針の道か、ピンの道か
――ある処に、土地を治めるそれは立派なお家がありました。その家には沢山の、凛々しい男の子と可愛らしい女の子がいました。
 ある日、その中でも一番小さく一番のんぴりとした男の子が、蛇の魔女がいると噂される森へと入って行きました。
 彼はそれ以来姿を見せず、翌年から一人ずつ、男の子と女の子の数が減っていきました。
 家の人々は皆、のんびりとした男の子は蛇の魔女に食べられてしまい、その魔女が他の子どもたちの魂まで食べてしまっているのだろうと言いました。
 魔女の呪いは、今でもその家にかかっているそうです――



「抱いたんですか、セトさんのこと」
 唐突に落とされた言葉に、シンタローは固まり、次の瞬間盛大に噎せた。そのせいで半分ほど飲んでいた紅茶が、派手に机に零れ落ちる。それを冷めた目で見やり、爆弾を落とした張本人であるヒヨリは大きく吐息を溢した。
「ご主人……」
「シンタロー……」
 同室にいたエネとコノハが揃って失望の視線を彼へと向けたものだから、シンタローは片付けもそのままに大慌てで手を振った。
「お前らまでそんな目で見るな!」
「このことがあの人にバレたら、ご主人終わりですね」
 頬に手を当てたりなんかして、エネは女優張りにクルリと一回転。
 不穏な光りを宿す眼鏡を思い浮かべ、シンタローは奇声を発しながら頭を抱えた。しかしヒヨリが落ち着いた様子で、結局どうなったのか再度問うものだから、シンタローは大人しく声を止めて手を下ろし、コホンと咳払いを一つ。
「抱いてねえよ」
 ヒヨリとエネはパチクリと目を瞬かせた。意外だとでも言いたげな視線に、失礼な奴らだとシンタローはジト目を返す。
「……抱けるわけねぇだろ」
 ボソリと呟いて、シンタローは手元に視線を落とした。ぴ、と指で弾いた紙が、音もなく机に落ちる。
 閉じ込めた腕の中で、ぎゅ、と目を閉じて己を守るように身を縮めた彼を、抱けるがわけない。無意識であろうと、カノ、と消え入るように零れた声を聞いてまで、抱けるわけがないのだ。ヘタレと呼ばれる覚悟は出来ている。人でなしになるより、数倍マシだ。
「ご主人……」
 エネは思わず呟いたが、何と言って良いのか解らず、視線を彷徨わせて口を閉じた。シンタローは薄く自嘲的な笑みを浮かべ、小さく肩を竦めた。

 森の中を、二人の少女が歩いている。内、片方はモモだ。彼女は隣に並んだ白い少女の手を引いて、辺りを警戒しながら足を進めていた。
 真っ白なフードを目深にかぶった少女がふと足を止め、辺りを見回す。モモも同じように立ち止まり、腰に仕込んだナイフに手を触れた。次の瞬間、二人の少し前方の木が揺れ、葉と共に何かが落ちてきた。
「!」
 モモはすぐさまナイフを抜き、白い少女の前に立つ。
 葉の塊から姿を現したのは、白いマントと狐面で身を覆った子どもだった。中佐の護衛の一人である。
 予想通り、強引なアプローチをかけてきたようだ。狙いは、背後にいる少女か、それともこの先にいる黒い少女か。どちらにせよ、ここで食い止めなければ。
 子どもは手に、大きく湾曲した特徴的なナイフを持っている。モモが腰を落として身構えると同時に、子どもは地を蹴って飛びかかってきた。
「っ!」
 咄嗟にナイフで応戦し、モモは振り上げた足で小さな身体を蹴り飛ばした。そのとき零れた小さな声で、モモは子どもが少女であることを知る。
 モモはもう一方の手にもナイフを握り、外れかけたフードを抑えた。
 この身軽さ、そしてナイフ捌きは、少年軍曹を彷彿とさせる。しかしだからこそ、勝機はあるというもの。
 流れ落ちる冷や汗を舌で舐めとり、モモは赤らんだ瞳に少女を映した。
「――私が引き止めます! 先へ行って下さい!」
「う、うん!」
 白い少女は大きく頷き、フードから零れる白い髪を揺らしながら駆けだした。咄嗟にそちらへ動きかけた少女だが、それを制するようにモモが赤い目を向けた。モモはニヤリと笑い、伸ばした人差し指と中指の間に瞳を置いた。
「――『奪う』」

 走り慣れていないのか、白い少女は大きく呼吸をしながら森の中を駆けた。そんな彼女の行く手を阻むように、木陰から何かが飛び出す。
「!」
 少女は驚いて足を止めた。衝撃で、フードが脱げる。
 降るように落ちる真っ白な髪を見て、木陰から飛び出した人影――中佐は、ニッコリと微笑んだ。見る者に安心感を抱かせるようなそれは、しかし今の状況には不釣合いで逆に胡散臭い。
 警戒して後退る少女に手を差し伸べ、中佐は一歩踏み出した。
「安心して。君に危害を加えるつもりはないんだ」
 ただ、一緒に来てくれればそれで良い。中佐はそう言って、笑みを深くする。
 少女は後退を止め、前髪の隙間から中佐を射抜いた。その瞳が赤に染まっていることに気づき、中佐は腰の刀へ手をやる。
「――『欺く』」
 ヴヴ。少女の身体がホログラムのように歪み、次の瞬間、その形を黒い少年へと変えた。黒い軍服と同色のフードをかぶったその少年は、ニッコリと紅茶色に戻った瞳を歪めて見せる。
「君は……」
「小桜茉莉です――なーんて、うっそうっそー」
 語尾にハートマークか星がつくような軽快さで、カノはカラリと笑った。中佐は一瞬見せた眉間の皺をすぐに消し去り、困ったな、と白々しい言葉を溢す。カノはこっそり舌を出した。
「本物の彼女は何処なんだい?」
「その前に、どうしてマリーがここへ来ると解ったのかを教えてくれない?」
 カノはポケットに手を突っ込み、中でナイフを握る。中佐はポリ、と頬を掻いて耳に手をやると、そこから取り出した何かを指で弾いた。難なく受け止めた手を開き、カノはそこに目を落とす。手の平に乗った小さな無線機に、カノは目を見開いた。
 それはカノも所持する、シンタロー製の超小型無線機だ。誰の物もか、なんてすぐに解る。
 カノはそれを握りしめ、目の前で笑みを絶やさない男を軽く睨みつけた。
 セトは落としていたと言っていた。それを、彼が拾ったのか。
「……盗み聞きしてたわけだ。悪趣味だね」
 それを手と一緒にポケットへとしまいながら、カノは薄く笑う。
「君の仲間には劣るけどね」
 ひゅ。風が中佐の頬を掠め、それに乗っていたナイフが背後の幹に突き刺さった。投げた張本人であるカノは、真っ直ぐ伸ばしていた手を下ろす。
「……何処まで知ってるの?」
「さぁ?」
 どうだろうね、と呟き中佐は一息に抜刀した。カノもナイフを三本、指の間に挟んで持って、刃を日に煌めかせる。ピリリ、とした緊張が二人の間を走り抜けた。
と、二対の瞳が揃って同じ方向を見やる。
 ガサ、と派手な音と葉を落として現れたのは、これまた仮面をかぶった四五人の人間だった。鳥を彷彿とさせるような模様に、フサのついた派手な装飾。彼らが軍刀やら拳銃やらを向けてきたので、二人は身体の向きをそちらへと向けた。
「……これは如何いうこと、中佐さん?」
「んー……」
 ここで初めて、カノはこの男が少々困ったように頬を掻く姿を目端で捉えたのだった。

「朝比奈の妨害?」
「はい。如何やらそうらしいです」
 先ほど通話していた携帯端末を片手に、ヒヨリは悩ましげに吐息を溢した。ドカリとソファに腰を落とし、額に手を当てもう一つ。あの厭味ったらしい声がリフレインして、思わず舌打ちも。
 別のテーブルに座ってクッキーを食んでいたエネが、何気なく視線をやった。
「あの中佐さんをですか?」
「らしいぞ」
 サクサクと勢いよくクッキーを頬張っていくエネにこっそり辟易しながら、シンタローは頬杖をつく。
 人造体なので、ある程度の食事は可能だ。長い間、電子体として食事を摂っていなかったせいか、エネはよく何かを食べている。本人曰く、舌を刺激する濃い味が新鮮なのだと。コノハも大食らいだから、案外人造体とはそういうものなのかもしれないが。
「心晴の狙いが解ったのか?」
「そこまでは聞けませんでしたけど、そうなんじゃないんですか?」
 電話の相手は巻き込まれることのないようにと、忠告をしてきた。それはつまり、直接的な妨害があるということ。何をする気なのか、ヒヨリには何となく察しがつく。だからこそ、何となく気に食わない。
「しっかし、一体何を……」
 心晴と朝比奈の因縁は兎も角として、あの中佐は独断で動いている気がする。これはシンタローの直感にすぎないが、分家出身の彼が軍の超機密情報である【カゲロウプロジェクト】に詳しすぎるのも、また怪しい。
 ブルーライトを発する画面をぼんやりと見つめ、シンタローは片手でキーボードを弾いた。【カゲロウプロジェクト】、茉莉、朝比奈と心晴――
「――ん?」
 幾度目かの変換キーを押していたシンタローは、そこでハッとして姿勢を正した。今度は画面にかぶりつくように身を乗り出し、マジマジとタイプされた文字を見つめる。その様子に、エネは訝しげに眉を顰めた。
「ご主人?」
「……そうか、そういうことかよ……!」
 エネの呼びかけにも応じず、シンタローは舌打ちすると通信機器に手を伸ばした。

 鉄同士がぶつかる軽い音が、森の中を響いていた。時折木が揺れ、葉が舞い、その間を二つの人影が駆け抜けていく。
「っ!」
 モモは小さく息を吐き、モモはナイフを握りしめた。
 小柄であることを利用して動き回る少女の戦法は、ヒビヤのそれと似ている。正直モモは苦手なタイプだが、だからこそ対処法も知っている。ヒビヤからのアドバイスも思い出し、モモは呼吸を詰めた。
 ああいった小柄な人間は身体が軽いから、一撃の威力も弱い。だからこそ、ここぞと言うときは全体重をかけてナイフを落とす。
 モモの脳内のイメージと重なるように、少女が飛び上がる。ナイフの先は、頭上。
(そこが、狙い目――!)
 モモは足を肩幅に開き、腰を落とした。そうして頭上にナイフを構え、落ちてくる攻撃を受け止めた。今全体重をかけているから、別方向からの攻撃には対応し難い。
「!」
 降ってくるナイフを受け止め、モモは空いていた手で作った拳を思い切り振り上げた。少女は咄嗟に身を反らすが、モモはそのまま彼女の襟首を掴む。そのまま、地面に押し倒した。
 ばさ、とフードが外れ中にしまいこんでいた真っ白な髪が散らばる。少女の手から零れたナイフを遠くへ弾き飛ばして、モモはホッと息を吐いた。
「――確保っ」
 ニヤリと笑うと、少女は悔しそうに小さな唸り声を溢す。その時、モモの無線に通信が入った。少女の身体を足と片手でしっかりと拘束し、モモは右手で耳の中に入れた無線機の受信ボタンを押す。
「……お兄ちゃん?」
「モモ、急げ!」
 珍しく慌てた様子の兄の声に、モモは眉を顰めた。そんなモモの下で、少女は大きく息を吐く。
 ふと、モモは彼女へ視線をやった。
「失敗しちゃったな……」
 怒られるかも……、としょげるように呟きながら、少女は狐の面を取り払う。その下から現れた顔に、モモは小さく目を瞠った。何処となく、知り合いの少女に似ていたからだ。
「……マリー、ちゃん……?」

 ナイフと軍刀、そして刀の斬撃が室内を舞う。アザミは思わず頭を抱えた。
「――頼むから、外でやってくれ!」
 クロハも使って倒れそうな物や破損しやすい物は脇に避けたが、壁や本棚はそうはいかない。三人がその傍を通る度、アザミは喉を引き攣らせた。
 この家はツキヒコとシオンの想い出が色濃く残る大切な場所だ。もうこれ以上、壊されたくはない。
 そんな彼女の心情は重々承知しているが、とヒビヤは舌打ちを溢した。
狐面の狙いはアザミだ。彼を外へ蹴り飛ばそうにも、その隙がない。相手は、かなりの手練れだ。兵士よりも戦闘に長け、恐らくそのためだけに育て上げられたような。ヒビヤたちに勝ち目は薄い――普通ならば。勝機を得られるとすれば、それはセトの能力による。
 チラとヒビヤが視線をやると、彼は何かを決めたように固く唇を引き結び、大きく開いた目で狐面を見つめていた。
「――『盗む』」
 キィィン……、と蜂蜜色が一瞬にして赤色に変わる。と、セトの目が更に見開かれ、彼は動きを僅かに止めた。そこへ狐面の刃先が向い、我に返った彼は慌てて飛び退る。
「セト?」
 ヒビヤは眉を顰めた。今彼はその能力で狐面の心を盗み見、行動範囲を予測したのではなかったのか。ナイフを足元に投げて狐面の動きを止め――床に穴を開けたせいでアザミは悲鳴を上げた――ヒビヤはセトに駆け寄った。
「どうかしたの?」
「……盗めない」
 は、とヒビヤは思わずそんな間抜けな声を溢した。セトは未だ赤味を残した目で、床からナイフを引き抜く狐面を見つめている。
「……あの人、本能で動いてる」
 行動には、思考が伴う。現在進行形で進む思考は、表層心理に浮き上がる。元から盗み見ることを良しとしていなかったセトはそれで十分と思い、浅い部分の狐面の思考を盗んだ。しかし、そこには何もない。つまり狐面の行動心理はもっと深い、深層心理にある。それは、本能のままに動いているということに他ならない。身体に染みついているのだ、セトやヒビヤたちとは比べものにならないほど濃く、戦う方法が。
「……厄介だね」
「……っす」
 瞳を赤から蜂蜜に戻し、セトは小さく頷いた。
 取敢えず、アザミはここから離脱させた方が良いだろう。それを頼もうとセトたちが振り向いたとき、ドサリと何かが床に倒れる重い音が耳をついた。
「――クロハ?!」
 ヒビヤは思わず声を上げる。アザミが必死に腕を伸ばして支えているが、それでも間に合わないようで、クロハはぐたりと横たわっていた。唇から洩れる吐息は荒く、体調が芳しくないことを伝えている。
「どうしたんすか!」
「限界なのだ……!」
 アザミはクッと顔を顰め、クロハの肩に置いた手を握りしめた。
 メデューサの蛇たちは、所詮メデューサの力の一部だ。本来なら蛇の姿でしかなく、それは他よりも抜きんでた『冴える』も同じだ。それでは不便だからと、彼は嘗て、ケンジロウの造った人造体でセトたちの前に現れた。しかし今は本来彼自身が持つ力を使って、人型を造りだしている――つまり簡単に言えば、彼はかなりの無茶をしていたわけだ。その反動が、今起きた。このままでは蛇の姿すら保てなくなってしまう。
 タイミングの悪さにヒビヤは思わず舌打ち、セトはそちらへ足を踏み出しかけて、ピタリと動きを止めた。
「――『隠す』」
 そのとき静かに響いた声と共に、場の空気が変わる。それを感じ取って足を止めた狐面の視界から、セトとヒビヤ、そしてクロハとアザミの姿が消えた。
 狐面はピクリと動きを止め、警戒するように首を回した。ぴりりと張りつめた空間内、先ほどまであった気配はない。彼が記憶の中からその情報を引き出すとほぼ同時に、首筋へ冷たい感触が当てられた。
「……『目を隠す』力か」
「そのことまで承知済みか」
 背後で気配が現れたので、能力は解いたのだろう。少し視線を動かせば、部屋の隅で固まるセトたちと、そこに新しく加わったマリーの姿が見える。狐面の首筋に短刀を突き付けるキドは、警戒を緩めぬまま、ゆっくりと言葉を選んだ。
「マリーを狙い、アザミを狙い……お前たちの目的は何だ?」
「そのアザミだよ」
 柔らかい声が、扉の外れた入口からするりと室内に入り込んできた。
 全員の視線が、一同にそちらへと集まる。
 そこに立っていたのは、フードを目深にかぶったカノだった。
「カノ」
 何してるんすか、と駆け寄ったセトはその言葉を途中で止めた。ぐらりと揺れたカノの身体が、セトに寄りかかってきたからだ。咄嗟に支えても、完全に脱力した身体は膝から床へと崩れ落ちる。思わずキドも彼の名を呼び、しかし狐面に突き付けた短刀を外せず、二の足を踏んだ。
 すー、という微かな呼吸音に安堵し、セトは顔を上げる。カノの身体に隠れるようにして立っていた人影が、今はハッキリとセトたちにその姿を見せていた。
 ニッコリと場違いな微笑を浮かべるのは、件の中佐である。セトはギロリと中佐を睨みつけた。
「カノに何をした……!」
「僕じゃなくて、彼らだよ」
 クイ、と中佐は自分の後ろへ親指を向ける。マリーが少し身体を伸ばすと、庭先に転がる鳥面の人影と、その傍らに立つモモと狐面少女の姿が確認できた。
「モモちゃん!」
 マリーの声に反応して顔を上げたモモは、しかし何処かバツが悪そうに頭を掻いた。それから狐面少女と共に、家の中へと入って来る。
「キサラギ」
「大丈夫ですよ、この人たちは……」
 カタン。小さな音に、キドたちは咄嗟にそちらを見やった。
苦しそうに喘ぎながらも、何処か悔しそうに顔を歪めるクロハの傍らで、アザミが立っている。その顔は驚きの他にも、幾つかの感情が混じった色で染まっていた。そんな彼女に中佐は優しい微笑を返し、アザミも呆然と彼を見つめた。
「ツキヒコ……?!」

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