「ち、ち、ち」
短い吃音と揺れる指。三毛の猫はフンフン鼻と髭を揺らして、指へ近づく。猫は柔らかい足をそっと着物に乗せる。暫し着物を踏みつけて居心地よい場所を見つけると、猫はクルリと尾の先から身体までを一まとめに丸めた。
胡坐をかいた足の間で猫が丸くなると、室生は頬を緩めた。座椅子に身を預け、片方の手に乗せた煙管を口元へ運ぶ。少し吸って、フと吐く。
新しい味は、室生の舌には少々甘すぎる気がしたが、悪くはない。
座椅子の肘掛けに肘を置いて、頭をその手に預ける。足の間で眠る猫をもう片方で撫でながら、ぼんやりと庭を見つめる。室生が丹精込めて育てた菜園が、ここからは一望できた。
あの野菜はもう食べ頃だ、あちらはもう少し、こちらはそろそろ間引かなければ。そんなことを考えながら片手に猫、片手に煙管を持ち、庭を眺める。それが、室生の休日の過ごし方だった。
「……杏子もあったなぁ」
ふぅ、と吐いた煙はすぐに姿を消す。杏子の実はもうすぐ収穫時期だった筈。今年も酒に漬け込もうか。上司の北原や同胞の萩原にも好評なのだ。
「あの子も、気に入ってくれるだろうか」
ふわりと揺れた三つ編みが脳裏によみがえる。そこでふと、彼が学生だと名乗っていたことを思い出し、苦い笑みが浮かんだ。
「しまったな、酒が飲める年かは聞いておけば良かったな」
こしょこしょ猫の首を擽ると、「なーう」鳴き声が上がる。ザラリとした舌が指を撫で、こそばゆさがこみ上げた。
――先生。
耳の奥で、蘇る声がある。屈んでいるから、こちらを見上げる石榴色。そこに映るのが自分だけだと気づくと、腹の底が酷くフワフワとした。柘榴石という宝石を連想する瞳がきょとりと瞬いて、落ちてくる影をじっと見つめる。頬に手を添えて笑みを浮かべると、瞳は察したように目蓋の下へと隠れた。
「なーう」
触れた温もりを思い出していると、そんな声で現実に引き戻された。ハッと我に返ると、冷たくなった風が袖から入り込んできて肌が泡立つ。視線を下げると、足の間で丸くなっていた猫がこちらを見上げていた。室生は苦笑し、猫の頭を撫でてやる。
「そうだな、今年は杏子のシロップ漬けを作ってみるか」
「なーう」
それは良い考えだと、同調するような鳴き声だ。タン、と灰を落とし、室生は器用に猫を抱きかかえると立ち上がった。
さてはて、レシピもそうだが、猫に杏子はやって良かったのだったか、それも調べねばならない。

太宰は怒っていた。原因は手元にある一枚の写真と、弟分である。共にその写真を見た兄貴分は肩を竦め、無言のまま部屋を出ていった。弟分への追求は自分に任せてくれたのだと、太宰は解釈した。
「オダサク!」
「なんや、太宰くんか……」
「面倒くさそうな顔しない!」
丁度通りがかった弟分は、勉強道具の入った鞄を肩から下げていた。太宰の姿を認めて立ち止まった彼の眼前へ、写真を突き付ける。いきなりのことで反応が遅れた織田は、目を細めて写真を見ると顔を歪めた。
「なんや、これ」
伸びた織田の指が写真を掴む前に手元へ引き寄せ、太宰は腰へ手を当てた。
「お前、分かっているのか。こいつは、あの、」
「関係あらへん」
太宰の言葉を素気無く叩き落とし、織田は三つ編みをかきあげる。それからニコリと笑って、小首を傾いだ。
「大丈夫やって。太宰くんは過保護やなぁ」
「お前なあ」
弟分のくせにその態度は気に入らない、と太宰は頬を膨らめる。織田はヘラヘラと笑いながら、太宰の肩を叩いた。
「さーて、ワシは出かけてくるわ」
「あ、こら、オダサク!」
「もう太宰くん」
つん、と太宰の額を指で突き、織田は片目をパチリと閉じる。
「あんまりしつこい男はモテへんで?」
口を丸くする太宰にひらりと手を振って、織田は身を翻した。カーッと頬を赤くした太宰が声を上げて名を呼ぶが、織田は足を止めずにさっさと出かけてしまう。
聞き分けない弟分へ対してギリギリ歯を鳴らしていると、欠伸をしながら兄貴分が姿を現した。
「お疲れさん、太宰」
「安吾……」
太宰が睨むと、安吾は肩を竦める。その言動から察するに、初めから太宰たちのやりとりを聞いていたのだろう。
「馬の耳に念仏だったな」
「安吾も何か言ってくれよ! アイツは本当に危なっかしい!」
「無茶言うな。アンタの言葉も聞かないのに、俺の言葉を聞くかよ」
安吾は適当にあしらいながら、太宰の脇を通って部屋の奥へ向かう。頬を膨らめ、太宰も後に続いた。
安吾たち三人の住処は、古びたアパートの三階にある。一階分丸々住処にしているため、他に住人はいない。部屋を出て廊下を進み、突き当りの非常扉を開く。その先には風が吹くたびにギシギシと鳴る階段が、アパートの壁を這うように伸びていた。
「先生たちになんて言えば……」
後ろを歩く太宰が、ブツブツそんなことをぼやいている。安吾はこっそり溜息を吐く。今更何を取り繕うというのか、安吾に太宰の心情は理解できない。
階段を五階まで上ったところで、安吾と太宰は隣のビルの非常階段に飛び移った。
「ま、叱られたらそんときは俺も頭下げてやるよ」
「お前もたいがいだよ……」
太宰はガックリと肩を落とす。ニヤニヤ笑いながら、安吾はビルの壁に取り付けられた扉を開く。
安吾たちのアパートやビルの外観と比べると、随分小綺麗な内装だ。赤い絨毯が敷かれた廊下に、所々光を乱反射する金の装飾。太宰は綿飾りのついたマントで着飾っていたが、安吾の服装ではいっそ場違いなほど。人が二人並んで歩くには少々細い廊下を真っ直ぐ進むと、やがて一等豪華な扉が現れる。
太宰が小さく呼吸をする。彼が息を整えたことを背中で確認し、安吾は扉のノブを捻った。
「やっと来たか」
二人を出迎えたのは二三人の男たち。悠然とソファに腰掛ける彼らを見回し、安吾はヘラリと笑った。反対に、太宰は緊張したように背筋を伸ばす。
「お待たせしたようで」
「まあ、いつものことですね」
クスクス笑って、銀髪の男は口元を指で撫ぜる。初めに声をかけた男は肩を竦め、一番奥の席に座っていた男は眉間を揉んだ。
「……報告しろ、三羽烏」
男の固い声に、安吾はニヤリと笑って「諾」と返す。
――三田組と三羽烏。この街での彼らの通り名である。
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