scene07
白いカーテンが、ドレスの裾のように踊っている。それをぼんやりと見つめながら、少しずつ狭まる視界に目を細めた。
大人たちの慌てる声、自分のか細い呼吸音、甲高い機械音―――そして、微かな鼓音。全て聴こえている。母の流す涙の感触も、手を握る温もりも、ちゃんと伝わっている。それに酷く安心し、満足した。
惜しむらくは、彼女が傍にいないこと。今は遠い土地にいる彼女が帰ってくるまでは、と思っていたのに。自分がいなくなったら、彼女はどうなるのだろう。どう、するのだろう。自分の世界に帰ってしまうのだろうか。それとも、共に。
それだけはありませんように、と心の中で呟いて、腕を伸ばす。最後の力を振り絞るようにして、枕元に置いていたD3を握りしめる。手の平に伝わる固さに何故か口元が綻んで、同時にしょっぱい何かが口元に触れた。
もう一度だけ、変わった名前の彼女に会いたかった。
「―――Nacchan」



僕は、ここにいる



布を引き裂くような断末魔を上げて、ダゴモンの身体が粒子に溶けていく。それを見送るように結界も溶け、オメガモンとインペリアルドラモンは進化を解いた。
アグモンは急いで太一の元へ駆け寄り、共にブラックウォーグレイモンとアスタモンを見つめた。既に身体の半分が粒子となっていた彼らは、蛍が飛び立つようにその姿を消していった。
「コロモン」
アスタモンが、空を見上げてポツリと呟く。ウォレスは目を伏せ、背負った鞄にそっと触れた。
「―――ありがとう」
その呟きを最後に、アスタモンは消えた。
一足早く全て粒子となり、ホメオスタシスの手によって掻き集められたブラックウォーグレイモンのデジタマを抱え、太一は目を閉じた。

大輔たちが四聖獣の間へ足を踏み入れると、そこは先ほどと雰囲気を変えていた。真っ白い空間の中に、ポカンと浮かぶ赤ともオレンジともつかない暖かい色の光。その前に、なっちゃんが一人で立っていた。
「なっちゃん……?」
大輔が声をかけると、なっちゃんは振り返ってニコリと微笑んだ。
「だいすけ」
その声と笑顔に、抱かれる違和感。
「何を、して」
「暗黒の海の核であるコロモンの消失は、デジタルワールド全体のバランスを崩すできごとです」
大輔の横に立ち、まだヒカリの姿をしたままのホメオスタシスがその疑問に答えた。彼女はじっと前方を―――空間の中心に浮かぶ光を見つめている。
タケルはゴクリと唾を飲んで乾いた口内を濡らした。
「何を、言って」
「そのバランスを保つために、」
ホメオスタシスの言葉に京は息を飲んだ。伊織は目を見開いて、拳を握りしめる。
「どうして、そんなこと!」
伊織の言葉に何も答えず、ホメオスタシスは子どもたちに背を向けたままそっと空間の中央へ歩いて行った。
「良いのよ、私は」
「どうして!だって君にはパートナーが!」
ウォレスは思わず言葉を止めた。なっちゃんの笑顔が、あまりにも綺麗だったから。そこには消えていく恐怖も、理不尽に対する怒りも見つからなかったから。その理由が解らず、ウォレスは拳を握りしめた。
「私のパートナーね、多分死んじゃった」
大輔たちは絶句した。なっちゃんと彼女のパートナーを引き合わせたのは大輔たちで、パートナーのことを大輔たちもよく知っていた。
胸に手を当て、なっちゃんはそっと目を閉じた。離れていても、何となく感じたことだ。それがパートナーとの絆のような気がして、少し嬉しい。
元々、病弱な子だった。なっちゃんと出会ったときも、もう数か月の命だと言われていた。それでも共に過ごした日々は楽しくて、幸せだった。
「私、幸せだった」
泣きそうに顔を歪める大輔に笑顔を向けて、なっちゃんは少し首を傾けた。
「ダイスケ、ありがとう」
「なっちゃん」
「その名前、忘れないでね」
なっちゃんはワンピースの裾を翻し、空間の奥へスキップを踏むように軽やかに進んでいく。大輔たちは何も言えないまま、光に溶けていくなっちゃんを見送った。
「バイバイ」
最後の笑顔が光と共に網膜へ焼き付いて、暫くは消えそうにない。

ちりぃん。風鈴が、鳴る。それをぼんやり聞きながら、大輔は床に寝転がって天井を見上げていた。足元に転がったエアメールは開封されぬまま、日に晒されている。
「ダイスケぇ〜」
扇風機の前で転がっていたチビモンが、パートナーを呼ぶ。けれど大輔から返答はない。何度か繰り返したやり取りに、チビモンは溜息をついて扇風機からの風を楽しむことにした。
蝉の声が、遠くから聞こえる。それに混じって、チャイムと扉の開く音もしたような気がした。床に大の字で寝転がって、ぼんやりと日に焼けた天井を見つめる。
ふと、枕元に誰かが立った。少し視線を動かすと小さく笑う賢と目が合って、大輔は漸く身体を起した。
「賢かよ……」
「お姉さんに上げてもらったんだ」
律儀に正座し、賢はお土産だと冷えたアイスを大輔に差し出した。そちらを一瞥し、顔を背けたま大輔は受け取る。自分の分とデジモンたちの分のアイスを開き、賢はそれを頬張った。
風鈴と扇風機とアイスを齧る音だけが、部屋に響く。
「……死んだら、何処へ行くんだろうな」
大輔の呟きは、扇風機の回る音と混じり合いながら、賢の鼓膜を揺らす。ソーダ味のアイスを飲みこみ、賢はこちらに背を向けたままの大輔を見つめる。
「……デジモンが、かい?」
「……デジモンてさ、一度死んでも、始まりの街へ行けば出会えるだろ」
実際、賢のワームモンはそうやって再会した。人間が取り残されることはない。ならば、逆になったらどうなるのか。
「俺が死んだら、チビモンはどうなる?」
ポリ、と大輔は項を掻いた。きっと、彼はあの日からずっとそれを考えているのだ。彼だけではない。賢も京も伊織も、太一たちだって、きっと考えている。もし自分たちが死んでしまったら、パートナーを残してしまうのだろうかと。
膝に頭を乗せるチビモンをぐりぐりと撫で、大輔は大口を開けてアイスを齧った。
人間とデジモンは違う。人間の成長は、退化することのない進化だ。対してデジモンは、進化もするし退化もする。データの集合体であるが故だ。
「……」
「ダイスケ」
チビモンが、膝に飛び乗る。そのとき大輔が前屈みになっていたので、チビモンの石頭が大輔の額にぶつかって嫌な音を立てた。
「っつ〜……何すんだ、チビモン!」
「いつものダイスケ!」
赤くなる額を抑えて大輔が怒鳴りつけると、チビモンは嬉しそうにニコニコと笑った。その様子に怒りが削がれ、大輔は大きく息を吐く。カクリと落ちた彼の肩を、賢が苦笑しながら叩いた。
「全く、お前ってやつは……」
「それで良いじゃないか」
大輔の隣に移動し、賢は残りのアイスを齧る。
「世の中、考えても仕方ないことはあるんだ」
ぽた、と溶けたアイスが、大輔の手に落ちる。濁ったその雫を指で拭い、大輔はへらりと笑って頷いた。
「そう、だな」
指についたそれを舌で舐めとり、大輔は未開封のエアメールへ手を伸ばした。

「死んだら、どうなるんだろうなー」
机にペッタリ頬をつけて、太一は間延びした声で誰に言うでもなく呟いた。向いに座って参考書を開いていた丈は彼を一瞥して、さあ、と首を傾げた。
「魂の存在、輪廻転生、天国と地獄……死後の世界にはさまざまな説があるけど、どれも信憑性に欠ける。立証するには死ぬしかないけど、死人に口無しだからね」
「……至極真面目なお答えをどうも有難う」
渋い顔をして、太一は身体を起す。彼の机にも広げたノートと参考書があったが、太一がそれを進めている形跡は見当たらなかった。その上に頬杖ついて、太一は唇を尖らせる。
「さすがお医者サマー」
「喋ってないで、さっさと進めたらどうだい?」
困ったように笑い、丈は少し手を止める。最近よく勉強を見てほしいと言ってくる太一だが、何を悩んでいるのか彼はいつもこのような捻くれた問答を繰り返して手を進めない。
彼をリーダーと言ったのは何処の誰だろう、と丈は苦笑する。すると、そんな彼の顔に、小さな紙が突き付けられた。いつかも見た覚えのあるそれは、以前とは違い太一の筆跡で文字が書かれていた。その文字を目で追い、丈は目を瞬かせる。
「……太一、それは」
「今回のことだけが理由じゃねぇけどさ」
小さな紙を持ち上げ、太一は小さく微笑んだ。そこに書かれた文字を見て、丈は柔らかく微笑む。それから手元へ目を落とし、良いんじゃないか、と呟く。太一はニシシと笑って、紙を机に戻した。頬杖をついたまま窓の外を見やって、太一はそっと目を細める。
「俺も、変わらなきゃなぁ……」
人間は、成長する。さまざまなできごとの中で、その中で得る経験と思考によって。それが人間を作るのだ。
太一の横顔を見つめ、丈はフッと頬を綻ばせた。彼も成長したのだと思うと、兄や親でもないのに込み上げる想いがある。自分も甘いなと、苦笑が自然と零れた。
「頑張れ、太一」
「応」
『外交官』―――その文字を大切そうに指でなぞり、太一はニカリと笑った。


(20150806)
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