今日の天気は曇り。天まで続く図書館の上部には雲がかかり、一層神秘的な雰囲気を増している。織田は鼻歌交じりで道を歩いていた。手に下げた袋の中身は揚げたてのコロッケ。肉屋でおまけしてもらったのだ。数は三つ。家で待つ二人の土産として丁度良い。
「あらまあ」
帰り道、歓楽街から出て少し細い路地へ入ったところで、織田は足を止めた。
曲がり角から少し入ったところ、煙草屋と向かい合うように置かれたベンチに、一人の青年が項垂れて座っている。見覚えのある黒いフードだ。織田は苦笑し、ステップを踏むように青年へ近づく。
「たーきじクン」
声をかけると、フードがピクリと動いた。それからゆるゆると顔を持ち上げ、ぼんやりとした紅茶色の瞳が織田を見上げる。やがて焦点があった瞳が織田を映したとき、青年はパチリと瞬きを一つした。
「オダサク」
やっと誰に声をかけられたのか理解した青年は、驚いたように目を丸くする。途端、彼の腹がぐうと鳴って、青年は慌てて腕でそこを覆った。織田は苦笑しながら、錆びて緑と茶色の斑模様になったベンチに腰を下ろす。それから袋の中を探り、コロッケを一つ紙に包んで青年へ差し出す。
「これ、やるで」
絶品だと付け加えれば、またぐうと鳴る腹。青年はおずおずとコロッケを受け取った。織田もついでに自分も食べてしまおう、ともう一つ取り出す。狐色のそれをサクリと噛みしめれば、味の染みたジャガイモと肉の匂いが鼻へと抜ける。さすが肉屋の女主人特製のコロッケだ。
織田が半分ほど食べたところで、青年も手元のコロッケにかぶりついた。一口食べて少し目を丸くしたのは美味さに驚いたためだろうか。余程腹が減っていたようで、あっという間に平らげてしまった。
「……うまい」
「そりゃ良かった」
「ありがとう、オダサク」
「多喜二クンは相変わらずやなあ」
カラカラ笑うと、青年は少し恥じ入るように俯き、フードを下げるように手で引いた。
小林多喜二が青年の名だ。出会いは先ほどのやりとりと似ており、空腹で蹲る小林へ織田が食べ物をくれてやったというもの。織田が見かけるたびに、小林は大なり小なり空腹を訴えて項垂れているので、織田はすっかり彼を餌付けしている気分になっていた。
「今日はどないしたん?」
「なお……俺の恩人が、この近くに用事があるから、その付き添い。用事が終わるまで待っているんだ」
この言葉も初めてではない。その恩人を織田が見かけたことはないが、小林がこうして空腹に項垂れているときは、大体恩人を待っているときだ。
「毎度毎度、大変やなあ。喫茶店とか、店で待っとけばええのに」
「ここで待っていろって言われたから……」
どこまで真面目なのだろう、この青年は。織田の脳裏に、帰らぬ主を駅前で待つ柴犬の姿が浮かんだ。
自分の分のコロッケを口にくわえて、織田は残り一つを小林に差し出した。小林が良いのかと目で問うてくるので、良いのだと頷く。
「一つだけ残しても、喧嘩になるさかい」
零にしてしまった方が平和なのだと織田は笑った。小林は礼を言って、コロッケにかぶりついた。
小食の織田と対照的に、小林は細い身体のどこに入るのだと問いたくなるほどの大食漢だ。その食べっぷりは、見ていて気持ち良いものである。猫についつい煮干を与えすぎてしまうと星と名のった男は言っていたが、きっと彼もこんな気持ちなのだろう。そう思いついて、織田は浮かぶ笑みを手の平で隠した。

客人が席を立って暫くして、北原は長く息を吐いた。それから煙草を取り出し、火をつける。彼が細く紫煙を吐き出してやっと、萩原と室生も肩の力を抜いた。
「さすがシラカバの志賀。一筋縄ではいかないな」
「怖かった……」
「おやおや、北原の双璧がそんな弱気な発言とは」
クスクス笑う北原にからかってくれるなとため息を吐いて、室生は腰へ手をやった。
「それで、白さんとしては如何なもんで?」
「ふむ。まあ、予想通りと言えばその通り」
萩原はコテンと首を傾ぐ。室生は少々顔を顰めた。北原はクスクス笑いながら立ち上がり、ひらりと羽織を翻す。
「これで少しは、おとなしくしてくれれば良いけど」
紫煙と共にそんな呟きを吐き出し、北原は窓から外を見下ろす。門の前で主を待つ黒い忠犬の姿が、そこからはよく見得た。

窓すらない階段を、志賀は鼻歌交じりに降りていく。その後ろをついていく武者小路は、そっと隣を歩く有島と顔を見合わせる。
「志賀、随分機嫌が良いね。そんなにさっきの会談は有意義だったの?」
「確かにこちらの利点になる結論ではあったけれど……それは向こうも同じで、僕にはフィフティフィフティに感じたけれど」
ここまで志賀が上機嫌になる理由がわからないと、有島も少し眉を寄せた。
「おいおい、俺が底意地悪いような言い方はやめろ」
鼻歌を少し止め、志賀は首を少し回して後ろの二人を見やる。その口元がにやけていて、武者小路はそういうところだと肩を竦めた。
「紅露の若衆のやんちゃを諫める相談であって、互いのマウント取りのために来たわけじゃないだろう」
「そうだけど、志賀がそれだけのためにねぇ」
「お前らの中で俺はどういう人間なんだよ」
武者小路と有島は顔を見合わせる。志賀は深々とため息を吐いた。
階段を下り、枯山水のような庭を抜けるとどっしりとした門と出会う。脇に控える門番に会釈して門を潜る。三人の姿を見つけ、少し離れた場所で待機していた青年が小走りに駆け寄ってきた。時刻通り、言いつけをしっかり守った黒い忠犬に、志賀の口元は緩む。その様子を見て武者小路はまた嘆息し、有島と顔を見合わせたのだ。
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