蛇の見た夢
 何を泣いてるんだ。ほら、涙を拭いて。そんな弱虫じゃ、立派なヒーローにはなれないぞ。……そう、ヒーローだ。
 ん?ああ、赤、似合うだろう?赤は好きか?お揃いだな。赤は好きだよ、こう、血が滾る。……あはは、ちょっと可笑しかったか。
 お前はどうして赤が好きなんだ?……そうか、そうだな。
 ああ。
「赤は、ヒーローの色だよ」



 トン。白い空間に、コノハは静かに降り立った。
 ここは、何処だろうか。
 エネが防御プログラムを引きつけている間にと進んだが、数歩も歩かぬ内にこの空間へと辿りついたのだ。辺りを見回すまでもなく、コノハの目前には人影が一つある。
 灰色の髪に、撫で肩を隠すような長いカーディガン。車椅子に座ったその人影は、コノハに背を向けて何やら手元に視線を落としているようだった。
 コノハが声をかけあぐねていると、不意に車椅子の人影は顔を上げ、ゆっくりと振り向いた。コノハを見つけたその目が、優しげに細まる。その顔に、笑みに、コノハは息を飲んだ。
「やあ、もう一人の僕」
 車椅子に乗った青年は、タイヤを回して椅子の向きをコノハと向かい合うような形へと変える。コノハは服の裾を握った。
「君は……」
「僕はもう一人の君――九ノ瀬遥だよ」
 膝の上にスケッチブックを置いて、青年は柔らかく微笑んだ。

 少女とマリーは手を繋ぎあって、駆けていく。
 少女がヒビヤの抱く兎――中身はクロハ――に飛びついたので、ヒビヤと兎から驚きの声が上がる。
 ムニムニと顔の形が変わるほどに頬を押し付けてくる少女にゲンナリしながらも、クロハは抵抗できずされるがまま。そんな彼女に苦笑いを溢すマリーと、大きく息を吐くヒビヤ。
 そんな彼らの様子を少し離れたところから見ていたセトは、背後で鳴った足音にフイと振り返った。
「あ……」
「セト」
 そこに立っていたのは、セトと同じようにフードをかぶったカノで。セトは少し口を開閉させて、バッと手を持ち上げた。
「あ、ああ! あそこに鹿が! 俺ちょっと近くで……!」
「鹿がこんなところにいるわけないでしょ」
 駆けだしかけたところでカノにそう言われてしまい、セトは思わず足を止める。言い訳や誤魔化しが下手にも、程があるだろうに。
 わざとらしく溜息を吐いて、カノは距離を埋めるとセトの腕を強く掴んだ。
「話があるんだ……ちゃんと、聞いてほしい」
 背を向けていたからセトにその表情は見えなくて、でも例え向かい合っていても身長差がある上にフードをかぶった彼は俯いていたから、きっとその顔は見えなかったことだろう。
 セトはゴーグルを握って、コクリと頷いた。

 ズダダダダ、と景気の良い音と共に銃弾の雨が、【アクタープログラム】へと降り注ぐ。彼女は身を翻してそれらを避け、手にしていた二丁の銃器のトリガーを引く。勢いよく発射した銃弾が肌を掠め、エネはヒラリと後ろ向きに宙返りした。
「結構エグイ物出しますね〜……」
 【アクタープログラム】の持つ銃弾はデリートプログラムの塊だ。当たれば息つく間もなく一瞬で消去されてしまう。対するエネの弾は相手を内側から破壊するウイルスプログラム。向こうより劣るということはないが、面積的な意味では不利だ。
「自分と戦うなんてホント悪趣味ですが……」
 それもまあ、仕方のないことだ。
 データ奪取はコノハに任せた。エネの役目は、この防御プログラムを足止め、若しくは破壊することだ。久方ぶりの心躍る感覚に、エネはペロリと舌舐めずりした。
「……あのまま研究所に残っていたら、私があなたの役目を担っていたんでしょうね……」
 同情はすれど、手加減はしない。
 エネはパチンと指を鳴らし、更なる銃器の壁を展開した。それを見て、【アクタープログラム】も足元から幾つもの銃器を取り出す。自分の物より大きく銃口も大きいそれらに、エネはヒクリと頬を引き攣らせた。【アクタープログラム】が、ロケットランチャーを肩に負う。弾が発射され、それは一瞬の間の後にエネと銃器の壁を巻き込んで爆発した。

「ここは……」
「君が求めていた場所だよ」
「君が、僕の、記憶……?」
「……」
 コノハの問いに答えず、遥はスケッチブックを持ち上げて鉛筆を当てた。さー、と鉛筆の芯が滑る音が、空間に反響する。
「……」
「君は『僕』を手に入れて、どうするんだい?」
『九ノ瀬遥』の記憶を手に入れて、どうするのか。九ノ瀬遥としてもう一度生きるのか、それとも――。
 コノハはぐ、と拳を握った。
「僕は、コノハだ」
 ピタ、と遥の鉛筆を走らせる手が止まった。ふと視線を上げると、真っ直ぐにこちらを見つめる桃色の瞳と、目が合う。
「君は連れていくよ……友達が、必要としているから」
 コノハは友達を、助けたいから。
 けれど、コノハは遥と一緒にはなれない。
「九ノ瀬遥は、もう死んだんだ」
 榎本貴音と共に捕えられ、被検体として扱われる日々の中で。
 ぽつ。そんな音が、聞こえた。
 手の甲に落ちた雫を指で伸ばして、遥は震える唇で弧を描く。
「……そう。『僕』がそう決めたのなら」
 本当は、身体を返せと怒鳴りつけてやりたかった。けれど、コノハは本当の九ノ瀬遥ではない。己はとっくに死んだのだと、それを認めるのが怖かっただけだ。身体は破棄されても、記憶と心だけは電子の世界の中で生き長らえていたから。今も、手が震える。
 遥はそっと深呼吸し、震える手を握りこんだ。それから、す、と立ち上がる。車椅子も松葉杖も、彼には本当は不必要だった。
 コノハはそっと彼の前に立ち、手を差し出した。遥はまだ涙の浮かぶ目尻を細めて笑い、持っていたスケッチブックを手渡す。
 淡い光の線が、二人を包んだ。それに身を委ねながら、遥はゆっくりと目を閉じる。
(最後に、会いたかったな……――貴音)
 その言葉は届かぬまま、トロリと光に溶けて、消えた。

 シュウウウ……。煙立つ被爆地の中心で、腹に大きな風穴を開けたエネが仰向けの状態で宙に浮いている。
 【アクタープログラム】は拳銃を取り出して構えると、警戒しながら彼女へと近づく。その様子を画面で見ていたケンジロウは、煙草を指に挟みニヤリと笑った。
「……舐めるなよ。ソイツは俺が造ったウイルスプログラム――」
 【アクタープログラム】がエネに近づく。その時、カッと彼女の目が開き、真っ赤なそれが【アクタープログラム】を捕えた。
「『人造エネミー』だ」
「!?」
「――『覚める』」
 ぞわ、と腹に空いた風穴から大量の黒蛇が姿を現す。それは瞬く間にエネの傷を覆い、彼女の身体の一部として同化していった。
 満身創痍から一転、無傷の身体を取り戻したエネはニコリと笑って【アクタープログラム】の腕を取った。
「!」
「……ごめんね」
 最後に耳元で呟いたのは、誰の名か。
 それを知るのは涙を流して粒子に崩れていった【アクタープログラム】と、彼女の腹に銃を突き付けてトリガーを引いたエネだけだ。

 白い病棟に映えるような新緑。その中で更に目立つ、燃えるような赤い髪。それを風に舞わせ、女は目前に立つ男を睨みつけるように見返した。
「何度言われても、私の考えは変わらない。腐っているのはそっちの方だろう」
 腕を揮って話す度に胸元で揺れるのは、佐官クラスを示す軍章だ。対する男も同じクラスの軍章をつけてはいるが、実際の地位は低いのか、肩を竦めて額に浮かぶ冷や汗を頻りに拭っている。
「しかし、そんなことをすれば軍の規律が……」
「何が規律だ、何が家名だ! そんなものに縛られるから軍は腐るんだ!」
 妾の子だとしても、血が繋がっていることに変わりはない。だというのに、母親の生まれがスラムだというだけで厭い、絶縁して孤児院に入れてしまうなんて。
「私はあの子を迎えに行く。大切な妹だ。これ以上邪魔をするというなら、このことを国民に公表するぞ!」
 女の言葉に、男はグッと唇を噛みしめた。そんなことをされようものなら、軍の信頼はガタ落ち。只でさえ不安な軍事国家は崩壊するだろう。
 男の様子に満足したのか、女はフンと鼻を鳴らして踵を返した。
「……っ!」
 忌々し気に舌打ちした男は腰のホルスターから拳銃を引き抜くと安全装置を外し、照準を女へと合わせた。カチ、という音に気づき、女は咄嗟に振り返る。
「――つぼみ……!」
 パン。静かな場所には似つかわしくない軽い音が、梢を揺らした。
 ドサリ、と女の身体が地面に転がる。
 荒い息を吐いて拳銃を下ろした男は、汗を袖で拭って女の手に拳銃を握らせた。それから数歩離れ、大きく息を吐く。
 これで良い、と何度も己に言い聞かせる。彼女の思想は非常に危険だ。この国を瓦解させてしまう恐れがある。この判断は正しいのだと、何度も。
「んー?」
「!」
 間延びした声が唐突に耳を打ち、男はブワリと全身に冷や汗をかいた。慌てて首を回すと、病院の壁に寄りかかって座り込む青年の姿が目に入る。
 青年は立てた膝にスケッチブックを乗せ、猫を抱き上げていた。彼は不思議そうに辺りをキョロキョロと見回して、コテンと首を傾げる。
「今何か、音がしなかった?」
「にゃー」
 猫に訊ねても、帰って来る言葉は一つしかない。気のせいかと笑って、青年は猫の頭を撫でた。
「見つけた!」
 息も荒く、機嫌も悪そうな声。
 青年が顔を上げると、こちらを睨みつけるように見下ろす少女と目が合った。少女は担当医が捜していたと言い、青年はそれに笑いながら謝って、彼女と共に病棟へと戻って行った。

「――ここまで」
 シンタローは映像の停止ボタンを押し、月彦はテープレコーダーのスイッチを切る。
 この映像は、コノハの持ち帰った『九ノ瀬遥の記憶データ』を解析し、必要な部分だけを切り取るなりズームアップするなりして編集したものだ。そして音声は、月彦の持っていた物。見事映像の口と合っていたのだから、事実だったと認めざるを得ない。
 シンタローは黙したまま映像データをコピーしたチップを、月彦へと手渡した。
 モモはチラリと、傍らで口を手で覆ったキドを見やる。彼女の存外細い肩は、微かに震えていた。
 画面に赤髪の女性が映ったときから、キドは何処か様子が可笑しかった。そして女性が最後に呟いた名前――かなり小さくて聞き取り辛かったが、あれは確かに。
「……――お姉ちゃん……――」
 キドはフードを目深に引き下げ、深く俯いた。
 モモは堪らず、そっと固く拳を作る手を包み込むように握る。僅かに弛んだそれは、モモの指に自らのそれを絡めて更に強く握った。ぽつ、と生暖かい雫が指先に落ちる。必死に唇を噛みしめ、キドは熱い何かを呑み込んだ。
 それは、一度会ったきりの人だった。まだ弱虫で仲間外れが嫌いな女の子だった頃、偶然出会った人。
 真っ赤な髪をかき上げて、赤が好きだと言えばお揃いだと笑い、胸を張れと教えてくれた人。アヤカやアヤノとは違う暖かさを感じ、いつかまた出会えればと思っていた。今度出会ったときは、こんなにも変わって強くなった自分を見て欲しいと思っていた――なのに。
「……っ」
 ぐし、とキドは乱暴に目元を擦った。それから大きく息を吐き、顔を上げる。僅かに赤らんだ目元を見て、モモは自分が泣きそうなほど顔を歪める。それを見て、キドは小さく笑った。
「俺は大丈夫だ、キサラギ……――皆がいてくれて、良かった」
 独りじゃないから、耐えられる。ぐ、とモモの手に指を絡め、キドはニコリと笑った。モモも泣きそうに笑って、彼女に抱きしめたのだった。
「……」
「はい」
 二人のやりとりから視線を外し、ヒヨリは月彦の差し出す二つのチップを受け取った。
 ヒヨリが橋渡しとなって、朝比奈と取引をするのだ。こんな映像で、と思わないでもないが、小さな芽は徹底的に摘みとるのが総じて旧家と名のつく家のやり方だ。
 小さな手の中に収まるそれをじっと見つめ、ヒヨリは了承したと頷いた。

「エネ」
 傍らに立つコノハが、ポツリと呟いた。チラリと一瞥しても、その桃色の双眸はこちらではなく、真っ直ぐ別の何処かを見つめていたので、エネも同じ方を見やって何だと問い返した。
「遥に、会ったよ」
「……そうですか」
「エネが貴音の記憶を持つみたいに、僕も、遥の記憶を持つつもりなのかって」
「……」
「要らないって、言ったよ」
 エネはハッとしたようにコノハを見やった。いつの間にかこちらを見ていたコノハは、そっと持ち上げた手でエネの頬を撫でる。
「僕は、コノハだから」
 エネが貴音ではないように、コノハもまた遥ではない。
「僕が好きなのは、エネだよ」
 それが、遅い電脳空間での問いの答だとエネが気付くまで数秒。言葉の意味を理解して、彼女が見事に赤面するまでは、更に数秒かかった。

「ヒビヤ」
 やっと少女から解放された兎だが、その毛並は盛大に乱れていた。それをベンチに座って整えるマリーを、地べたに座り込んだまま見つめていたヒビヤの頭上へ、不意に影が落ちる。
 ヒビヤが顔を上げると、しかめっ面のヒヨリと目があった。彼が彼女の名を呼ぶより早く、軽くはない拳が脳天に落ちてくる。
「いって、ヒヨリ、何を……!」
「五月蠅い」
 呻くヒビヤにぴしゃりと言って、ヒヨリはしゃがみ込むと彼の背に額を寄せた。突然感じるヒヨリの温もりに、ヒビヤは思わず身体を強張らせる。しかし彼女が服を掴んでくるから余計動くわけにもいかず、妙な体勢のまま固まった。
「……私にはアンタがいるわ」
 囁くような声。ヒビヤはピタリと動きを止め、うん、とだけ小さく返した。
 別に、姉や月彦を羨ましいと思ったことはない。家名を背負い期待に応えることは、ヒヨリにとって息をするのとほぼ同義だ。そうしなければ、生きていけない。けれどもし、そんな生き方を変えることが出来たなら。
(……なんて、阿保らしい)
「……僕はヒヨリの傍なら、どんなところだって一緒にいるよ」
 ポツリ、とヒビヤが呟く。
 だから、独りで泣かないで。寂しさも弱さも、分け合うよ、一緒に。
 ヒヨリは少しの間目を見開き、それから小さく笑んだ。ぎゅっとヒビヤの服の裾を握り、更に強く、彼の一見小さく頼りない背中に顔を押し付ける。
「……馬鹿じゃないの」
「うん」
 笑っているのか、別の理由からか震えた声に、間髪入れずに返された言葉。ヒヨリは思わず笑い声を立てた。ヒビヤもつられるように笑う。
 事情がよく飲み込めず目を瞬かせていたマリーも、二人の笑顔に、ほっとしたように口元を綻ばせた。
「――取敢えずあの悪趣味なテープレコーダーは没収」
「え」

 場所を変えようかと、カノが言った。セトはまた、黙ったままコクリと頷いた。
 二人がやってきたのはカノの部屋で、彼が開け放したままにした扉を、セトは逡巡の後ゆっくりと閉めた。
 ぱたん。
「……」
 カノは静かに閉まる扉を一瞥しただけでやっぱり何も言わず、ベッドに腰を下ろした。隣を叩いて彼はセトを手招いたが、セトは小さく首を振る。カノは苦く笑って、立ち上がった。
「ごめんね」
 突然、カノがそう言うものだから、セトは一瞬なんのことか解らずパチリと瞬きした。それからすぐ何のことか思い至り、気まずげにサッと視線を逸らす。
「……何で謝るんすか」
「だって……怖がらせた」
 小さく肩を竦め、カノはセトの前に立つ。けれどパーソナルスペースへは入らない。それがカノの気遣いだと理解しても何故か苛立って、セトは下唇を噛んだ。
「シンタローくんに慰めてもらったんじゃないの?」
 彼は自分よりも大人だから、きっと優しかった筈だ。
 自分で言っといて虚しいなぁ、とカノはこっそり苦笑した。
「何で、シンタローさんと比べるんすか」
 呟くようなセトの言葉に、え、とカノは間抜けな声を出す。セトがじっと見つめてくるので、カノはちょっと視線を逸らして頬を掻いた。
「だって、」
「カノは、ずっとシンタローさんのことばっかり言ってるっす」
 彼が一○七大隊に来てからは、二人きりで話しているときでさえ、何かにつけてそればかり。今カノの目の前にいるのはシンタローではなくセトであるにも関わらず、だ。
 ピタリ、とカノは口を噤んだ。唇を尖らせるようにぼやくセトは、その意味に気づいていないようだった。弛む口元を手で覆い、急くなと己に言い聞かせる。
「……ねぇ、それ嫉妬?」
「…………は、はあ?」
 質問を間違えたかもしれない、と口を開いた瞬間に思った。しかしセトが呆れた顔を、すぐ真っ赤に染め上げたから。欺くことも忘れて、カノは思わず噴き出した。
「カノ!」
「あのさぁ、僕って君が思うほど大人じゃないんだよ?」
 理性も自制心も大して無い。思い通りにならなければ、すぐに拗ねるし八つ当たりだってする。
「好きなものを独り占めにしたいっていう独占欲もある」
 カノは慎重に距離を縮めて、セトの頬にかかる黒髪を手の甲で掬い上げた。ようやっと言葉の意味を察したのか、セトはまだ若干赤い頬を膨らめて、カノの手に自分のそれを重ねた。
「……シンタローさんにも、クロハにも?」
「勿論」
「マリーやキサラギさん」
「たまーに」
「ヒビヤくん、コノハさん、エネちゃん」
「まあ、そこら辺は辛うじて、許せる」
「……つぼみにも?」
「……さあ?」
 誤魔化すように笑って、カノはセトの後頭部にもう片方の手を回した。素直に引き寄せられたセトは、こつん、と額をカノにぶつける。
 鼻先が触れあう程度の距離。以前だったら、そのままキスへとなだれ込んでいた筈だった。しかし双方それ以上近づくことも、況してや唇を寄せ合うこともしない。しないまま、ふふ、と小さな笑いを溢した。
「……セト」
「うん」
「好きだよ」
 勿論、そういう意味で。カノが小さく呟けば、セトはまた、うん、と相槌を打った。
「……俺も」
 ほんのりと赤い頬でセトは、多分、と付け足したので、カノはくしゃりと顔を歪めて、何それ、と笑い返した。
「……」
 頬から滑り落とした手で、何気なく指を絡め合う。額を離して、少し視線を動かして、また目と目がかち合った。そしてまた、どちらからともなく顔を引き寄せあって。
 静かに、唇が重なった。

「終わったか」
 大きく伸びをしながら屋外へ出てきた月彦は、その声に思わず苦笑を溢した。
 狐面と、彼と手を繋いだ少女が反対の手を振って見せる。月彦が歩み寄ると、少女は飛びつくように彼の腕に収まった。
「結局見せなかったの?これの下」
 少女を抱き上げたまま、月彦は狐面の面を指の関節で叩く。鬱陶しそうに払う手を避けて、月彦はひょいと面を取り上げた。
 サア、と風が吹いて、フードが落ちる。その下から現れたのは、十代半ばにしては若干幼い顔つきと黒い髪。少々顰められたその顔は、とある少年少尉と良く似ていた。
「見せびらかすものじゃないだろ……」
「僕は初め見たとき吃驚したけどね」
「私も」
 月彦の取り上げた面を両手で持ち、少女も可笑しそうに笑う。月彦と少女の顔つきは何処となく似ていて、そうしていると本物の親子のようだ。
「本当に血縁だったりして」
「世界には自分に瓜二つな人間が三人はいるらしい」
 ヒョイと少女から仮面を取り返し、青年は偶然だろうと言い張る。さっさと仮面とフードを付け直す彼に、少女は少し不満げに唇を尖らせた。昔から変わらない青年の態度に月彦は苦笑し、少女を宥めるように頭を撫でる。
「さてと、じゃあ、アザミの家に行こうか」
「早速か」
「だってさっきは慌ただしく出て来ちゃったし」
 時間の許す限り、自分は彼女の傍らに在りたいのだ。まだ暫くはこれからのことについてシンタローたちと打合せをしなければならないが、それも少しの辛抱だ。
 そう言って微笑む月彦の横顔は、付き合いの長い青年たちも初めてみるようなものだった。だから青年と少女はこっそり顔を見合わせて、青年は呆れたように吐息を吐き、少女は可笑しそうにクスリと笑った。
「私たちも一緒、だよね?」
「……まあな」
 月彦はニッコリと笑い、片手で少女を抱え直すと、もう片方で青年の腕を引っ張った。

 意味のないまま過ぎる時間は、もう終わり。きっと明日からは、素敵な世界に変わるだろう。
 自分が恋を知ってそうなったように、彼女もまた、きっとその目で世界を好きになれる。そのことを、ずっとずっと願っている。
「明日は、晴れるかしらね」
 そのとき、君は幸せであるだろうか。
 そんな空想に目を細め、彼女はそっと青い表紙の日記帳を閉じた。
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