ナウナウと、猫が鳴いている。また情人を連れ込んでいるのかと部屋を覗き込むと意外や、部屋の主の姿はなくて彼を求めて押し掛けた情人たちばかりが我が物顔で縁側を占領していた。情人――情猫と呼んだ方が良いのだろうか。萩原はそんなことを考えながら、縁側へと足を運び、いない彼の代わりに猫の頭を撫でた。
くたりと餅のように伸びる身体。喉を指で撫ぜればゴロゴロと心地よい音。彼が溺愛するのも分かる気がする。気まぐれに爪や牙を立てず威嚇することなければ、こんなにも愛らしい。
「おや、来ていたのか」
カタン、と開け放していた襖が小さな音を立て、主の帰還を知らせる。萩原は立ち上がろうとして、しかし袴の裾を踏み、思い切り転げてしまった。鼻の頭を畳みにぶつけた萩原を見て、彼は慌てて駆け寄る。うみゃあと猫たちも驚き、縁側から飛び降りていった。
「朔!」
「うう……さいぃ……」
顔を上げて、鼻を摩る。鼻血はでていないが赤くなっていると目の前にしゃがんだ彼が教えてくれた。血がでていないのなら良いと呟き、萩原はずびと鼻を啜る。彼はくすりと笑って、萩原のずり落ちた羽織を正した。それから暫し待つよう言って彼は立ち上がり、自分の羽織を脱いで打掛にかけた。その下の着物もしゅるしゅると脱ぎ、一つずつ丁寧にかけていく。猫を愛する彼だが、この着物と羽織にだけは猫の毛をつけないよう、細心の注意を払っていた。
「よし」
袴に洋襟、最後に半着の袖を襷でくくってしまいだ。これで存分に猫を撫でられると嬉しそうに縁側へ向かっていく。その背中を目で追い、膝を擦って萩原も縁側に出た。早速膝に猫を乗せて喉から腹を手で混ぜる彼の隣に座り、嬉しそうな様子を見守る。
「……楽しそうだね、犀」
「ああ楽しいね」
「白秋先生が心配していたよ。あまり毛色の違う野良に入れ込むのはどうかと思うって」
ぴた、と彼は少し手を止め苦笑した。
「そうかあ、やっぱり白さんはお見通しか」
困ったような、そうでないような。猫を持ち上げるその横顔は、萩原には少し楽し気であり、隠し事がばれた幼子のようにも見えた。つまるところ、今彼が何を思っているのか萩原は理解できなかったのである。彼とは二魂一体と呼ばれる萩原だが、彼の考えが読めないのは今に始まったことでない。萩原の不得手な部分を考え、補ってくれるのが彼で、だから二人は二つで一つなのだ。
「犀」
「ん?」
「僕はよくわからないけど、犀の好きにしたら良いよ。けど、ほどほどにね」
すっかり彼が餌付けしたものだから、縁側に住み着いてぷくぷくと肥えてしまった猫の腹を突く。もともとは人の手を嫌う野良だった猫たちだが、すっかり懐柔されている。もう野良には戻れないだろう。彼は面倒見が良いだけに、こうして堕落した存在を作り出してしまうことがままある。ここの猫たちを見ると、自分も片足落ちかけている自覚をしてしまう。気を付けようとそのたびに決意する。外で可愛がっているというその猫も、堕落させられないか心配だ。
彼――室生犀星はきょとりと萩原を見やり、そしてニヤッと笑った。なんと悪い顔だことか。萩原は思わず吐息を溢してしまった。
「ところで朔」
抱き上げた猫を庭へ下ろし、室生は着物についた毛を手で払った。
「そんな受け売りの小言を俺に渡すため来たわけじゃないだろう? 何か別件があったんじゃないか?」
「あ」
忘れていた、と萩原は口元を手で覆う。室生は軽く笑って、萩原の頭をポンポンと撫でた。

「あ、やっと来たっす」
待ちわびていたと眉を吊り上げ、三好は室生と萩原を睨みつけた。
「うう、ごめん……」
折角室生が着つけた洋装の上着をずり落としそうになりながら、萩原はパタパタと足音を鳴らす。その少し後ろをのんびり歩きながら、おやと室生は首を傾げた。
「三好くんもいたのか」
「自分はここで待機っす」
パッパと萩原の服装を正し、三好は背筋を伸ばす。萩原に合わせて洋装に着替えなおした室生は、そうかと相槌打ちながら額をポリとかいた。
「白さんは?」
「あの人は既に中で待っているっす」
客人はまだと聞き、萩原は胸を撫でおろす。三好が強い視線を彼へ投げつけた。
「しっかりしてくださいよ、朔先生。相手はあのシラカバっすよ」
丸くなりかけていた萩原の背が、その言葉でピンと伸びる。なかなかどうして、彼の部下は上司の扱いに長けている。室生がこっそり笑っていると、三好が険しい顔でこちらを見やった。それにひらり手を振って見せると、さっと顔を背けられる。室生は小さく肩を竦めた。この猫は中々懐かず、手を焼いている。普段なら可愛く思い更に構うところだが、ここまであからさまだとこちらも諦めがつくものだ。だから室生はさっさと三好から意識を外して、萩原の肩を叩いた。
「そう気張るな、朔。何も喧嘩しようってわけじゃないんだ」
三好が顔を顰めたのは気配で分かったが、室生は特に言葉もかけず萩原と共に部屋の中へ進んだ。
純日本家屋の外見からは想像できないほど、その部屋は見事な洋装で飾られている。半分は家主の趣味である。その家主――北原組頭領、北原白秋は中央のソファに身を沈めて煙草を燻らせていた。室生たちの姿を認めると、だいぶ短くなった煙草を灰皿へ押し付ける。既に数本、その亡骸が皿には転がっていた。こほ、と萩原が小さく咽た。
「待たせてしまいましたか」
「気にすることはないよ。暇だったからね」
室生は窓を少し開けて、風を部屋へ呼び込んだ。それだけで部屋に充満する紫煙は消えないが、何もしないよりを良いだろう。室生とて煙草は嗜むが、限度がある。
「先方はまだで?」
「もう少しすれば来るだろうね」
飾り棚に置いた時計を一瞥し、北原は小さく笑む。彼の言葉通り、数分後扉がノックされた。等間隔に四回。三好だろう。北原が入室を許可すると、室生の予想通り三好が顔を出し、客人の来訪を告げた。
「お通ししてくれ給え」
三好は頭を下げてから一度扉の影へ引っ込み、客人を部屋へ案内した。
襟に毛がついた派手な羽織を翻し、客人は部屋を見渡した。彼の後について入室したほかの二人も、物珍し気に視線を動かしている。
「随分立派なもんだな」
「ご謙遜を」
北原は立ち上がり、客人たちに向いのソファを勧めた。派手な羽織の男を真ん中に、須天色の男が右に、雪色の男が左に座る。
「さて、お初にお目にかかる。俺がシラカバの志賀だ」
長い足を組み、男はニヤリと笑った。
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