紅い靴で踊りましょう
崩れかけていた髪を結い直し、アリーシャは小さく息を吐いた。
「万事うまくいったようだな」
「エドナの話だとね」
薄暗い部屋の中、アリーシャから少し離れた壁に背を預けたロゼは小さく肩を竦めた。彼女から更に離れた窓辺では、帽子を目深にかぶったデゼルがそっと宵闇の町へ視線をくれている。高層マンションの一室、間接照明だけが照らす中、スーツの上着だけ脱いだアリーシャは、安堵したように微笑んだ。
「本当に、いつもスレイたちには感謝している。今回もなんとか、麻薬が蔓延るのを最小限に防ぐことができた」
「警視総監の御息女は働き者だねぇ。そんなもの、本職に任せておけば良いのにさ」
「彼らにも不可能なことはある。だからこそ、縛られるものの少ない私の動きと、スレイたちのような存在が必要なんだ」
そしてその先にあるものこそ、アリーシャの望む理想の世界だ。それを想像してか、アリーシャはうっとりとした瞳で空を見つめる。ほの暗く光るその瞳に、ロゼはゾクゾクとした快感を覚える。
出会った当初は魚も棲まないような澄んだ瞳をしており、ロゼはスレイの頼みがなければ関わりたくないと思ったものだ。しかしどうだ。そういった機会を重ねるごとに、彼女の瞳は、心はロゼ好みに形と色を変えていった。右腕のデゼルは悪趣味だと言うが、この世界に良い趣味を持つ人間などいる筈がない。
「ぅ……」
上等な絨毯の敷き詰められた床から、鈍い声が聴こえた。ぐ、と左足が何かに掴まれた感覚がして、アリーシャは自然な流れで視線を落とす。
「お前、ら……一体……」
左足と右目のない男が、血塗れの手でアリーシャの足首を掴んでいた。ごぼりと、血の塊が口から零れ、磨かれたハイヒールを汚す。シャ、と空気が滑ってアリーシャの足を掴む手が手首からスッパリと切り離された。
皮を打ち破るような悲鳴が上がる。アリーシャはまだひっかかる手を振り払い、蹲る男に顔を顰めた。
「ロゼ、むやみに苦しませないでほしい」
「もう、汚されたっていうのに呑気だねぇ」
男の手を切り落としたナイフをクルリと回し、ロゼは吐息を漏らす。そんなロゼを咎めるように睨み、アリーシャは膝を曲げて男を見下ろした。
「すまない。手荒な真似をしてしまって」
「が……ぁ、あ、きゅ、救急、車……」
「ああ、すぐ手配しよう。先ほどの約束を守ってくれるのなら――二度と薬は製造、販売しないこと。あとついでに、ゼスティリア・ファミリーに上納金を払うこと」
誓約書にサインをしてほしい、とアリーシャはポケットへ避難させていた紙をとりだし、丁寧に広げる。男はしかし、肘をついた状態からうまく動けない。先ほど切られたのは利き腕だった。アリーシャは利き腕を抑える男の手を引き剥がし、ボールペンを握らせた。男は顔を上げ、差し出された紙へ手を伸ばす。痛みと恐怖で身体が震え、それはペン先も揺らした。
利き腕ではない上、アリーシャが差し出した紙は宙に晒された状態のまま、下敷きになるものはない。床は血塗れだったから、置くわけにもいかなかったのだ。そんな不安定な状態で男がしっかりサインできる筈もなく、震えるペン先はサイン欄を大きく外れ、あまつさえ紙へ穴を空けてしまった。
「ひ!」
「あらら〜、なるほど。アンタはこの条件は飲めない、約束する気はないってことか」
「ちが!」
「そうか、それは残念だ」
アリーシャは心底残念そうに眉根を下げ、もう用はないと紙を丸めて放り投げた。男の口から情けない声が上がる。その口へヒールの爪先を突っ込み、アリーシャは顔を蹴り上げた。
「すまない、ならば手当をしてあげることもできない。ロゼ」
「あいよ、任されました」
絶望に落ちる男へもう目もくれず、アリーシャは壁際へ下がる。デゼルがそっとコートをかけ、血塗れの彼女の身体を隠した。
「ありがとう」
「靴はねぇから、少し我慢しろ」
「じゃあ帰りに硝子の靴でも買って行きますか」
アリーシャに代わって男の前に立ち、ロゼはクルクルとナイフを回す。「悪いよ」とアリーシャは少し頬を染めた。
「……なん、で……セキレイが、小娘なん……かに……っ」
瞬間、男の残っていた手の平にナイフが突き刺さり、悲鳴が上がる。ロゼはナイフの柄を踏みつけるように足を動かした。
「小娘じゃない、お姫さまだ。そして私は騎士」
訂正しなよ――ロゼは低く呟き、目を細める。「おい」とデゼルが彼女へ声をかけた。あまりの威圧感と痛みで男が気絶していることをデゼルが教えると、ロゼはケロリと表情を変え「ありま」と肩を竦めた。
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