第3話 chapter1
「シャットクロー!」
鋭い爪が、暴走したバケモンを切り裂く。風に溶けていくデータを見送り、メイクーモンは芽心の元へと駆け戻った。
「メイコ!」
「お疲れさま、メイちゃん」
芽心は胸にすり寄るメイクーモンを抱きしめる。その様子を見て同じように甘えるピヨモンの頭を撫でながら、空は芽心へ声をかけた。
「大分、メイクーモンも慣れてきたわね」
「はい。メイクラックモンへの進化は、あれ以来一度もできていないですけど」
「完全体への進化はエネルギーを大量に使うから、それも仕方ないわ」
成熟期の状態を保ったまま戦えているだけですごい、とピヨモンもメイクーモンを褒める。メイクーモンは誇らしげに胸を張った。
「そうそう、究極体なら尚更ね」
「そうね、ミミ」
ミミと、腕の中のタネモンが顔を見合わせる。文化祭の一件で究極進化を果たしたタネモンとプカモンは、まだ幼年期のままだった。
「究極体って、一番強いデジモンですよね。太刀川さんも城戸先輩もすごいです」
キラキラとした芽心の視線を受け、ミミは誇らしげに胸を張る。
「これまでは太一さんとヤマトさんに頼りっきりだったからね! これからは私と丈先輩もみんなを守れるかも!」
「今までも十分頼りになっていましたよ」
タケルの言葉に、ミミとタネモンは照れたように頭を掻いた。その様子を見ていたピヨモンは、隣を飛んでいたパタモンと顔を見合わせた。
「私たちも究極体になれるかしら」
「どうだろう」
「ガルダモンよりもーっと大きくなれたら、空をもっと遠くへ連れて行けるわね」
「だったら僕はもっと強くなって、タケルを守るよ」
「メイもー」
和気藹々とまだ見ぬ進化に夢膨らませるデジモンたちを微笑ましく見守っていると、周囲に暴走デジモンがいないか見回っていたヤマトとガブモンが戻ってきた。デジモンたちの様子に首を傾げたヤマトたちへ、空が話の流れを伝える。
「成程……しかし不思議なもんだよな、完全体への進化を、しかも紋章の力なしでするなんて」
「紋章……石田くんたちが六年前の冒険で手に入れたっていう……」
「そう」
頷きながら、空は自身の胸へ手を当てる。
「私たちの心の特性が具現化し、進化の力を増幅させてくれるものなの」
「今は、デジタルワールドを安定させるために解放しているけど、形はなくても私たちの心だもの。ここに在るってことくらいは分かるわ」
きっと、今回の究極進化も紋章が力を貸してくれたのだろう。ミミはそう呟いて、愛しそうに胸へ手を当てた。
芽心は、そっと自身の胸へ手を添える。メイクーモンも、芽心の鼓動を聞くように耳を近づけた。
「じゃあ、私が……メイちゃんが完全体へ進化できたのは……紋章なんてすごいものないのに」
「確かに不思議だけど……いーんじゃない? メイクーモンも今のところ元気そうだし」
ミミに微笑みかけられ、メイクーモンは応と力強く腕を掲げる。芽心はその様子に、ホッと小さく息を吐いた。
「しかし、まさか母さんが言っていた偉い大学の先生が、芽心さんのお父さんだったなんて」
「わ、私もびっくりです。父が対談する相手が武之内さんのお父さんと、高石くんのお母さんだったなんて」
「芽心さんは、お父さんの仕事の都合で引っ越してきたって聞いたけど……」
「あ、はい。それもありますが……知り合いに勧められたこともあって」
「知り合い?」
「あら、芽心ちゃん」
誰のことだろうとミミが首を傾げると、黒いスーツを身にまとった女性が声をかけてきた。ひらひら手を振る女性を見て、芽心は顔を綻ばせる。
「姫川さん」
芽心が女性の側へ寄ると、彼女はミミたちを見やって友だちかと訊ねた。芽心は少し照れたように頷き、ミミたちへ紹介するように女性へ手の平を向けた。
「こちら、姫川マキさん。父の助手をしてくださっている方です」
「どうも、初めまして。あなたたちが、芽心ちゃんの言っていたデジモンを連れたお友だちね」
クールそうな相貌を少し崩して、女性は微笑む。周囲では珍しいタイプの異性の登場に、ヤマトとタケルは思わずとぎまぎしてしまう。ミミも思わずピンと背筋を伸ばし、空はそんな恋人の態度に眉を顰めた。
芽心は少し申し訳なさそうに眉を下げて、勝手にデジモンのことを教えてしまってすまないと詫びた。
「別に、絶対秘密にしなきゃいけないってことじゃないわ。気にしないで」
「そーそー。私は太刀川ミミです。初めまして、姫川さん」
「高石タケルです」
「い、石田ヤマトです」
「武之内空です」
「あら、あなたたちが、石田さんと武之内教授の?」
空とヤマトが頷くと、姫川は少し目を丸くして、先日から世話になっていると頭を下げた。
「石田さんのお陰で良い機会を得られたし、武之内教授には勉強させていただいているわ。それに、デジモンをこの目で見られるなんて、感激よ」
冷静さの中に興奮を滲ませながら、姫川はガブモンたちを見回す。空たちに一言断って、姫川は恐る恐るパタモンやピヨモン、タネモンの身体に触れた。犬猫を擽るような指先に、パタモンたちはクスクス笑って身を捩る。
姫川がガブモンへ手を伸ばそうとすると、芽心の腕の中から飛び出したメイクーモンがガブモンの腕を引いて、離れたところへ駆けだしてしまった。
「メイちゃん!」
パタモンたちも、ガブモンとメイクーモンを追いかける。デジモンたちはパートナーから少し離れたところで輪になって、何やら話を始めていた。
「ごめんなさい、石田くん」
「気にしなくて良いよ。遊びたかったんだろう」
「私が、邪魔しちゃったかしら」
屈めていた腰を伸ばし、姫川は腕を組む。
「どうも、あの子には好かれていないみたいね」
「いつもすみません……」
「いつもって、姫川さん、そんなに長く芽心さんと付き合いがあるんですか?」
芽心の父の助手と聞いたが、話を聞く限り家族ぐるみで付き合いがあるようだ。そうね、と姫川は考えるように顎へ指を添えた。
「私が大学で望月教授に師事してからだから、随分経つかしら」
「そうですね。一人っ子の私には、お姉さんみたいな存在です」
多忙な父親の代わりに祖父母に育てられた芽心にとって、姫川は年の離れた友人であり、血の繋がらない姉といった存在だった。
メイクーモンのことも相談しており、今回の引っ越しも、東京の方がデジモンに詳しい人間が多いだろうと姫川が提案したことがきっかけだったらしい。デジモンを知る人間が多ければ、メイクーモンに対する芽心の不安も消えるだろう、と。
「父の研究も、こちらの方が捗りますし」
「そうだったのか」
「お父さんは、デジタルワールドの研究を?」
「私は良く知りませんけど、最近はそうみたいです。元々、情報何とかって分野を研究していたみたいです」
「ICT――情報通信技術――よ。私自身、お台場濃霧事件からデジモンに興味があってね。望月教授がデジモンの研究をすると聞いて、芽心ちゃんのためにも東京で研究してはどうかと勧めたの」
そこで姫川は、吐息を一つ漏らした。
「でもまさか、西島くんの生徒になるとはね」
「西島先生をご存知なんですか?」
「彼とは、小学校からの幼馴染なの。大学進学を期に、私が東京を離れてしまったから、疎遠になっちゃったけど。この前、芽心ちゃんを迎えに行ったときに会って、教師になっていたと初めて知ったわ」
「そうだったんですか」
へえ、とミミは頷き、姫川と西島の話をもっと聞きたいと目を輝かせた。
話し込むパートナーたちを少し離れたところから見つめ、メイクーモンはクッと眉間へ皺を寄せる。
「メイコ、またあの人間と話してる……」
「姫川って人?」
メイクーモンの険しい視線の先を見やって、ガブモンはポリポリと頬を掻いた。
「メイクーモンは、姫川さんが好きじゃないの?」
「……あがいな人、知らんだがぁ!」
「あがいな?」
タネモンとピヨモンは聞きなれない言葉に、思わず顔を見合わせる。パタモンとガブモンは「あ」と声を上げた。
「島根のヤマトとタケルのおじいちゃんの家で、似たような言葉を聞いたよ」
「方言ってやつだね」
ガブモンとパタモンの反応に、メイクーモンは目を瞬かせた。芽心は鳥取出身と言っていたから鳥取弁だろうか、と訊ねるガブモンに、メイクーモンはコクリと頷いた。
「メイコが、家でよく使う」
「へー。メイクーモンも喋れるの?」
「少しなら」
ピヨモンたちはすごいとはやし立て、何か単語を教えてほしいと強請った。少し渋っていたメイクーモンだが、何か思い至ったようにコクリと頷いた。
メイクーモンがガブモンの耳へ囁くように顔を近づけると、ピヨモンやパタモンたちもそっと身を寄せた。
「だんだん」
「どういう意味?」
ガブモンが訊ねると、メイクーモンは口元を手で覆いクスクスと嬉しそうに笑う。
「ほんとは、メイコとの秘密だけど、特別」
とっておきの秘密を話す興奮に頬を緩めながら、メイクーモンはそっとその意味をガブモンたちへ囁いた。

◇◆◇

「望月教授、ですか……少し話を聞いてみたいですね」
光子郎はフムと顎へ手をやった。病院から直接オフィスへやって来た太一は、隣接する小さなキッチンの冷蔵庫からお茶のペットボトルを拝借する。それからアグモンの隣に座って、蓋を回した。
「光子郎は、大学でもデジタルワールドの研究をしたいのか?」
「できることなら、そうしたいです。本来なら、デジタルワールド評論家と名のある武之内教授に師事するのが良いのでしょうが……あの方は歴史学者ですので」
デジモンの生態を現実世界の歴史と照らし合わせて成り立ちを探るのではなく、光子郎は情報学的立ち位置から解明したいのだ。確かに、武之内教授の元で研究するに些か畑違いだろう。
「望月教授が東京の大学で教鞭をとられているなら、その大学もありだな……」
「お前は将来展望も有望だな……」
お茶を一口飲んで、強請るアグモンにそれを渡す。
「俺は……何だと思う?」
ギ、と背もたれを鳴らして太一を見やった光子郎は、小さく肩を竦めた。
「僕に聞かれましても」
「……だよなぁ」
苦笑して、太一は大きく天井を仰ぐ。背もたれから落ちそうなほど反り返る太一を見て、アグモンは目を丸くした。
「あ〜、光子郎が立ち上げた研究所に入れてくれよ」
「太一さんにパソコンですか……」
光子郎が設立を目論んでいるのは、デジタルワールドの研究所だ。
「まぁ確かに、僕としては、デジタルワールドを研究するときに一緒にいてほしいです」
膨れる太一にため息を吐いて、光子郎は椅子の手すりを指で撫でる。
それは光子郎の本心だった。初めての冒険のときから先陣切って、太一は光子郎たちを導いてくれた。そんな彼が、未知の領域の残るデジタルワールドを研究する際に共にいてくれたら――これほど頼りになる存在はない。
「……パソコンに触らない範囲でか?」
「叩かなければ」
「……」
「それに、人手は幾らあっても足りないと思いますし」
「分かった分かった、本当に就職難になったときは拾ってくれよ、光子郎」
すっかり諦めたように太一は両手を上げる。
ミネラルウォーターを口に含んだ光子郎の顔をテントモンは覗き込んで、「えらくご機嫌でんな」と囁いた。キョトンと光子郎が目を瞬かせると、テントモンは小さく鼻歌を歌いながらアグモンたちの方へ飛んで行った。
「で、お前はさっきから何やってんだよ」
太一はソファから立ち上がって、光子郎のパソコンを覗き込む。それから、眉を顰めた。
「ゲートが……」
「ここ最近のデータです」
パソコン画面に広がっていたのは日本地図で、ゲートを示す赤い点が東京に集中していた。光子郎がマウスを動かして拡大すると、さらに東京の一部の地域に点が集中していた。
「ゲートが、ここ東京、しかもお台場周辺に集中しています。これだけの偏りは、偶然とは考えにくい。自然発生なら、何か誘引するものがお台場にあるのかもしれません」
「……つまり?」
「僕は、敵の故意によってゲートが開かれていると考えます――つまり、敵の目的はこのお台場にあるということです」
光子郎の話を聞いていたアグモンとテントモンは、顔を見合わせる。太一はますます眉間の皺を深め、頭を掻いた。
「お台場に、何があるっていうんだ」
「私たち、選ばれし子どもたち?」
突然部屋に響いた声に、太一はハッとして顔を上げた。今やって来たところなのだろう、入り口に立ったヒカリは、キュッと柳眉を顰めた。彼女の反応に面くらいながら、太一は「でも」と口を動かした。
「それこそ、世界中にいるだろ」
「『パートナーデジモンを持った子どもたち』なら。『世界を救う使命を負った』選ばれし子どもたちは、僕らだけです」
ゴクリ、と誰かが唾を飲む。
敵の狙いが、嘗て世界を救った選ばれし子どもたちであり、ゲートをお台場周辺に開き、暴走させたデジモンたちをけしかけているのだとしたら。
「それこそ……何のためだよ」
「敵にとって、僕らの力は脅威となる筈です。何せ、世界を救っているんですから。敵の目的が世界の支配なら、尚更、こちらが状況を把握できないうちに戦力を潰そうとしている、とか」
まだ推測の域を出ないと、光子郎は歯切れ悪く顔を歪める。
「まさか、京さん……」
ヒカリは薄ら青い頬を震わせ、ギュッと腕を組んだ。彼女の足元に寄り添ったパートナーが心配して名前を呼んだが、それにさえ返事をしないまま。
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