scene03
自分には、一つの記憶がある。暫くは忘れていたが、今は思い出した、大切な記憶だ。その記憶には四人の子どもと四体のデジモンが登場して、自分は彼らと共に冒険をしている。楽しい旅だった。
しかしあるとき、彼らの前に赤く黒い大きな影が立ちはだかった。子どもたちは互いに頷き合い、一つの言葉をデジモンたちに伝えた。デジモンたちは泣きそうな顔で、それを受け入れた。
少女が一人、自分を抱きしめた。その温度も、彼女の姿も、言葉も、しっかり記憶に刻まれている。データの集合体である自分にとって、その記憶もまた、己を形成するデータの一部なのだ。
だから己は、今ここに―――




call me , call you



黒だけで描いたような風景だ。眼下に広がる海も、まるで墨を溢したように黒い。初めて感じる空気に肌を泡立たせ、大輔はゴクリと唾を飲んだ。風もないのに立つ小波が、恐怖を煽るように耳にこびりつく。
「行くぞ」
胸元を握りしめる大輔の背中を叩き、ヤマトは彼の隣に立つ。熱く脈打つそこをしっかり手の平に刻み、大輔は強く頷く。己の頭にあるゴーグルにしっかりと触れてその存在を確かめ、大輔は小さく気合いの言葉を吐いた。
「ゲンナイさんたちの話では、海底に居城があるという話ですが」
水の中を移動できるのは、イッカクモンとサブマリモンだけだ。サイケモンも水中で生活するようなデジモンではないから、恐らく建造物の中は地上と同じ環境になっている筈。そこまで行けば、大輔たちも戦える。問題は、そこへ行くまで、だ。水中で攻撃をしかけられたら、応戦できるのは先ほど上げた二体のみ。しかしそこで応戦してしまえば、目的地へは辿りつけない。
「もし戦闘になったら、僕が戦うよ」
悩みこむ光子郎の肩を叩き、丈がニコリと笑った。彼の頭に乗ったゴマモンも、任せろ!と胸を叩いている。
「皆、サブマリモンにしがみついていけば良い。僕が敵を引きつけている間に、先に行ってくれ」
「そんな、丈さんだけで戦うなんて無茶です!」
「そうだぎゃ!」
「私も、残るわ」
伊織は思わず、そう言ったミミを見やった。彼女は腕を組み、真剣な顔で海を見つめている。
「残って、海上から援護する。リリモンなら空も飛べるし。ね?」
「ええ、任せて、ミミ!」
「だ、だったら私も!アクィラモンかホルスモンなら空を飛べます!」
「そうですね」
ミミの言葉に賛同して、京も大きく手を挙げた。ホークモンも、頷く。梃子でも動かぬ意志を秘めた瞳に、空は頬へ手を当てて吐息を溢した。
「二人だと心配ね。私も残るわ」
「空」
「ヤマトくんは、太一を迎えに行ってあげて」
ね?と小首を傾げて、空はヤマトを見上げる。ヤマトは少し頬を掻いて頷いた。彼の照れたような仕草に微笑ながら、空はヒカリへ視線を向ける。大分落ち着いたものの、まだ青い顔をした彼女の傍らには、タケルが立っていた。
「ヒカリちゃん……本当に行くの?」
「……はい。私なら大丈夫です。行かせてください」
「ヒカリ……」
心配げに、テイルモンは彼女を見上げた。タケルはヒカリの肩を掴み、自分の方へ引き寄せるように身体を近づけた。
「僕が守ります」
声を絞り出すヒカリの背を押すように、タケルが強く頷く。思わずといった風にヒカリが見やると、彼女を安心させるようにタケルは小さく微笑んだ。
「……ダイスケ」
「何も言うな、ブイモン」
大輔は固い表情で事の成り行きを見守っている。彼の固く握られた手を見て、ブイモンは目を伏せた。
「なら僕も残るよ」
「一乗寺さんと大輔さんが分かれるんですか?パイルドラモンになれないのは、辛くないでしょうか」
「そうだけど、海底の建物がどのくらいの大きさか解らないしね。場合によっては、パイルドラモンの大きさで崩れてしまうかもしれない」
そうなってしまえば、大輔たちに成す術はなくなってしまう。あまり激しい戦闘になって、建造物が崩れてしまっても同じこと。つまり、今回はあくまでも太一を連れて脱出することに重点を置くべきであり、そのためには余所で敵戦力を引きつける役目が重要となる。
「女性だけ残していくわけにはいかないな」
賢が少し笑って京を見やる。京は少し頬を赤らめて、顔を背けた。ニマニマと微笑むワームモンとホークモンに大輔が気持ち悪さを感じていると、控えめな声で賢に呼ばれた。
「ごめん。もしかしたら、そこにデーモンがいるかもしれないのに」
目を伏せ、賢は拳を握る。暗黒の海へデーモンを追いやろうと言ったのは賢で、実際に扉を開いたのも賢。自分にはデーモンを倒す義務があると、彼は思っているのだろう。
大輔は少し頬を掻いて、賢の肩を拳で叩いた。
「気にすんな!光子郎さんは、海底にはダゴモンがいる確率の方が高くて、幾らなんでもそこにデーモンがいるわけがないって言ってただろ」
デーモンとダゴモンの力は拮抗している。両者が出会えば、縄張り争いは必至だ。つまり、その二者も対立関係にあるということ。手を組んでいるという可能性は、あまり考えたくない。
「安心して、しっかり守れよ」
京を一瞥して言えば、賢は僅かに頬を紅潮させ、強く頷いた。
「大輔も……頑張れよ」
「おう」
大輔は苦笑して、拳を持ち上げる。賢はそこに、自分の拳をぶつけた。
―――海上に残って援護するのは、空、京、賢、ミミの四人。サブマリモンの先導で乗り込むのは、ヤマト、光子郎、大輔、ヒカリ、タケル、ウォレス、遼、そしてアグモン。丈は海中で、敵を引きつける。
このような役割分担が決定したところで、ヤマトはざっと子どもたちを見回した。
「あまり、無茶はしないようにな」
「ヤマトは熱くなりすぎて突っ走らないでね」
「……ガブモン、少し黙っていてくれ……」
ガブモンの茶々ですっかり恰好がつかなくなったヤマトは、額に手をやって溜息を吐いた。少しの間閉じていた目を開き、ヤマトは顔を上げる。
「俺たちのリーダーを、迎えに行くぞ」
応、と、光子郎たちは強く頷いた。アグモンはそっと、風もないのに波打つ黒い水面を見つめた。
「タイチ……」
絶対に、助けに行く。自分は彼の、友だちなのだから。

「なぁ、コロモン。ここは何処なんだ?」
コロモンにつれられるままあちこちを歩き回っていた太一は、ふと足を止めて辺りを見回した。白い壁や天井は、光の当たり具合によっては七色の煌めきを放つ。まるで、貝の内側を貼りつけたようだ。
コロモンは太一の腕に飛び乗って、相変わらずニコニコとしたままだ。
「ここはね、ボクの家」
「お前の?」
「そう。ここの外へは出たことないからどうなっているか解らないけど、今は太一もサイケモンもいるから、良いんだ」
「サイケモンって、さっきも言ってたお前の友だちか」
「そう!ヒカリとタイチと同じ、ボクの友だち」
ピンと耳を伸ばして、コロモンは実に嬉しそうに笑う。つられて太一も小さく笑んだが、チクリと頭の片隅が痛んだ。
「タイチ?」
「あ、いや、何でもない」
コロモンが不思議そうな顔をするので、太一は慌てて首を横に振った。
「そうか、友だちか。俺も今度紹介するよ、俺の、友だち……」
視神経の奥で、オレンジ色が弾ける。ぼやぼやとした色は頭に浮かぶが、明確な輪郭はなくて、太一は思わず言葉を止めた。
「タイチ?」
「えっと……あれ、誰だっけ……」
「タイチの友だちはボクじゃない!」
変なタイチ!とコロモンは笑う。それに曖昧な笑みを返しながら、太一はまた痛み始めた頭に手をやった。
友だち。確かに、太一はこのコロモンの友だちだ。けれど何処か違和感を拭えない。太一がずっと共にいたのは黒いコロモンではなくて―――
「ピンクの……」
ちか、と頭の中が点滅する。まるで強いフラッシュを突き付けられたときのような眩暈がして、太一は思わず頭を抱えて膝をついた。
「タイチ!」
「俺は……っ」
「ボク、サイケモンを呼んでくる!」
太一に手放される形で床に着地したコロモンは、只ならぬ太一の様子に慌ててぴょこぴょこと飛び跳ねていった。一人残された太一は、小さいが連続で続く痛みに顔を顰める。オレンジ色が瞼の裏で点滅を繰り返すのが、少々煩わしい。
「何なんだよ、これ……」
理由の解らない頭痛と色に、太一は弱弱しい声を漏らした。

「どうして、大輔たちに教えなかったの?」
四聖獣の間で、なっちゃんはポツリとそう溢した。大輔たち選ばれし子どもは皆暗黒の海に行っており、ここにいるのはゲンナイと彼女と、四聖獣たちだけだ。
シェンウーモンは困惑したようにチンロンモンを見やり、バイフーモンは気まずそうに顔を歪めてスーツェモンを見やる。チンロンモンは表情を変えず、じっとなっちゃんを見下ろすスーツェモンを見つめていた。
「……その姿は、」
口火を切ったのは、スーツェモンだ。なっちゃんは自身の身体を見回し、小さく笑った。
「ウイルスに侵されたとき、無意識のうちに記憶にある人間の姿を選んだみたい。今考えると、自分でも可笑しいなって思うわ」
クスクスと笑い、なっちゃんはクルリと一回転。ふわ、とワンピースの裾が翻った。
「―――  」
思わず溢されたスーツェモンの呟きに、シェンウーモンは目を伏せ、バイフーモンはあからさまに視線を逸らした。
「……やっぱり、君は」
「そういうあなたたちは、やっぱり」
スーツェモンはコクンと頷く。なっちゃんは眉根を下げて笑い、上空を仰いだ。黙ったまま彼女たちの会話を見守っていたゲンナイからは、その顔が隠れてしまった。
「……そっか、もう、そんなになるのね」
「……君が、パートナーを見つけられて良かった。きっと、彼らもそう思うだろう」
「ありがとう」
少し赤くなった目で微笑むなっちゃんからそっと目を逸らし、ゲンナイは手を握りしめた。
太一たちが選ばれし子どもとしてデジタルワールドを訪れる四年ほど前、実は別の子どもたちがデジタルワールドを訪れていた。四人の子どもたちのパートナーデジモンが、今の四聖獣たちだ。そしてなっちゃんは、その冒険の途中で彼らと行動を共にしていたデジモン―――パロットモンだ。彼女は一度、光が丘にもその姿を見せている。
ゲンナイが聞いた話では、同じ鳥型デジモンということでスーツェモン―――当時はピヨモン―――と、そのパートナーである少女と特に親しかったとか。
冒険の最中、子どもたちは自身を楔としてアポカリモンを封印した。四聖獣に進化したデジモンたちはデジタルワールドの平穏を見守る役目を授かり、なっちゃんはパートナーを探して放浪を始めた。
彼らの再会がこんなときになるとは、祝福して良いものか悩み、ゲンナイはずっと口を噤んでいる。なっちゃんと四聖獣たちとの関係―――引いては四人の子どもたちのことも、ゲンナイは大輔たちへ教えていない。軽々しく口にできることでないということは勿論、この事実を伝えたことで大輔たちが受けるショックを思ってのことだ。
ふと、ワンピースの裾を摘まんでいたなっちゃんが、ポツリと呟いた。
「パートナーが死んでも、デジモンは生き続けるのかしら」
四聖獣だけでなく、ゲンナイも困惑して彼女を見やる。なっちゃんはニコリと笑ってワンピースから手を放す。
「例えばの話よ。私みたいなデジモンのパートナーが、リアルワールドで死んでしまったら……私は、どうなるのかなって」
「パロットモン……?」
スーツェモンが困惑露わに彼女を呼ぶ。なっちゃんはゆっくり首を振った。
「私は『なっちゃん』よ」
ミミがつけて、大輔が呼んで、あの子が受け入れてくれた、この名前。きっと最後まで、大切にしていく。
なっちゃんはそっと、胸の上で手を重ね合わせた。



(20150803)
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