第二話
やっと分かった。最近見るようになった夢は、前世での記憶なのだ。だとしたら、今日のこの夢も前世の記憶だ。
狭い部屋に、自分の他に二人の男も集まって、小さなちゃぶ台を囲んでいる。カランと酒の入ったグラスを鳴らして、ぐつぐつと煮えた鍋をつつく。それがとても楽しかったのだ。
「――クン」

「太宰クン!」
身体を揺すられ、織田は夢から現実に引き戻された。こちらを覗き込んでいた石榴色の瞳が一つ瞬き、呆れたように笑みを浮かべる。
「オダサク……」
「どないしたん、ぼーっとして」
幼馴染の織田は身を引き、頭の後ろで手を組んだ。歩きながら白昼夢を見てしまったらしい。太宰は欠伸を溢し、目を擦った。
「いや……夕べ、ちょっと考え事してて」
昨夜は興奮もあり、中々寝付けなかったのだ。
「それより、今日は身体の調子大丈夫なのかよ」
「大丈夫やって。今日は登校できそうや」
気管支が弱く風邪をひきやすい一つ年下の幼馴染は、よく学校を休むことがあった。今日は比較的調子が良いのだと言って、織田は笑う。
「そんなことは置いといて、今日やろ、太宰クンのクラスに転校生が来るの」
「ああ……そういえば」
「どんなお人やろうなぁ」
「俺ほどの美男子はそうそう来ないだろうさ」

【第二話 謎の転校生】

「徳田秋声です。よろしくお願いします」
ペコリと礼儀正しく下げられた頭。地味だが、決して整っていないわけではない彼の容姿に、女生徒が色めきだった。転校生は物珍しいもので、休み時間も女生徒に囲まれたまま。美男子を自称する太宰としては、少々面白くない現状だ。
「そんなん、今だけやん」
昼食時にそう不満を溢せば、織田は呆れたと言った風に苦笑した。
「そんなのわかってるよ」
「太宰クンの美男子ぶりはワシたちが良く知ってるよって」
「それだけじゃなくて……」
太宰は反論をパンと一緒に飲み込んだ。挨拶を終えた徳田が、じっと太宰の方を見つめてきたような気がしたのだ。あの視線の意味が分からず、モヤモヤとしたまま太宰の心を占めている。
「おや」と織田が意外そうに眼を丸くした。その様子に首を傾げると、太宰の肩をポンと叩く手が一つ。
「……ちょっと、話がしたいんだけど」
ギクリと身体を固くすると、押し殺したようなそんな声が聞こえる。ぎこちない動作で振り向いた先には、無表情の徳田が立っていた。

「……何か御用ですか?」
面白がった織田に見送られた太宰は、何故か今日初めて話をする転校生と共に校舎裏へやってきていた。日陰になっていて今の時期寒いので、訪れる者はいないのだ。
徳田はクルリと振り返り、太宰をマジマジと見つめた。
「久しぶりだな」
第三者の声がしたかと思えば、とん、と太宰の足元に猫が降り立った。
「猫!」
彼に呼びかけて、太宰は慌てて口を噤んだ。喋る猫なんて非日常な存在を他の人間に知られるわけにはいかない。しかし徳田は驚く様子を見せず、片膝をついて猫を見下ろすと、
「無事見つかったようだね」と世間話でもするように話しかけたのだ。
「彼が文学戦士かい?」
「そうだ」
「ちょっと、どういうこと?!」
太宰が声を上げると、一人と一匹は顔を上げた。
「太宰、こいつは徳田秋声。お前と同じく、文豪の生まれ変わりだ」
徳田は立ち上がると、口元に小さく笑みを浮かべて手を差し出した。
「僕は徳田秋声。あまり面倒ごとには巻き込まれたくなかったんだけどね」
――つきん、と太宰の頭に小さな痛みが走った。と同時に記憶が蘇る。
「徳田先生!」
「そうだよ」
太宰は徳田の手を握り、上下に振った。やっと解放された彼の肩に乗り、猫はにゃごと鳴く。
「徳田にも協力してもらうために呼んだのだ」
「え、徳田先生も変身するの?」
「それはちょっと……僕はバックアップ側ということで」
「そっか……」
少し残念そうにシュンとする太宰を励ますように肩を叩き、徳田は微笑んだ。
「大丈夫だよ、他に変身する文豪はもういるから」
「え?」
「ほら、もう思い出しているんだろう? 君たちは一人じゃない」
「俺、たち……」
脳裏を過ったのは、今朝見たばかりの鍋を囲む風景。
まさか、と太宰は呟いた。コクリと徳田は頷く。
「――オダサク!」
織田作之助。太宰と同じく、無頼派三羽烏と呼ばれるうちの一人の名だ。

「ん? 何や、多喜二クン」
廊下で呼び止められた織田が振り返ると、同じクラスの小林多喜二が駆け寄ってくるところだった。彼は本を抱え、織田の隣に並ぶ。
「図書館へ行くんだろ。俺も一緒にと思って」
「ええで。しかし珍しいなぁ、多喜二クンも勉強なん?」
「それもあるけど……ちょっと、読みたい本があって」
「読みたい本って……それ?」
小林は頷き、本の表紙を見せる。著者名は『中野重治』とある。織田は初めて見る表紙だ。
「面白いん?」
「まだ読み始めたばかりだから……でも、興味深いよ」
あまり表情筋を動かすことも言葉も少ない青年が、ふわりと微笑む姿は珍しい。織田はクスクス笑うと、別棟に続くガラス戸を押した。
この入り口は校舎の裏側に位置しており、図書館の裏口に繋がる。木々が生い茂って屋根になる通路を歩きながら、織田は腕を揺らした。
「ほんなら、読み終わったらワシにも読ませて」
「ああ、勿論」
頷いた小林の方を織田が振り返った瞬間だった。織田の目の前で、小林の姿が消えたのだ。
「! 多喜二クン!?」
ドシャ、と何かが地面に叩きつけられる音がした。慌てて織田が通路を外れて飛び出すと、そこでは何やら黒い塊が蠢いていた。
ずるり、と雪だるまのようなそれが身体を起こし、こちらを振り向く。その手には、気を失ったらしい小林の姿が。気絶しても小林が手離さない本を奪おうと、化物が手を伸ばす。
織田はカッとなり、近くにあった石を拾うと思い切り投げつけた。
「多喜二クンを離さんかい!」
カン、と軽い音がして化物の頭に石は当たったが、蠅が飛んできただけと言うように化物は平然としている。化物はギロリと織田の方を見やり、どこからか取り出した刃を投げつけた。鋭い一撃が織田の足元に落ちる。織田が思わず肩を竦めると、さらにもう一撃、今度は織田の頭上に降ろうとしていた。
「ピーチストーリーパワー、ライトアップ!」
衝撃を覚悟したとき、そんな高らかな声が聞こえた。ハッとして目を開くと、赤い背中が目の前に立ちはだかっている。
鞭の攻撃を鎌で抑え込んだのは、変身した太宰――ブライ・ピーチだった。ピーチは鎌を叩き落とすと、浸蝕者へ飛び掛かっていく。
「ん、なんなん……」
目の前の状況について行けず、織田は座り込む。化物の攻撃を鎌で払いながら戦うピーチだが、思ったより一撃が鋭く、それ以上前へ踏み込めないようだ。
「お前が織田作之助か」
「ね、猫が喋った?!」
久しくなっていない貧血だろうか、織田の意識が遠くなる。そんな彼の頬をパチンと肉球で叩き、猫は四角い手のひらサイズのケースを差し出す。
「これを使え」
「へ?」
「すべてはお前の記憶の中に」
パチン、とケースが開く。オレンジ色の石がハマった大と小の歯車。それに目を惹かれていると、グルグルと回り始めた。
「ぁ……ドルチェストーリーパワー、ライトアップ!」

何とか気絶する青年から化物を引き離すことはできたが、雨のように降る刃の攻撃のせいで近づけない。ピーチが歯噛みしていると、背後で何かが光った。
「寄り添う香りの文学戦士、ブライ・ドルチェ!」
名乗る声は、よく聞き知ったものだ。ピーチの隣に気配が現れ、スパッと化物の攻撃を切り裂く。
「――舐めてもらったら、困るで?」
「オダサク!」
「ブライ・ドルチェやって……てかワシ、お菓子よりカレー派なんやけど」
腰まで伸びた三つ編みを揺らし、織田――ブライ・ドルチェはニカリと笑った。それからクルリと両手に持った剣を回し、構えの姿勢をとる。
ピーチのものと色や細部のデザインが異なる、可愛らしい服装に身を包んだ織田。普段は肩甲骨あたりの三つ編みが腰まで伸びているだけでなく、胸元はささやかな膨らみも見えて、思わずピーチは目を逸らした。
「ほな、行くで。ピーチ!」
「うぅ、若干気が抜ける名前だけど……おうよ!」
二人は武器を構えると、呼吸を合わせて同時に飛び掛かった。

「……」
「すごいねぇ、あのコンビネーション。自分たちには負けるだろうけど」
図書館の屋根の上から、二人の戦いを眺める謎の影が二つ。しゃがんでいる方はのんびりと首を傾いだ。
「報告では一人って聞いていたけど、まだ仲間がいたのだね」
「……」
「スティラ?」
黙したままのもう一方を訝しがり、しゃがんでいた方は立ち上がって顔を覗き込んだ。白狐を模したハーフマスクの奥の瞳は、三つ編みの戦士をじっと見つめている。声をかけられてフイと視線を外し、「行くぞ」と短く言い残して彼は姿を消した。
「……変なの」
対にあるような黒狐のハーフマスクがずれないよう抑えながら、彼も後を追う。

「いや〜、そないなことなっているとはなぁ」
カラカラと笑い、織田は腹を抱える。
「笑いごとじゃねぇよ……」
「スマンて、太宰クン……まさか秋声さんとも会うことになるとは」
「相変わらずだね、オダサクさん」
場所は保健室。養護教諭が不在なのを良いことに、小林をベッドに寝かせ、三人と一匹はソファでくつろいでいる状況。徳田ができたと差し出した本を、織田は大層嬉しそうに受け取った。
「いや〜恩に着ますわ。半分消えかかっていたときはどうしようかと」
「半分も残っていれば、修復は可能だよ」
これは練習すれば、太宰たちにもできることなのだと云う。織田はいそいそとその本を持ってベッドの方へ向かうと、まだ眠る小林の胸元に置き、彼の両手を本へ添えさせた。
「大切にしてや」
眠ったままの小林の口元が、少し綻んだようだった。
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