Xel Mes(V)
既に降りた闇の帳を映した瞳を閉じ、ジェイは空を仰いでいた首を下ろした。
「ジェイ」
名を呼ばれて振り返ると、神妙な顔をしたウィルと目があう。その視線の意味を理解したジェイは黙したまま、居住まいを正した。ウィルはジェイの隣に腰を下ろした。
「どう思います、昼間のこと? ――と話あったところで、現状明確な答えはでませんね」
「ああ。俄かに信じられないことだが、紛れもない真実……どう思うかではなく、どう受け止めるべきか、だな」
灯台の下に隠されていたもう一つの『滄我』と、それに導かれるように出会った結晶から知らされたこの世界の成り立ち。メルネスの意義と果てにある結末。――そして、再び手に入れた力と、手に入らなかった力。
「セネルのことを、どうするべきか……」
目元を手で覆い、ウィルは長く息を吐いた。そこで彼はふと、ジェイが何やら言いかけていたことがあると思い出した。
「そういえばジェイ、灯台の前で言いかけていたのは何だったんだ?」
ジェイは「ああ」と頷いて、テントの方を一瞥する。既にほかのメンバーは眠りについている筈。こちらへ向かってくる気配がないことを確認すると、ジェイは声を潜めた。ウィルも彼に倣って、耳を欹てる。
「これは、僕の個人的な考えです。まだ何の根拠もありません」
そこでジェイは一度口の中を濡らした。
「始めに気になったのは、ステラさんが亡くなった瞬間です。あのとき、微かにですが銀の光を見たんです」
「銀の光?」
あのとき、あの場はステラの発する金の光に満ちていた。そんな中、銀の光などあっただろうか。
「二つ目に気になったのは、メルネスとなったシャーリィさんの言葉」
――やはり、お前は。
「そして最後に、灯台の入り口が開いたとき」
「おい、まさか」
ウィルは思わず声を上ずらせた。すぐにハッと我に返った彼は口を手で塞ぎ、辺りの気配を見やる。ジェイも同じように視線をやり、話を続けた。
「ええ。僕は何かあると思っているんです――彼には」

夜の海を怖がる人間がいる。太陽の光を失って黒々とした海の波打つ様子が、地平線の向こうから何かよくないものを連れてくるような予感がするのだと、どこかの街で子どもが言っていた。マリントルーパーを生業とするセネルにとってその恐怖を理解はできるが、共感は持てない。水同士がぶつかり合う音は涼やかで、柔らかい風と相まって落ち着くのだ。
「……」
「クーリッジ」
名を呼ばれ、セネルは閉じていた目蓋を持ち上げる。クルリと振り返ると、そこに立っていたクロエが、少し気まずそうに笑みを浮かべた。
「クロエ、どうかしたのか」
「少し、目が覚めてしまってな……そしたら、クーリッジの姿がなかったから」
クロエはそっと砂を踏み、セネルの隣に並んだ。そっと腰を下ろす彼女から視線を外し、セネルは足元に目を落とした。そんな彼の様子を見て、クロエは柳眉を下げて微笑んだ。
「何を考えていたんだ……とは、聞くまでもないな」
水の民たちが渇望している大沈下は、メルネスの命と引き換えに起こされる。その事実と、唯一セネルの手にだけ与えられなかった聖爪術の存在が、彼の心に重くのしかかっているのだろう。
セネルは自嘲気に笑った。
「まあな……」
「落ち込んでいるんだな」
「さすがにな」
セネルは立てた膝を抱え、腕に額を埋めた。
「……」
「ノーマが言っていた、煮詰まったときは視点を逆転させるのだと」
わざと明るい声を出し、クロエは立てた人差し指をクルクル回した。
「私たちが認められて、クーリッジだけ滄我に認められなかったのはやはりおかしい。幾ら考えても、答えはでない。ならば逆転させる――例えば、クーリッジが滄我を拒絶した、とか」
ぴくり、とセネルの指が微かに動いた。クロエは動きを止め、ゆっくり手を砂地へ下ろす。
「……なにか、心当たりがあるのか?」
たっぷりと三分であろうか、セネルは黙したまま微動だにせず、二人の間にはただ単調な波音だけが流れていた。
「――ある」
重く苦しい言葉を呟いて、セネルは顔を上げた。
「俺は、爪術を使えることを、肯定的に捉えたことはない……」
クロエは思わず手を伸ばしかけて、その指をグッと折り曲げる。彼女の動きに気づかないセネルは、ぼんやりとした目を海へと向けていた。
「俺は、戦争孤児だ」
「……っ」
「孤児である俺は、爪術の才能を見出され、軍の施設に入れられた――クルザンド王国のヴァーツラフ軍に」
「!」
クロエは息を飲んだ。彼女の様子を気配で感じ取って、セネルは苦笑する。
「軍で爪術の使い方を覚えた俺は、十二のときに初任務を言い渡された……どんな内容だったか分かるか?」
クロエは沈黙したまま。答えを求めていなかったのだろう、ぐしゃりとセネルは前髪を握りしめて言葉を続けた。
「メルネス――つまり、シャーリィの誘拐だ」
「!!」
クロエはまたも絶句し、ぽかんと口を開いた。セネルは口元を曲げ、乾いた笑い声を吐き捨てる。その自棄になったような姿に思わず、クロエは顔を歪めて俯く。
「……けど、できなかったんだろう」
「……ああ」
笑い声を止め、セネルは前髪から手を離した。力なく曲がった指が砂に触れる。
初めてだったのだ。見返りもなく心配され、微笑まれ、優しい手で触れられたのは、初めてだった。父母の温もりを失くし、拾われた軍施設では味わったことのないものだ。シャーリィとステラに拾われて、水の民の里で暮らすうち、未熟だった少年兵士はすっかり絆され、与えられた任務すら忘れていった。
「だが、俺の罪はそれだけじゃない」
砂を掴んで固く握る。少し手の力を緩めると、隙間からサラサラとした砂が零れ落ちていった。
「……シャーリィが儀式に失敗して倒れた後、俺とステラは村の外に出たんだ」
「また、何故だ?」
「どんな病気も治せる鉱石とやらを探すためだ」
鉱石は無事手に入り、シャーリィも助かった。しかし問題は、村に帰るときだった。結界に入る瞬間を、ヴァーツラフの軍人に見られていたのだ。
「クーリッジのほかにも、シャーリィ誘拐の任務を受けていた人間がいたのか」
「少し考えればわかることだ。戦場に出たことも手柄をあげたこともない一少年兵に、重要なメルネス誘拐任務を一任するわけがない……その少年兵から何の音沙汰もなければ尚のこと、別の人間へ任務が与えられるだろうことは……少し考えれば分かった筈なんだ」
砂を落とし終えた手を握りしめ、セネルはそれを砂場へ叩きつけた。
「……そして、村は襲われた」
「……っ」
「ステラが死んだのも、シャーリィが悲しい思いをしたのも、全部俺のせいだ」
「クーリッジ」
「俺が結界の外へ出なければ……村へ行かなければ……そもそも、爪術なんか使えず、軍に入れられなければ!」
「クーリッジ!」
何度も拳を砂へ叩きつけるセネルの手を、クロエは掴んで止めた。固い岩場でなかったから傷がつくことはない。血を流しているのは、心の方だろう。
「クーリッジ……」
ジャリ、と砂を踏む音がした。突然現れた気配とその音に、クロエはハッと身構える。振り返った先にあった姿に、クロエは目を丸くした。
「お前は……!」
「どういうことだ……」
片膝を立てた状態のクロエの陰から少し顔を覗かせて、セネルもそちらを見やる。さすがのセネルも驚き、目を瞬かせた。
「……ワルター」
どうしてこんなところに水の民の彼がいるのか、質問は力なく口から零れ、波の音にかき消された。
×
「#ファンタジー」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -