scene02
「なんてことだ!」
ゲンナイは声を荒げ、ぐしゃりと髪を掻き毟った。まさかこんなことが起こるなんて、誰が想像できただろう。早く、選ばれし子どもたちを呼んで助力を仰がなければ、手遅れになってしまう。
ゲンナイはフードをかぶると、幾つもある空間の扉の一つを開き、そこへ飛び込んだ。光子郎の話では、彼らは本日ファイル島にいる筈だ。
ゲンナイがファイル島へ足を踏み入れたとき、はたして彼らはそこにいた。しかし、ゲンナイの想像していた様子と、少々違っていた。
「これは、一体……」
パートナーたちと戯れる風景があると、思っていたのに。子どもたちもデジモンたちも、皆沈んだ面持ちをしていた。ヒカリは泣き崩れ、大輔とタケルが慰めるように傍らに寄り添っている。その中で一際ゲンナイの目を引いたのは、無表情にパソコンのキーボードを叩く光子郎の姿だった。
「あ、ゲンナイさん……」
メラメラと沸き立つような光子郎の迫力に絶句するゲンナイへ、彼の登場に漸く気づいた空が声を漏らす。その声に常のような元気は見られず、暗い顔をする彼女の肩を、ヤマトが安心させるように抱いていた。
「やあ、これはどうかしたのか?」
ゲンナイの問いに、ヤマトと空は顔を見合わせて目を伏せる。しくしくと、ヒカリの泣き声が耳をついて、そこで初めて、ゲンナイは一人姿の見えぬ子どものことに気が付いた。
「ゲンナイさんは、どうしてここに?」
京に声をかけられ、ゲンナイは己が急いでいた本題を思い出した。
「そうだ。どうか、君たちの力を貸してほしい」
「……何かあったんですか」
固い顔で賢が訊ねるのとほぼ同時。タン―――高らかな音が響いた。
「……見つけました」
ワープロの上で手を止めた光子郎は、据わった瞳でブラウザを見つめる。彼の言葉を聞き、ヒカリは慌ててブラウザを覗きこんだ。そちらを気にしながらも、ゲンナイは賢と向かい合いコクリと頷く。
「―――暗黒の海です」
「暗黒の海で、異変が起きた」
思いもかけず重なった単語に、ゲンナイと光子郎は互いに顔を見合わせた。



独善的ヒロイズム



冷たい泥の中に沈んでいくような眠りから覚めると、視界一杯に広がっていたのは黒だった。
「……?」
「あ、起きた?」
これは、何だろう。そんなことをぼんやり考えていると、もぞもぞと黒色が動き、遮っていた光を顔に照らした。目を細めると、それを覗きこむように大きな瞳が視界に入ってくる。
まだ靄がかかった頭に手をやり、太一はゆっくりと身体を起した。
片手を後ろについてもう片方で前髪をかき上げると、緩く曲げた膝の上にずっしりとした重みあるものが飛び乗った。艶々とした真っ黒なそれは、大きな瞳を輝かせて太一を見上げてくる。
寝起きで虚ろだった目を大きく開き、太一は乾いた唇をゆっくりと動かした。
「……ころ、もん」
「ひさしぶり、タイチ」
ニッコリと微笑んだコロモンは、友だちの印だと呟き、太一の顔に抱き着いた。

「暗黒の海の底に建造物が?」
驚いて言葉を繰り返す伊織に是と頷いて、ゲンナイは長く続く螺旋階段を足早に降りていった。彼の後を遅れないよう、子どもたちもついていく。やがて辿りついた最下層では、チンロンモンと、他三体のデジモンが子どもたちを待っていた。それぞれ、シェンウーモン、スーツェモン、バイフーモンといい、チンロンモンと同じ四聖獣なのだと、ゲンナイが紹介してくれた。
「待っていた、選ばれし子どもたち」
チンロンモンが、悠然とした態度で子どもたちを見回す。ふと、チンロンモンだけでなく他の四聖獣たちも僅かに目を止めた。その視線の先にいたのはなっちゃんで、丈は彼らの表情に驚愕の色が混じっていることにも気づき、眉を顰めた。
「暗黒の海に建物ができて、何がまずいの?」
小首を傾げて、ミミが訊ねる。固い表情のゲンナイが口を開いたとき、彼の代わりに別の声がそれに答えた。
「建造物自体が問題なんじゃなくて、そこにあるものが在ることが問題なんだ」
四聖獣の影から現れたのは、ヤマトたちと同じくらいの年の青年だった。傍らには黒と白の色を持つデジモンを連れているから、選ばれし子どもであるようだ。
初めて見る顔に大輔たちが首を傾げる中、大きな声が上がった。
「遼さん?!」
驚いたような、嬉しそうな顔をした賢に、知り合いかと大輔が訊ねると、昔共にデジタルワールドを旅した人だという答えが返って来る。大輔がもう一度遼を見やると、彼は苦笑して賢に手を振っていた。
「久しぶりだな。他は初めまして……か。俺は秋山遼。こっちはパートナーのサイバードラモン」
遼の紹介を受けて、サイバードラモンは僅かに会釈を見せる。賢は知り合いとの再会に、顔を綻ばせた。
「悪いな、今回のことは、半分は俺のせいだ」
賢の笑顔に苦笑して、遼は小さく肩を竦めた。
彼は今まで、ミレニアモンとの戦いに身を投じてきていたらしい。今回のことはその戦いの最中に起きたできごとが原因だった。決着がつくかに思えた瞬間、破壊され散らばったミレニアモンのデータの一部が、暗黒の海へ落ちてしまったという。
「幸い、落ちたデータはほんの一部だ。ミレニアモンの意志を持つほどではないけど、俺としては早急に回収したいんだ」
「私からもそれを願おう。暗黒の海はただでさえデジタルワールドのマイナスエネルギーが集まる場所だ。そんなところにそんなものがあれば、最悪、倒した筈のミレニアモンが復活してしまうかも」
成程と頷き、丈は顔を苦く歪めた。これは想像以上に、厄介なことが起きているようだ。しかしそれならば、また新たな疑問が出てくる。
「太一とヒカリちゃんは、どうして狙われたんだ?」
「確かに、そこは気になりますね」
丈の呟きに空も同意し、口元へ手を当てた。
鍵となるのは恐らく、あのとき現れたガブモンに似たデジモン。光子郎が調べたところによると、あれはサイケモンという名であるらしい。サイケモンはハッキリと、太一とヒカリの名を呼んでいた。現れたブラックホールも、初めは八神兄妹を二人とも飲みこむ位置に開いていた。つまり、二人が狙いだったといことは明白。
「……ヒカリちゃんを狙う理由は、何となく解る」
タケルはヒカリを一瞥し、目を伏せた。
あのブラックホールの行き先が暗黒の海とであるのならば、それは確実。ヒカリは以前も、暗黒の海へ招かれたことがある。暗黒のデジモンを惹きつける何かを、彼女は持っているのだ。だからこそ守らねばならない、タケルはそう強く思っている。
「では、太一さんは……」
「ヒカリちゃんのお兄さんだからかしら」
京と伊織は顔を見合わせた。
「助けに行けば、それも関係ありません」
太一を救う上で、サイケモンとの戦闘は避けられないものだろう。理由など、そこで幾らでも問いただすことができる。光子郎は短くそう言い、同意を求めるように遼を見やった。鋭い眼光を受け、遼は少し肩を竦める。
「それよりも、あなたの説明は少々穴が空きすぎじゃないですか?」
ゲンナイたちの言葉から察するに、ミレニアモンとはそれなりに強敵であるのだろう。そんなデジモンと戦っている子どもがいるという情報が、選ばれし子どもである光子郎たちには知らされていなかった。これは少し可笑しい。
光子郎の指摘は最もだったのだろう、遼は口を歪め困ったように頬を掻いた。
「どこから説明したもんか……正確に言えば、俺とお前たちは初対面じゃないわけだし……」
「え?」
「まぁ良いじゃないか。敵の敵は味方……っていうのは少し違うか?取敢えず今は同じ共通の敵がいるんだ。いがみ合うより協力した方が賢いだろ?『知識』の紋章保持者」
ニヤリと遼は笑う。光子郎は少し肩を揺らし、彼の言葉の方が正しいと思ったのか視線を逸らした。光子郎から視線を外し、遼は渋い顔をしてこちらを見る丈とヤマトを交互に見やった。
「で、そっちも何か言いたいことが?」
丈とヤマトは顔を見合わせ、目を伏せる光子郎を見やった。知識の紋章を保持するだけあって、光子郎は選ばれし子どもたちの中では参謀的存在だ。そんな彼が口を噤むことを選択したのだ。今はまだ追求するべきでも、そんな暇もないと察し、丈たちは首を横に振った。
「ありがとう」
少し眉根を下げ、遼は微笑む。不安そうに一連のやり取りを見ていた賢の肩を叩き、遼は大輔を見つめた。
「お前が、本宮大輔?」
「え、あ、はい」
戸惑う大輔を、遼はじっと見つめる。その視線が居心地悪くて、大輔はソワソワと肩を揺らした。彼の態度に、遼は慌てて手を振る。
「いや、悪い。何か、どこかで会ったようなそうでないような……」
遼自身、その違和感を言葉にするのは難しいようだった。例えるならデジャヴのようだと言って、彼はその話は後にしようと打ち切った。
「ともかく、暗黒の海へ行こう」
遼の言葉に、ヤマトたちは頷いた。

白い貝で作られたようにキラキラとした床を、黒いデジモンと人間が踏みつけていく。まだ覚束ない足取りの人間を誘うように、彼にじゃれるように、デジモンは長い耳を使って飛び回る。
「ちょ、待ってくれ、コロモン」
人間―――太一が足を止めたので、デジモン―――コロモンも飛び跳ねるのを止めて彼を見上げた。走り回って疲れたので、太一は行儀悪くその場にしゃがみ込む。胡坐をかいた彼の膝に、コロモンはぴょんと飛び乗った。
「たのしいね、タイチ」
「俺は疲れたよ……お前、腹減ってないのか?」
確か相当な大食らいであったと太一は記憶している。しかしコロモンはキョトンとした様子で目を瞬いた。
「うん、大丈夫。ボク、そんなにお腹空かないんだ」
「そうか……そうだったか……?」
太一は苦笑し、頭を掻く。己の思い違いに恥じているようだ。
その様子を少し離れた物陰で見守っていたデジモン―――サイケモンは、ふっと口元を緩めた。
「良かったな、コロモン」
あのデジモンが嬉しいと、サイケモンも嬉しい。ちゃんとプログラムも働いているようだ。
今は二人きりにしてやろうと踵を返したサイケモンの前に、ずるりとした細長い足が現れる。サイケモンは足を止め、蠢く蛸足のようなそれが伸びてくる曲がり角を見やった。光が届かないのか意図的に遮られているのか、影に落ちたそこにいるであろう姿はハッキリと見えない。ただ常人ならば失禁するではないかと思われる嫌な空気が流れ出ており、サイケモンの毛皮を深いに撫でてくる。
「……どうかしたのか」
「いや、首尾はどうかと思ってね」
「問題ない」
粘性を持っているのではないかと思わされるような、不気味な声。サイケモンは素気なく返して、目を逸らした。くくくく……と尾を引く笑い声が、そんなサイケモンの耳に滑り込んできた。
「四聖獣たちが気付いたらしい……」
「何……?」
「ここへ選ばれし子どもたちが来るのも、時間の問題だぞ」
サイケモンは、ギュッと手を握りしめた。
「……コロモンの願いの邪魔はさせない」
「そうか。……私も力は貸そう」
ずるり、ずるり、と音を立てて足は暗がりへ引っ込んでいく。それをそっと目で追い、サイケモンは感謝すると呟いた。
「いや何……同じデジモンとして助け合おう……」
くくく……―――何処か小馬鹿にするような笑い声を残して、その声の主は去って行ったようだった。ブルリと体を揺らして粘つく空気を毛皮から払う。サイケモンはもう一度背後のデジモンたちを一瞥し、進行方向へ視線を戻した。
「……誰も、邪魔はさせない」
子どもたちにも、ホメオスタシスにも、暗黒の海に住まうデジモンたちにも。大切な友だちの願いをサイケモンが叶えてやるのだ、友だちとして。
サイケモンは小さく呟いて、歩き出した。



(20150803)
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