事実は小説よりも奇なり
ガイは本日何度目か知れない溜息を漏らした。夜空にあるものよりギラギラと目に残るカラフルな星。渦を作る光の海の中、ガイは壁によりかかって水の入ったグラスを揺らしていた。
「ガーイ、しけた面してんなよ」
「ルーク……」
カラフルな照明を際立たせるために薄暗い室内、それでも目を引く赤髪を揺らして、ルークはニヤリとガイを見上げる。彼の手にあるグラスが色を持っていることに気づき、ガイは小さく笑うと、自分のグラスと入れ替えた。
「あ! おい!」
「未成年は水でも飲んでいろ」
取り返される前にと、ガイはグラスの半分ほどを満たす色水を喉へ流しこむ。と、途端焼けつくような熱さを覚え、肩を揺らして噎せた。
「お前、これ、カクテルじゃないのか!」
「ウイスキーの方が恰好良いだろ」
唇を尖らせ、ルークは大人しくガイから渡された水を飲む。ませた子どもだと内心毒づいて、ガイはヒリヒリする喉を誤魔化すように唾を飲んだ。
「お前、何しに来たか忘れてないだろうな」
「わーってるって。全く、退屈な仕事だよなぁ」
全く緊張感のないことだ。ガイはアルコールのせいで熱くなった息を吐いた。
ここはアビス・ファミリーとは全く関係のないパブだ。青少年が多く集まるこの場ではよく、薬や銃の取引が行われると言う。このパブを出入りする客の中にジェイドの『お目当て』がいるらしく、『お目当て』が『やんちゃ』している様子を写真に収めてきてほしい、というのが今回の依頼だ。大方、その写真を使って『説得』でもしようと言うのだろう。
(全く、こっちは探偵じゃないんだぞ)
こういったジェイドの依頼は初めてではない。ガイやシンクが請け負うのだが、今回はルーク坊ちゃんに見つかってしまったのがまずかった。同行すると言って聞かず、ガイが根負けしたのだ。
「お、いたぜ」
ルークがちょいちょいと指を動かす。少し人の波に揉まれていたが、確かに目当ての人物である。ガイはそっと手のうちに収まる小型カメラを握り、胸元のボタンを弄った。
相手が移動する方へ視線を動かし、決定的瞬間を逃さないよう注視する。と、視界に入った別の影に、ガイは目を丸くした。
「ガイ?」
「……悪い、ルーク。少しこれ頼む」
「ちょ、あ、おい!」
グラスと一緒にカメラを渡し、ガイはルークが止める間もなく人の波へ飛び込んで行ってしまった。彼を追おうにも、人波を歩き慣れていないルークはすぐに人とぶつかり、壁際へ押し戻された。思わず舌を打ったが、視線は手元の小型カメラへ。ガイも気になるが、ジェイドの依頼を無下にしたことが知れたらと思うと、背筋が少し震えた。
「ったく、もう!」
ルークの苛立った声は、騒がしい音楽へすぐに溶けた。

腰を揺らす人波を掻きわけ、店の奥へ奥へと進んでいく。漸く追いついた丸い肩をガイは掴んだ。
「ミクリオ!」
立ち止まって振り返ったのは、ガイの予想通りのアメジスト。パチクリと瞬いて、ミクリオは不思議そうに「ガイ?」と首を傾げた。普段大学で見る彼の様子と変わらず、ガイは安堵の息を漏らす。
「どうしてここに?」
「ちょっと知り合いに誘われてね。ミクリオは?」
「似たようなものかな。連れと少し逸れたので、探していたところなんだ」
「スレイ?」
「そう」
ミクリオは小さく笑って、肩を竦める。目に痛い光の雨の中、ミクリオの態度は普段と変わらない。いつもと違うのは己の立ち位置だと思うと、罪悪感のようなものが沸いて、ガイはこっそり苦虫を噛み潰した。
「俺も連れがいるんだ。良かったら、一緒にスレイを探して……」
そのとき、パッと照明が消えた。先ほどとは違う騒めきが辺りを漂う。ガイとミクリオも、何事かと囁き合いながら辺りを注意深く見やった。
「! わ!」
「え」
ドンとガイは背を押され、ミクリオに凭れかかるようにしてよろめいた。停電が復旧しないことに色めきだった周囲に揉まれ、二人は更に店の奥へ。ついに、後ろ向きで歩いていたミクリオは何かの段差に躓き、尻もちをついた。ガイもつられるように膝をついてしまう。
「いてて……」
「悪い、ミクリオ」
尻もちをついたミクリオへ覆いかぶさるような体勢になってしまったガイが、慌てて身を起しかける。気にしないよう言おうとミクリオが口を開きかけたとき、二人は周囲を取り囲む気配に気づいた。
「!」
しかし立ちあがるより早く、ガイの口へ何か布のようなものが宛がわれる。それは強い力で押し付けられ、ガイは引き剥がそうと腕を掴むが敵わない。少し慣れた視界の先で、同じようにミクリオも布で口を塞がれている。まずい、と思ったのも束の間、布に染み込んだ液体が気化し、ガイの口へと入りこんだ。先ほどのウイスキーも手伝ってか、ガイの視界はグルリと周り、全身の力が抜けていく。

「あれ、ルーク」
「スレイ」
こんなところで出会うとは。スレイはラフな恰好をしており、にこやかな笑顔でルークに手を振った。ルークも手を振り返して、ふとこちらへ歩み寄る彼の傍らに幼い容姿の少女はいるが、いつもの青年の姿はないと気が付いた。
「弁天さまはいないのかよ」
何のことだとスレイは眉を顰めると、少女が「ミクリオのことよ」と囁いた。内心しまったと思いつつ、ルークは頷く。
「有名だぜ。見る者を魅惑する水の女神さまってな」
「ああ……確かに、ミクリオは魅力的だけど」
恥ずかしがる様子も見せず、スレイは顎へ手をやった。こういうところはガイと似ている男だ。少女は鼻で笑い、手にしていたグラスを傾ける。
「ちょっと欲しいものがあって来たんだけど、逸れちゃって」
もう時間もないのに困った、とスレイは眉根を下げる。こんな飲んで踊るしか娯楽のないパブで買い物などできようにもない。つまり表ざたにできない買い物か。ルークはそう思い至り、ニヤリと笑った。
「何なら、探しておいてやるよ。こっちもガイと逸れちまって、今からフロアを歩き回らなきゃいけないんだ」
「本当?」
「その代り、買い物の結果教えろよ。ついでに半分齧らせろ」
「んー、ミクリオと半分こする予定だから……四分の一でもいい?」
「ま、仕方ねぇな。俺とお前の仲ってことで」
パンと手を打って、ルークは壁から背を離す。スレイと別れ人の波へ入ってから、ルークは買い物の内容を聞いていなかったことに思い至ったのだ。

「くそ!」
ガイは舌を打って乱暴に鉄の柱を叩いた。細いがしっかりとした檻は、ガシャリと音を立てて僅かに揺れたものの、南京錠で閉じられた扉が開くことはない。不意をつかれたとはいえ薬を嗅がされ、こんなところに閉じ込められるとは、油断した。
(まずい)
歯噛みし、ガイはチラリと隣を見やる。そこには、辺りを物珍し気に見回すミクリオの姿があった。彼もガイと共に捕まっていたのだ。ただの大学生である彼を巻きこむわけにはいかなかった。しかし、ガイの危惧など知らぬ様子で、ミクリオは顎へ手をやり「成程」と頷く。
「これが例のあれか」
「例の?」
高さの関係で膝をついたまま、ガイは後ろを振り向く。ミクリオはこの状況になっても平素のまま、腕を組んで納得したように首を揺らしていた。
「……ミクリオ? 君は、何か知っているのか?」
ガイは慎重に言葉を選んで訊ねた。ミクリオは軽く頷いた。
「ちょっとした噂さ。表舞台には中々出てこない商品を扱う、オークション会場のね」
「オークション?」
初耳だ。そもそもこの地域はアビス・ファミリーの管轄外である。ジェイドも、そんな噂のことは言っていなかった。
「少し欲しいものがあって、スレイと一緒に来たのだけれど……まさかこんなことまでしているなんてね」
「こんなことって……」
「人を商品にしているとは、僕も思わなかったよ」
困ったなと口では言うが、音も様子も困惑した様子はない。ガイの背にヒヤリとしたものが触れ、頬が少し引き攣った。
「どうして、ミクリオ……」
「あれ、ルークから聞いていないのかい?」
ルークのことは、名前こそ教えたかもしれないが、しっかり紹介した覚えはない。今度こそ嫌な予感が確信に変わり、ガイは思わず背後の柱を掴んだ。クスリと妖艶に笑い、ミクリオは自身の唇をそっと指でなぞった。それから尻もちをつく恰好のガイへ四つん這いでにじり寄り、微かに震える頬へその指を伸ばす。
「僕は君のことをずぅっとよく知っているよ――アビス・ファミリーの鬼子母神」
「……その呼び名は、好きじゃない」
苦虫を噛み潰すように顔を歪めると、ミクリオはスッと身を引いた。ガイが倒れかけた身体を起し、ミクリオに「君は……」と訊ねかけたとき、部屋の扉が乱暴に開いた。入ってきたのはチンピラ風情の男が二人。男たちは南京錠を開けると、ガイとミクリオの腕を掴み檻から引きずりだした。
身体に残ったアルコールと薬が混ざりあって、気分が悪い。ろくな抵抗をする気力もないまま、ガイたちは後ろ手で手錠をかけられた。感触からして安っぽいプラスチック製のものだ。引き千切ることは容易いだろう。しかし大人しく従うミクリオが気がかりで、ガイも暴れることはせず、男たちに引っ張られるまま足を進めた。
「!」
厚いカーテンを引き、男たちはその先へガイたちを投げ飛ばした。両手がつけない二人は、何とか受け身を取りながら膝をついた。
パッと、目を焼くような白い照明が二人を照らす。ガイは目を細め、辺りを見回す。マスクで目元を隠した男と、傍らに古い本の乗った机。男の視線の先は初め暗くてよく分からなかったが、少しずつ目が慣れるにつれ、そこに座る多くの人々の姿が見えてくる。
「オークション会場か」とミクリオのどこか弾んだ声が聴こえた。彼の方を見やると、ミクリオは瞳を輝かせて、男の傍らにある本を見つめている。そんなミクリオへ男が歩み寄り、その細い腕を掴んで立たせた。
「さあてお立会い! 次の商品は飛び入りだよ!」
「あ、おい!」
咄嗟に名前を呼びかけて、ガイは歯を噛みしめた。ここで彼の素性を少しでも明かすわけにはいかない。
(くそ! ここにスレイかルークでもいれば……!)
ガイが内心毒づく間にも、男はミクリオの容姿を陳腐な言葉で説明し、木槌を高らかに鳴らした。値段は流れる水のように上がっていく。
「一億」
その声はどよめいていた部屋にも凛と響き、水を打ったような静けさをもたらした。人々の、そしてガイの視線が、急に吊り上がった値段を提示した青年へと向かう。彼はニッコリと人好きのする笑みを浮かべ、ミクリオを真っ直ぐ見つめていた。
「スレイ……」
ガイは思わず、彼の名を呟いた。
「あれ」
少しの間があって、やっとスレイは周囲の奇異の目に気づいたようだ。可笑しなことを言っただろうかと、頭を掻く。彼の傍らに座っていた少女が、呆れたように吐息を漏らした。
「可笑しいでしょ。ミボは元々あなたのものだもの。そんな大金積んで買うという行為が可笑しいのよ」
「そう、かな?」
少女の言葉にツッコミを入れる猛者はいない。スレイも納得したわけではなかったようだが、立ちあがると真っ直ぐ舞台へ上がった。他の客たちは身を引いてスレイに道を譲り、彼の背を見つめて囁きあう。
「ゼスティ組のスレイじゃないか」
「ああ、なんでここに……」
その囁きは舞台上にいたガイの耳にも届いていた。
(ゼスティ組? ルークが前に言っていた……)
スレイはゼスティ組の構成員で、どうやらあの少女とミクリオも無関係ではないようだ。スレイが舞台へ上がると、ミクリオはうっとりと目を細める。
「じゃあ、そういうわけなんで、ミクリオを返して」
「や、その……」
「まさか仕入れ値なんてあるわけないだろ? ミクリオと逸れたのはついさっきだ。それに、」
にこやかな笑みのまま目を細め、スレイは狼狽する男の胸へ人差し指を突きつけた。スレイの後を追うように、少女エドナがゆったりと歩きながら口を開く。
「ゼスティ組の弁財天に手を出すなんて、余程の怖いもの知らずなのね」
「べ、弁財天!?」
途端に人々は色めき立ち、男はミクリオの腕を掴んでいた手を放した。よろめいたミクリオを支え、スレイは袖に仕込んでいたナイフで手錠の鎖を切った。
「ありがとう。ついでに、そこのガイも連れて帰るね。友だちなんだ」
まさかこちらに話が振られるとは思わず、ガイは肩を飛び上がらせた。スレイはミクリオから一度離れると、ガイの傍らに膝をついて同じように手錠の鎖を切る。自由になった手を呆然と見やり、それからガイは立ちあがったスレイを見上げた。
「ほら、行こう」
手を差し出すスレイの隣で、ミクリオが笑っている。いつも、大学で見ている風景だ。
「……ありがとう」
固い声になってしまう。ガイはスレイの手を握り返した。

「あー、ガイ!」
やっと見つけた、とルークは不満げな顔だ。すっかり気疲れしたガイは、力なく笑ってルークの頭を撫でる。その子ども扱いに頬を更に膨らめたルークは、ガイの背後にいたスレイたちもまた、何故か不満げな顔をしていることに気づいた。
「どうかしたのか、スレイ? 買い物はどうだったんだよ」
「……」
「あはは……ルーク、その話はやめてやれ……」
あのあと、スレイたちは舞台上にあった古書が商品として登場するまで、あの場に居座ったのだ。ガイ一人で場を後にするわけにも行かず、畏怖の視線に晒される中、ガイは酷く肩身の狭い思いでミクリオの隣に座っていた。古書はスレイたちが喉から手が出るほど欲していた歴史書であったらしい。しかしやっと競り落として手に取ることができたと思えば、スレイは見る間に喜色を萎ませた。どうやら、古書は偽者であったらしい。
「レプリカでも内容は同じでしょうに」
「レプリカなら僕たちも持っている。本物を手に入れることに意味があったんだ」
オタクの拘りにはついていけない、とエドナは肩を竦める。話が読めないルークは疑問符を頭に浮かべて、顔を顰めた。
「それより、ルーク」
「ん、何だよ、ガイ」
「……知っていたのか、スレイたちのこと」
「ああ……そっか、ガイには言っていなかったっけ」
あっけらかんとしたルークの様子に、ガイの額がヒクリと引き攣る。しかし彼はその様子に気づかず、「じゃあ紹介するぜ!」とスレイたちの方へ駆け寄った。
「ゼスティリア・ファミリーのボス、スレイ。で、その右腕のミクリオ。でー」
「私は初めましてね。ゼスティ組のアイドル、エドナよ」
薄い黄色のスカートを翻し、エドナは腰へ手を当てる。
ゼスティリア・ファミリー。最近益々勢力を増してきているマフィアではないか。そのツートップが、まさか常日頃から親しくしている友人たちだったなんて。くらり、と眩暈がしてガイは頭へ手をやる。
「! ガイ!」
アルコールと薬のダブルパンチの影響が抜けきっていなかったか、許容量を超えてしまったのか。ガイはふらりとよろめいて背後へ倒れていく。慌てて、ルークは腕を伸ばしてガイの身体を支えた。
「アビス・ファミリーの鬼子母神は繊細ね」
青い顔で気を失うガイを見やり、エドナは小さく吐息を漏らした。
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