秘密(210913)
※怪物づかいツナ

旅に出る前に、一つだけ約束させられたことがある。
それは、本当の名前を誰にも教えない、ということ。
ツナを怪物づかいの末裔だと見定めた魔法使い曰く、名前とは魂であり本質である故知られるということは、魂を握られると同意であるという。魂を握られるとはその言葉通り、生かすも殺すも名前を知った相手次第。だから、怪物づかいのような特別な人間や、強力な力を持つ怪物たちは本当の名前を隠しているという。
難しい話に頭がついていかなくて、ツナは目を回しそうだった。その様子を察した魔法使いは一つ溜息を吐いて、「とにかく、この旅の間に出会う人や怪物たちへ、本名を名乗ってはいけません。『ツナ』とだけ教えるのですよ」と念を押した。
ツナはコクンと一つ頷いた。綽名のようなものだから違和感はない。それくらいならツナにだって簡単にできることだった。
それが、旅に出る前の話だ。
「怪物づかいのツナ」
開いた玄関の扉前、それだけ言って腕を組み、じっとこちらを見つめてくるのは先の旅の目的であり過去の敵であった吸血鬼。ノックされるまま扉を開いた状態で、ツナはポカンと口を開く。ヒバリンは暫くそのまま立っていたが、やがて不思議そうに首を傾げた。
「怪物づかいのツナ?」
「はい、ツナですが……」
「……そういうこと」
ツナが返事をすると、不機嫌そうにヒバリンは顔を顰める。
「へ?」
「良いから早く家に招きなよ」
「いや、意味分からない……何か俺に用事?」
殺気はないから、戦いに来たわけではないようだ。ツナは半身を下げ、ヒバリンを家の中へ促す。ヒバリンはピクリと眉を動かしたが、フンとマントを揺らして家の中へと入った。ズカズカ上がりこむ背中を見やりながら扉を閉めるツナは、吸血鬼は家主に招かれなければ家に入ることはできないということを知らなかった。
「狭い家」
「そりゃ、ヒバリンの城に比べたら……」
町から少し外れた場所にあるこの家を訪ねてくる友人はいない。ツナが一人暮らしする分には、十分な広さだ。
「何をしに来たんですか、ヒバリン」
「ココナッツジュースはないの?」
こちらの質問には答えないくせに、注文ばかりつけてくる。極悪怪物と呼ばれていただけはある傍若無人ぶりだ。
「ミルクならありますけど……」
「ふぅん、それで良いや。蜂蜜入れてね」
反論する気力もすっかり削がれて、ツナは頷くとヒバリンの要望通り蜂蜜を入れたホットミルクを作って、ダイニングテーブルの前に座った彼へ振舞った。カップを持ってコクコクミルクを飲み始めるヒバリンを向いの席に座って眺めながら、ツナは首を傾げた。
「本当に何をしに来たんだろう……」
ポツリ、と独り言のつもりで呟く。すっかりミルクを飲み干したヒバリンは、口周りについた白をペロリと舌で舐めとった。
「君に会いに」
「へ?」
「二言目にはそれだ。鳴き声かい?」
怪物づかいの生態は知らない、とヒバリンは平然と言ってのける。ツナはブンブン首を振って、先ほどの言葉の意味を訊ねた。
「俺に、会いに?」
「そう。初めて僕を倒した怪物づかい。百倍にして返そうと思って」
「ひ!」
思わずツナは持っていたお盆で頭を庇った。あのときのように鋭い攻撃が飛んでくるかと思ったが、予想していた衝撃は来ない。そろそろツナが視線をやると、机に頬杖をついたヒバリンは何かを考えこむように口をヘの字に曲げている。
「ヒバリン? ……何か、拗ねてます?」
「……どうして僕が拗ねなくちゃいけないのさ」
へそを曲げた雷小僧と同じ顔をしていたから、なんてとても言えず、ツナは口を噤んだ。
「すみません、今度ココナッツジュースとハンバーグを用意しますので、百倍返しは勘弁してもらいたいなーなんて……」
ヒバリンの顔を伺いながら並べた言葉尻が、小さく消えていく。サッパリ考えていることが分からないヒバリンに、ツナの背中は汗だらけだ。
「ツナ」
「はい」
「……」
「ヒバリン?」
名前を呼ばれたから返事をしたら、また不機嫌に黙り込む。どうしてそのような顔になるのか――もっと言えば、どうして何かを見据えるような瞳を向けて名前を呼ぶのか、ツナには分からない。
睨めっこのような状態が数分続いた後、ヒバリンはため息を吐いて目を閉じた。
「成程、怪物づかいね……真名隠しはしっかりしているわけだ。入れ知恵したのはあの魔法使いかい?」
「まな?」
「本名じゃないんだろ、『ツナ』」
ツナは目をパチリと瞬かせた。確かに旅の始まりに、魔法使いから本名を名乗らないよう念を押されていた。「ちっとも術にかかりゃしない」というヒバリンの呟きを拾い、ツナは魔法使いの言う通りにしていて良かった! と心の中で手を合わせた。
「教えなよ」
「い、いやですよ! 百倍返しするんでしょ!」
「それも良いけど」
ニヤリとしたヒバリンの笑みに、ゾゾゾとツナは背筋を震わせる。立ち上がりかけたツナの襟元を掴んで、同じように立ち上がったヒバリンはダイニングテーブルに手をついた。グイと引っ張られ、息苦しさを感じながらツナもテーブルに両手をつく。
ふ、と唇に息がかかるほどヒバリンの顔が近づいて、赤い唇の端から零れた鋭い歯がよく見得た。
「真名で縛るのも悪くない」
(ひー!!)
悲鳴は口から出ることなく、喉をひっかいた。カチコチに硬直するツナを見て、ヒバリンはいじめっ子のように笑った。
「早く吐きなよ、君の名前」
「いやです、絶対いや!」
「僕のも教えてあげるから」
へ、と今度は言う暇がなかった。更にグイと引っ張られたツナは、左耳をヒバリンに晒してしまう。牙の覗く唇が動き、小さな音をツナの耳に吹き込んだ。その際、カリリと牙が耳朶を掠め、ツナの頬がカッと赤くなる。
「何、吸われたいの?」
血の溜まった頬を見て、ヒバリンはペロリと舌なめずり。ツナの頬からサッと血の気が引き、顔が青くなる。ヒバリンは忽ちつまらなさそうに笑みを引っ込めた。
「ほら、僕は教えたよ」
「そ、そう言われても!」
「僕の秘密を暴いたくせに、自分はだんまり決め込む気?」
「理不尽だ!」
勝手にしゃべったくせに、とツナは言い返すがヒバリンは意に介さない。ブンブンと掴んだ襟首を前後に振って、ヒバリンは答えを促す。しゃべらない、というより頭を振られる衝撃でしゃべれないツナは、暫くヒバリンによって盛大に頭をシェイクされた。
漸く解放されたのは、ヒバリンのお腹の虫が鳴ったからだ。「ハンバーグ作って」という言葉と共に手を離されたツナは、ストンと椅子に腰を落とした。回る目が落ち着いてからツナは台所に立つ。背後でこちらを見つめるヒバリンの視線を感じながら、ツナは内心首を傾げる。
「急にやってきたかと思えば……ヒバリン、どうしちゃったんだろ」
城で出会ったときも少し変わった怪物だったが、こんなことを言うなんて――さらに言えば、自分の方から弱点を曝すなんてこと、するとは思わなかった。
「……まぁ、いいか」
難しいことを考えるのに向いていないツナの頭は、これ以上の思考を無駄と判断した。取敢えず近い危機を回避することに専念しようと、冷たいひき肉に手を突っ込んだ。
秘密を暴くまで家に居座り続けるというヒバリンの企みをツナが知るのは、ベッドに入る時間帯になってからである。
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