鬼灯契り
・九尾長男、烏天狗次男、百目鬼三男、猫又四男、ろくろ首五男、雪ん子末弟


何故泣いているのかと、そう問われた。
暗い、山の中であった。木々が揺れ、たまに動物しか通らない視界に、赤い着物と柔らかそうな赤茶けた尾が映りこんだ。何だろうと思い、数多くある目玉を動かすと、二つ目の顔がこちらを見下ろしている姿が見得た。
「泣いてる?」
思わず、聞き返していた。目玉しかないと思っていたが、どうやら訊ね返す口はあったらしい。そのことに驚いていると、途端にどろどろとしたものが身体を這っている感覚が湧き上がった。別の角度から視界を補う目玉が、尾を揺らしながら笑う横顔を捉える。
「泣いてるだろ」
瞬きを繰り返す中、一番大きな目玉のうちの一つの端を、生温い指がなぞる。少し持ち上げて見せられた彼の指は、てかてかと濡れ光っていた。少し間を置いて、彼の指を濡らす水のようなものが、先ほど指が触れた目玉から零れたものだと分かった。
「僕の?」
「そうだって」
カラカラと笑うと、彼の頭で三角の耳が揺れた。たまに見かける、狐とかいう生物のものに似ている。しかし頭を覆う毛は耳と違って黒く、全身を覆ってはいない。赤い着物の袖からのぞく腕はつるつるとしていて、少し固そうだ。
「君は、狐なの?」
徐に傍らに腰を下ろし、彼は立てた膝へ綻ばせた口元を寄せた。彼の臀部からゆらりと立ち上がる尾が悪戯に目玉を撫でていって、むず痒さに思わず身を捩る。
「どう思う?」
「人間のようにも、狐のようにも」
あまりにもしつこい尾を目玉で睨みつけると、彼はハハと笑ってそれを引っ込めた。
「狐だよ。九尾の狐」
半端に持った妖力で、化けることだけはできるのだと、彼は言う。ふーんと相槌を打ってしなやかに弧を描く指を目玉で追うと、突然ズイと彼は顔を大きな目玉に近づけてきた。
「お前もやってみる?」
「……は?」
「そんな目玉だけの恰好よりずっと便利だぜ!」
腕を大きく広げ、彼は声を上げた。なあなあ!と彼は身体をびゅんと起して、大きな目玉に詰め寄って来る。どろどろとした身体が驚いて波打ち、半分ほどの目玉は閉じてしまった。
「でも、どうすればいいのか……」
「お前だって妖怪としての力持ってるんだから」
ニシシと笑って、彼は手をひらひらと動かした。仕方なく言う通り、彼を見つめた。
「まずは?」
「まずは……そうさな。腕だ」
「腕?」
「そう。俺と同じようにしてみ。一本じゃあだめだ、二本。多いほどいいかもしれないけど、俺は絡まりそうだから嫌だな」
そんなものだろうかと思いながら、取敢えず彼と同じような腕を想像してみる。どろどろとした身体を隆起させ、にゅぅ、と腕を二つ。
「次は、指を五本。これが物を掴むのに丁度良い」
言われるまま、伸ばした腕の先を五つに分ける。彼は満足げに頷いて、次だと言った。
「足は?」
「途中に節を作って二本」
「首は?」
「少々はあった方がいい。けど、お前はなくとも辺りを見渡せそうだな」
隆起した身体にくっついて残ったままの目玉を突きながら、彼が笑った。チクチクとした痛みがあったので瞬きしながらそれを払い、ぐぐ、と首を伸ばす。
「口は?」
「一つ。二つあったら、食べる方と喋る方と分けなくちゃならねえし、三つ以上はある意味がない」
「ヒゲは?」
「お前には必要ないよ、そんだけ目玉があるんだから」
「顔は?」
「ああもう、面倒臭いなぁ。俺と同じようにしてみろって」
自分から言いだしたくせにもう飽いたのか、彼はしっしと手を払った。鼻と口と耳と、目は一等大きなものを二つくっつけろと、至極適当に言い放つ。なんて無責任な奴だと、できたばかりの頬を膨らませた。
「……できた」
やがて彼を見倣って作った指を開いて閉じて。それからペタペタと顔を撫でる。所々ヌルリとした感覚とチクチクとした痛みがあったから、目玉は大分残ってしまったようだ。まぁ、形は言われた通り人間のものだから、文句ないだろう。
どうだ、と少々胸を張りながら彼の方を見る。すると先ほどまで眠そうにしていた彼は、すっかり目を丸くしていた。何か失敗しただろうかと肩を竦めると、彼は少し困ったように苦笑した。それからまた顔を近づけ、できたばかりの顔へ手を伸ばす。
「……そこまで俺にそっくりにしろとは、言ってない」
彼の瞳に、彼と瓜二つの顔が映っていた。

バサリと広がった翼は、夜の闇よりも黒い。立派なものだと感想を溢すと、烏はそうだろうと特異気に胸を張った。その顔が少々癇に障ったので、鼻先に伸びてきた羽根をブチリと毟ってやった。痛みに呻く彼を放って、手に入った黒い羽根を日に翳す。毛艶も良く、羽軸も太い。中々立派ではないか。
「しかし、お前はまた変わった姿形をしているな」
痛みから復活した烏は嘴を撫で、じろじろとこちらを見つめる。羽軸を持ってくるくると回し、そうかと首を傾げれば、そうだと強く頷いた。
「狐なのだろう?それは、人間の姿か。良いものなのか?」
「まあね〜。慣れれば二つの足も五本の指も便利なもんだ」
目前で指をバラバラと動かして見せると、烏はフムと下の嘴を撫でる。
「成程……その衣装も、粋というやつだな」
「ああ……まあ、そうかな」
恰好つけたような烏に、思わず乾いた笑みがこぼれた。しかし烏がそれを気にした風はなく、成程成程と何度か頷いて、バサリと翼を広げた。漆黒の翼で身体を包みこみ、烏は一回転。バッと再び翼が開かれると、そこから姿を現した烏は人間の形をしていた。
「どうだ!」
ニヤリと笑う烏に、頬が引き攣る。烏は浮世絵の被写体にでもなるように、腕を組んだり腰に手をやったりして見せつけてくる。思わず顎を突き上げるように拳を叩きつけた。
「なんで、俺と同じ顔なんだよ!」
「手本としたんだ。しかし少々アレンジしたぞ!」
「南蛮語を使うな!」
ああもう!と叫ぶが、烏が懲りた様子はない。何を叫んでいるのだと、心底不思議そうな目を向けてくるだけだ。気にするだけ体力を無駄にするだけだと感じ、さっさと踵を返した。それでも烏が追ってくる気配は感じ、これから面倒ごとが続きそうだと、溜息が自然と零れた。

「赤子の泣声がするんだ」
そう言ったのは烏だった。百目と猫は胡乱気な視線を向け、こんな日にかと土間を見やった。つっかえ棒で閉じられた扉は、外からの風でガタガタと揺れている。それもその筈、外は歩けないほどの猛吹雪であるのだ。疑わしき目を向けられた烏は慌てて手を振り、本当だと弁明した。縋るように、囲炉裏で温まっていた狐へ視線を向ける。
狐は手を擦り合せ、肩を竦めた。思い当たらないこともない、しかしそれは放っておいても良いものだ、気にするなと。狐の言に、しかし烏は眉を顰めた。
「泣く赤子を放ってはおけない」
「あれは赤子であって、赤子じゃない」
面倒事を引きこむ気はないときっぱり言って、狐は肩にかけていた半纏の前を手繰り寄せると、ゴロリと横になった。狐の言うことならその通りにしようと、猫と百目は興味を失くしたように烏から視線を外した。烏はまだ納得できないようで、狐と揺れる戸を見比べて腕を組む。
「……よし」
とうとう覚悟を決めたようで、烏は戸を少し開けると、滑るように吹雪の外へ出て行った。全く物好きだと猫たちが溜息を吐いて暫くして、翼まで凍えた烏が帰ってきた。腕は何かを抱えているような形だが、そこには青白い光のようなものがあるばかり。そこからは更に赤子の泣声がして、百目たちは目を丸くした。本当に連れてきたのかと、狐は呆れた顔で身体を起した。ぐるりと首を伸ばして烏の腕の中を覗きこみ、ろくろ首は何を持っているのだと問う。烏は分からぬと首を振った。
「お前、本当に山の妖怪かよ」
半纏を着込んだ狐は苦笑して立ち上がると、烏の腕にあるその何かをさらった。烏と同じように、赤子を抱くように腕を作って、狐は身体を揺らす。
「それ、なあに?」
ろくろ首が問う。
「雪ん子さ」
狐は答えた。それから彼は歌うように言葉を紡いだ。
「雪ん子やい、泣くなよ。泣けば更に凍えるぞ」
姿を見せとくれ、そのままでは涙も拭えず、声を聴くこともできない。それは、嘗て百目が狐から言われたのと同じようなものだった。それを赤子のために、易しく歌い直して教えているのか。
少しずつ、青白い雪の光が溶けるように、狐の腕の中で赤子が姿を見せる。おお、と烏は喜色ばみ、狐の腕から赤子を取り上げた。桃色の頬をふくふくとした赤子は顔を顰めたが、烏は気にせず嬉しそうにクルクルと回る。あまりに羽根を撒き散らすものだから、猫が烏を蹴り飛ばした。
「まぁた同じ顔かよ」
烏の腕の中でウトウトとし始める雪ん子を見やり、狐は小さく笑った。

「誰も彼も俺の真似しやがって」
不貞腐れたように頬杖をつき、狐が吐き捨てる。彼と並んで日向を楽しんでいた猫は、ゆるりと首を持ち上げた。烏に百目に猫に―――ろくろ首は元からなのかもしれないが―――雪ん子に。誰も彼も、狐の顔を元に変化する。それは彼らが人間と出会ったことがないからだ。
「……アンタだって、誰かの真似じゃないの?」
彼だって元は狐。その人間の顔は、手本がないと作れたものではないだろう。猫の言葉に、狐は痛い処を突かれたように顔を歪め、髪をかき上げた。
「……昔、人をからかおうとしてさ」
鶴のふりして、男へ近寄ったのだ。昨日助けてもらった鶴です―――なんて冗談もつけて。しかし男は田舎住いにしては用心深く、門前払いされてしまった。その男の顔を、腹いせに真似したのだと、狐は笑った。
「……で、俺たちはアンタのその顔を更に真似したわけか……」
「あはは!迷信も妖怪も信じないような男だったからな!この状況を見たらなんて言うかな」
陽気な狐の笑い声につられて、猫の口元も緩む。ふと、視線を感じて猫がそちらを見やると、立てた膝に頬を寄せた狐が、柔らかく微笑んでいた。その顔に思わず息を飲むと、伸びてきた狐の指で、そっと頬を滑る。
「お前が一番似ているよ」
それは、誰に。そう猫が訊ねると、狐はクスクスと笑って、黒い猫毛を撫でた。
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