血は愛より赤く、藍より深く
ペチャリと、赤い水たまりを上等な革靴が踏みつける。しかし持ち主はそんな汚れを気にした様子もなく、コキリと首を傾けて鳴らした。
「これで終りかなぁ」
辺りを見回し、呑気に一言。彼の三歩後ろで腕を組んでいたミクリオは、「そうだね」と頷いた。それから耳元へ手をやり、狙撃班であるエドナへ声をかけているようだった。そんな彼の方を振り向き、駆け寄ろうとしたスレイは腕を広げたところでピタリと立ち止まる。パッと開いた手の平を見れば、そこはべっとりと赤い液体に塗れていた。右手には同じように刀身を赤くした短刀も乗っている。赤が手首へ向かって擦れたように伸びているのは、先ほど頬を拭ってしまったからだろう。ということは、今自分の頬も汚れている。それらすべては背後の山を築くときに出たものだ。またザビーダに「お坊ちゃんはやんちゃだねぇ」とからかわれてしまうだろう。
対して、幼馴染はどうだ。
スーツは雪原のように白く、差し色のハンカチーフは水色。ハンカチーフと同じ色のネクタイには、彼の瞳と同じ菫色の石がついたタイピンが煌めいている。スレイの好みをうまく纏めてくれたライラのコーディネートは、スレイのお気に入り。スレイと同じ赤の滲みがついていないのは、ずっと後方にいさせたためだ。折角綺麗なまま事が済んだのだ、今思うままに抱きしめて汚してしまうのは勿体ない。
エドナたちと確認がとれたのか、ミクリオはインカムから手を離した。それから棒立ちのスレイを見て、小首を傾げる。さらりと毛先へ向かって青みを帯びた髪が、白い肌を滑った。
「どうかしたのかい、スレイ?」
「んー……ミクリオって、綺麗だなぁって」
「……何だい、急に」
スレイの言葉に、ミクリオは眉を顰める。スレイはニコニコと笑いながら、短刀を背後へ放り投げた。カランと固い音ではなく、半端に柔らかい布袋の上に落ちた鈍い音が聴こえた。
スレイの肩越しに山の様子を見やったミクリオは、少し吐息を漏らして腕を組み直した。
「しかし随分派手にやったね」
「そうかな」
スレイは振り返りもせず、出口へ向かって歩き始める。ミクリオはまた一つ息を吐いて、スレイの後を追った。
「確かに彼らはウチが禁止している薬を勝手に売り捌いていた。詫びに応じなかったのも減点物だ。しかし幾ら優秀な『掃除屋』がいるからと言っても、今日の君はやんちゃしすぎだ」
「……」
スレイは少し頬を膨らめて、口を噤んだ。ミクリオはハンカチーフを引っ張りだして、スレイの頬を拭う。
「ミクリオ、汚れる」
「ハンカチは汚れを拭うためのものだ」
身を引こうとするスレイを押し留め、グリグリと彼の頬を拭うと、ミクリオは満足したように微笑んだ。汚れた面を内側にして畳み、ポケットへ戻そうとする手を、スレイは掴んで止めた。
「そんなの、とって置かないでよ」
腕を掴むのとは反対でハンカチを取り上げ、ポイと放る。
「あんな奴らの血がついたもの、ミクリオに持たせたくない」
底冷えするような、翡翠の瞳。アメジストの瞳でミクリオはそれを静かに見返し、チラリと掴まれたままの手を見やった。
「……たった今、袖口も汚れたな」
「ああ! しまった!」
慌てて手を放し、スレイはミクリオと距離をとる。ミクリオはいたずらっぽく笑って、スーツのボタンを一つ、外した。
「汚れてしまったよ、スレイ」
このままで良いのか、と視線だけで問う。ミクリオの意図を察し、スレイは小さく笑んだ。
「良くない」
スレイはそっと手を伸ばし、白いスーツを脱がす。赤い花模様が咲き乱れたそれを、ハンカチーフのように投げ捨てた。下に着ていたワイシャツの袖口も同じように赤くなっており、ミクリオは「困ったな」と少しも困っていないような口調で呟く。スレイも同意して頷いた。
「困ったのはこちらの方だよ」
二人の世界へ遠慮がちに足を踏み入れたのは、サスペンダーをつけた青年だった。「ルドガー」とスレイが名を呼ぶと、彼は持っていたアタッシュケースを置き、広がっていた惨状に眉を顰めた。
「全く、また派手にやったね。スレイの遊び場の後片付けは、やりがいがあるよ」
「そうかな。……確かに今日は少し夢中になりすぎたかも」
頭を掻こうとして、スレイは手が汚れていることを思いだし、腕を下ろした。手袋をはめながら辺りを見回して、ルドガーは肩を竦める。
「これは、ここを取り潰す必要があるかもな」
「別に構わないよ、元々廃工場だし、持ち主だって文句言わない」
スレイの言葉に苦笑し、ルドガーは了解したと首を振った。
「さあスレイ、早く帰って身体を洗おう。そんな恰好じゃあ、いつまで経っても僕が君に触れないからね」
「そうだね」
早速仕事に取りかかるルドガーの背へ後は頼むよう声をかけ、スレイたちは廃工場を出る。
「それで?」
車の、上等なビロードの座席へ身を沈めると、ミクリオはそうスレイに訊ねた。赤いビロードは色こそ目立たないが、べっとりとついた液体のせいで滑らかさを失っている。後でエドナ辺りに怒鳴られてしまいそうだが、外で裸になるわけにはいかないから、不可抗力だと許してほしい。
「何が?」
汚れた服を脱ぎながらスレイが訊ね返すと、新しい服を取り出しながらミクリオ「さっきの理由だ」と答えた。
「珍しく君が夢中になった理由」
「ああ……」
手に残った血を汚れたワイシャツで拭い、それを足元へ落とす。やっと触れられる。スレイはミクリオへ手を伸ばし、その白く滑らかな頬を指で撫ぜた。
「……あいつ、ミクリオに触った。それだけならまだしも、気持ち悪い目で見ていた」
「……成程」
ミクリオの返答は存外素気なく、彼は頬に添えられた手に自分のそれを重ねた。
「……怒らないの?」
「エドナやライラに嫌味は言われると思うけど、それに加えて僕からも小言を貰いたいのかい?」
「……」
きゅ、とスレイは唇を引き結ぶ。ミクリオはクスクスと笑って、その唇を指で突いた。その指をそのまま自分の唇へ寄せて、ミクリオは目を細めた。
「それに、嬉しいから僕も共犯だ」
ぶわ、と毛穴が開き、熱が高まる感覚がした。スレイは思わず破顔し、ミクリオに抱きついた。
その後、ミクリオとスレイは揃ってねちねちとしたエドナの嫌味を受けることになるが、このときの二人はそれをすっかり忘れていた。
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