かごめ
桃色の袖を揺らすトド松の後をついていくと、カラ松は母屋の端の一室に通された。掃除は済んでいるから好きに使えと、山側へ面した窓を開きながらトド松が言う。ヒラヒラとした女物の着物の背中を、カラ松はぼんやりと見つめた。
「……何?」
荷物を持ったまま入口で立ち尽くすカラ松を、振り返ったトド松は怪訝そうに返り見た。カラ松は慌てて部屋に入り、荷物を置く。
「いや、その……」
言葉を濁し視線を泳がせるカラ松の様子に、トド松は何か納得したように頷いた。彼は袖を摘まんで両腕を広げた。
「変でしょ?三人揃って女装なんて」
「え、いや……」
確かに、初め見たときは驚いた。カラ松と同じ顔をしていいたから一目で男と分かる青年たちが、揃って女物の着物を着ていたのだから。
「見ていて気分悪いなら、食事は別室にしても良いよ」
「いや、似合っていると思うぞ?」
トド松の言葉を遮り、カラ松はきっぱりと言う。そのケロリとした顔を見て、トド松は少々眉を顰めた。「そう」と素気なく言って、さっさと部屋を出て行く。
「あ、おい」
「案内はした。あとは好きにすれば?」
あまり汚したり詮索したりしなければ、出歩いても構わない。そう付け加えてヒラリと袖を揺らし、まるで風に舞う桜のように、トド松はカラ松の手をすり抜けていった。
「……」
何も掴めなかった手の平を見つめ、カラ松は胸に漂う既視感に首を傾げるのだった。

【承・一】

「ムカつく!」
翌日の昼、チョロ松は大層ご立腹であった。彼と十四松と丸くなって弁当を囲んでいたカラ松は、頬張ったから揚げを咀嚼する。チビ太から出かけに持たされた、弁当のおかずだ。チビ太はイヤミの口添えがあって、カラ松たちと共にあの屋敷で住みこみの家政夫として働くことになった。得意料理はおでんだと豪語するが、他の料理も中々のもので、しっかりタレが染み込んだから揚げは特に美味だ。
「特に長男!」
美味しい弁当を食べても苛立ちは収まらないらしく、チョロ松はプリプリとしながら米をかきこんだ。カラ松はその様子を見守る。隣では食べ終えた十四松が、バチンと音を立てて手を合わせた。
「朝っぱらから人の部屋に乱入してきやがって!しかも人を追いだした布団で、二度寝するか!?」
朝の騒動はそれだったのか、とカラ松は独り言ちる。それ以外にもおそ松との間に何かあったようで、チョロ松はブツブツと文句をぼやきながら箸を動かしていた。性格的には似通ったところがあり、気が合う二人だろうとカラ松は思うのだが、珍しく空気を読んで口を噤んだ。十四松の「同族嫌悪かな」という呟きに、こっそり頷く。
「そういえば十四松、今日はイヤミのところへ寄るのか?」
部活のない日は、イヤミの家へ寄って退魔術を習うことになっている―――しかし上二人は諸々の理由で不参加のことが多く、真面目に無欠席を続けているのは十四松だけだ―――。弁当箱をしまいながらカラ松が問うと、十四松は勢いよく首を横に振った。
「これからは家にイヤミが来てくれるって。庭、すっげー広いしね!」
「そうか」
「カラ松兄さんもやる?」
どうしようかなと呟きながら、カラ松は左上腕をそっと撫でた。包帯で覆われたそこを一瞥し、チョロ松は「それを診てもらえば」と真剣な声音で言った。
「これか?しかし特に何の影響もないし……」
「けど、消えていないんだろ、その跡」
チョロ松の言葉に曖昧に頷き、カラ松は頬を掻いた。包帯の下には、いつの頃から浮かんでいたか、蔦のような痣がある。イヤミ曰く、幼少に受けた霊障の跡であるらしい。既に呪いの効果は取り払われており、ケロイドのようなものであるとも言っていた。呪いの再発の予兆はないが、チョロ松は心配なのだろう。
「チョロ松兄さんは?」
「僕はいいよ」
十四松の誘いを素気無く断り、チョロ松は片付けた弁当を手に腰を上げた。
「僕は二人と違って、才能がないからね」
最後にカラ松へもう一度念を押し、チョロ松は屋上を後にした。

「お帰りなさい」
帰宅してすぐ居間を覗くと、桃の花の散る着物を纏ったトド松がだらりと座椅子に凭れていた。荷物を置き、「ただいま」と返す。トド松は机に広げたスナック菓子を摘みながら、テレビのドラマを見ていた。男女の恋愛がテーマらしいドラマに夢中なのか、トド松はそれ以上視線を向けてきたり声をかけてきたりしない。そわそわと肩を揺らしながら、カラ松は膝を折って座った。
「……早いんだな」
「ん?」
漸く、トド松がカラ松を見やる。それにぶわりと喜色が湧き上がるのを感じながら、カラ松は「帰りだ」と言った。トド松は「ああ」と頷き、スナックをまた摘まむ。
「別にどこへも出かけてないし」
「……は?」
またドラマへ視線を戻すトド松の言葉に、カラ松は目を瞬かせた。トド松、とカラ松が名前を呼ぶと、彼は少々面倒臭さそうに「なあに?」と顔を向けた。
「いや、どこにも出かけていないって、え……学校は?」
「行ってないけど」
それがどうかしたのかと、トド松は純粋な目で小首を傾げる。カラ松は視線を動かしながら、どう訊ねたものかと頬を掻いた。
「……いや、てっきり、同じ高校生なのかと……中卒だったのか」
「まあ、義務教育くらいはね」
「?金がなかったのか?」
こんなに大きな屋敷を持っていて、金銭的に余裕がないとは思えない。だがカラ松たちに援助金は与えられていなかったし、チビ太以外に家政婦はいないようだから、案外見た目に寄らないのかもしれない。
「生贄に、そんなの必要ないでしょ」
しかしトド松から返ってきた答えは、カラ松の想像を遙かに超えていた。
「……どういう、ことだ?」
「そのままの意味。生贄は生贄らしく、その役目を果たすことだけを考えてろってこと」
だから高校に通う必要はないのだと、トド松は事も無げに言った。スナックを口へ放りこんだ彼はテレビを見やり、既にドラマが終了していることに気づくと、少々落胆した様子でリモコンへ手を伸ばした。
「……ずっと、この屋敷に?」
「まあね」
「……そうか」
カラ松は低く呟くと、スクリと立ち上がった。漸く気にいる番組を見つけて、トド松は座椅子へ浅く凭れるとリモコンを机に置く。居間を出て行くカラ松の背中を目端に捉えつつ、トド松はスナック菓子を摘まんだ。
ドタドタと大きな足音を立て、カラ松が再び居間へとやってくる。名前を呼ばれてトド松は視線をやり、盛大に顔を顰めた。障子の傍らに立ったカラ松は、サングラスを外しニヤリと笑った。
「俺と一緒に、」
「だっさ」
「え」
「何その恰好。自前?ないわー」
辛辣なトド松の言葉に、カラ松はヒクリと頬を引き攣らせた。
「で、そのダサい恰好でどうするって?」
「……フッ」
話を元に戻され、カラ松はサングラスをかけ直すと、パチンと指を鳴らした。
「出かけるぞ、トッティ!」
「はあ?」

「……ねぇカラ松兄さん」
プァー、とどこか気の抜けた音を残して、電車が通り過ぎて行く。人気の疎らな駅に背を向けて、トド松は椅子に腰を下ろしていた。彼の手には古びた釣り竿が握られており、目の前にある底の見えない水面へ糸を落としている。膝に頬杖をついたトド松がチラリと視線を向けた隣では、足を組んだカラ松が胸元から取り出したサングラスをかけていた。
「フッ……何だ?」
サングラスをかけた指を弾き、カラ松はウインクを一つ投げる。トド松の腕でぞわりと鳥肌が立った。
「何で恰好つけてんの?てか、恰好つけてんの、その服装?」
スパンコールを縫い合わせたようなギラギラとしたズボンに、自分の顔をデフォルメしたアップリケ付のタンクトップ、更には背中に髑髏マークのついた革ジャン―――何を目指して誰にアピールしたいのか、全く分からないデザインばかりだ。トド松も出かけに同じような革ジャンとズボンを押し付けられそうになったが、全力で拒否した。しかし和服以外の服を持ってはいなかったため、しっかり帯を締めた着物姿。そんな姿で釣り堀にいる自分も、この場には相応しくない。
「フッ……」
ニヤリと笑ってカラ松はサングラスを外すと、それを思い切り水面へ投げつけた。ズブズブと沈んでいくサングラスを見つめ、トド松は「どういうことなんだろうか……」思わず呟いた。カラ松は特に気にした様子も見せず、片手で釣竿を支えている。
「……で、わざわざ釣りをするために僕を連れだしたの?」
竿を引いて針の先を確認すると、つけた筈の餌だけきれいになくなっていた。トド松は小さく舌打ちして、新しい餌をとりつける。カラ松は痺れたのか脚を組み直し、糸を揺らした。
「ああ。他にどこか行きたい場所があれば、連れて行くぞ」
「……いいよ、よく分からないし」
「そうか」
カラ松は素直に頷き、視線を自身の釣り竿へ戻した。餌を付け直した糸を放り、トド松は膝へ肘を置く。平日の夕方、周囲にいる他の客は暇を持て余した老人ばかりで、服装を差し引いても二人は少々浮いていた。
「……スタバァの、新作ラテってやつ……飲んでみたい」
「オーケー、帰りに寄っていくか!」
カラ松はニヤリと笑い、脱いだ革ジャンを水面へ叩きつけた。

キィ、と錆びたブランコに座り、トド松は手にしたカップから伸びるストローを加えた。吸うと、舌にトロリとした甘味が乗る。以前雇っていた家政婦が作ってくれた甘酒よりも、鮮やかで刺激的だ。口元を緩め、トド松はブランコを軽く揺らした。
「美味しい〜」
「お気に召したようで何よりだ―――ぶえっくしゅ」
ブランコの支柱に背を凭れて腕を組んでいたカラ松は、大きく肩を揺らした。春先とは言え日が傾き肌寒くなったのに、ジャケットを羽織らないでいるからだ。そのジャケットは釣り堀で水浸しにしてしまったので、しょうがない―――いや、水浸しにしたのは彼の過失だから同情の余地なしか。
トド松は膝に頬杖をついて、吐息を溢した。カラ松はブランコの鎖を掴み、そこに座る彼を覗きこんだ。
「今度は服を買いに行こう。その恰好だと動き辛いだろう」
「……服?」
「ああ。センスの良いやつを選んでやろう」
「はあ……」
トド松はヒクリと口もとを引き攣らせた。本日の服装を見る限り、とてもカラ松のセンスがトド松の趣味と合致するとは思えない。何とかそれだけは回避しなければ。ふと、トド松はストローから口を離し、顔を上げた。
「トド松?」
「……カラ松兄さんさ、」
空になったカップを差し出し、トド松はきゅるるんと効果音がつきそうな笑顔を向ける。カラ松はまごつきながらも、カップを受け取った。
「少し戻ったところにコンビニあったでしょ、そこで温かいもの買ってきて。ついでにゴミも捨ててきて」
「え?」
「冷えちゃったみたいなんだよねー。肉まんとかで良いからさ、ほら」
ぐいぐいと背中を押され、カラ松は渋々と足を動かした。公園の門を出て振り返ると、トド松はブランコの傍らに立ったまま、ひらひらと手を振っている。仕方なく、彼はそのまま言われた通り、先ほど通り過ぎたラッキーセブンがトレードマークのコンビニへ足を進めた。
「あれ、カラ松兄さん?」
聞き知った声に呼ばれ、カラ松は立ち止まる。少し視線を上げると、黄色い袖をはためかせた十四松と目があった。コンクリートの垣根上に立った彼は、札をたくさんつけたバットを担ぎ、細い煙を吐く煙管を右耳にさしている。
「十四松、」
「兄さん、どうかしたの?」
「ああ、実は、」
「おい、クソ松」
不機嫌そうな声に言葉を遮られたが、その出どころが分からず、カラ松は目を瞬かせた。すると十四松のさす煙管の煙がひとところに集まり、ふわりと人の姿を現す。十四松の耳から煙管を抜き取ってくわえ、紫の着物姿の一松は彼の頭へ腰を乗せた。
「お前、トド松と出かけたんじゃないのか?」
「え、トド松とお出かけ!?」
一松の重さを感じていないのか、十四松はブンブンと腕を上下に振る。紫の着物の袖が煙のように揺らめいているのを目端で捉え、カラ松は思わずこめかみを抑えた。
「あー……まあ、そうだな」
「トド松は?」
「少し先の公園で待たせている。肉まんが食べたいと言ったから、買いに行くところだ」
カラ松は説明すると、一松は煙管から口を離し、大きく舌を打った。
「ほんっと、クソ松だな」
「は?」
「十四松、行くぞ」
「あいあい!」
状況を把握していないカラ松を一人置いて、一松を肩車するように乗せた十四松はググッと短距離走を始めるようにアキレス腱を伸ばした。と、そこでふとカラ松へ視線をくれる。
「カラ松兄さんも、戻ろう」
「十四松?」
「公園の方から、強くて危ない匂いがするんだ」
それだけ言い置いて、十四松は垣根を全速力で駆けだした。薄暗がりでも目立つ黄色は、すぐに見得なくなってしまう。カラ松の思考の止まった頭は「追いかけなければ」という目的だけを弾き出し、足へそう伝達した。じく、と包帯で覆った左腕が痒みを持ったような気がした。脳裏に笑顔で見送るトド松の姿が浮かび、自然と眉間へ皺が寄る。どことなく違和があるように感じていたが、まさか。急いでいたためか、コンクリを薄く覆っていた砂利で足が滑る。少々崩したバランスを踏ん張りで持ち直し、カラ松は公園へ駆け込んだ。
「!」
電灯が一本だけしかない公園は、薄暗い。しかし夜空に浮かんだレモン型の月のお陰か、然程視界には困らなかった。
闇から生まれ落ちたような黒い身体を持つ鳥が一羽、すべり台のふもとにある砂場に降り立っている。一目で烏やその他一般的な鳥類でないと分かる。それは中型犬ほどの大きさだからだけでなく、少し持ち上げた翼の裾が炎のように揺らめいており、更に額とおぼしき場所に三つめの目玉があるからだ。先に辿りついていた十四松は電灯の上に立って、鳥を見下ろしている。一松は変わらず煙を吐きながら、悠々と腕を組んでブランコの支柱に腰を下ろしていた。そして、鳥と向かい合う位置でカラ松に背を向けて立つのは、
「あーあ」
ふわり、と淡く桜色に色づく尾が夜闇に揺れる。不機嫌そうな声を溢し、彼はチラリと視線をカラ松へくれた。
「カラ松兄さんまで来ちゃったの」
腰の辺りに三本の尾、頭には三角の耳を二つ。狐のようなそれを携え、トド松はカラ松の姿を認めると目を細めた。
「トド松……?」
「んなこと言って、お前一人じゃ何もできないだろ」
戸惑うカラ松を余所に、一松は煙管から吸いだした煙をトド松へ向けて吐き出した。煙はまるで意思を持つようにふよふよと空中を這い、トド松の頬を撫でる。首から顔を取り巻くようなそれを、トド松は鬱陶しいと言いたげに手で払った。一松はその顔が愉快だと言うように、クックと笑った。
「末っ子は大人しく兄貴を頼りなよ」
「同い年だろ」
そう吐き捨ててトド松は、ぴ、と立てた人差し指と中指で空気を裂いた。銀の軌道から細い針のようなものが飛びだし、鳥へと向かう。バサリと大きく羽ばたいて飛び上がった鳥の足元へ、針が突き刺さった。鳥は飛び上がったままグワリと嘴を開くと、カッと光球を吐き出した。トド松はトン、と地面を蹴って飛び上がり、カラ松の背後にあった鉄棒へ降り立った。トド松の立っていた地面が、光球によって抉られる。ゾッとするカラ松を置いて、三人と一匹は一斉に飛び出した。
「ううううウェイトゥ!一体何なんだ!」
トド松の針と一松の煙と、十四松のバット、そして鳥の光球が、カラ松の頭上へ振って来る。転がるように逃れ、カラ松は喉を引き攣らせた。
「妖怪退治に決まっているでしょ」
尻もちをつくカラ松の傍らへ、トド松が着地する。尾と、激しく動いたためか、着物は乱れ太腿を夜風に晒していた。電灯を挟むようにして、十四松がバットで鳥と応戦している。彼がイヤミと何かしら修行をしていることは知っていたが、まさか弟があそこまで常人離れしていたとは。カラ松はヒクリと頬を引き攣らせた。
「妖怪退治に決まっているでしょ」
尻もちをつくカラ松の傍らへ、トド松が着地する。尾と、激しく動いたためか、着物は乱れ太腿を夜風に晒していた。電灯を挟むようにして、十四松がバットで鳥と応戦している。彼がイヤミと何かしら修行をしていることは知っていたが、まさか弟があれほど常人離れしていたとは。カラ松はヒクリと頬を引き攣らせた。トド松はカラ松を背に庇うようにして立ち、尾先を烏の方へ向けた。カラ松はハッと我に返った。
「トドま、」
「カラ松兄さんは下がってて」
冷たい声は、それ以上言葉を重ねることを許してくれない。グッと口を噤むカラ松へ一瞥もくれず、トド松は地面を蹴った。じくり、と包帯の下に隠した皮膚が、疼いたようだった。
身体を捻り、烏は取り巻く煙から逃れようと上空へ飛び立った。ふ、と息を切り、一松は吐き出した煙をクンと動かす。細い煙が烏の足に絡みつき、飛翔を邪魔した。「キエェェェ!」と奇声を発し、烏はバタバタと翼を動かす。烏の吐き出した光球が、一松へ向かう。しかし間に割って入った十四松が、光球をバットで遠くへ打ち飛ばした。烏の背後に現れたトド松が、無防備な烏を蹴り飛ばす。公園の傍にある林へ吸いこまれる烏を追って、トド松は闇の中へ消えていった。
「トド松!」
咄嗟に立ちあがり、カラ松は彼を追いかけようと足を踏み出した。しかし一松の伸ばした足に爪先をひっかけ、カラ松は危うく顔面から地面へ沈むところだった。
「何をっ!」
「手前はここにいろ。禄に戦えもしないくせに」
文句を言おうと振り向いたカラ松は、一松の冷たい目にぐっと言葉を飲みこんだ。確かに彼の言う通りである。カラ松は、十四松のように真面目に修行を積んでいない。精々、刀を用いた妖気の断ち切り方を触りだけ習った程度だ。それにも、聖灰で清めた刀が必要となるが、今この場にはない。カラ松は舌を打ち、拳を握りしめた。
「十四松、行くぞ」
トド松を追いかけようと、一松は肩にかけていた羽織を翻す。十四松は袖に隠した手を口元へあてたまま、カラ松を見つめた。
――ざわっ。
木々が怯えるように蠢いた。「トド松、」一松は思わず呟き、雲のように空へ伸びる木々を見上げる。誰よりも早く地面を蹴って、カラ松はさざめく闇へと飛び込んだ。

べしゃ、と自慢の翼も役に立たず、三つ目の烏は地面へ落下した。数歩離れたところで立ち止まり、トド松はユラリと尾を揺らした。毛が逆立つように鋭い針が数本、トド松の横に浮かび上がる。烏は慌てたように身体を起し、翼をバサバサと動かした。
「ちょ、ちょっと待って!」
嘴から漏れたのは、人間のように流暢な言葉だった。トド松が至極不機嫌そうに眉を顰めると、烏はまた翼を動かして、人間の姿に化けた。漆黒の着物姿の少年となった烏は、口元以外の顔を『普』と書かれた布で隠し、手を擦り合せながらトド松へ歩み寄った。
「もう、いきなり酷いな!」
チラリとトド松の横に浮かぶ針を一瞥し、「攻撃するなんて」と烏の少年は肩を竦める。トド松は険しい顔を緩めぬまま、腕を組んで息を吐いた。
「何の用、普通丸?」
「前から思っていたけど、君って言葉選びの感性低いよね」
烏の少年は苦く笑ったが、トド松が固い表情を変えないので、ゴホンとわざとらしく咳払い、「さて」と下唇を舐めた。
「様子を見に来ただけさ」
「気が早いんじゃないの?」
「そんな顔しないで。最近同居人も増えたらしいじゃない。言葉にはしないけど、気にしているみたいでさ」
「嫉妬深いんだ……」
トド松はハアと溜息を吐いて、少年から視線を逸らした。すぅ、と針が消えていく。唯一見える口で弧を描き、烏の少年は袖を合わせる。
「君に関してはね、松野トド松……僕らの主は珍しくご執心だ」
ジャリ、と砂を踏む音がした。驚いたように振り返るトド松とは違い、烏の少年はのんびりとした様子でそちらを見やった。軽く上がった呼吸で肩を揺らして現れたのは、カラ松だ。
「何で……っ」
「いや……トド松が、心配で」
まさか聞かれていたのか、とトド松は舌打ちする。烏の少年はニヤニヤとした口元を隠しもせず、トド松とカラ松を交互に見やった。鬱陶しげなトド松の睨みをヒラリと躱し、烏の少年はカラ松の方へ歩み寄った。
「どうも、とある御神の使いの八咫烏です」
「神の……?」
「ちょっと、普通丸!」
「トド松の付けた名は気にしないで」
グルグルと周囲を回りながら、烏の少年は品定めするようにカラ松を見やる。その視線が居心地悪いと言うように、カラ松は肩を揺らした。やがて烏の少年はヒョイと身を引いて、後ろ向きに飛び跳ねた。
「ではまぁ、くれぐれもよろしくお願いしますよ、あと一年」
ばさ、と闇の欠片のような羽根が飛び散り、少年の姿を隠す。一息のうちに消えた彼の残り香のような羽根を一つ拾い上げ、トド松はそれを握りつぶした。
「トド松、その、さっきのはどういう……」
「カラ松兄さんは、」
強い語調で、トド松はカラ松の言葉を遮る。ボロボロになった羽根を投げ捨て、トド松は睨むようにカラ松を見据えた。
「何も知らなくていい、関わらなくていい――僕らは、選ばれた者と選ばれなかった者なんだから」
その言葉の意味をカラ松が飲みこむより早く、トド松はさっさと踵を返して一松たちの元へと向かった。

「よぉ、不景気な顔してるねぇ」
にんまりと口で弧を描き、赤い着物姿の青年は摘まんだ瓶を振ってみせた。カラ松は縁側で立てていた膝を、胡坐をかくように倒した。おそ松のさしだした瓶の銘柄を見て、ゴクリと喉を鳴らす。
「……良いのか?」
「とか言いながらちゃっかり受けとるあたり、お前も悪だねぇ」
笑いながら、おそ松はカラ松の隣へ腰を下ろした。ぱきん、と音を立てて蓋をとり、彼は慣れた手つきで中身をあおる。カラ松は上下する喉を見て、己の手にある瓶へ視線を下ろした。同じように蓋をとり、ちびりと舐める。カーッと一気に頬へ血が昇り、夜風で冷えていた身体が熱くなった。ゴクゴクと勢いよく動く喉を眺め、おそ松は唇を舐める。
「で、何かあったの?」
「?」
すっかり赤くなった顔と据わった目をおそ松へ向け、カラ松はヒクリと肩を揺らす。おそ松は半分ほど中身が残った瓶を傍らへ置き、後ろ手をついて上体を反らした。
「ここ最近、末っ子の様子が可笑しいんだよねぇ……お前、何かした?」
本来ならば朱よりも赤いだろう鬼灯模様の着物は、薄青い月明かりが照らすためか彩度を失って別の色のように見得る。渇く喉を唾で潤して、カラ松は残り少ない瓶を傾けた。
「俺は一応長男だからさ、弟たちは等しく可愛く甘やかしたいわけよ。でもさ、やっぱり人間だから、贔屓はしちゃうんだよねぇ」
共に育った年月が長い方へ、愛情の度合いを傾けてしまうのは、致し方なし。カラ松にとってそれはチョロ松と十四松であり、おそ松にとっての一松とトド松なのだ。鋭い光を秘めた瞳に射抜かれ、カラ松は思わず視線を逸らした。また傾けた瓶からは何も流れてはこず、カラ松は所在なくそれの手を下ろして、膝に乗せた。
「……トド松は、何を隠しているんだ」
「それ俺に聞いちゃう?」
おそ松は瓶の縁をツツと指でなぞる。それから何かを思い浮かべるように、空を見上げた。
「誰よりもお洒落に興味があることを隠している。本当は洋服を着て喫茶店へ遊びに行きたいとか、ジャンクフードをたらふく食べてみたいとか――それは俺も同じ。あ、エロ本の隠し場所は俺も知らないや」
「そういうことじゃない!」
いや、前半はある意味で有益な情報であった、今度連れて行ってやろう。カラ松はそっと頭の片隅にメモしておく。そんな彼の心情を知ってか知らずか、おそ松はニヤニヤとしたまま重心を傾け、右肩へ頬をつけた。
「あいつは、俺らの中で一番冷めているからね〜。現実主義者で他人への興味関心が薄い。自分がそうだから周りも同じだと思って、兄の俺たちにも話すことは少ないよ。そんな奴の秘密なんていくらでもある」
その中でも聴きたいことは何だと、おそ松は目で問う。カラ松は少し視線を動かして、口元へ手をやった。
「……一年後、何があるんだ」
「は?」
「数日前、八咫烏がよろしくと、あと一年」
おそ松はスッと目を細め「あー」と息と共に声を吐き出した。それからガシガシと頭を掻き、膝を立てる。
「それは、俺からは言えないな」
申し訳なさそうに笑って、おそ松は詫びのつもりか、四分の一ほど中身が残った瓶をカラ松へ差し出す。それを受け取り、フワフワとした頭で「やっぱり」とカラ松は呟いた。
「選ばれた者と選ばれなかった者だからか?」
「……トド松が言ってた?」
「ああ」
腹の奥から湧き出るような強い眠気に圧され、カラ松は欠伸を吐き出す。それでもまだ瓶を煽る彼に呆れてか、別の理由か、おそ松は苦笑した。
「ま、否定はしねぇよ――半妖である俺たちと人間であるお前らは、」
ぼんやりとした視界でおそ松が何やら口を動かしていたが、すっかりアルコールの回ったカラ松の意識は既に薄皮一枚で繋がれた状態であった。まともにおそ松の言葉を届ける前に脳はシャットダウンし、カラ松は冷たい木の床に額をぶつけたのだった。

「……」
どうしてこうなった。トド松の心情は端的に表現すれば、まさにそれであった。
松マークのついた桃色のパーカーと少しサイズの大きいジーパン姿で、トド松は駅前通りに面したカフェにいた。向いにはサングラスをかけたカラ松。彼も松マークのついた青いパーカーを着ている。彼の服装が痛々しいものでないことを喜ぶべきか、自分たちが見るからに双子コーデのパーカーであることを嘆くべきか。どちらにしても好奇の視線は集まっただろう。
ず、とカラ松が買ってくれたフラペチーノを啜り、トド松はこっそり息を吐いた。
朝食を終えるなり、カラ松はこのピンクのパーカーとジーパンを投げ渡し、着替えろとだけ告げた。ここにきて始めてみる険しい顔に、文句も軽口も飲みこまざるを得なくて、トド松は黙したままそれに従った。数分後大人しく着替えたトド松を頭上から爪先まで見回して、カラ松は一人納得したように頷いた。「出かけるぞ」そう短く言い、トド松の意見も聞かぬまま彼が手を引き、今に至る。
そろそろ訳や目的を話してほしいところだが、眉間に寄った皺が不機嫌さを表しているようで声をかけづらい。どうしたものかとトド松が頬杖をついて観察していると、カラ松は不意にドンと倒れるように机に肘をついた。さすがに驚いたトド松が声をかけようとすると、カラ松は両手で頭を抱え小さく呻いた。
「頭、痛い……」
「ちょっと、大丈夫……」
腰を持ち上げて距離を縮めたトド松は、ふわりと鼻をついた香りにゲンナリと相貌を崩した。この匂いは嗅ぎ慣れたものだ。この男、単なる二日酔いだったのである。
「全く、水もらうよ」
すっかり机に額をつけるカラ松の後頭部を叩き、トド松は呼び鈴を鳴らした。

「で、どういうつもり?」
数分後、氷水のグラスを頬へつけて眉間の皺をなくしたカラ松へ問えば、彼は何のことだと首を傾いだ。すっかりこの男に振り回されていることに腹が立ってきて、トド松は大きく舌を打った。
「ここへ連れてきた理由。こんな服まで用意して。あの夜のこと気にしてるの? ご機嫌取り? それとも懐柔して聞き出したいとか?」
矢継ぎ早に話すトド松を、カラ松は「ウェイト、ウェイト」と片仮名英語で押し留め、グラスをテーブルへ戻した。
「確かに、あのときのことについては聞きたいことがある」
だが、と言葉を切り、カラ松はトド松を真っ直ぐと見つめる。トド松は思わず、軽く身を引いた。
「今日のことは全く関係ない」
「……は?」
「トド松と出掛けたかったから、じゃあ理由にはならないか?」
「約束もしたしな」とカラ松は片目を瞑り、伸ばした人差し指をトド松へ向ける。ピストルに見立てたそれを跳ね上げて笑う顔が癇に障ったので、トド松はテーブルの下で足を踏みつけた。
痛みで悶えるカラ松の旋毛を見下ろし、トド松は小さく息を吐く。少し視線を外し、トド松はカラ松の脛を爪先で突いた。
「……センスの良い服、買ってくれるんでしょう?」
「! ああ」
ガバリと身体を起し、カラ松は満面の笑みを見せる。ムズムズとする頬を手で隠し、トド松はストローを噛んだ。
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第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
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