第三話
どん、と机に置かれたのはスパイスの香りが鼻を刺激するカレーライス。織田は舌なめずりし、スプーンを手に取った。
「やっぱり善哉とか甘いのもええけど、ワシはスパイシーなこの香りが好きやなぁ」
「……それは良いけどよぉ」
彼の向いで頬杖をついていた太宰は、はあと悩まし気な溜息。一口頬張った状態で、織田は首を傾げた。
「何を悩んどんの? 太宰クン」
「何をってお前……徳田先生たちの話通りなら、あと一人は……」
「ああ……」
太宰の言わんとすることを察し、織田も黙る。沈黙の落ちる机があるのは、学校の食堂テラス。昼時のため賑やかな声が聞こえる――賑やかすぎる声も聞こえる。
「きゃー!」
黄色い悲鳴が聞こえる。太宰はガバリと顔を上げ、悲鳴の出所を探した。それはすぐに見つかった。と言うのも、大きな人だかりができていたからだ。
「なんだ、あれ」
「さあ?」
スプーンをくわえたまま、織田は首を傾げる。
「武者く〜ん!」
「有島先ぱーい!」
「志賀さま〜!」
太宰の顔がますます渋くなる。自称美男子が台無しだ。
「名門私立高校の王子様集団だって」
戻ってきた徳田が、買ったばかりの紙パックにストローを刺しながら答える。彼は椅子に座りながら、先ほど立ち話で得た情報をさらに教えてくれた。
ニコニコと笑顔を絶やさないのが、一年の武者小路実篤。眠そうにぼんやりとしているのが、二年の有島武郎。そして一番長身で先頭を歩いているのが二年の志賀直哉。彼らは同じ市内にある名門私立高校の名物三人衆――またの名を、王子集団というらしい。
「その高校って、お金持ちのボンボンが通うとこやん」
織田も聞いたことがある高校の名前で、思わず目が丸くなる。家柄よし、学業よし、運動よしの――ついでに顔面偏差値も高い――エリート学校。そんなところに通う彼らが、何故公立のこの学校に来ているのだ。
「一か月の交流学習とか言ってたよ。この学校で授業を受けるんだって」
名家のご子息の社会勉強なのだろう、と徳田は苦笑して言う。馬鹿にされたものだ、と太宰はますます顔を渋めた。大きく溜息を吐き、これ以上の不安要素は要らないと顎を机につける。
「同じクラスにはなりたくない……」

【第三話 王子集団あらわる】

「今日から一か月お世話になります、志賀直哉です」
しかし嫌な予感の方が的中することが多い。昼休みに見かけた一番いけ好かない顔が、ニッコリと微笑んで頭を下げる。思わず太宰の口元は引きつったが、あまり関わらなければよいことだと自分へ言い含め、丸まりかけた背を伸ばした。
「席は、徳田の隣でいいかな」
「はい。よろしく」
志賀の笑顔で挨拶し、徳田の隣に座る――それは同時に、太宰の斜め右後ろの席であった。徳田が少し気にしたような視線を太宰の背中へくれるが、気にすることはないと背中で返す。いけ好かない人間なら、関わらないのが吉なのだ。
しかし、事件は起こった。
それは現代文の授業中のこと。太宰のクラスを受け持つ教師は、各授業の最後に一つテーマを出し、次の授業までにそのテーマに沿った課題文を書いてくることを宿題とする。そして授業開始前に、出席番号順で指名されていた生徒が課題文を板書しておき、添削することから始まるのだ。
この日、その当番は太宰であった。テーマは現在授業で取り扱っている随筆に関するもので、筆者の考えを述べよというものだ。国語が得意と自負する太宰は、毎回添削箇所も少なく、今回も自信を持って課題文を板書していた。
チャイムが鳴る一分前。板書し終えた太宰は書き損じがないか確認しながら、手についたチョークを払う。既に教師は教室へ到着しており、太宰の課題文へ目を通し始めていた。ふと、太宰の隣に別の影が現れる。顔を向けてみれば、それは志賀直哉であった。
彼はポケットに手を入れた状態で、関心が薄そうに太宰の課題文を眺めている。
「……」
何となく居心地悪い気はしたが、太宰が留まって彼を気にする義理はない。チャイムも鳴ったところでそそくさ自分の席へ戻ろうとした太宰は、「おい」と志賀に呼び止められた。
「……何?」
太宰は渋々足を止める。生徒たちは席へつきつつあり、彼らも教師も黒板の前に立ったままの志賀を不思議そうに見つめていた。
「これ、つまんねぇ文だな」
ぼそりとした声だったが、元からなのか彼の声は教室の中に良く通った。
ピシリ、と太宰は固まる。志賀はそれを言いたかっただけだという風に、彼をおいてさっさと席へついた。ハラハラと徳田は太宰を見やる。棒立ちしていた太宰は、教師の言葉を受けてようやく席へ戻って来る。少し安堵しかけた徳田は、彼の手の中で握りつぶされたノートを見て、「ひ」と喉を引きつらせた。

「成程」
織田は納得の声を漏らし、折った膝に載せた手で頬杖をついた。
場所は運動場、体育の授業中である。彼と徳田が観戦するサッカーの試合は、高校生の授業にしては白熱している――主に、太宰と志賀のお陰で。
打倒志賀を揺らめくオーラで描く太宰と、それに対してスマートな動きでボールを操る志賀。二人の運動神経が高いため、チームメイトは置いてきぼりである。
午前中の現代文の一件以来、太宰は打倒志賀のオーラを背負ったまま、何かにつけて志賀に突っかかるような態度を見せている。しかし彼の怒りの原因を理解していない志賀は、不思議そうな顔をしながら軽くあしらって見せた。ギリギリ歯噛みしながら志賀を睨む太宰はまさに狼。それをツンと澄まし顔でどこか幼子を見るような視線の志賀は、ホワイトタイガーか。
「太宰クン、現代文は任せろって言うくらい得意分野やったからなぁ」
ポッと現れ、何となく雰囲気を好いていなかった相手に貶されて、腹が立ってしまった。織田の見解に、徳田は「それにしては突っかかり気もするけどね」とため息を吐いた。太宰曰く、生理的に気に入らないとのことだったから、それがさらに拍車をかけているのだろう。
「で、オダサクさんはなんでここに?」
「ケケケ、自習。窓からちょうど、太宰クンたちが見えたもんやから」
教室を抜け出してきたのだと、織田はいたずらっぽく笑う。不真面目さに呆れ、徳田はため息を吐いた。
「秋声さんこそ、さぼりやん」
「僕は今ベンチメンバーなんだ」
「ほな、そろそろ選手交代して、あのお人をぼっこぼこにしてくれません?」
徳田はまた少し驚いて、ニコニコと笑ったままの織田を見つめた。
「……君からそんな言葉が出てくるとは思わなかった」
「はは。ワシは身内びいきなんよ? 悔しがる太宰クンは面白くて可愛いけど、そんな顔ばかりさせるセンパイは、適度に殴りたいと思うんですわ」
良い笑顔で親指を地面へ向ける織田に、徳田は頬を引きつらせた。

「ん?」
ふと、渡り廊下の窓から見えたグラウンド。二年生がサッカーの試合をしている。どうやら選手交代のようで、一人の生徒が挙手した。
重い荷物を抱え直して少し足を止めていると、中の選手からビブスを受け取った生徒が、グラウンドの隅へ視線を向けた。小さく笑い、手を振る。彼の視線を追うと、背を丸くしてしゃがみこむ別の生徒の姿を見つけた。
あのジャージの色は一年生だ。後頭部しか見えないが、小さく伸びた三つ編みは見覚えがある。
「……」
思わず、仲良さげに手を振り合う二人を見つめてしまった。

「……」
授業終了後、太宰はガックリと項垂れていた。汗を拭きながら、徳田は申し訳ないと呟く。
「あまり力になれなかったね」
「いえ、良いんです……ありがとうございました、徳田先生」
しかし太宰の声に覇気はない。徳田の加入で盛り返したかと思ったが、あと少しのところでタイムリミットが来てしまったのだ。
「ほらよ」
タオルを頭からかぶる太宰へ、差し出されたペットボトル。未開封のそれを振り、志賀は受け取れと押し付ける。他でもない志賀からのそれは受け取れないと、太宰は無言のままそっぽを向いた。
「お前さ、少しは素直に受け取れよ」
「うるせぇ」
「可愛くねぇな」
仕方なしとため息吐いて、志賀は徳田の方へペットボトルを投げ渡した。
「アンタにやる。さっきのゲーム、結構動いていただろう」
「……ありがとう」
遠慮がちに礼を言う徳田に、志賀は少し眉を顰める。それからチラリと太宰を一瞥して、彼に聞こえないよう声を顰めた。
「アンタ、こいつの友だちか?」
「まあ」
「なら言ってくれよ、変に突っかかって来るなって」
徳田は口を噤み、貰ったペットボトルへ口をつける。
他の授業でも太宰は志賀と争う態度を見せたが、結果は惨敗。さすが、家柄も運動も勉学も――ついでに人望も――兼ね揃えたエリートさま。しかし、彼に負けて歯を噛みしめる太宰を見つけては、余計な一言を溢していくのでいつまで経っても太宰の怒りの炎が鎮火しないのである。
黙したままの徳田を見て何を思ったか、志賀は大きく息を吐いた。
「ま、力量さを認められず、何度も意地になって突っかかってくるような分からず屋の友人は苦労するよな」
カッと太宰の怒りのオーラが沸き立ち、前髪すら持ち上がるよう。さすがに気づいているだろうに、志賀は無視したまま、笑いながら教室へと戻って行く。徳田はチラ、と太宰を見やった。
「志賀の野郎……いつか絶対、泣かす」
そうやって簡単に挑発に乗る分、太宰も太宰だ――とは、さすがに仲間であるので言えない徳田である。

「打倒、志賀!」
高らかに宣言した太宰の手元には参考書。明日の小テストに向けての勉強中である。場所は大声を出しても怒られない放課後の教室。参加者は徳田と太宰の二人きりだ。織田は委員会の仕事のため不在である。
「委員会?」
「図書委員なんだよ、アイツ」
へえと頷く徳田を置いて、太宰はさっそくノートを開く。元々成績は良いのだ、ただ志賀がそれを上回るだけで。一番泣きたいのは教師たちだろうなぁ、と徳田は呑気に思うのだ。
「おや、誰かと思ったら」
涼やかな声が聞こえてくる。いち早く教室の入り口を見やった太宰が、ピンと糸を引いたように背筋を伸ばした。ふわり、とどこかスッとする煙草の匂いが、徳田の鼻を擽った。
「あ、芥川先生!」
煙草の香りをさせた男性教諭は、にこやかな笑顔で太宰たちの席へ近づくと、二人の手元を覗き込んだ。
「おや感心。放課後まで勉強なんて」
「いや、その……」
さらりと垂れた芥川の髪が一房、太宰の指先に触れる。太宰はビクリと肩を揺らした。緊張したその様子に、徳田は心の中で成程と呟いた。
芥川龍之介。織田の話では、太宰の憧れの人だったか
「そういえば、このクラスだったかな、志賀くんが編入しているのは」
ピクリ、と太宰の身体が硬直する。芥川はそれに気づかず、のんびりとした様子で教室を見回す。
「どうだい、志賀くんは。すごい子だろう」
「はあ……まあ……」
曖昧に答えながら、徳田は向いで俯く太宰を一瞥した。敬愛する芥川が、敵視する志賀を褒めるという状況に彼が何を思っているのか、それをうかがい知ることはできない。
「……随分、志賀くんのことをかってらっしゃるんですね」
「あ、あんまり一生徒を贔屓していると思われたらまずいね……今のは聞かなかったことに」
立てた人差し指を口元に添え、芥川は小さく笑う。女生徒も噂する色男だけあって、その姿は様になっている。勉強を頑張るよう言って、芥川は教室を出ていった。

「……大丈夫かい?」
「……志賀、絶対泣かす」
「……」
「おい、お前たち」
窓から滑り込んできた猫は、異様な太宰の雰囲気に一度口を噤んだ。
「気にしないで。どうかしたのかい?」
「……浸蝕者が出た。場所は、図書館だ」

「くそ……っ」
ブライ・ドルチェは、砂の混じった唾を吐き捨てた。
委員会の仕事で図書館にやって来てみれば、突然の浸蝕者の襲撃。この図書館の蔵書の中にまだ消されていない文学書があるのだろうと猫は推測していた。その猫が太宰を呼んでくるまで、ドルチェは浸蝕者の足止めをしなければならない。
「何や、こっちを見下ろしとる人たちもおるようやけど」
ちら、と給水塔の上に立つ二つの影を一瞥し、ドルチェは立ち上がった。双剣を抜き、ずらりと立ちはだかる浸蝕者を睨む。羊型が二体とヤドカリ型が三体。一人では少々キツイが、足止めくらいなら。
「よっしゃ、頑張らせていただきますわ」

「珍しいじゃないか、アンタがついてくるなんて」
口元へ袖を添え、ラピスは傍らのスティラを見やる。じっと立ったまま眼下を見つめる彼は、相棒のルーナと共にいることが多く、排他的だったと記憶している。それが何故か、文学戦士を倒しに行くなら報せろと言ってきたのだ。
ラピスの言葉に何も返さず、スティラは腕を組んだまま。ハーフマスクの穴から覗く杏子色は、どうやら地上で一人奮闘する文学戦士を見つめているようだった。
「あの子が気になるのかい?」
「……」
「つれないねぇ……」
少しばかし残念そうにぼやいて、ラピスはカランと揺らした足で給水塔を叩いた。

「ドルチェ!」
「ピーチ!」
ヤドカリを何とか一体倒したところで、変身したピーチがやってきた。ボロボロのドルチェの姿を見て、ピーチは顔を顰める。
「また無茶しやがって」
「堪忍やて」
ヘラリとドルチェは笑い、頬についた砂を袖で拭った。
「ほな、ピーチも来たことやし、ちゃちゃーっと終わらそ」
「ったく……」
ピーチはドルチェと背中合わせになり、鎌を振り上げる。
「いくぞ! せい!」
「よっしゃあ、隙あり!」
二人は互いの死角を補いながら、浸蝕者を両断していく。
「よし、ラスト!」
逃げようとしていたヤドカリを薙ぎ払い、ピーチはニヤリと笑った。ホッと安堵したドルチェは、しかしすぐに顔を強張らせた。
「ピーチ、後ろ!」
「!?」
ふ、とピーチの頭上に影が差す。それはドルチェの叫び声とほぼ同時で、ピーチはそのために反応が遅れた。振り返った先にいたのは、雪だるま型の浸蝕者だった。浸蝕者の姿を視認したとき、振り上げた刃は眼前に迫っていた。
「ピーチ――!!」
駆け寄ろうとしたドルチェだが、浸蝕者の攻撃の余波を受けた木が目の前に倒れてきたため、足を止めた。
「!」
拭き上がる風に目を眇めていると、何者かの気配が前に現れた。
「あんたは……」
「……」
白い狐のハーフマスクをつけた杏子色の髪の男だ。和を取り入れた洋装はこの辺りでは珍しいデザインをしている。無論、この学校の関係者ではない。
男はただじっと、ドルチェを見つめていた。

一方、浸蝕者の一撃に身構えていたピーチは、
「……ん?」
一向に訪れない痛み、どころかふわりと抱き上げられた感覚に目を瞬かせた。ひらり、と黄緑色の布が視界を舞う。ピーチは誰かに、抱き上げられていた。
「え……」
ベルガモットの香りが鼻をくすぐる。顔を上げると、白い木でできたようなベネチアンマスクが目に入った。
「アンタは……」
マスクの男は口元を緩めると、シャボン玉のように図書館の屋根に着地し――そこでピーチは、男が自分を抱きかかえたまま高く跳躍していたのだと気づいた――ピーチを下ろした。
男の服装は白を基調とした洋装だが、黄緑色のスカーフやアイテムがアクセントになっている。男はピーチを立たせると、庇うようにサッと背を向けた。
「おやまあ、最近見ないと思ったのに」
男と対峙するように屋根の端へ降り立ったのは、始めの日に遭遇した浸蝕者の仲間だった。確か、ラピスと呼ばれていた方だ。どうやら男とラピスは顔見知りのようである。親しくは、なさそうだ。
男は無言で、腰に携えていたサーベルのような剣を抜刀した。そのまま、間髪入れずラピスへ切りかかる。ラピスは一度両手を合わせ、離した間から取り出した黒い棒のようなものでその一撃を受け止めた。
「全く血気盛んだねぇ」
斬り返して男から距離を取ると、ラピスはまた手を合わせて棒をしまった。
「アンタと今やり合うのはこちらとしても本意じゃないよ。一旦引かせてもらおうかね」
ラピスはそう言って指を一度鳴らす。するとどこからか大きな羊の浸蝕者がやってきて、ラピスが乗ると雲のようにフワフワと浮上していった。
「おや、そうだった」
思い出したようにラピスはもう一度指を鳴らす。別のヤドカリの浸蝕者が二体、ドルチェと対峙していた男の腕をそれぞれ掴みあげ、ラピスと同じ羊に乗せた。
「おい」
「そこまでだよ、スティラ」
スティラと呼ばれた男は聊か納得していないようだったが、おとなしく武器をしまい、腕を組んだ。
柳眉を顰めるドルチェと呆けるピーチ、そして険しい顔をした仮面の男の目の前で、彼らはすぅっと姿を消したのだった。

「……あの」
パチンと納刀した男へ、ピーチは恐る恐る声をかけた。男は振り返り、ピーチを見て微笑みを浮かべる。
「怪我はないか?」
「あ、ああ……うん」
「それは何より」
仮面の男はピーチの手をとり、傷がないことを確認すると安堵したように息を吐いた。きゅ、と軽く握られた手が熱くなり、ピーチは思わず仮面の穴から覗く瞳を見つめた。
「俺は白樺仮面。何かあったら、俺を呼べ」
それだけ言い残し、ついでにベルガモットの香りを残して、白樺仮面と名乗った男は屋根から飛び降りた。慌ててピーチが下を見た頃には彼の姿はなく、ただ倒れた木の横でこちらを見上げるドルチェしかいない。
「……なんだったんだ、アイツ……」
バクバク鳴る心臓を抑えながら、ピーチは顔を歪めた。
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