐き捨てられた言葉に、セネルは思わず顔を上げる。ワルターは顔を歪め、セネルを睨みつけた。バッと彼の背後でテルクェスが広がる。
「この、裏切り者め!」
叫びと共に黒い光が放たれる。クロエは咄嗟に剣を抜き、刃で光を叩き落とした。以前よりも軽い手ごたえに、クロエは拍子抜けする。ワルターは舌打ちして拳を握りしめた。
「やはりここでは力が弱まるか……!」
「ワルター、俺は、」
「黙れ!」
セネルは立ち上がるが、ワルターの鋭い叫びで足を止めた。
「貴様を仲間と呼び、家族と慕ったメルネスを騙していたのか! 彼女の思いを踏みにじる真似を、ずっとしていたのか! セネル!」
セネルはグッと拳を握り、顔を伏せる。唇から絞り出すようにこぼれたのは、肯定の言葉だった。ワルターはその一言で頭に血を昇らせたようで、クロエを押しのけるとセネルの頭を思い切り殴り飛ばした。
「クーリッジ!」
「初めからメルネスを裏切っておいて、まだ彼女を苦しめるつもりか! 水の民の運命を哀れみ、陸の民の所業を恨み、心を痛めるメルネスを、これ以上さらに傷つけるつもりか!」
尻餅をついたセネルは赤くなった頬を手の甲で摩り、口の中にたまった血交じりの唾を吐き捨てた。
「……シャーリィの想いを、俺は拒んだ。だからこそ、ステラとの約束を守らなければならないんだ」
ツキリ、とクロエの胸に針が刺さるような痛みが起こる。理解していた筈だ、予想できた筈だ。女の心の機微にちっとも敏くなさそうな男二人に気づかれぬよう目の端を拭って、クロエは剣を握った。
「貴様は、どこまでメルネスを――!」
「はあああ!」
ワルターの言葉ごと斬る勢いで、クロエは剣を振った。突然の彼女の行動に、セネルも驚きを隠せない。ワルターは剣戟を避けつつ、何故だとクロエに訊ねた。
「何故お前が、そんな男のために戦う」
ガキィンと、剣とテルクェスの光がぶつかった。弾かれたように互いに後ずさるも、クロエは中段の構えを解かない。
「そうだ、クロエ。これは俺の問題……」
「黙れ!」
クロエの剣幕に、ワルターとセネルはビクリと肩を震わせて口を噤んだ。
「シャーリィを守るのはステラとの約束……? そこには誰の意思もない。あるのはステラの願いだけだ!」
クロエは剣先をワルターへ向けたまま、半身をセネルへ向けた。
「シャーリィの意思は! お前の意思は、どこにあるんだ、クーリッジ!」
「俺の、意思……」
「お前自身はどうしたいのかと聞いている」
真っ直ぐなクロエの視線に射抜かれ、セネルは耐え切れず顔を逸らした。チン、とクロエは一度納刀すると、セネルの前で片膝をついた。片手を胸に当て、セネルをじっと見つめる。
「クーリッジ、私はお前を……慕っている」
「は……」
夜の月光の下でもはっきり分かるほど真っ赤になったクロエは、ポカンとしたセネルから顔を隠し、突然何を言い出すのだと呆れ顔のワルターと向き直った。
「シャーリィは私が守る。お前の枷は私が引き受けた」
聖爪術を使えないセネルよりよっぽど適任。
「……俺は、」
再び始まるクロエとワルターの攻防を、セネルは座り込んだまま見つめた。理由は知らぬがワルターの力は以前より弱くなっているようで、クロエもほぼ互角に渡り合っている。セネルは手の下にある砂をグッと握りこんだ。
「……――俺は!」
逃げ続けた日々の中、一度だってステラを忘れたことはない。水舞の儀式を申し込もうと思ったほど、彼女のことを想っていた。また同等に、シャーリィの幸せも願ってきた。それらはすべて、偽りではない。シャーリィを守るという決意も、セネル自身のもの。
「俺は、シャーリィを……」
――何が怖いの?
脳裏で、ステラの面影が瞬いた。うまく水に顔をつけることができないセネルに、水の何が怖いのかと訊ねた彼女の笑顔が。
(怖い……?)
――お兄ちゃん!
花が綻ぶように微笑み、セネルを兄と呼び慕う少女。その笑顔を曇らせぬよう、今まで暮らしてきた筈だった。
(そうか……)
ざり、ざり。砂を掴み、握りしめる。粒の小さな砂はさらさらと隙間から零れ落ちていく。
「シャーリィに嫌われるのが、怖かった……」
本当は敵なのだと告げて、軽蔑されるのが怖かった。いつバレるとも知れぬ、そんな中で彼女の想いを受け入れて隣に居続ける自信がなかった。それだけだった。
「俺はずっと、最初から――ただ、シャーリィを守りたかった……!」
傍にいたかった。誰のためでもなく、誰との約束故でなく。ただひたすら、己の心のために。
黒を湛えた海が、静かに瞬く銀の光を見つめていた。
「う!」
剣を弾かれ、クロエは尻餅をついた。痛みに顔を顰め、なおも立ち上がろうとする彼女を見下ろし、ワルターは眉を顰める。
「何故貴様がそこまでしてその男を庇う。奴は貴様らのことすら騙していたんだぞ。貴様の想いも踏みにじって」
「だからなんだ!」
クロエは足に力を込めて立ち上がり、剣を振った。
「クーリッジを慕う私の心を、誰にも否定させないし、汚させもしない!」
「愚かな……」
ワルターはぐしゃりと顔を歪める。その痛みを堪えるような表情に、クロエは思わず剣を握る手の力を緩めた。
「なら、」
ワルターはクロエの腹を蹴り飛ばした。彼女は不意打ちのそれを避けることもできず、砂浜に転がる。ポタ、と口から零れた唾液が砂を黒く濡らした。セネルはハッと我に返り、顔を上げた。クロエはゴホゴホと咳き込んで背を丸くしている。ワルターが掲げた手に、テルクェスの光が集まっていく。
「その心ごと散るがいい!」
「やめろ、ワルター!!」
ワルターの放ったテルクェスが、いまだ動けずにいるクロエへ向かう。セネルは立ち上がろうとして砂に足を取られ、膝をついた。クロエの黒い瞳に光が映り込む。セネルは喉が引きつるほど叫んだ。
「やめろ――!!」
――バチン。
クロエの目前で、テルクェスが消えた。まるで失敗した花火のよう。しかし三人が最も驚愕したのは、ワルターの背中から伸びる光の翼の片方までもがかき消えてしまったことだ。
「なっ……!」
ワルターは息を飲み、ガクリと膝をつく。テルクェスは水の民の精神の結晶体。その消失となれば、ダメージは計り知れない。額に脂汗を浮かべ、ワルターは歯を噛みしめた。彼が睨みつける先は、クロエが茫然と見つめる先と同じだ。
「セネ、ル……」
「クーリッジ、何を……」
二人の声を聴き流しながら、セネルは己の手を見つめた。夜の闇の中、銀色の光を纏う己の手を。
「俺は……」
だんだん薄れていく光。セネルは思わず頭を抱えた。
不明瞭な音を溢し始める彼の首筋へ、トンと衝撃が与えられた。トサリと倒れこむセネルの背後に立っていたのは、ジェイとウィルだ。別の方向には、気まずそうな顔をしたモーゼスとノーマ、そして「あらあら」とのんびりした様子のグリューネが顔を出す。
「みんな……」
いつから、とクロエは掠れた声で呟く。モーゼスとノーマはちょっと別の方角を向いて、頭や頬を掻いた。
「えっと……ひっじょ〜に言い辛いんだけど、」
「『セの字を慕っておる!』っちゅう、告白から、かの」
「〜!!」
クロエは真っ黒な夜でも分かるほど赤面し、砂場へガバッと顔を埋めた。いつもは面白おかしく弄るノーマたちも、苦笑いして背中を叩くしかない。
「全く……平和な人たちですね」
「ジェイ、これは一体……」
気絶させたセネルの身体を腕で支えたウィルは、まだ混乱しているといった面持ちでセネルと、ワルターを見比べた。ジェイは小さく息を吐いて、頭へ手をやる。
「取敢えず、皆さん一度落ち着きましょう」
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