日常クエスト(グリューネ編)
「やっぱりここにいたんだ」
「シャーリィ」
夜の墓地に一人で佇んでいたセネルは、やってきたシャーリィに目を丸くした。シャーリィは小さく笑って、「邪魔しちゃった?」と訊ねる。セネルは首を振った。
「もう、終わったから」
ここに眠る彼女へ伝えたい思いは、すべて言ったつもりだ。シャーリィは「そっか」と頷いて、セネルの隣に並んだ。
「シャーリィも、どこかへ行っていたのか?」
「うん。水の民の里に」
親友とその妹から、『祝福』と『希望』をわけてもらったと、シャーリィは嬉しそうに笑った。それからセネルの方を見て、何を話していたのかと訊ねる。
「……」
「あ、別に、無理に話してくれなくても良いんだよ?」
「いや……」
緩く首を振って、セネルは微笑みをシャーリィに向ける。
「遺跡船に来て良かった、皆と出会えて良かった……いろんなことを知って、覚えて、本当に守りたいものと人たちを知ることができた。俺は、この先に続く未来を守りたい。一人では無理だけど、皆とならやれると思う」
行ってきます――という言葉は、眠る彼女へあてたものだったから、言葉にしなかった。シャーリィは墓へ視線を向けて「そうなんだ」と呟いた。それから胸の前で手を組んだ。
「お姉ちゃん、どうかあなたの星の光で皆を照らしてね」
「シャーリィ?」
「私も、お兄ちゃんたちの勝利を祈ります」
シャーリィはニッコリと微笑んだ。四人の水の民からの恵みを受け取ったなら、怖いものなんてきっとない。セネルは力強く頷いた。
「行こう、シャーリィ」
「うん」

「ワルターさん?」
フェニモールは、窓から外を眺める不愛想な青年が、微かにいつもと違う雰囲気であることを感じ取った。いつも眉間に皺を寄せた顔だが、その皺が少し深くなっている気がする。ワルターはフェニモールの姿を認めると、窓から視線を逸らして言葉を濁した。
「……何か、あったんですか?」
先ほどシャーリィも里を訪れていたとフェニモールが告げると、ワルターは彼女の様子を訊ねた。
「何か悩んでいるようでしたけど、私とテューラの祝福と希望を上げたら、元気よく街へ戻って行きました」
そこでふと、フェニモールはじっとワルターを見つめる。
「ワルターさんも、祝福が欲しいですか?」
「は」
一拍硬直したワルターは、しかしすぐに我に返ってそっぽを向いた。
「……そう、ホイホイ、誠名を与えるな」
「シャーリィだけにしています」
そう言って、フェニモールは一度光跡翼でセネルにも与えていたことを思い出したが、口を噤んだ。ワルターは腕を組んだ姿勢で壁にもたれ掛かり、ぼんやりとどこかを眺めるように目を細める。
「……もし、自分の力の及ばない壁が現れたら……」
「え?」
「……」
フェニモールが聞き返しても、ワルターは口を閉ざしたまま。フェニモールは首を傾げ、良く分からないが、と前置きした。
「ワルターさんがそんなこと言うなんて、よっぽどですね。お兄さんたちと、協力してみてはどうですか? あの人たち、不可能だって言われたことをやってのけたんですから」
何度もいろんな人から無理だと言われながらも、諦めきれない想いを抱いて、手を繋ぎ、力を振り絞って彼らは歩き続けてきた。一人一人は弱くても、絶望的な状況でも、信じて手を取り合う勇気があれば変えられることを教えてくれたのは、彼らだ。
「水の民として、この世界に生きる一人として、あの人たちと手を取り合っていきたいと思えましたから」
ワルターはキュッと眉間へ力を入れた。
「……水の民の一人として、俺も……」
「ワルターさん?」
「……礼を言う。フェニモール」
ワルターはマントを翻し、フェニモールの横を通って出口へ向かう。どこへ行くのかと訊ねるフェニモールに、一度足を止めたワルターは少し振り返った。
「……この世界に生きる一人として、俺もやるべきことをやりにいく」

「大いなる滄我から力を受けとる、か……」
成程、二つの滄我の力があれば、神と呼ばれる存在のシュヴァルツにも敵うかもしれない。シャーリィの提案に、グリューネは微妙な顔をした。
「滄我がシュヴァルツの破滅を望んだのです。力を貸してくれるのか……」
「でも、それを阻止するグー姉さんを造ったのも滄我なんじゃないの? きっと滄我も迷ってたんだよ」
「そうですよ、今の穏やかな滄我なら、存続を望む筈です」
力強く頷くシャーリィの隣で、クロエはセネルが渋い顔をしていることに気づく。
「どうかしたのか、クーリッジ」
「いや、俺の力は爪術を打ち消すものだろ?」
滄我の力を受け取ることができるのか、微妙なところだ。「あ」とウィルたちは口を開いた。
「……ゼルメスの力は、打ち捨てられた地と似た雰囲気を感じます」
ぽつりとグリューネが呟いた。滄我の恩恵を受けた水の民が、力を発揮できなかった土地。確かに、テルクェスや爪術を打ち消したゼルメスの力と似ている。
「つまりゼルメスの力とは、もう一つの滄我を鎮める力――滄我に由来するのですから、そう相伴するものではないと思います」
「それなら、大丈夫、か」
一応納得したセネルは頷く。それならば、水の民であるワルターも力を受け取ることができるかもしれない。ウィルは眉を顰め、組んでいた手を顎へ添えた。
「……遺跡船の中にあったもう一つの海……そういえば、あの存在も疑問が残るな」
ぽそりとした呟きは、傍らにいたジェイだけが聞いていた。

無事、セネルも含めた全員が大いなる滄我の力を手に入れることができた。そして今、滄我の導きによって最後の戦いの場所へ向かっている。
「な〜んか重苦しい感じ」
黒い靄に包まれているような不快感に、べぇとノーマは舌を出す。ここは敵の腹のうち、何が起こってもおかしくないと、クロエたちは警戒しながら進んだ。ふと、グリューネが足を止める。
「グリューネさん?」
「……嘆きの力の集中を感じます」
グリューネの言葉に、セネルたちも警戒を高めて武器を手にした。黒い靄が彼らの前に現れたかと思うと、グニャグニャと形を変え、二人の人間の姿をとった。
「私たち……?」
「セネセネとリッちゃんじゃん!」
黒い靄から生まれた二人は、背中に羽根を広げる。ゼルメスとメルネスの力を持った二人だ。メルネスは羽根を動かして、シャーリィへ飛び掛かった。細い手で首を圧迫されながら、シャーリィはそのまま空中へ引き上げられる。
「っ!」
「シャーリィ!」
そちらへ目を奪われていたセネルは、一息に間合いへ飛び込んできたゼルメスの拳を躱せなかった。セネルが地面に転がったところ、ゼルメスは彼の背中を足で踏みつける。
「クーリッジ!」
「ち!」
舌を打ち、ワルターはテルクェスを出すと頭上で宙づりにされたシャーリィの方へ向かった。
首を掴まれ、足もつけない状態では簡単に呼吸が止まってしまう。何とか抜け出そうと身体を捻じり、シャーリィはメルネスの手に爪を立てた。
「――可哀そうな子」
「な……っに……?」
「――あのまま陸の民を滅ぼしていれば、苦しむことも悲しむことも、思い悩むこともなかったのに」
聞こえる声は、深海のように冷たい。ぽっかりとした深い海の底のような瞳が、苦しむシャーリィの顔を映す。
「あな、た、は……っ」
「シャーリィを、離せ!」
ワルターがメルネスの腕を叩きあげる。少女の腕は簡単に弾かれ、シャーリィの身体はフッと宙に投げ出された。落下するシャーリィを、下で待ち構えていたモーゼスが抱き留める。地面に立つシャーリィを見つめるメルネスの視界を遮るように、ワルターは行く手を塞いだ。
「行かせはしない」
「……」
ワルターを静かな瞳で見つめ、メルネスは背中の羽根を広げた。

空中戦が始まろうとする中、セネルは自身を踏みつける足を掴んで睨みつけた。
「お前は……」
「――あのとき抗わず、使命に身を任せれば良かった」
足首を掴んで少し持ち上げると、そんな冷たい声が頭上に降って来る。石をはめ込んだような生気のない瞳が、セネルを見下ろしている。セネルはギリと歯を噛みしめた。
「っ俺は、そんなことは思わない。シャーリィと歩いて行くと決めたんだ」
「――自分のことも分からないくせに、他人を知ったふりして、それで本当に一緒に歩いて行くことができるのか?」
「……っ」
クロエたちの姿をとる靄を見てきたから、分かっていたつもりだった。靄は姿を映した相手の心の闇を吸って力を得る。目の前のゼルメスが発する言葉は、セネルが心のどこかに抱えていた闇なのだ。
「その足をどけろ」
クロエが抜いた剣をゼルメスへ突き付ける。
「他人のことをすべて知る人間なんていない! 自分のことだって。だから人は悩み、苦しみ、手を取り合って助け合おうとするんだ!」
「さっすがクー!」
その通りだとノーマも同意し、武器を振る。ゼルメスの足元――セネルに当たらない位置から氷が突き出し、ゼルメスを襲った。
「行っけー、セネセネ! そんな奴、ぶん殴ってやんな!」
「俺の姿なんだが……」
躊躇いなく攻撃技をぶつけたノーマに苦く顔を歪めながらセネルは立ち上がり、氷に袖を引き裂かれて後退するゼルメスへ向けて駆け出した。

「モーゼスさん、ありがとうございます」
地面に降ろされたシャーリィは、空中でにらみ合う二人を見て、キュッと唇を引き結んだ。
「……私、行かなきゃ」
「行くんですか?」
ジェイに頷き、シャーリィは意識を集中させるとテルクェスを広げた。メルネス状態でないときに発動させることはないが、大分安定してきた筈だ。
「私が、やらないと」
シャーリィの言葉を聞き、ジェイとウィルは顔を見合わせて笑った。
「援護は任せろ」
「こういうのは、自分で納得する方法が良いですからね」
「よっしゃ、嬢ちゃん!」
モーゼスはシャーリィの脇へ手を差し入れ、物を投げるように彼女の身体を宙へ放った。
「気張っていくんじゃぞ!」
突然のことに驚きながらも、シャーリィは何とかバランスをとると、一直線に飛んでいく。
「シャーリィ……」
ワルターとの間に入り、シャーリィはキリッとメルネスを見つめた。
「――弱い私。守られてばかり。きっと、皆離れていく」
「そんなことない」
首を振って、シャーリィはきっぱりと否定した。
「弱い私も、皆なら受け入れてくれるって信じてる。……それに、守られてばかりの私じゃないよ」
シャーリィは腕を広げる。
「……漆黒の空に光さすほうき星よ、旅路の果てに我の地を選べ――シューティングスター」
流星が、暗い天井から降り注ぐ。それはメルネスを襲い、羽根を破った。バランスを崩して落下しかける彼女を、シャーリィは強く抱きしめた。
「――な、ぜ」
「忘れていたわけでも、見ないふりをしていたわけでもないよ。……けど、あなたはずっと苦しかったんだよね。もう、大丈夫だから」
メルネスはくしゃりと顔を歪め、ぎこちない手をそっと彼女の背中に回した。ぽろ、と閉じた目の端から零れた雫が、シャーリィの肩を濡らす。
「――あり、がと――」
ふわ、と黒い靄がほどけるように、メルネスの姿は消えていった。

衝撃によろけるゼルメスの頭を、セネルは拳で殴りつける。ゼルメスも顔に怒りを浮かべ、足を振り上げた。それを手で掴んで止め、セネルは真っ直ぐゼルメスを見つめた。
「――お前は進めない。自分も分からない奴が、どこへ行くって言うんだ!」
「俺たちは弱さを認め合って、前へ進む」
セネルは青い光の灯った拳を握る。
「俺たちの世界を守るために」
それを真っ直ぐ、ゼルメスに叩き込んだ。ぶわ、と靄が弾けるようにして霧散していく。最後、ゼルメスは避けることもせず、目を閉じてセネルの拳を受けたように見えた。
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