「ただいまー……って、」
サスケから何とか逃げ切った水月が額の汗を拭って研究所の門をくぐると、そこには盛大に破壊された壁と、その傍らで砂塗れになって座り込む重吾の姿があった。重吾は水月に気が付くと、辺りの様子など何でもないことのように「よう」と片手を上げた。
「よう、じゃないよ!一体全体なにがあったんだよ!」
「襲撃よ」
奥の方から、大蛇丸が現れる。その手には何某かの書類があり、それを数頁捲って顔を顰めていた。
「しゅうげき〜?」
「『シー』と名乗る少年が突然壁を突き破ってきた」
それがこの穴だと、重吾は親指で示す。水月は溜息を吐き、腰に手をやった。
「そりゃまた何で?」
「さあな。目的は解らないが、香燐が攫われた」
「ますます何で?」
あの口煩い女を攫う意味が解らない、と水月は顔を顰める。研究所に襲撃をかけたとなれば、目的は大蛇丸の研究データだと思うのが普通だ。しかし重吾に詳しく話を聞けば、それら一切に手をつけず、壁を突き破ったために重吾と共に駆けつけた香燐を迷わず腕に抱き、出て行ったというのだ。とんだスキモノがいたのだなぁ、と水月はガシガシと頭を掻いた。
「しっかし、何でまた香燐なんかを」
「あの子の価値を甘く見ては駄目よ。あれでもうずまき一族。しかも、封印術を使いこなした、ね」
「う……その名前、今日はもう聞きたくないな……」
「?何故だ?」
「いや、さっきミツキに水筒渡しに行ったら……」
そこまで話して、水月は言葉を止めた。突然固まった彼を見て、大蛇丸と重吾が首を傾ぐ。水月の頭の中で、いくつもの映像と言葉が渦を巻いて、無理に演算処理を始める。
―――うずまき一族の末裔くん
―――うすまき一族はどうして滅んだんですか
―――香燐が攫われた
―――あれでもうずまき一族
ぱちん。算盤を弾くような耳鳴りと共に、顎から滴った汗が地面を穿った。
「水月?」
「……やばい、何かまた面倒くさいことに気づいちゃったかも」
冷や汗を浮かべて顔を伏せる水月に目を細め、大蛇丸は腕を組むと書類をヒラヒラと振る。
「もう一つ、私が気になるのは、近ごろ各地で隠れて暮らしていたうずまき一族が、次々姿を消しているという噂なのよ」
だから、重吾に香燐の行動をそれとなく監視させていたと言う。重吾は少し肩を竦め、意味はなかったが、と呟いた。
「香燐も、それに巻き込まれたと?」
「推論より確信と言った方が近いわね。……取敢えず、このことをサスケくんにも教えてあげようかしら」
書類を口元へやってニヤリと細く笑む大蛇丸に、重吾は小さく息を吐く。大方、それをネタにまた英雄たちをからかおうという魂胆か。つくづく、趣味が悪いヤツだ。そろり、と水月が手をあげ、非常に言い難いのだが、と前置きして重々しく口を開いた。
「……それ、もう遅い、かな」
固い顔の水月に、重吾はコテンと首を傾げ、大蛇丸は途端に不機嫌そうに顔を顰めた。

どさり、とナルトは突然固い地面に肩から崩れ落ちた。受け身をとれなかったため骨から全身へ痛みが伝わる。顔を顰めながら、ナルトはズリズリと擦るようにして身体を起す。ゴロリ、と転がった拍子に、傍らに浄瓶を携えた青年がこちらを見下ろしているのが、視界に入り込んだ。
いつの間にか、後ろ手に印を組まないように拘束がされている。ぐ、と力を込めて破壊を試みるも、鉄製のそれは左右に割ることはできそうにない。九尾モードになろうとも、首筋に施された呪印のせいかうまくチャクラを練ることができない。
ナルトが唇を噛みしめると、土を固めた床を擦るような足音が聞こえた。洞窟を整えただけのような空間だ。辺りは薄暗く、前方にほんのりとした灯があるだけ。足音は、その灯のある方から聴こえた。
顔を上げると、空間の奥は思ったより広々としていると解る。石を積んで作った揺り篭がどっしりと構えており、その四方に螢のような光を宿した提灯が宙に浮かんでいた。
揺り篭から床へ降ろされた階段を、白い足がゆっくりと踏んでいく。ナルトは黙したまま、その足の主が土を踏んで自分の前まで歩いてくるのを見守った。紅葉色の着物は背丈に合わず、ズルズルと土汚れに塗れるほど引きずっている。薄暗がりの中でもぼんやりと浮かぶような白い肌、小さく細い手足と肩。着物の裾に届くほど伸ばされた髪は、青年と同じような生成色をしていた。
ナルトの目前までやってきたのは、ボルトとそう年の変わらない少女の姿をしていた。少女はナルトを見てニコリと笑う。それを見て、青年はサッと膝をついた。
「お言葉通り、ナルトさんをお連れしました。―――[[rb:母様>カカさま]]」
青年の口から聴こえた単語にナルトは我が耳を疑い、思わず彼を見つめた。そんなナルトの様子にカラカラと笑い、母さまと呼ばれた少女は自身の胸元へ両手を重ねた。
「私はイーリャン。お逢いしとうございました。うずまきナルトさま」

ザザザザ、とノイズのような音を立てて葉が擦れる。鋭い葉先が、頬を傷つける。
「く、」
衝撃を腕で受け止め、メタル・リーは枝に乗せる足を踏みしめた。落下は免れたもののバランスが僅かに崩れ、彼は咄嗟に片手を幹へつく。そんなメタル・リーの様子に、ウーはケラケラと笑い声を上げた。
「だっさーぁい」
そんなウーをキッと睨みつけて、メタル・リーは立ち上がる。小さく息を吸って腰の横で両拳を握りしめる姿に、ウーはムッとしたように口を曲げた。
「……さっきからさぁ、ウザったいよ、アンタ」
聴こえた声は先ほどまでと違い低いもので、メタル・リーは思わず目を瞬かせた。しかしウーは気にした様子もなく、腕を掲げる。ウーが指揮でもするように腕を振ると、ぐん、とテンテンの体が動いた。メタル・リーは咄嗟に腕を交差させて、テンテンの棒を受け止める。
「傀儡遣いを、馬鹿にしてるのぉ?」
侮蔑の言葉は、別に初めて受けるものではない。己の手を汚さず、拳を傷めず、高みの見物をしながら傀儡を操る臆病者と、幾度馬鹿にされたことか。チャクラ糸を繋げたまま戦わせるコントロールの精密さを知らぬくせに。
吐き捨てるようなウーの言葉に、メタル・リーは眉を顰めた。
「やはり君は傀儡遣いでしたか……」
とすれば、木の葉の会場で起きた騒動も、彼の仕業だろう。冷静にそう分析するメタル・リーを見て何を思ったか、ウーは更に苛立ったように歯をむき出した。
先ほどからメタル・リーは忍術を使う素振りを見せない。傀儡遣いには忍術を使うまでもないと言いたいのか。テンテンを盾に使われると危惧しているためかもしれないが、傀儡遣いと出会ったときは操り手を真っ先に遠距離タイプの忍術で叩くことが定石だ。何にせよ、気に入らない。
テンテンの突きを肘でつきあげていなし、メタル・リーは空ぶった棒を強く掴んだ。その握力の強さに抗えず、テンテンの動きが止まる。
「……僕の父は、全く忍術が使えない体質です」
焦って腕を引くものの、テンテンは思い通りに動かない。どうして、と叫びかけて、ウーは口を噤んだ。静かなメタル・リーの瞳が、ウーを映す。
「僕も、忍術が得意というわけではありません。使えるのは口寄せの術だけ―――しかしそれすらも使えなかった父は、あることを証明するためだけに己を磨きました。……僕も、父と同じようにそれを証明させたい」
ぱん、と乾いた音が森に響く。メタル・リーが掴んでいた棒を弾き飛ばし、テンテンの首筋へ正拳を叩きこんだのだ。
「『体術だけでも立派な忍者になれる』ことを」
くらりと揺れたテンテンの身体を、メタル・リーは俊敏な動きで駆け寄って受け止める。チャクラ糸がたわんだが、ウーは脇に垂らした腕をそのままに動かそうとしなかった。神経を麻痺させて動きを制したメタル・リーは、彼女の膝裏と肩に手を差し入れて抱き上げる。それから、ウーを見やった。
「僕が卑怯だと言ったのは、人質をとり、尚且つそれを傀儡として操っても平気な顔をする君自身です!」
「……っ」
グ、とウーは下唇を噛みしめる。震える指を手の平に握りこみ、ウーは口を歪めた。
「……ウッザいなぁ、木の葉の人間のくせに、僕らに説教ぉ……?」
ピクリ、とテンテンの垂れた指先が揺れる。ウーがそっと手を持ち上げたことにも、メタル・リーは気付かない。
「そういうのが、一番ムカつくんだよぉ!」
「……!」
テンテンの持ち上げたクナイが、彼女を抱えるメタル・リーの首筋へ向かった。

「土遁、土石龍」
「水遁、水龍鞭」
水と土によって作られた泥の龍が鎌首を擡げる。ぐわり、と大きく開かれた口の中には、岩でできた鋭い牙がズラリと並んで、眼下のシカダイたちを狙っている。龍の足元で背中合わせに立ったリゥとチィが、ぴ、と伸ばした指をシカダイたちへ向けた。
「行け」
ごう、と空気をうねり上げながら、龍が動く。ビシビシと肌に叩きつけられるその存在に目を細め、シカダイは片膝をついて、印を組んだ。
「―――行くぜ、新世代猪鹿蝶ぉ!」
ぐん、とシカダイの影が伸び、龍の影へと繋がる。それはゆっくりとしかし確実に龍の身体を縛り付け、動きを制した。
「何!」
「影首縛りの術……!」
「倍化の術!」
術によって巨大化したチョウチョウに、リゥとチィは驚いて目を見開く。チョウチョウは足を踏みしめ、ガッと龍の身体を掴んだ。どろりとした身体をしっかり手の内に収め、チョウチョウはそれを地面に叩きつけた。
水しぶきと土埃が盛大に立ち上り、リゥチィたちの視界を阻む。目を細めたリゥはしかし、ゆらりと揺れた影を見逃さなかった。サッと自分の剣を構えたリゥの目前へ、土埃を斬り裂きながら飛び出してきたのは黒い狛犬―――それは水墨画のような輪郭を持っていた。
「くそ……!」
舌を打って、リゥは剣を振りかぶる。大きな刃が重く煌めき、狛犬の頭に直撃する。ぶしゃあ、と水を投げたような音がして、狛犬の身体が破裂した。頬にかかる液体から、リゥは狛犬が墨で描かれた虚像であると気づく。崩れいく狛犬の向こう側から、抜刀したいのじんが飛びかかってくる姿も。
とん、とリゥの肩を爪先で蹴り、彼を庇うように躍り出たチィがいのじんの刃先を弾く。更に腹へ棒を叩きこもうとしたチィだが、いのじんは僅かに体勢を崩したまま何かに引っ張られるようにして後ろへ下がっていった。
何事だとチィが目を見開くと、いのじんは難なく片膝をつくシカダイの隣へ着地する。そんな彼らの足元で、黒い影が蠢いていた。
「厄介だね」
「ああ。双子のコンビネーションってやつか」
シカダイの影で引っ張られていなければ、吹き飛ばされていた。刀を掴む手で顎を拭い、いのじんは足を肩幅に開く。しゅるり、と影を一筋動かし、シカダイは目を細めた。
「だが、それが脅威となるのは、こちらが即席班か単独だったときだ」
元々の連携が固く、且相手より人数の多いこちらに、分はある。
「影、離すなよ」
「こっちも努力するよ」
いのじんの身体の一部に触れていれば、彼を仲介としてチョウチョウへもシカダイの指示が飛ばせる。
彼らの親世代は、どうしても山中が統率、秋道が攻撃、奈良がそれらのフォローという形になりがちであった。元々の一族の能力が、そうせざるを得なかったのだ。しかし、次世代猪鹿蝶は一味違う。山中が、超獣戯画という新しい攻撃パターンを得た。これによって、攻撃と攪乱のパターンが増える。それは同時に、指揮系統を担当とする奈良の頭脳の見せどころでもあった。
「……試してみたいと思っていた戦法が、山とあるんだ」
脳内に組み立てた棋譜を思い浮かべ、シカダイはペロリと唇を舐めた。
だ、といのじんが駆けだす。倍化の術を解いたチョウチョウが、ぐぐっと身体を丸める。肉弾と化した彼女にも影を伸ばし、シカダイは視線を滑らせた。
「肉弾!」
「用々!」
転がり始めるチョウチョウは、シカダイの影をつけたまま、リィチィへ向かって行く。二人は左右に分かれてそれを避けるも、肉弾は繋がれた影によって軌道をチィの逃げた方へ変える。
「!」
「チィ!」
慌てるリゥの周囲を、ずあ、と黒いカーテンが取り囲んだ。徐々にリゥを包もうとするカーテンから、先ほども見た狛犬が飛び出してくる。舐めるな、と吐き捨てて、リゥは刃を川底に突き刺した。
「墨なら水をかけちまえば良いんだろ!!」
―――水遁、逆滝!
川から数本の水柱が立ち上がり、リゥへ飛びかかろうとしていた狛犬と、取り囲んでいた黒いカーテンを弾く。バシャ、と狛犬は何れも水に溶けて、その姿を消した。しかし、カーテンは違う。一瞬その形を崩したかに見えたがすぐに戻り、槍のように尖らせた裾でリゥを貫いた。
「が……っ」
何故、と歯を食いしばり血走った目を滑らせる。
黒いカーテンの袂が、シカダイの足元へ繋がっていた。ニヤリと笑うシカダイに、リゥは全てを悟る。
「黒いからって、全部が全部、墨じゃねぇよ」
「……くっそがぁ……!」
震える指の間から、剣が滑り落ちた。
「―――リゥ!」
肉弾用々から逃げ続けていたチィは、片割れの異変を聡く察し、ギッとシカダイを睨みつけた。先ほどまでと全く違う彼女の様子に、盗み見ていたいのじんは思わず身じろぐ。
チィは逃げていた足を止め、迫り来る肉弾を見やった。棒を地面へ斜めに突き刺し、その先端へ肉弾が乗り上げると同時に、上を向いていた方の棒先は思い切り踏みつける。ぐんん、とシーソーの要領で肉弾が持ちあがった。リゥが負傷したことで壊れつつあった水檻を超えて、チョウチョウは宙を舞う。今度は垂直に立てた棒の先端を蹴って同じように飛んだチィは、無防備になったチョウチョウへ踵を落とす。
「ぐぅ……!」
腹へ落ちそうになった踵を、咄嗟に腕で受け止め、骨が軋む音にチョウチョウは顔を顰めた。そのまま二人は地上へ落下する。チョウチョウは、超獣戯画で描かれた鳥に受け止められた。
その様子を見て舌打ちし、チィは落下しながら身体を反転させる。砂煙が立って定かではないが、先ほどまでの様子から影遣いがどの辺りにいるかは検討がつく。影に囚われたままのリゥを横目で捉え、チィは血が滲むほど下唇を噛みしめた。
ちらりと、煙の隙間から見得たモスグリーンのジャケット。その裾がヒラリと舞っている。
「……見つけた」
逃がさない。低く呟いて、どすんと着地すると、棒を拾い上げることもせずに、チィは駆けだす。リストバンドに仕込んだクナイをとりだし、目に留まったモスグリーンのジャケットへその刃先を深々と突きさした。
「……!」
しかし、手ごたえが、軽い。
「悪いな」
声は、背後で聴こえた。それとほぼ同時に、爆風のような圧がチィの背中にかかる。部分倍化の術で巨大化したチョウチョウの手によって、チィは近くの木の幹に叩きつけられた。
「……ぁ!!」
木の幹を掴むように彼女を拘束して、チョウチョウは慎重に墨の鳥から降りる。同じように鳥から降りたいのじんは狛犬を描き、影を身体に巻き付けて少し宙に浮くリゥの方へ向かわせた。
「悪いな、父ちゃん」
膝についた砂を払って、シカダイはのんびりと、クナイの突き刺さったジャケットを拾い上げる。
「穴開けちまった」
泥に塗れて更に汚れてしまったジャケットを見て、シカダイは苦笑した。

神経を麻痺させても、チャクラ糸が直接神経の役割を担って筋肉を操るのだから、意味がない。ウーがこっそり操ったチャクラ糸によって、テンテンはメタル・リーへクナイを振り上げた。
彼が立つのは木枝。攻撃を避けようと手を放せば、彼女の体は真っ逆さまに地面へ落ちるだろう。体勢を整わせてやることなどしない。メタル・リーがテンテンを受け止めようと追っても、持たせたままのクナイを突きさしてやる。大切なひとが地面へ叩きつけられるさまを眺めているか、それとも咄嗟に受け止めようと追いかけクナイの餌食になるか。見物だと、ウーは乾いた笑い声を上げた。
「っ!」
漸く悟ったらしいメタル・リーが、鋭く睨みつける。
今更気づいても遅い。メタル・リーが動く様子はなく、そのままクナイを受けるつもりのようだった。
くだらない矜持で、彼は命を落とすのだ。
「ばいばぁい、木の葉のケツの青い獣さん?」
くん、とウーは指を折り曲げる。メタル・リーの心臓を捕えようとするクナイは―――しかし直前でその軌道を変えた。
「え」
ストン、と、ウーの頬を掠め、クナイが彼の背後の木の幹に突き刺さる。そのまま思わず呆然とする彼の腕が、ぐい、と上へ引き上げられた。
「!うぁ」
青緑色に煌めく糸が幾重にもなって、ウーの身体に巻き付く。彼がもがけばもがくほど強くそれは絡みついて、終にはミノムシのような恰好で枝からぶら下がってしまった。
「どうしてぇ……!」
心底訳が分からないという顔で、ウーはメタル・リーを見やる。先ほどまであった不敵な笑みは形を顰め、困惑の色だけを浮かべた顔を見て、メタル・リーの腕から降りた彼女は、頬を手で拭った。
「私は忍具のエキスパート……―――忍具に関しては、誰にも負けない!」
負けるわけにはいかない。低く呟いて、テンテンはチャクラを纏う細い針をとりだした。
「テンテンさん……」
「メタル・リー、以前教えたでしょ。傀儡遣いの使う傀儡には、チャクラ糸がついている。自身のチャクラを流した刃でそれを切れば、傀儡は操れないって」
くるりと針を一回転させ、テンテンはまだ自身についたままのチャクラ糸を一息のうちに断ち切った。
「あんたは父親と違って、僅かでもチャクラがあるんだから」
「……すみませんでした」
前を向いたままのテンテンから視線を足元へ落とし、メタル・リーは唇を噛みしめた。忍術を使わずとも勝利できることを証明しようと、そればかりが頭を占めていた。冷静に状況を分析し対処できなかったのは、己の過失だ。
「……で、お姉さんが自分でチャクラ糸を切ったってことぉ?操られながらぁ?」
ゆらゆらと揺れながら、ウーが訊ねる。テンテンは彼から視線を逸らさぬまま、小さく肩を竦めた。
「あなたも傀儡遣いなら、覚えておくのね。人間を操るとき物を言うのは、操者の技量の高さよ。あんな『糸』じゃ、すぐにたわんでしまうわ」
そもそも、人間へチャクラ糸を繋げて操る術は高等技だ。傀儡や屍ならいざ知らず、人間には意志があるのだから。テンテンが初め操られてしまったのは、気絶させられてしまっていたからだ。恐らく、試験会場を襲った中忍たちも、何らかの方法で意識を奪われている。
メタル・リーとの戦闘からも伺いしれたが、ウーと名乗るこの少年は、年相応の実力しか備えていない。いや、技量はあるのかもしれないが、挑発に乗りやすい性格が災いしている。意識が戻ったテンテンに、そんな傀儡遣いが伸ばす糸を切るなど、そう難しくなかった。
(ま、それにあのミツキとかいう子がこの針で、数本チャクラ糸を切っておいてくれたお陰もあるけど)
指に挟んだ針を一瞥し、テンテンは頬を掻いた。
テンテンの左手周囲のチャクラ糸を切ったのは、恐らくミツキだ。切るために使用した針を、きちんとテンテンの手の届くところに突き刺して、彼は先へ進んでいった。全く、器用な少年である。
彼が沈黙のままにそれを行ったのは、メタル・リーに遠慮してのことだろう。ならばテンテンも、針の正確な出どころには口を噤むべきか。
「僕のチャクラ糸に混ぜて、自分の手からチャクラ糸を伸ばしてたんだぁ、さっすがお姉さん」
「まあ、傀儡は私の本分じゃないけど、忍具なら十八番よ」
砂のカンクロウには負けてしまうが、テンテンもそれなりにチャクラ糸を操ることができる。
医療忍術が必要とする繊細なチャクラコントロールも、全てを吹き飛ばすような攻撃技を放つチャクラ量もない。それを補い同期たちに追いつくため、テンテンが磨いた忍具遣いとしての腕が、成し得たことだ。
「お喋りはここまでにしましょう」
ウーを連れて、里へ戻る。本当はこのままボルトたちを追いたいところだが、テンテンは丸腰であるし、ウーを放っておくわけにはいかない。
テンテンがウーへ近づくと、彼は肩を振るわせ、クスクスと笑った。
「僕を連れてっても無駄だよぉ」
「何……?」
メタル・リーも眉を顰め、ウーを睨んだ。
「会場の傀儡は僕の仕業じゃないし、例え僕を連れてっても、人質にはならないよぉ」
「……別に、人質にするつもりはないわ」
「情報も吐かない」
いくらお姉さんの頼みでもねぇ―――小さく呟いて、ウーは勝ち誇ったように口で弧を描く。
「みんなを裏切るくらいなら、死んでやる」
べえ、とウーは舌を伸ばす。テンテンとメタル・リーは息を飲んだ。面妖な紋様が、赤い舌を這っていたのだ。舌禍根絶の印に似ているが、細部が異なる。彼の言葉からも察するに、それが発動すれば、麻痺だけではすまないのだろう。
は、とウーは大きく口を開き、僅かに震えながら、舌へ歯を突き立てようと―――
「くっ……!」
咄嗟に伸ばしたテンテンの指が、歯と舌の間に滑り込み、それを押し留める。じわ、とテンテンの小麦色の指に赤が滲むのを認め、メタル・リーは慌てて駆け寄った。
「手が……!」
「平気だから、何かハンカチとか、噛ませるもの」
本当に平気なのだろう、僅かに顔を顰めただけで、テンテンは何でもないようにメタル・リーを見やる。彼が慌てて取り出したタオルをウーの口へ詰め込み、テンテンは手を引いた。くっきりと歯型のついた手を見て、メタル・リーは口を引き結んだ。
「どうして……」
唸るウーの口をもう一枚のタオルで縛り上げ、テンテンは小首を傾げる。メタル・リーはテンテンの手へ指を伸ばしかけ、止めた。そんな彼に何を思ったのか、テンテンは下ろしたメタル・リーの手を取って、自身のそれを重ねる。
「私たちが……ううん、初代火影さまが作りたかったのは、こんな覚悟の意味も命の重さも知らない子どもたちが、簡単に死なない世界よ」
ウーは確かにあのとき、震えていた。そうでなくても、まだ十と少ししか生きていない子どもが、あのような行動に出るなど、あってはならない。
「それが、こんな小さな歯型で済んだと思えばいい」
ね、と言ってテンテンは微笑むが、メタル・リーにはよく解らない。
戦争が終わって、世界は随分と平和になった。あれから命の危機を感じたことと言えば、先のモモシキ・キンシキ襲来くらいだ。それも、天災に近かったろう。彼らは、戦争を知らない忍だ。
テンテンたちも、戦争は知らなかった。しかし今ほど治安の整備も里間の仲も良くなかった時代で、命のやり取りだけは知っていた。丁度、ボルトたちと同じ年の頃に。
「今はいいよ。これから、きっと知っていく」
本当は、そんなこと知ることすらない方が良いのかもしれないけれど。
テンテンの手に包まれた自身の幼い手を見つめ、メタル・リーは少し目を伏せる。父の傷だらけの手は、自分のものより大きいだけでなく、固く強かった。
メタル・リーは、キッと顔を上げる。
「あの!」
「解ってる」
口を開きかけたメタル・リーを制して、テンテンは口元を緩めた。
「ボルトたちを頼んだわよ、メタル・リー」
「―――はい!」
大きく頷き、メタル・リーは深々と頭を下げる。それから一目散に森の奥へ消えていく緑の背中を見送り、テンテンはクスリと笑いを溢すのだった。
「ほんと、父親そっくりね」
(あなたも、そう思うでしょう?―――ネジ)
嘗ての仲間の姿を思い浮かべ、テンテンはじわりと滲む目を閉じた。
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第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
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