純白の壁が、柱が、赤と黒で汚れている。神聖な雰囲気を持つ玉座を中心に、彼らはポツポツとその場に座り込んだり佇んだり。
緋色髪の白兎は己の髪よりも鮮やかな赤に頬を濡らし、ぐったりとする黒髪の白兎を抱きしめて座り込んでいた。彼らから視線を外し、立派な耳を持つ白兎は禍々しいオーラと剣を持つ凛々しい白兎へ目を止めた。彼が腕で押さえる腹は、じわりと赤に滲んでいる。
凛々しい白兎の焦点は定まらず、泥水のように淀んだ瞳は、足元で腰を抜かす緑の黒髪の白兎の姿さえ捉えていないようだった。緑の黒髪の白兎は潤んだ瞳で凛々しい白兎を見上げ、震える声で何度も彼の名を呼ぶ。
立派な耳を持つ白兎の傍らにいた純白の兎が、珍しくその端整な顔を歪めた。これはまずい、非常にまずい。顔を顰める二人は、突如としてうねりをあげた空気にハッと身体を強張らせた。
喉を引き絞るような声を上げて、凛々しい白兎はゆらりゆらりと身体を揺らす。彼が揺れるたびに禍々しいオーラも、陽炎のように揺れていく。緑の黒髪の白兎の声も悲痛さを増し、咄嗟に立派な耳を持つ白兎は駆けだした。
純白の兎がそれを止めようと腕を伸ばすが、彼は掴めない。禍々しいオーラに溶けていく凛々しい白兎を救おうと、立派な耳を持つ白兎も怯むことなくそこへと飛び込んだ。
「……っいっくん、海―――!」
オーラが激しさを増したことで吹き飛ばされた緑の黒髪の白兎は、身体を床に横たえたまま悲鳴を上げる。とうとう端整な顔を盛大に歪め、純白の兎は手にしていた錫杖を持ち上げた。
「……ごめん」
小さく呟かれた言葉は、掲げた錫杖から溢れた白光へと溶けていった。



Moon Rabbit In Wonderland〜黒兎の国〜



この国の王は、天啓によって定められる。ある日唐突に、何処の某が王であると、王自身と国民全てに啓示が降りるのだ。夢であったりふとした思いつきであったり勘であったりと、人によってその形容はさまざま。しかしその啓示がさす人物は、いつも一人であった。
「始」
柔らかい声に、始は睡魔の波に揺らされていた脳を引き上げられた。ハッと開いた視界に飛び込んできたのは、己の手によって皺のよった書類で、頭上から呆れの吐息が降ってくる。
額にかかる前髪をかきあげながら、始は息を吐いて背凭れに身を預けた。彼こそ、天啓を受けたこの黒兎王国の現王である。
「珍しいね、始が転寝なんて」
春はクスクスと笑いながら、追加の資料を机に置いた。始はバツが悪く顔を顰め、机に転がったペンを手に持ち直した。
「何か心配なことでもあるの?」
特製のハーブティーを白磁のティーカップに注ぎながら、春はコテンと首を傾ぐ。彼からティーカップを受け取り、始は少し乾いた口内を湿らせた。
「別に……近頃、城下で目撃されるという白兎について、少し気になってな」
ああ、と春も頷いて、自分用のティーカップを持ち上げた。
この世界に、白兎は存在しない。それは、御伽噺にしか登場しない、空想の生物だ。しかしそれがここ最近、城下で頻繁に目撃されているという。
「不思議だよね……いや、元々この世界には不思議なことがたくさんあるけれど」
「だな……今回も考えるだけ無駄、って結論に落ち着いてくれれば良いんだが」
「はは、大変だね、王様は」
「春」
始は強い語調で、からかうような言葉を吐く彼の名を呼んだ。春は少し眉根を下げて、ごめん、と呟く。鼻から息を吐いて、始は腕を伸ばした。それは真っ直ぐ春の頬に触れ、指を滑らせる。
「……俺は『王様』なんて名前じゃない。ましてや、今は二人きりだぞ」
「……そうだね、ごめん、始」
春はまだ若干困ったように笑って、頬に触れる始の手に己のそれを重ねた。すり、と目を閉じて心地良さそうに手の平へ頬を摺り寄せる春に、始は思わず口元をもう片方の手で覆う。
込み上げるこそばゆさが、まだ慣れない。花でも撒き散らすような勢いで口元を緩ませ、始の手に擦り寄る春は、始のそんな固い顔に気づいていない。何となくムッとして、始は頬に触れている手で春の頬を摘まんだ。驚いた春の耳が、ピンと立つ。
「は、はじめ?」
「……」
むっつり黙ったままムニムニと頬を摘まむ始に、春はそっと息を吐いて彼の好きにさせることにした。柔らかい頬を摘まんでは離す、を繰り返す指をそのままに、春はふと、始の傍らに立てかけられた錫杖に目を止めた。
「それ、」
「ん?」
パッと手を離し、始は春の指さすものを見て、ああ、と頷く。彼のスラリとした手が、意匠のこらされた錫杖を取り上げ日に透かすと、金を帯びた先端がキラリと光った。
王冠の代わりに、代々受け継がれる王の証だ。一説には『生』を司る不思議な力を持つとかなんとか。真偽は、解らない。
漸く馴染んだ手の上で転がし、始は目を細めて錫杖を見つめた。そんな彼の顔を見つめ、春は摘ままれてほんのり熱を持つ頬をそっと撫でる。
「不思議といえばそれもだよね。『生』を司る、なんて」
「ただの伝説だろ」
くだらないと呟きつつも、そっと錫杖を脇に置く始に、春はクスリと笑みを溢した。立派な耳で聡くそれを聞いた始が、鋭い視線を彼へくれる。春は降参とばかり両手をあげて、肩を竦めた。
「春」
ポンポン、と始は己の座る椅子を叩く。春は僅かに頬を赤くし、困ったような恥ずかしいような笑みを浮かべながら彼の傍へ寄った。豪奢な椅子の手摺に腰を置き、春は背凭れに寄りかかる始の肩へ手を乗せる。見下ろす春の顔を見上げ、始は彼の垂れ下がる柔らかい髪を指で掬った。
「……仕事中じゃないの?」
「午前のノルマはこなした」
それに、春もそれを察していたからこうして寄って来たのだ。
流れるような始の手が、春の項を撫でる。それに押されるようにして、春はそっと身体を倒した。目を閉じ、影を重ねていく―――
「うわぁあ!?」
そのとき、盛大な音と声が、静かな部屋を叩いた。ピクリ、と二人は動きを止め、音を響かせた珍客へ視線を向ける。春は苦く笑い、始は大きく息を吐いて額に手をやった。
「やぁ、駆、恋。今日も元気だね」
「あ、ははは……」
「こんにちは、春さん、始さん」
折り重なるようにして床へ転がる駆と恋を見て、春はクスクス笑いながら椅子から降りる。駆と恋は気まずげに顔を見合わせながら、身体を起した。
「……それで、何か用か?」
足を組んで、始はまた大きく息を吐く。正座した駆と恋は、耳と背筋をピンと伸ばした。
「い、いえ……そろそろ始さんのお仕事が一段落する頃かなーって……」
「だから、御茶会のお誘いに、と……」
「だーから言っただろ、もう少ししてからにしろって」
「あははは……」
ひょい、と開け放したままのドアから、王子・葵とその護衛官・新が顔を覗かせる。あのまま続けていたら彼らにも聞かれていたのか、と気づき、春は眼鏡を直す振りをしてそっと顔を伏せた。それを横目でチラリと盗み見る始の肩を、新がポンと叩く。
「……何だ」
「いや、物凄く意地の悪い顔してましたよ。照れる春さん見て何考えてるんすか」
「……」
完全に無意識だったのだろう。始は顔を顰めた。新は小さく肩を竦めて、先に部屋を出る葵たちの後に続く。何となく彼の態度が勘に障ったが、春が呼ぶので、始は仕方なく立ち上がって彼らを追った。
「俺は御茶菓子とってきますね。新、手伝って」
「おう」
「俺たちはお茶の準備をします」
「なので、春さんと始さんは先にテラスへ行っていてください」
「じゃあ、お言葉に甘えて」
「ああ、頼んだぞ」
お任せあれ!と敬礼する駆たちに微笑を溢し、始と春は二人並んでテラスへと向かった。

溢れんばかりの果物が、まるで宝石のよう。心なしかキラキラ輝いて見えるタルトを前に、新はゴクリと唾を飲みこんだ。
「つまみ食いは駄目だよ、新」
「解ってるよ」
人数分のケーキ皿とシルバーを持ってきた葵に釘を刺され、新は口早に呟く。葵は苦笑して、新の持つお盆にタルトと並べてそれを乗せた。
「恋たちは?」
「取って置きのティーカップを使うんだーって、東塔に」
ふーんと頷きながら新は何気なくタルトへ指を伸ばして、葵にペシリと叩かれた。
ピクリ、と新の耳と鼻が小さく動く。新はすっと目を細め、持ち上げていたお盆を厨房の机に戻した。
「新?」
「……葵、暫くここにいろ」
「え?」
「十五分経って俺が戻らなかったら、中庭の方を通ってテラスにいる始さんたちのところへ行け」
「ちょ、ちょっと新?!」
いいな、と強く念を押し、新は素早く厨房を出て行く。一人残された葵は、同じく取り残されたタルトを一瞥し、溜息と肩を落とした。

黒を使うことでシックに纏められた城中を、白いマントの人影が二つ、揺れるように歩いていく。背丈からするに、どちらもそう年の差はない子どもだ。目深にかぶったフードから、真っ白な兎耳が覗いていた。
「この黒い城ん中でそんな恰好してるなんて、よっぽど腕に自信があるんだな」
落ち着いてはいるが確かに皮肉を含んだ声が、彼らの足を止める。マントたちが振り返ると、腰にさした剣を弄りながら無造作に立つ新と目が合う。その姿を認めると、マントたちは足を肩幅に開いて隠し持っていた軍刀を抜いた。
「最近噂の白兎か……」
フードから零れる耳を見て、新は目を細める。始が噂の出どころ解明に頭を悩ませていた問題だ。
(きっと始さんなら、捕縛せよ、なんて言うかな……)
城への侵入経路と目的を知るためならば、それも当然。
大きく息を吐いて、新はスラリと剣を抜いた。よく磨かれた銀にマントたちを写し、新は逆刃に持ち変える
そこで、マントの一人がもう片方へ何事か耳打ちした。された方は少し驚いたようだったが、素直に頷き、ヒラリと身を翻す。大方、足止めをするから先へ行けとでも言われたのだろう。そうはさせないと新は追いかけるが、残ったもう一人に道を阻まれた。ガキン―――鉄同士がぶつかり、激しい音を散らす。
(……!)
衝撃で揺れたフードの隙間から、赤い髪が見えた気がした。

「っ!」
「恋!」
「だい、じょうぶ!」
一方その頃、東塔で恋と駆も謎の白兎二人と交戦中であった。しかし直接手を下すのは背の高い方のみ。背の低い白兎は、少し離れたところで戦いを傍観していた。まるで、一人大切に守られているかのように。
吹き飛ばされた恋は、壁に手を置きながらよろよろと立ち上がった。
恋も駆も、傍仕えだ。王子護衛官である新ほど、戦闘に長けているわけではない。それでも。
「傍仕えの心得だよね、恋」
「ああ。駆さん」
―――侵入者の排除は、最小限の被害と最短の時間で。
鎧のオブジェから剣を抜き、駆と恋は構えの体勢をとる。前王のときからある鎧のオブジェは美術品だが、剣も鎧もしっかりとした本物だ。戦闘で使用するには、申し分ない。
「……ねぇ、気付いた?恋」
「ああ……新じゃなくても解るよ」
白兎の持つ剣から漏れる、嫌な臭いは。あんな禍々しいオーラ、恋も駆も見たことがない。解るのは、彼らが侵入者で敵であるということ、そして、絶対に王の元へ行かせてはならないということだ。

テラスに並んだ椅子に座り、始と共に見事な庭園を眺めていた春は、ふと城の内部と繋がる大きな硝子戸へ視線を向けた。黒いカーテンが貴婦人のドレスのように揺れる中、真っ白な恰好をした彼はよく目立つ。思わず立ち上がる春より早く、始が立ち上がって庇うように前に出た。
「何者だ」
護身用に帯刀していた剣に触れ、始は鋭い視線と声を飛ばす。
白い彼は微笑を湛えたまま、ゆっくりとテラスへ足を踏み入れた。バサリ、と白いマントが外れ、そこから現れた姿に、春は息を飲み、始は目を細める。
まるで絵本の中から飛び出してきたような、真っ白な服と真っ白な耳を持つ白兎―――銀とも灰ともとれぬ瞳を細め、彼はニコリと笑った。

十五分。新の言っていた時間だ。
開いた懐中時計を閉じて懐にしまい、葵はそっと厨房の出入口から顔だけを廊下に出した。シックな廊下の奥から、剣戟の音が聞こえる。
「……」
新の指示したテラスへ向かうには、左方向へ。音がするのは、右方向。葵はグッと手を握り、躊躇って足を止めた。このまま自分だけ逃げて良いものか。新の強さを疑うわけではない。葵だって、護身術くらいは使えるし、今も懐に短刀を持っている。
(俺も、力に……)
もう、二度と彼の『右目』を繰り替えしたくない。
ゴクリと唾を飲みこみ、葵は懐の短刀を服の上から握ると、右方へ爪先を向けた。
「―――動くな」
ヒタリ、と喉に冷たい何かが当たる。その感触と背後から聴こえた声に、葵は思わず足を止めた。葵より若干背の低い気配は、葵の喉元に短剣を添えたまま、声を低めた。
「そのまま、ゆっくり進め」
固い身体をギクシャクさせながら、葵は指示通りゆっくりと足を進める。暫く長い廊下を歩くと、床に片膝をついて剣を振りかぶる新の背中が見えてきた。
「陽!」
背後の気配が、突然大きな声を出した。葵がビクリと肩を跳ねあげると、新も耳を動かしこちらを振り返った。そして葵と、葵の喉に突き付けられた短剣を見て目を見開く。
「夜……?!」
その言葉を発したのは、新の下で座り込んでいた赤髪の白兎だった。白いマントから溢れた赤が目を引くその白兎は、新よりも驚愕に顔を染めている。
「陽から離れろ!」
「っち……!」
夜と呼ばれた気配―――恐らく彼も白兎なのだろう―――の勢いに説得も何も無駄と感じたのか、新は腰をあげて陽と呼ばれた白兎から離れた。新が数歩下がると、葵の背に前へ押し出されるような衝撃が走った。突然のことに驚いてたたらを踏む葵へ、新が慌てて駆け寄る。彼らとすれ違うように、陽も夜のもとへ駆け寄った。
「夜、お前どうして……!」
「陽……!隼さんから、白田を預かっていたから……」
新の腕に抱き留められながら、葵はチラリと背後の二人を盗み見る。
新のより真っ黒でふわふわとした髪をした白兎は、心底安堵したように目を潤ませていた。彼の右足が引きずるような動きをしていたのが、少し気になった。
「新……」
「解ってる」
傷つけることはしない。そう呟いて納刀すると、新は身軽に床を蹴って飛び上がった。

春を下がらせ、始は剣に触れた手を離さぬままそっと白兎との間合いを見定めた。王である彼を侵入者と対峙させることに躊躇って、春が名を呼ぶ。それに大丈夫だと返し、始はじっと白兎を見据えた。
そんな警戒を気にした風も見せず、白兎は鼻歌を歌うような笑顔で距離を詰める。
「そう警戒しないで」
白い手袋をはめた手を肩まで上げ、白兎はのんびりとした調子で言った。
「僕はそう、ちょっとお願いをしにきただけだよ」
「お願い……?」
春が呟き、始が眉を顰めると、白兎は「そう、お願い」と囁くように繰り返す。
「黒兎の王が所有する『生』の錫杖を貸してほしいんだ」
王の所有する、錫杖。
春はチラリと視線だけで、テラスの机に立てかけられた錫杖を見やった。これは、始にとって大切なものだ。王である彼にとって、とても大切なもの。
春が錫杖を掴むとほぼ同時に、始はスラリと剣を抜いた。
「見ず知らずの兎のお願いなんて、聞けるわけがないだろう」
「ああ、自己紹介がまだだったね、僕は隼だよ」
「……」
そういうことを言っているのではない。先ほどから少し思っていたが、この隼と名乗った白兎はマイペースすぎる。真面目に会話するだけで疲れてしまいそうだ。
始が顔を顰めると、隼は何かに気づいたようにクスリと笑った。
「……来たね」
タン、とテラスの床を高く鳴らし、新たな人影が現れる。それは、凛々しい顔つきの白兎と、緑の黒髪が美しい白兎だった。凛々しい顔つきの白兎の手にはそれぞれ駆と恋が、ぐったりと襟元を掴まれ引きずられている。
「駆、恋!」
「宝物庫にはありませんでした」
傷だらけの二人を適当に転がして、凛々しい顔つきの白兎は隼の元へ歩み寄る。恋と駆と戦闘していたときは全く息を乱していなかったのに、今は何故か苦しそうに眉を顰めていた。そんな彼を、緑の黒髪が美しい白兎は寄り添うように支える。隼はニコニコとしたまま頷いて、凛々しい顔つきの白兎の茶色い髪をするりと撫でた。
「ご苦労様、郁は良い子だねぇ。大丈夫、アレはそこにあるから」
郁と呼ばれた白兎は少し驚いたように目を開いて、隼の示したテラスの奥を見やる。それからすぐ目を細めて剣に手をかける彼を、やんわりと緑の黒髪が美しい白兎が止めた。
「涙」
困ったように郁が名を呼べど、涙と呼ばれた白兎は首を横に振るだけ。困り果てて眉を下げる郁の頭をポンポンと叩き、隼はクスリと笑った。郁は目を細め、くらくらとする意識を何とか繋ぎ止めているようだった。
「まぁまぁ、あとは僕に任せて」
「そうはさせねぇよ」
新たな声に、郁は身構えて剣に触れる。黒いカーテンの隙間を縫って現れた新と葵は、頬を腫らした陽と半泣きの夜を連れていた。二人の手を後ろで縛った綱を手に、新は腰の剣を叩いた。
「人質の数は同じか……でもこう挟まれてたら、容易に動けはしないよな?」
新は馬鹿にするように、ニヤリと笑う。隼はとうとう自力で立っていられなくなった郁を支え、新と始を一瞥した。
「そうだねぇ……―――まぁ、真正面から戦う気なんて、更々ないわけだけれど」
「―――え?」
錫杖をしっかり両手で掴む春は、隼の何かを含んだ銀の瞳に射抜かれ、一時息を止めた。
「春さん!」
葵が、引き攣った声を上げる。ぱかり、と春の背後で、大きな口が開いていた。同じように気付いた始も、目を見開き、慌てて彼の方へ駆けだす。
「春―――!」
伸ばした始の腕が届くことも、春が振り向く間もなく、大きな口は、春をすっぽりと飲みこんでしまった。
それは、大きな龍だった。一軒家ほどはあろう巨体を、一対の翼で空中に浮かべている。真っ白な鱗を持つ龍に、新は息を飲んだ。
「この……!」
まだテラスに残る龍の鼻先へ突き付けようと、始は剣を振り上げる。
「―――あまり、白田を苛めないであげてくれるかい?」
しかし、その手は優しく触れた隼の手によって、そっといなされた。目を瞠る始に柔らかい笑みを溢して、隼はトン、と龍の頭に飛び乗った。彼の腕には、熱い息を吐く郁が横に抱えられている。隼に続いて龍に飛び乗った涙は、不安半分不満半分といった表情で二人を見ていた。
「おい手前!」
テラスから、鋭い声が飛ぶ。始でも新でもない、陽からだ。陽は明るい色の瞳をキッと吊り上げ、隼を睨み上げた。
「夜に白田を預けたのもわざとだな!俺たちを捨てて行く気か!」
「陽……?!」
夜は陽の発言に驚いているようで、目端に涙を浮かべている。隼はニヤリと笑って、頬に手を当てた。
「そうだよ。あっさり捕まるような役立たずは、僕らの国には要らないんだ」
隼が錫杖で頭を突くと、龍はゆっくりと翼を動かし、高度を上げていく。膝をついて身を屈めた涙は、離れていくテラスを見下ろして小さく手を振った。
「バイバイ」
始はギリ、と歯を食いしばった。
「待て、おい!―――春ぅ!」
ニヤニヤとした隼は龍や涙たちと共に、青空へ溶けて消えていった。



(20150706)
×
「#オリジナル」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -