メカクシレコード
 パタン。扉が静かにしまり、後ろ手で握っていたドアノブを離したヒヨリはそっと壁に沿うようにして脇へと避けた。
 部屋の中央には向かい合うようにして並ぶソファが一対。そこに座るのはシンタロー、キド、そして月彦の三人だ。間に置かれた硝子のローテーブルには、湯気立つ紅茶が三人分並んでいる。
 月彦はカップを手に取り、香りを楽しむように湯気を揺らした。
「言った通り、僕はアザミと生涯を共にしたい……けれどそれには、家名が邪魔なんだ」
 分家の末子と言えど、縛られることには変わらない。彼はそれを、全て取り去ってしまいたいと考えている。
 【カゲロウプロジェクト】への興味関心は、アザミの居場所を特定するためだけのものだったと言う。
「……心晴を、取り潰すつもりか?」
「そこまでは考えてないけど」
 そこで月彦は言葉を切った。暗に、結果的にそうなってしまっても構わない、と言う風に。シンタローは少し居住まいを正し、カップを手に取った。
「それで、そのために何を望むというんだ」
 膝の上で指を絡め、キドが問うた。月彦は一口啜ったカップを戻し、ニコリと微笑む。
「僕を、殺してほしい」



「どういう意味だ」
 目を細めるシンタローたちに、変わらず柔らかい笑みを向けたまま、月彦はまたカップへ手を伸ばす。
「勿論、その刀で貫けと言っているんじゃない――僕を、殺してほしい。名目上ね」
「死を偽装しろと?」
「それくらいしないと。あの家はしつこいから」
 シンタローは大きく長く息を吐くと、ドサリとソファに背を凭れた。
「……まあ方法については置いといて……俺たちのメリットは?」
「それも勿論」
 月彦は空になったカップを置くと、その手でスルリと口元を撫でた。
「本部データベースの最深部に隠された、極秘データ」
 ピクリ、とヒヨリの指が僅かに動いた。それを気配で感じ取りながら、シンタローは膝の上で組んだ指に力をこめる。
「心晴の?」
「そう」
 何処から漏れたか知れないが、朝比奈の刺客は月彦が捜す極秘データを狙ってのこと。手がかりでも奪おうとしたのだろう。すっかり返り討ちにされてしまったわけだが。
「……そのデータは、『何』なんだ」
 シンタローは言葉を切りつつ、探るような視線を月彦へと向ける。彼は益々笑みを深くし、更に身を乗り出した。
「【メカクシレコード】――そう呼ばれている」

「目隠演者だっけ?」
 ぶっきらぼうに投げられた言葉に顔を向ければ、カノは少し不機嫌そうな色を浮かべプイとそっぽを向いた。狐面は未だフードも面も取らぬまま、月彦からの命令通り中庭で待機をしている最中であった。
「随分と……ファンキーなネーミングセンスだね」
「ダサいならハッキリそう言って良い」
 名付けたのは自分じゃないと呟いて、狐面はカノから視線を元の場所へと戻す。
 その先にはベンチに座るマリーとセトと、面をとった少女の姿があった。カノもそちらを一瞥して、頭の後ろで手を組む。彼より頭一つ分ほど高い狐面は、何も言わない。
「……」
「……」
「C?」
「C」
「それが名前?」
 チラ、と面越しに狐面はカノを一瞥したようだった。何やら話し込んでいるマリーと少女を見つめているカノは、それを目端で捕える。
「……俺たちは単なる護衛だから」
 元々は孤児だ。原因は戦災であったり貧困であったり。全て、一度捨てられた命。殆どの主は捨て駒として扱うのに、共に育ったからといって幼馴染と呼んだり運命を感じたと宣ったりする、あんな主人は、珍しい。
 あの白い男のことを考えているのか、何処か遠くへ視線をやるような狐面の様子に、カノは小さく肩を竦めて彼から視線を逸らした。
 何となく、落ち着かない。別人と解っているのに、隣に立つこの青年が、泣きじゃくる白い少女の頭を撫でている彼と重なってしまうのだ。喋り方は勿論違うのに。雰囲気と声が、何処となく似ているのだろうか。
「……」
 じっと見つめていた先で、気配でも感じとったかセトが顔を上げる。日を受けて輝く蜂蜜色と目が合いそうになって、カノは咄嗟に俯いた。
 まだあのときのことについて、なあなあにしたままだ。未だ、彼にかけるべき言葉は見つからない。
 クス、と小さな笑い声が隣から聴こえた。視線をやれば、狐面がククク……と喉で笑い声を立てている。カノが軽く睨むと、それに気づいたのか狐面がチラリと視線をやった。
「マセ餓鬼」
 ふわりとマントが翻る。狐面が去って暫くしてからやっと我に返ったカノは、仮面の穴から覗いた琥珀にカッと赤面する顔を手で覆った。

「あの中佐さんに拾われたの?」
「うん、そうよ」
 マリーの言葉に大きく頷き、少女は大切そうに狐面を抱きしめる。
 マリーの背後に立ち二人の会話を聞いていたセトは、思わず目を細めた。自分たちもそうなる可能性があったのだろうかと、セトはぼんやりと思うのだ。
 マリーは指を頻りに絡めながらぎこちなく笑い、少女の言葉に何度も頷きを返した。不意に、少女の小さな手がマリーの手の上に重なった。マリーが顔を上げると、思いの外近くに迫っていた少女の顔に笑みが浮かぶ。
「ねえ、マリー」
 あなたは今、幸せ? ――笑ってそう問う少女は、マリーの想い出を刺激する。
 茉莉、と。名前を呼んで抱きしめてくれた、大好きな母親。彼女よりは随分と幼いが、面影はある。
 じわ、と視界が歪んで、零れる雫を抑えるようにマリーは手を当てた。背後でセトがぎょっとして慌てるのが、気配で解った。そのせいで、口元に笑みが浮かぶ。
「うん……私、幸せだよ……!」
 あなたは? ――そう問い返すと、少女はマリーの涙を拭いながら、とんと自分の額を彼女の額に当てた。
「勿論。私も幸せよ」
 暖かく柔らかいそれに、マリーはそっと目を閉じた。

「……生まれ変わりって、あると思うか?」
 ポツリと溢された言葉に、ヒビヤはナイフを磨いていた手を少しとめ、チラリと視線をやった。モソモソと口と一緒に動く髭を見つめ、ヒビヤは手元へ視線を戻す。さあ、と小さく呟いて、ヒビヤはナイフに布を宛がった。
「二十一グラムの魂は、あるみたいだけど」
 魂の存在の有無が、先の問いの答えにはなり得ない。
 兎型の身体に嵌められた二つの硝子玉に映る少女の姿は、嘗てクロハが振り回された相手と寸分も違わない。生き写し、というやつだ。
「僕だったら、」
 ポツリとまたヒビヤが呟いたので、クロハは兎の短い首を回して彼を見やった。ヒビヤは磨き終えたのか、煌めきを放つナイフを眼前に掲げ、じっとそこを見つめている。
「大切な人を、一秒だって独りにはしたくないよ」
 もしヒヨリが、永い時間を独りで生きなければならないとしても。ヒビヤは、彼女ほど長く生きられないとしても。それが未来だとしても、そんなものは認めない。ヒビヤは何度だって、あの手を掴んでみせる。
「ひとりぼっちには、させないよ」
 絶対に。
 そう力強く呟くヒビヤから目を逸らし、クロハは僅かに顔を顰めた。

「――どうして、被検体に九ノ瀬遥と榎本貴音が選ばれたと思う?」
 配線が床に模様を描き、辺りはモモには解らない名前の機械やら鉄くずやらが転がっている。
 その中央らしき場所で、エネとコノハは並んで椅子に座っていた。二人のヘッドフォンが蓋のように開き、そこから伸びる色とりどりのコードの束が幾つかに分岐して隣のパソコンのハードディスクへと繋がっている。少々居心地悪いのか、コノハは頻りにヘッドフォンを指で弄っていた。
「楯山先生の知り合いで、家族がいなかったからじゃないのか」
「家族がいないのは兎も角、知人という理由は本当に必要だったと思うかい?」
「……」
 シンタローは口を噤み、準備に走るケンジロウの背中に視線を戻す。エネとコノハの接続を手伝っていたモモが、少し手を止めて顔を上げた。
「楯山先生が指名したとか」
「言っておくが、俺はコノハの身体造りとエネのプログラミングしかしてねぇぞ」
 それが免罪符になると、ケンジロウ自身も思っていない。
 ケンジロウは最後のコードを繋げ終え、吐息を溢した。汗を拭って顔を上げたケンジロウは、顎でパソコン前に置かれた椅子を示した。シンタローは頷いて、そこに腰を下ろす。
 タン、とエンターキーが高らかに鳴った。
「――頼んだぞ、エネ、コノハ」
「りょーかいです!」
「うん……頑張る」
 返事をするや否や、カクンと二人の身体が崩れる。椅子の背凭れがなければ、床に倒れこんでいたことだろう。
 青と黄色のチカチカとした光がコードを伝い、ハードディスクへと吸い込まれていく。
「……あの二人が選ばれた理由を、お前は知ってるのか」
 白衣のポケットに手を突っ込み、後ろへと下がったケンジロウが視線をやらずにそう訊ねた。月彦はニコニコとした笑みを崩さないまま、肩を竦める。
「――それこそ、最深部に隠された極秘データそのものだよ」
 シュン、と転送装置のような音を立てて電子体のエネとコノハは、零と一の世界へ降り立つ。黒い軍服姿ではなく、いつかと同じ、青いジャージと白い服装だ。
「うーん、この身体も久しぶりですねー」
 エネは大きく伸びをした。
 極秘データのハッキングには、電子体の二人が適任だ。久方ぶりの浮遊感にニヤリと笑い、エネはふわりと身を翻した。
「しっかり着いて来て下さいよ、コノハ!」
「うん……」
 たん、と足を踏みしめ、二人は最深部へ飛び込んでいく。
「お前はそれが何か、どんな理由かを知っているのか」
 電子欲の海へ飛び込んでいく二人を見送って、キドは傍らに立つ月彦へ顔を向けた。月彦も視線を向け、「木戸つぼみ大佐、だよね」と小さく呟いた。キドは僅かに眉を寄せ、そうだが、と言葉を返す。月彦は小さな笑みを口元に浮かべ、しかし眉根を少し下げた。
「……【メカクシレコード】は、九ノ瀬遥の記憶じゃないかな」
 キドがその表情の意味を問う前に、月彦は視線をパソコンへ戻し、そんなことを言った。
「遥の、記憶?」
 新しく火をつけた煙草を咥えたケンジロウが、目を見開いて月彦を見つめる。
 彼の記憶は、てっきり脳移植の後遺症で失われたものと思っていた。しかし月彦は、失われた記憶が電子化され、極秘データとされているのではないかと言う。
「根拠は?」
「僕の手元に、音声データがある」
 ぴ、とポケットから取り出したチップを指で弾き、掌に握りこむ。つまり、それとペアになる映像を捜していたというわけか。
「遥が何か都合の悪いものを見たっていうのか?」
 彼はそんな話、一度もしなかった。
 額に手を当てるケンジロウに、月彦は小さく肩を竦めた。
「視界に映ったからといって、意識にまで残るとは限らないよ」
 人の視野は平均して、上下一三○度、左右一二○度とされる。それだけの空間を一度に画面に映しても、人が本当に意識して『見て』いるのは更に狭い範囲のみだ。
 つまり、遥自身は気付かぬうちに、何かを目撃してしまい、それが原因となった。
「成程ね……貴音はその場に居合わせたか、それとも親しかったからか」
「……」
 ヘッドフォンから流れ込んでくる声に、他人事のように頷きながら、エネは電子の海をスイスイと進む。コノハはその隣を泳ぎながら、いつもの無表情を固くして黙り込んでいた。
「……エネは、何でそのままなの?」
 唐突なコノハの言葉に、エネは小さく顔を顰めた。
 ケンジロウに人造体の製造を頼んだとき、デザインは彼女自身が指定した。生前の貴音のような容姿にすることも可能であっただろうに、彼女は態々エネとしての姿を選んだ。口調もエネのものだし、名前だって、そのまま。
「……榎本貴音は、死んだんです」
 あの日、あの場所で、薬液漬けにされた嘗ての己の身体を見たとき、それは重く突き付けられた現実だった。今ここにいるのは『エネ』であり、『貴音』ではない。それは、とっくに吹っ切れたこと。
 エネは眉根を下げて、コノハに笑いかけた。
「……あなただってどうなんです? ニセモノさん」
 本当に想っているのは、エネか、貴音か。
「僕は……!」
「!」
 前方に人影を見つけ、エネは言葉を濁したコノハを手で制した。コノハも顔を上げて影を視認し、彼女と共に足を止める。
 渦を巻くような零と一の世界に立っていたのは、ガスマスクをつけた黒い少女――その容姿は、榎本貴音と瓜二つであった。
「これは……」
「【アクタープログラム】データベースの最深部の、防御プログラムだよ」
 眉間に皺を寄せるコノハのヘッドフォンに、月彦のそんな声が届く。【アクタープログラム】はジャキン、と音を鳴らして、重々しい銃器を二丁構えた。
「……ふざけんな」
 エネはニヤリと笑い、スッと手を横に薙ぐ。
「人の姿、勝手に使ってんじゃないわよ」
 ジャキン、と音を立てて黒光りする銃器がズラリとエネの周囲を取り囲む。銃口が向かうのは、目の前の【アクタープログラム】だ。
「シューティングゲームで私に勝ったのは、あのムッツリスケベだけよ」
お い、と怒る声が聴こえたがそれを丸っと無視して、エネはトリガーを引いた。
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