ふたつ
クスクスクス――風が擽るような笑い声。硝子のように磨きあげられた黒い床の上を、赤い靴が弾んでいく。少女は唐突に立ち止まると、両腕を広げたままクルリと振り返った。花のようなワンピースの裾が、ふわりと広がる。
「かわいいかわいい、私の黒兎」
少女の向いには、六匹の黒兎。うち五匹はグッタリと床に倒れ伏し、意識を失っているようだ。意識を保っている一匹も、しかし膝をついて顔を歪めている。彼の腕には黒兎のうちの一匹が抱えられており、熱い息を一つ吐き出した。
「あなたが特別なのは、私が愛したからよ。あなたが世界の一部になったのは、私の愛を受けるためよ」
歌うように踊るように、少女は黒兎へ歩み寄ると、彼の頬へそっと手を添えた。黒兎は触れる手を払おうにも、自由に動かない身体でそれは難しいので、グッと顔を歪めて睨みつけた。
「それなのに、こんな兎へ愛を注ぐなんて」
ストン、と膝を折って座り、少女は黒兎の顔を覗きこむ。鶯色の髪をそっと摘まみ上げ、少女は青白い頬に目を細めた。
「世界の一部になったあなたは、私にも愛を返すべきでなくて? 私だけを愛するべきでなくて?」
「お前……! やめろ……!」
黒兎はようやっと声を振り絞るが、少女の手は止まらない。細く白い手はそっと水へ浸けるように、眠る黒兎の頭の中へ消えていく。ずず、と手が引き出され、少女は「あはははは!」と笑い声を上げた。手の中にあったのは菫色の宝石だった。自ら発光しているようなそれを掲げ、少女はクルクルと回った。
「思ったより綺麗じゃない。小さな小さな兎のくせに」
「返せ……!」
「だぁめ」
両手で包み、少女はその宝石へ頬を寄せる。
「あなたは私に愛されて、私を愛していれば良いの。世界(わたし)を愛して、世界(わたし)のために生きていくの。それらはただあなたを守るだけの子兎――愛を注ぐのは構わないけれど、私に向ける以上の愛はだめよ、それだけはだぁめ」
守れるのならば、存在までは奪わないでおく。約束を守れるのならば、言いつけに従えるのならば。
黒兎は悔し気に顔を歪め、目を閉じた。
「……――分かった」
絞り出すような声に、少女はニンマリと微笑んだ。

とんとん、と爪先を鳴らす。帽子の位置を整え、良しと微笑む。白亜の床を踏み鳴らし、揃い並んだ彼らは耳を揺らした。
「いっちょ殴りこみと行きますか!」
不敵に笑う陽の言葉に同意するように、海は片目を瞑る。「ていうか」と前置いて、陽はクルリと振り返った。
「お前らも行くのかよ。海はまあ、良いとして、夜」
「何で王さまの海さんは良いとして、何だよ」
「元軍人ってことで、武王として通っているからな」
伸ばした人差し指と親指の間に顎を置き、海はニヤリと笑う。夜は小さく頬を膨らめ、譲らぬ意志を示すように腕を組んだ。
「夜」
「足ならお構いなく。隼さん特製のブーツで、遅れは取らないから」
こちらとて元軍人だ。たくさんベルトのついたブールを突きつけるように少し足を持ち上げ、夜は鼻を鳴らした。その枕詞が一番不安なのだと呟いて、陽は眉を顰める。カラカラと笑いながら海が、「諦めるんだな」とその肩を叩いた。
「はじめ、隼はブースト付の車椅子を勧めていたんだ。それよりか、マシだろ」
「まさかあのブーツもいきなりエンジンふかし始めないだろうな……」
「安心しろ、そこは確認済みだ」
手の平を立てて見せ、海は頷く。陽は高揚していた気分が下がり、胃の痛みを覚え始めていた。
「あれ、いっくん、剣は?」
そんな幼馴染を余所に、夜は小声で談笑する郁たちへ声をかけた。陽や夜、海でさえ腰に剣を携えているのに、郁の腰には何もなく涙と同じように身軽そうだ。夜の問いに郁は涙と顔を見合わせた。
「夜は知らなかったっけ」
「実は……」
コツ、と澄んだ音が、空間の糸を張りつめさせた。郁たちは言葉を止め、そちらを見やる。
死を司る剣を携えた魔王は、彼らを見てニコリと微笑んだ。
「お待たせ」
さぁ、行こうか――隼はシルクの布を撫でるように腕を動かし、白兎たちを手招く。海を筆頭に彼らは隼の後へ続き、部屋の壁に掲げられた鏡の前へ並んだ。いつも茶会を行うとき使用する、黒兎王国へ続く扉だ。鏡の前には石でできたチェス盤が置かれていて、無造作に駒が並んでいる。チェス盤に乗っているのは白い駒だが、鏡に映る姿は黒。鏡もチェスも隼が用意したもので、鏡が扉ならばチェスはそれを開く鍵となっている。隼は慣れた手つきで駒を動かした。
「毎度のことだけど、少しワクワクするよね、異世界へ行くのは」
「俺は一度目のときみたいな行き方じゃないことに安堵しかないね」
夜の言葉に吐息交じりの愚痴を返して、陽は肩を振るわせた。一度目――初めて黒兎王国へ行ったときは、白田の開いた穴へ兎よろしく飛び込まされたのだ。底の見えない兎穴を落下していくのは、幾ら死地を経験した軍人と言えど肝を冷やしたもので、陽は向こう側へつくなり隼を殴った。
トン、と白のクイーンを最後に置き、隼はニコリと笑った。
「さあ開け、扉」
ぽう、と鏡が淡い光を放つ。白兎たちは顔を見合わせて頷き合い、そっとそこへ足を踏み入れた。
目を覆うような光はすぐに止み、次に視界が開けたとき白兎たちは今まで見たことない場所にいた。
「ここは……どういうところなんでしょうね?」
困惑を隠せず、郁は辺りを見回した。いつもならば、緑の芝生が暖かい庭園へ出る筈だ。それなのに今眼前へ広がるのは、ミルクを溢したような霧が立ちこめる不思議な空間。試しに地面を叩くが、コツコツとまるで大理石の床のような音を立てる。
「解説の隼さん」
「ん〜、これは僕も予想外」
海の振りにニッコリと笑い、隼は腕を組んだ。どういうことだ、と陽は眉を顰め、腰へ手を当てた。す、と剣の柄へ手をかける。
「どうやら、『世界の意思』にはお見通しだったみたいだね」
陽は剣を抜くと同時に隼の横を通り過ぎ、彼へ向けて振り降ろされんとしていた剣を弾き飛ばした。びりびりと痺れる手に顔を顰めながら、弾き飛ばされた兎は後方へ飛び退った。
「いって〜」
緊張感のない間延びした声。もう一匹の兎を見つけ、夜はそっと陽の傍らへ並んだ。背中合わせになった二人は剣へ手をかけ、真っ直ぐ現れた兎たちを見据えた。
「!」
そのときグワリと地面が波打ち、陽と夜を除いた白兎たちを飲みこんだ。ピクリと反応する身体を押さえつけ、夜は顔を歪める。海の腕を引き寄せた隼がニコリと微笑み、「大丈夫」と口だけで伝える。それを信じたのだ。
とぷん、と波紋を立てて静かになった空間。分断されたのだとはすぐ分かり、夜はそっと抜刀した。黒兎たちも背中合わせになり、抜き身の剣をこちらへと向ける。
「新……葵……」
暗い決意を宿した瞳は、いつかの自分たちのようで、キリリと胸を締め付けられる感覚を抱きながら、夜は目を閉じた。
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