加厘屋にて
「ワシと多喜二クンて、友だち、に見得ますか?」
朝になって、突然誘われた加厘屋。金銭にうるさい織田が、珍しく奢るからと腕を引かれた先は、表通りから一本奥へ入ったところにあり、雑誌で紹介されていた際、いつか行ってみたいものだと織田に話していた店だった。何かあるだろうと思ってはいたが、注文のカレーが届いて食べ始めて少しした頃、その手榴弾はいきなり投げられた。

▽とある加厘屋にて

カレーに関すれば、美味であった。少し刺激が強いきらいがあるが、まあ及第点だろう。トッピングに卵も選べて、織田は迷うことなくそれを注文していた。トロトロのルゥと卵を混ぜ合せ、まろやかな色合いのそれを口へと運ぶ。織田は美味そうに口元を綻ばせた。
「ここの店、当たりでしたな」
「ああ」
「で、俺まで加厘屋に引っ張ってきた理由はなんだよ?」
それまで国木田の傍らに座っていた田山が、オーソドックスなカレーを掬う手を止めてそう訊ねた。国木田は彼と朝食を摂っているとき、織田に誘われたのだ。カレー好きで意気投合していた二人を邪魔しては悪いと思った田山は席を立とうとしたのだが、織田に一緒に来てほしいと腕を掴まれ、今に至る。
「すんません、田山先生。その……お二人にお聞きしたいことがありまして」
「俺たちに?」
国木田と田山は思わず顔を見合わせた。織田はスプーンを置き、空いた手で指を絡める。
「お二人は、親友でっしゃろ?」
「ああ……まあ、一応」
それが何だと訊ね返すと、織田は少々言いづらそうに視線を動かした。
「……まあ、ワシも何をどう聞いたら良いのかわからんのですけど」
「おい」
「親友のお二人に聞いたら、何やモヤモヤも晴れるんやないかと思いまして」
「何の話だよ」
「……」
更に数秒、織田は指と視線を動かしていた。やがて意を決したように、石榴色の瞳を国木田たちへ向ける。そこで落とされたのが、冒頭の質問である。
国木田たちはまたも顔を見合わせるはめになった。
「えーっと……お前と小林のことだっけ。友人、なんじゃねぇの?」
「俺もよく、談話室や中庭で一緒にいるのを見つけるぜ。……なんだ、『以前』の知人に後ろめたさでもあるのか? そんなもん、気にしなくても良いだろう」
織田と総じて三羽烏と称される他二人は、錬金術師たちにとって転生の難易度が高い文豪であるらしいしそれも仕方ない。小林と同じ思想の文豪の一人は比較的転生し易いのだが、何故かこの図書館にはまだいない。いつ来るか分からない人間に遠慮しても、しようがない。
「いくら名前と前世の因果を幾らか引き継いだとはいえ、転生した身だ。転生って、もう一度新しい命をもらったってことだろ? 好きに人間関係を築けばいい」
しかし、とそこまで言って国木田はふと思う。何故この青年は、相談相手に自分たちを選んだのだろう。今生の師にも無二の親友がいて、カレーで意気投合しただけの自分より、よっぽど相談相手に相応しいと思うのだが。
それを指摘すると、織田は一瞬苦いものを噛んだように顔を顰め、しかしすぐにヘラリと笑った。
「犀星先生には、こないなこと聞かれませんよ」
言ってから織田は、別に国木田たちを蔑ろにしているわけではない、と慌てて付け加える。分かっていると手を振り、国木田は頬杖をついた。
「いじらしいねぇ」
「からかわんでください」
織田はツンとすまして氷水へ口をつける。田山は皿の隅に添えられた福神漬けをポリと噛んだ。
「で、納得したか?」
田山が話を戻すと、織田はチラと視線を横へやった。
「おいおい……」
「いやあ、ワシ美男子ですやん? 魅力的なんは分かっとりましたけど、まさか多喜二クンみたいな真面目な人がワシに夢中になるとは……」
「オダサク」
水のように流れる織田の言葉を遮って、国木田はため息を吐く。そういうところだ、彼の悪いところは。
「だからお前、三好の小言を食らうんだぞ」
田山も、そこは同意見だったらしい。織田はしゅんと項垂れるように、身体を縮める。
「せやかて……」
「なんだオダサク、お前、相手から攻められると途端に及び腰になるタイプか」
撫でようと手を伸ばす人間から逃げて、こちらに興味などない様子に人間に身体を摺り寄せる猫のようだ。あの杏子色の男が好んで追いかけそうである。
「犀星先生のことは、今は関係ないやないですか!」
「先に話をはぐらかしたのはそっちだぞ」
折角カレーで買収されて相談にのってやろうと思っていたのに。国木田がニヤリと笑うと、織田はムッと口を噤む。それからスプーンをとり、残ったカレーを口へ詰め込んだ。
「……正直言いますと、多喜二クンみたいな真面目なお人と、どう接したものかと思いまして」
大きな一口を咀嚼し、織田はもう観念したのか本題に触れる。織田は『以前』、無頼派と呼ばれる文学を綴り、生活もそう呼ばれるようなものであった。それは今でも変わらず、生真面目な三好からは渋い顔で小言を投げつけられる日々。彼のように苦言を呈してくれれば良いのだが、小林は純粋な目で織田を見つめ、声をかけてくる。彼が織田と友になりたいと思っていると、織田は人伝てに聞いていた。
「ワシ、無頼派みたいな連中以外と友だちになるのは初めてで……どないしたもんかと」
「あれ、秋声とは?」
徳田秋声。織田と並んでこの図書館の古株、基礎を作った男である。同じ武器、主義である国木田たちは彼と言葉を交わす機会が多く、その際、織田はこの図書館にきて初めにできた友人であり同志なのだと聞いていた。
すると織田はパチクリと目を瞬かせた。
「秋声さん……秋声さんも、ワシの友だちなん?」
そもそも友だちか否か他人に聞く時点で彼は間違っているのだが、それを指摘するのも疲れてきた。田山がチラリと横を見やると、既に国木田はカレーに意識を集中して織田の質問など適当に流していると見て取れた。
「それは、本人に聞いたらどうだ?」
徳田にか、と織田が聞くと国木田は首肯する。田山には分かった、彼は面倒になって徳田に丸投げしたのだと。織田はポリポリ頬をかきながら、そうしてみると言った。
「……ま、小林ともそう固くならず自然体で行けば大丈夫だろ」
まるで恋愛相談を受けている気分になってきた。田山はげんなりと顔を顰め、現在潜書中の徳田に向けてこっそり合掌した。
「ごちそうさま」

「秋声さんとワシって、友だちなん?」
ある日、何気なく訊ねられたその言葉は司書室に意外と大きく響いた。机に座って日誌を綴っていた徳田はぽかんと口を開き、織田を見上げた。徳田の手からスルリと万年筆が落ちて、日誌に染みを作った。
「秋声さん?」
「え、いや、その」
慌てて万年筆を拾い上げ、秋声は戸惑うように口を開閉させる。織田はコテンと首を傾ぎ、そんな二人の様子を見て結姫は苦笑を溢した。助手は盛大に顔を顰め、仕事をしないなら出ていけと冷たい言葉を投げる。
「灰児さん」
「……早くその文学書の目録を作れ。手を動かせ」
結姫が名を呼ぶと、助手はフイと顔を背けて抱えていた書類を自分の机に置いた。ソファに座っていた結姫は小さく吐息を漏らす。結姫の前には小さな机が置いてあって、助手が特別に作った紅茶とチョコレイトケエキが並んでいた。自分らの分はないのかと織田は軽口を叩いたが、助手の冷たい視線を受けて静かに口を噤んだ。しかし結姫の「後で、灰児さんに作ってもらいましょう」という笑顔の一言に、助手が顔を顰めたのを徳田は見ていた。
「ところで、織田先生と徳田先生は喧嘩でもされたんですか?」
「へ、何でそう思いますの?」
「友だちか、なんて聞いたから」
織田は怒っているのかと結姫は小首を傾げる。織田はきょとんとしながら、首を横に振った。
「国木田先生が、秋声さんと友だちかどうかは本人に聞けばええって」
「あいつ……」
ぐ、と万年筆を徳田は握りしめる。蓋をしめていたからインクが飛び出すことはなかったが、ミシリと嫌な音がした。助手が「壊すなよ」と視線もくれずに言って部屋を出ていった。徳田は手を広げ、万年筆を机に置いた。それから小さく呼吸をし、意を決したように立ち上がって織田へ近づく。
「僕はオダサクさんのこと、同志だと思っているし……仲間だと思っているよ」
「おお」と結姫が思わずといった風に声を漏らして、口元を手で覆った。カーッと徳田の頭に熱が上がり、彼は慌てるように面を下げる。いつになく情熱的な徳田の態度に、織田も驚いているようだ。目を瞬かせ、織田は小さく口を開く。
「それは……」
遅い反応に、徳田はチラリと視線だけ上げた。織田は手で口元を覆っていた。石榴色の瞳に負けぬほど、耳を赤くして。今度は徳田が目を瞬かせた。
「なんや、随分情熱的やないですか、秋声さん」
「おださ、」
「そうや、多喜二クン」
「ちょ、ちょっと!」
サッと踵を返して司書室を出ていく織田を、転びそうになりながら徳田は追いかける。ちょうど彼らの分の茶菓子を持ってきた助手がすれ違って、折角用意したのに仕事も放ってどこへ行くのだと、彼らの背中を睨みつけた。
入り口で立ったままの助手の元へ歩み寄って、結姫はニコニコと二人が走り去った方を見やる。
「みなさん、仲良さそうでよかったです」
「いいのか、あれは……一度は成人迎えた奴ばかりの筈だろう。どいつもこいつも、学生みたいな悩み持ちやがって」
「あはは」
頭をガシガシとかき、助手はため息を吐く。結姫は楽しそうにニコニコと笑って、司書室へ戻った。
「良いことですよ。僕は好きです、この図書館」
助手は少し目を見開いて結姫を見やり、一度目を閉じた。
「……群青がそうなら、それでいい」
呟くように言って、助手は司書室の扉を閉める。がちゃり、と鍵のしまる音がした。
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