帝國図書館食堂にて
「え、オダサクって年下なの?」
思わず小林が呟くと、織田はやはりというように苦笑した。
「転生した身で言うのは語弊があるやろうけど……まあ、そうですわ」
大体十歳ほどだろうかと、織田は指折り数える。
宮沢がそもそも小林よりも幼い姿で現れているし、若い見目の志賀も前世では小林と二十も離れていたから、誤差があるだろうとは思っていた。成程、以前気軽に呼んでほしいと言ったとき、織田が微妙な顔をしていたのはそのためか。
談話室の壁際のソファで身を沈め、織田はくるくると人差し指を回した。
「一応、『前』の頃の年で言えば、南吉くんとワシが最年少でっせ」
宮沢と仲良さげに遊んでいた、狐の少年か。小林は顔を思い浮かべ、「へえ」とぼやいた。
「誕生月まで言及すると、僕の方がお兄さんなんだよ」
にょこ、と机の影から狐が顔を出して、小林は思わず肩を揺らした。ヒクリ、と織田が顔を引きつらせると、続いて新美も顔を出して、「大成功ぉ!」と楽しそうに笑う。どこぞの紳士の影響をすっかり受けて悪戯子になった新美に、織田は苦笑してしまう。
「南吉くん〜」
「だってそうだもんね。僕は七月で、オダサクさんは十月だもん」
幼い見た目で子ども扱いされることの方が多いため、年上ぶれることが嬉しいのだろう。新美はえへんと胸を張る。そうなのか、と小林が素直に感心すると、織田はガクリと肩を落とした。
「言うときますけど、あくまでも『前』の話でっせ! 今は明らかに南吉くんの方が年下や!」
「でも僕ら、アルケミストの力でここにいる身だし、年齢と見た目なんて当てにならないよ。好きにしたっていいじゃない」
「それに『以前』の年齢にこだわったのは、オダサクの方じゃないか」
ごんの人形を動かす新美に、小林も加勢する。織田はぐぅと唸って項垂れた。
「……二人して、何が目的ですの」
織田は手のひらで顔を覆い、その指の隙間からチラリと二人を見やる。石榴色の瞳に負けないほど髪の影から覗く耳は赤くなっており、飄々とした彼が珍しく羞恥に襲われているのだと分かった。小林の胸が、ムズと疼いた。
「俺としては、近い年ごろの身である今に倣って、砕けた言葉遣いをしてほしい」
「僕をお兄さんと思って甘えていいよ!」
「二人とも、せめて統一して!」
小林は今世の年齢として接してほしいと言い、新美は前世の年齢を考慮して態度に表せと言う。何という自己中心的な願望、文士は曲者ばかりなのか! と嘆いたところで自分もそんな文士であると思い至る。
「……」
「多喜二」
織田はどうにかならぬかと意志を込めて小林を見やるが、何かを促すようにその一言だけ返された。「僕は別に『お兄さん』って呼ばなくても大丈夫だよ」と横で新美が言うが、ごんの動きと笑顔が少し怪しい。何かのときにでも呼べ、と言っているようである。
「オダサク」
「……多喜二さん」
「多喜二」
「多喜二……クン」
勘弁してくれ、と織田は両手を合わせた。少しまだ納得いかない様子であったが、それで妥協するとぼやいた。
「僕は別に、」
「南吉くんは『前』でも同じ年生まれなんやから、なしや」
「ぶーぶー」
ごんと一緒に抗議の意思を示す新美をサラリと流し、織田はふいとそっぽを向く。プンプンと小さな煙を吐きながら、新美は織田へと飛び掛かった。クスクスとじゃれ合って笑う二人を傍らに座って眺めながら、小林は自分の口元が綻んだのを自覚した。

「良いことじゃない」
師の親友はニッコリと笑う。彼の手元にはふんわり花開いたタンポポオムライスがあり、口元には赤い米粒が残っていた。師特製のオムライスは小林の手元にも振舞われていたが、親友のそれより二回りほど大きい。武者小路に頷きながら、スプーンで掬った赤と黄色の花を口へ運ぶ。美食家というわけでない小林の舌でも、美味であると分かる。志賀のことだ、きっと高級材料も使っているのだろう。
以前、カレーに伊勢海老を使用して織田に渋い顔をされたと、少々不満げな顔をして話していたことを思い出す。結局は「うまい」と織田に言わせ、ある程度留飲は下がったようだが、以来、織田は小林共々餌付け対象にされている。
武者小路はそのお零れに預かれることが、嬉しいようだった。小林からしたら志賀は、武者小路の希望品を作るついでに小林たち用の大盛りを用意してくれているだけなのだが。
片付けまで終えた志賀が、まくりあげた袖を下ろしながら二人の向いに座る。常の白い上着は部屋に置いてきたらしく、上品ないつもと違い親しみやすい印象がある。
武者小路の食べっぷりと口元に残った米粒に苦笑し、志賀は頬杖をつく。
「何の話をしていたんだ?」
「小林くんと織田くんのことだよ」
「ああ。随分仲良くなっているみたいだな」
何を思い出したか、志賀は細めた目を右へ動かす。小林は大きな一口を飲み込んで、少し肩を縮めた。
「……直哉サンは、オダサクのこと」
小林は思わず言葉を止める。志賀が『以前』織田と、その友人で同じ派閥である太宰と、小さくない諍いを起こしていたと聞いたのは、この図書館にやってきてからだ。志賀の著書を読んだのだ。小林が志賀を敬愛していることを織田は既に知っている時分で、怖さもあって現在の彼に志賀への感情を聞くことはできないでいた。
志賀は一度目を瞬かせて、それから心底可笑しそうにクククと喉を鳴らした。武者小路もクスクス笑って、小林の肩を叩く。
「志賀はそこまで繊細な男じゃあ、ないよ」
「おい、武者」
志賀の睨みを受け流し、武者小路はオムライスをまた一口頬ばる。トロリとした卵の触感に頬を緩める親友の顔を眺め、志賀は仕方がないと肩を竦めた。それから頬杖を外し、小林の方を見やる。
「安心しろ、多喜二。既にオダサクにも言ったが、俺は『昔』のことは気にしていないし、向こうに気にしてほしくもない。……さすがと言うべきか、オダサクも同じことを言ってくれたよ。本心かどうかは、まだ判別つかねぇがな」
「そう、ですか……」
「そんな顔するな。師匠だからって、お前の交友関係を縛る気は全くないし、安心しているんだぜ。お前に良い友人ができたことに」
からん。スプーンと皿がぶつかった。志賀と武者小路は驚いた顔をして小林を見やる。しかし当の小林が、一番虚を突かれた顔をしていた。
「ゆう、じん?」
「そうじゃないのか?」
志賀の目線を受けて、武者小路も頷く。
「僕もそうだと思っていたよ、織田くんと小林くんのこと」
違うのかと武者小路に顔を覗き込まれると、ますます小林の言葉は詰まる。
「友人、なのでしょうか」
「じゃなかったら、なんだと云うんだい?」
この図書館に今現在、小林の知己は志賀や武者小路くらいで、二人はどちらかと言えば師や先輩に当たる。織田との関係はそれに当てはまらない気がして、小林はいつも説明に困っていた。しかし、友人という名はどうだろうか。きゅ、と眉が顰まり、スプーンを持つ手に力がこもる。
「……友人と、呼んでよいのでしょうか」
友、信頼、信用、友情――くるくると単語が回り、やがて墨のように溶けて別の単語が顔を出す。裏切り。それは寒くて鉄臭い記憶だ。できるなら思い出したくない。きっと、言葉が詰まってしまうのは、その記憶が原因なのだ。
「……君が呼びたいのなら」
呼んでも良いだろうと、武者小路は言う。そうだなと志賀も頷き、そっと小林の癖毛だらけの頭を撫ぜた。
「思いかけずもう一度拾われて、息を吹いた命だ。名と使命を負ってはいるが、何も前世の因果にまで縛られる必要はない」
ぱ、と小林は顔を上げる。志賀は誰かを想いだしたように目を細め、ふわふわとした小林の毛を指で掬った。
「お前は、お前のしたいように生きろよ」
確かに小林へ向けられた言葉であったが、同時に別の誰かにも向けた言葉のようだった。武者小路も、そんな志賀を仕方がない男だと言うような目で見つめている。二人の間に何か一本線が繋がっているような、そんな不思議な感覚を覚える。
「……羨ましいです」
「え?」
「お二人の関係が」
司書たちに聞いた話によれば、この図書館にはまだいないが、小林と同じプロレタリア文学の文豪も転生する可能性があるという。きっと、その彼らがいれば小林は素直に友人と呼び、志賀と武者小路のように笑って話せる日々になるだろう。それはとても素敵で、心待ちにしていることだ。
「……けど俺は、オダサクともそういう関係になりたい」
今この図書館でやりたいこと、侵略者と戦う以外で、小林は織田と友になりたい。
「なれるさ、お前なら」
小林の言葉に大きく頷き、志賀は満足そうに笑った。
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