カラカラと、木の実の鈴が転がるような笑い声が、薄暗い店内に響く。心地よい音で笑うものだと、カウンター内で珈琲豆にお湯をかけていたマスターは口元を緩めた。
そんな音の主は、いつもの特等席――ではなく、真ん中に近い二人掛けの席に座っていた。向いには、ゆるりと口元に笑みを描いた羽織の男が座っている。
「ほんま、先生は博識でんなぁ」
ここ数日、この喫茶店で彼と言葉を交わすようになって分かったことは幾つかある。幼さの残る顔立ちだが、織田より年上だということ。立ち上がると、織田より背が低いこと。猫が好き。ブラック珈琲が好き。喫煙は煙管派かと思いきや、葉巻や煙草を吸うこともある。猫が嫌うから匂いの薄いものを好むが、時折鼻に脂がついてしまいそうなほどきつい香りを纏うこともある。そういうときは大抵、ヘビースモーカーの上司の残り香なのだ。さらには中々の博識で、織田のような俗物の世間話にも通じる知識を持っている。
(けどきっと、ワシとは住む世界が違うんやろうなぁ)
服装もだが所作も洗練されていて、育ちが良いと想像できた。
彼の男と会うのはこの喫茶店でだけ。初日にうまくはぐらかされてしまってからは、互いに名も聞いていないし、名乗ってもいない。身の上話も職業も、住んでいるところも同じく。ここでは織田は『石榴色の猫』で、男は『杏子色の星』。喫茶店の常連として、世間話をするだけだ。それで良いのだ、それでなくてはいけないのだと思いつつ、隙間風が胸の奥に吹き付ける心地もして、織田の眉は自然と寄った。
織田は少し目を伏せ、織田は両手で包んだカップの湖面を見つめる。ユラユラと、黒い水面がこちらを覗き込んでいる。
「……で良いかな」
「へ?」
いきなり顔を覗き込まれ、織田は思わず身を引いた。そんな織田の様子に苦笑しながら、男は姿勢を正す。それから少し腕を伸ばして袖を引き寄せ、両方を合わせた。
「そんなに悩ませてしまったかい」
「え、えっと……」
織田は口ごもる。何の話をしていたのか、すっかり思考の海に沈んでいた織田はとんと覚えていなかった。三つ編みを弄る織田の様子で察したのか、男はまた小さく笑う。
「今度、外で逢わないかと話していたところなんだが」
「……そと?」
「この喫茶店以外で、ということさ」
この前話した本屋へ行くのも良いし、上映中の演劇を見に行っても良い、そうだ少し足を延ばしてあの花が見ごろの庭へ行くのもありだ。そう言って、男は自分の珈琲を口へと運んだ。
それは、つまり。織田は言葉を紡ぐ前に口を閉じて、唇の裏側を舌でなぞった。そうしないと口の中がカラカラで、変な音が出てしまう気がしたのだ。
「そうだ、逢引に誘っているんだよ」
かちゃん――カップが揺れ、黒い飛沫が机に飛んだ。
「おや、どうしたんだい?」
音を聞きつけてやってきたマスターが、二人の様子を見て眉根を下げる。織田はフルフルと首を振って、俯いたまま取り出した小銭を机に置くとカバンを掴んで立ち上がった。
「ご馳走様。ワシはこれで、」
「ちょっと」
席を立つ織田の手を掴んだのは、男の方であった。男に見つからないよう、織田は少し首を逸らして俯く。
「次の土曜日、待っているよ」
それだけ言うと織田の返事も待たず、男は手を離す。その潔さに虚を突かれたものの、織田はサッと身を翻して店を出ていった。
逃げていく猫の尾を見送って、マスターはチラリと男を一瞥した。彼はこちらの視線など知らぬ様子で悠然と座り、珈琲の香りを楽しんでいる。
「全く……構いすぎて猫に逃げられても知らないよ」
「俺ほど猫の扱いに長けている男は、中々いないと思うけどね」
男は目録へ手を伸ばし、デザアトの頁を開いた。それから傍に立ったままのマスターへ、二三個のケエキを持ち帰りたいのだと注文する。マスターは頭の皺へ注文を書き留め、承ったと言った。
「あんまり北原の双星を突いて、馬に蹴られたら堪らないからねぇ」
「おや、マスター。乗馬ではなくてそちらの趣味がおありとは」
余計なことを言いすぎたようだ。マスターは小さく肩を竦め、おとなしくカウンターへ戻っていった。

ぱらぱらと、数枚の写真が机の上に散らかる。その一つを摘まみ上げ、桜色の男はソファに身を沈めると長い足を組んだ。
「北原組と白樺組か……本当に手を組んだのかよ」
「それぞれの頭が直接会談したのは事実だよ。写真は嘘をつかない」
彼の向いに座っていた藤模様の男が、自前のカメラを弄りながら言った。桜色の男は小さく息を吐いて、写真を机へ投げ戻す。
「やばいんじゃないのか?」
桜色の隣に座っていた金色の男が口元を手で覆い、焦るような声音を出す。
「俺たちを警戒して、手を組んだんじゃ……」
「十中八九そうだろうね。……少しばかり派手に動きすぎたかな」
ごろんとソファに寝転がり、藤模様は眠そうに欠伸を溢した。彼も桜色も呑気なもので、少しも焦った様子はない。金色は思わず声を荒げて机を叩いた。
「お前らなぁ!」
「花袋、五月蠅い」
「島崎の言う通りだな。ジタバタしたところで、どうにもならないだろ」
「独歩まで……」
桜色にまで素気無く言われ、金色――花袋はガックリと肩を落とす。ふと背後に立った気配を感じ、桜色――独歩は腕を背もたれに乗せて天井を仰いだ。すると背後に立っていた褐色の男の顔が見えて、自然口元が緩む。
「よお、白鳥」
名と肌色がまるで噛み合わない男は、チラリと卓上の写真を一瞥する。縋るように花袋は背もたれを掴んで、白鳥を見上げた。
「なぁ、白鳥からも言ってやってくれないか。こいつら、ちぃっとも危機感がないんだ!」
「……北原と白樺に手を出すのだから、ある程度の覚悟と危機回避案は用意しているだろう」
白鳥の視線を受け、島崎は渋々身体を起こした。「それに」と白鳥は懐を探り、取り出した白い封筒を机へ放った。写真の上に落ちたそれの封蝋を覗き込み、独歩と島崎は眉を顰めた。花袋などは「げえ」と顔を青くする。どういうつもりだと島崎たちは白鳥を見やるが、彼は涼しい顔をして腕を組んだ。
「俺らの目的は何だ?」
封筒を摘まみ上げ、独歩は苦々しく呟く。
「アイツのため、か」
独歩は銀色のペーパーナイフを取り出すと、慣れた手つきで封を切った。広げた花模様の便箋に目を走らせ、彼はますます顔を渋く顰めることになる。
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