この街の中心には、塔のように雲間を抜ける図書館がある。室生も何度か利用したことがあるが、蔵書の十分の一も読めた気がしない。興味深い本が多く、読む本を一つ決めるのも時間がかかってしまうのだ。
「……彼も本を好むと言っていたな」
柘榴色の目をした猫の姿を思い出し、室生は今度誘ってみようと独り言ちた。大量の本を前に彼が見せる反応を想像して、自然と口元が緩む。
ちりぃん、と鈴の音が聞こえてきた。
ふと顔を上げると、庭先で赤い三毛猫がゆるりと尻尾を振っているのが見える。餌を目当てに度々姿を見せる、常連だ。室生は煙管を置き、三毛へ向けて指を揺らした。三毛は優雅に尻尾を揺らしながら歩き、室生の膝へぴょんと飛び乗った。
ゴロゴロ喉を鳴らす猫の背を撫でていると、ふと何か固いものに指先が触れる。
「これは……」
首輪が、巻かれていた。ここに来る猫は野良ばかりで。室生とて餌をやりこそすれ、首輪をくれてやったことはない。首輪の内側を撫でるように指を動かすと、毛に埋めるようにして紙片が挟まっていた。
猫の喉を鳴らしながらもう片方で器用に紙片を開き、書かれている文字に目を通す。読み終える頃には、その杏子の双眸は酷く冷えた色に変わっていた。
ぐしゃりと紙を握りつぶし、室生は灰入れの中へそれを埋め、まだ火の残る煙管の灰を落とした。それから膝に乗っていた猫を抱き上げると、立ち上がった。自分が座っていた座布団に猫を寝かせると、室生は部屋へ戻って行く。
数分後、洋装に身を整えた室生は、懐のしまった膨らみをもう一度確認すると、襖を開いた。ふわ、と重たい煙の香りが鼻をつく。顔を横へ向けると、壁にもたれ掛かった姿勢で紫煙を燻らせる北原の姿が目に入った。
「……白さん」
「猫のお迎えかい?」
フ、と北原の吐き出した煙が、室生の鼻から喉へと落ちる。室生も煙草を嗜むが、北原のそれは重くて喉にへばりつく感覚が苦手だ。それを知っていて、北原は室生の顔へ向けて煙を吐いた。
「随分気に入っているようだね」
「どこまで知っているんですか」
思わず、室生の声には呆れの響きがこもってしまった。すると北原はクスクス笑って、煙草を摘まんだ手で腕を組んだ。
「朔太郎くんが心配していたよ。珍しい毛色の猫に入れ込んでいるんだとね」
「それは……」
以前にも同じことを言われたと思い出し、室生は頭を掻いた。北原は相変わらず笑みを湛えたまま、こつりと後頭部を壁へ預ける。
「まあ、北原と双星の名を貶めないていどに暴れておいで。援護はしてあげよう」
ぱちり、と室生は目を瞬かせた。北原の口からそんな言葉を聞くとは、思っていなかったのだ。そんな室生の感想を表情から如実に読み取ったらしい北原は、またクスクス笑って煙草に口をつける。
「僕は身内には優しいのだよ。然れど仇なす者は……」
薄く開いた口から紫煙を吐き、北原は煙草をぐしゃりと握り潰した。火の消えた灰が指の間から零れ、床へと落ちる。
「……あまり汚さないでくださいよ」
「おや、一番に返す言葉がそれかね」
「心強すぎて、咄嗟に言葉が浮かびませんよ」
礼を言い、室生は小さく頭を下げた。北原は満足げに微笑み、腕を組みなおした。
「帰ってきたら紹介しておくれ。君ほどではないが、僕も猫は好きなのだよ」
「……そうですね」
あまり揶揄うことをしなければ、と付け加えると、また「心外なのだよ」と冗談めかして北原は笑った。

ちり、と何かが焼け付くような感覚で、織田は目を覚ました。
ぶわりと頬に触れた感覚が、いつもの煎餅布団ではないと告げる。それよりももっと上等な、雲を集めたように柔らかい枕だ。
手をついて身体を起こすと、二日酔いのように頭が痛んだ。ついで、チャリとした音と冷たい触感が腕から起こって、目がそちらに引かれる。頑丈そうな手錠が、織田の細腕を雁字搦めに繋いでいた。辺りを見回せば、鉄格子のはまった窓と無機質な木張りの壁と床がある。真四角の空間は誰かを閉じ込めるためだけに作られたと、一目で分かった。
固く少し冷たい床に横たえることで織田の身体が痛まないようにか、敷き詰めるような分厚い枕と座布団がそこかしこに転がっている。
「……もてなされてるんか、捕まったんか、よう分からんなぁ」
恐らく後者であろうが。ぽつりと呟いて、織田は窓のある壁に背を預けた。眠りに落ちるまでのことはようく覚えている。誰といたか、何を食べていたか――誰から貰ったものか。
ちりり、とまた焼け付く感覚。織田は咄嗟に、胸元へ手をやっていた。は、と溢した息はまだ熱を持っていない。
きぃ、と音がした。首を回すと、部屋の隅にあった扉が開いており、そこからよく見知った顔が覗いていた。
「……オダサク、起きてたんだ」
「……多喜二クン」
相変わらず黒い頭巾をかぶった小林は、何かが入った袋を持っていた。織田は部屋の中へ入ってこちらを見下ろす小林を見上げ、ニ、と微笑んだ。
「それ食事なん? 助かるわー。ちょうど喉が渇いてん」
「……」
小林は目を見開いたようだった。それから何か酸っぱいものを食べたように顔を歪めた。
「……聞かないんだ」
「聞いてほしいん?」
「いや……」
どうだろうか、と薄く呟いて、小林は頭巾に触れる。表情を影へ落としたまま、小林は織田の足元へ袋を置いた。
「オダサク、悪いようにはしないよ……あの人は、優しい人だから」
それだけ言い置いて、小林は部屋を出て行く。鍵のしまる音も聞こえた。
織田はふうと息を吐いて、袋とそれから手首にある手錠を見やる。
「……優しい人が、こないなもん、使うかいな」
その呟きを聞く者はおらず、否定も肯定も返ってこない。織田は膝に乗った座布団を、小林の残した袋と一緒に蹴って飛ばした。
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