猫捜し
今世のお前は猫のようだと、師に言われた。気が付くと狭い場所に入りこんでいるかららしい。前世の生活がまだ染みついているのか、人の多い広間は落ち着かず、こうして部屋の隅、死角になる場所へ向かってしまう癖があるのは確かだ。
帝國図書館と銘打っているものの、一般的な図書館のように一般人へ向けた図書の貸し出しは行っていない。設立理由からすればそれは至極当然のことで、研究所と呼んだ方が正しかった。それでも図書館と名乗るだけあって、蔵書量はかなりのものだ。無論、潜書作業のためである。しかし、侵略者と戦う者が嘗て文豪と呼ばれた人間であることを考慮してくれているようで、潜書の必要がないとされる本に関しては、文豪たちの貸し出し、読書が許されていた。
蔵書室には本を選んでその場で読めるよう、ソファや椅子が設置されている。それは小林の好む死角にもあって、フカフカの椅子に腰を下ろし、背を本棚に預けると、丁度正面の窓から射しこむ陽光が当たる。嘗て読み損ねていた文学書を読み漁るためにも、おあつらえ向きの場所だった。

空気の塊が、口から落ちた。ポカポカとした陽光と満ちた腹が揃うと、眠気までやってきてしまうのが少々難点だ。
「お、君は……」
眠気が最高潮に達し、カクンと首が揺れた頃、そんな声が頭に降ってきた。お陰で意識が浮上する。小林が顔を上げると、杏色の瞳がぱちりと瞬いた。
「アンタは……」
「織田くんと一緒にいた子だよな。えっと、小林くんだっけ」
ニコリと笑う室生に、小林は頷いて肯定した。
室生犀星。最近転生した、北原一門の詩人だ。前世で織田と縁があったらしく、今世では師弟の関係を築いていると聞く。
室生は何かを探すようにキョロキョロと辺りを見回し、やがて目当ての物がないと察したのか、がっかりしたように眉根を少し下げた。
「何か……」
「いや何、ちょっとね」
少し言い淀んだ室生は、恥ずかしそうに頭を掻き「織田くんと一緒ではないんだね」と呟いた。
「オダサクですか? さっき、有碍書へ行きました」
「潜書? 今日、会派一は非番じゃあ……小林くんは行かなかったのかい?」
それに二人と同じく会派一の宮沢や山本は、先ほどエントランスで談笑している姿を見ている。室生の言葉は間違っておらず、小林は頷いた。
「徳田さんの補修が、間に合わなかったみたいです。それで代わりに、会派二の筆頭として」
「はあ……会派一は昨日潜書三昧だったから、今日は非番だと聞いたが?」
「それは……そうです」
思わず小林が口を噤むと、責めるつもりはないと室生は慌てて手を振った。
「全く、彼は相変わらずなようだ」
それが織田作之助という人間の特性なのだと理解しているが、だからこそ嘆息を禁じ得ない。室生はそっと近くの本棚へ視線をやり、指で枠をなぞった。やがて目当ての場所を見つけたらしく、脇に抱えていた本を立てかけていく。
「相変わらず……」
「おや、聞いていないのかい?」
小林は室生よりも早くこの図書館へ転生しており、室生よりも過ごした時間は長い。てっきり、『以前』の話を聞いているとばかり、室生は思っていた。
「そういうことは、あまり」
小林は言葉を濁した。そうか、そうだなぁと室生は笑った。
よく笑う男だ。織田も、常日頃から笑っているが彼のそれと種類が違う。織田の笑顔は確かに目を焦がすような眩しさをもっているが、少し指を伸ばせばペリリと剥がれてしまいそうである。室生のそれは、陽だまりを吸いこんだ座布団のようだ。
室生は全て本をしまい終えると、クルリと小林の方を見て手を叩いた。
「まあ、織田くんの昔話は本人から聞きなさい」
「はあ。……室生さんとオダサクは、」
「ん?」
室生が小首を傾げて聞き返したとき、バタバタと重い足音が蔵書室に響いた。二人が会話を止めて足音のやってくる方へ視線をやると、暫し後、本棚の間からギラリと鋭い銀の眼光が二人を射抜いた。ぞわりと小林の肌が泡立ち、思わずフードへ手を触れる。
「……室生犀星と小林多喜二か」
地を這うような低い声。首元から伸びた襟巻が口まで覆っているから、更に声が籠って威圧感がある。曇り空のような色の髪は少し癖がついていて、フワフワとしていそうなのに、他は全て尖った印象を与える青年だ。
緊張した小林とは対照的に、室生はやれやれといった風に吐息を漏らした。
「誰かと思えば。助手くんか」
そう、彼がこの図書館のもう一人の特務司書だ。
突然この気迫で現れられては心臓に悪い。小林よりも室生の方が図書館所属暦は短いのだが、助手の雰囲気に慣れた様子であるのは、年の功というものだろうか。
多くの文豪から助手と呼ばれている青年は、辺りへサッと視線を向ける。しかし目当てのものはなかったのか、苛立ったように舌を打った。
「織田作之助を見なかったか」
「織田くんを?」
彼は潜書中ではなかったのかと室生が問うと、助手は是と頷いた。
「先刻帰還したんだが、補修が必要な身体でどこかへ行っちまったんだよ」

聞けば、織田は屡々補修室から抜け出して、人気のないところへ隠れてしまうことがあるらしい。そんなときは大抵、『以前』から受け継いでしまった因果である咳に苦しんでいるという。その姿を他人に見られることを、織田は何より嫌っているのだ。小林と言葉を交わしているときも、時たま咳を溢すことはあった。しかし変な音も長く続く様子もなく、小林は織田の「大丈夫」という言葉を信じてさして気にしていなかった。それが良くなかったのか。
以前織田と惰眠を貪った裏庭を覗く。そこに、彼の姿はなかった。
「……もう少し、気にかければ良かったな」
どこかで一人猫のように丸まっているだろう姿を想像し、小林はそっと息を吐く。くぅ、と身体に小さな音が響いた。空腹のそれに似ているが、如何やら腹から聴こえたものではない。
「……ここにはいないか」
館内を探した方が得策かと踵を返したところで、小林は同じように館内へ戻ろうとしていた助手と遭遇した。
「……いたか」
「いや」
そうか、と呟き助手はさっさと扉を潜る。小林も後を追った。他に心当たりがなかったし、特に助手があしらう様子を見せないこともあって、小林は彼の後をついて廊下を歩いていく。
「お、珍しい組み合せだな」
「直哉サン」
よ、と右手を挙げた志賀は助手の鋭い視線をサラリと受け流して、小林の肩へ腕を絡めた。
「まだオダサクは見つかってないのか?」
「はい」
「俺も手伝うぜ」
志賀も会派二として潜書に参加しており、先ほどまで軽い擦り傷を森に手当されていた。だるさは残るが、世話になった筆頭のことも気にかかり、おめおめ自室で休む気にもなれない。志賀はそう言って笑った。
「勝手にしろ」
書庫や空室の扉を開いて中を確認しながら、助手は舌打ちした。とても苛立っている。
「カリカリしてんなぁ。睡眠不足か?」
「余計なお世話だ。……どいつもこいつも……の仕事を増やしやがって……」
後半の言葉は、襟巻に遮られて小林にはよく聞こえなかった。志賀はクククと苦笑する。志賀は聴こえていたのだろうかと小林が視線を向けると、気にするなと言うように頭を撫でられた。
「過保護なんだよなぁ、助手は」
揶揄するような声音に、前方を歩いていた助手がギラリと睨みつけてくる。視線の矛先は志賀であったが、慣れない小林は過敏に反応してしまう。志賀が肩へ回した腕を動かして、小林の額へ手をやった。
「俺の可愛い弟子をいじめてくれるな」
「……ふん」
付き合っていられないと言いたげにサッと顔を背け、助手は足を速める。先ほどよりも早くなった足と背中の気迫が、後をついてくるなと語っていた。
「気にするなよ」
「え?」
「オダサクのことさ」
助手の背中を見送っていた小林がキョトンと目を瞬かせると、志賀はまた小さく笑った。
「アイツはこの図書館一の古株だからか、誰に対しても不調を隠すんだよ」
今生は師と仰ぐ男にも、同じく古株の青年にも。
くぅ、と小林の胸の辺りが、また音を立てる。しかし食事は既に済ませたし、今日は非番だったのでさして運動もしていない。胸やけのような違和感も起こって、小林は何となく胸の辺りを撫でた。
「おーい」
ふと遠くから声をかけられ、小林の思考は霧散した。
廊下の奥で手を振るのは、確か会派一に所属する文豪の一人。褐色のその男の傍には、何かを抱えたように腕を曲げる室生の姿がある。補修室の札がかかった部屋へ入っていく彼を見送った小林たちへ褐色の男が、捜し人が見つかったと告げた。
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