日常クエスト(クロエ編)
「私は、国へ帰ろうと思う」

ぱしん、とその音は雨上がりの空に良く響いた。それを受けたクロエも、間近で様子を見ていたセネルも、少し離れた場所で待っていたウィルたちも、シャーリィの行動に驚き、ただただ目を丸くした。
「シャー……リィ……」
戦い慣れていない綺麗な少女の手は、魔物や兵士に比べたら小さく柔らかい。少し頬は赤くなっただろうが続く痛みはそれほどなく、しかしクロエは叩かれた頬を手で覆って茫然と目の前の少女を見つめた。シャーリィは平然を装っていたが、眦は少しつり上がり、頬も赤い。
「クロエさんはずるいです」
シャーリィの声は僅かに震えていた。
「皆さんの気持ちも、自分の気持ちも、大切なもの全部捨てて、逃げようとしている。ずるい人です」
「……仇討ちにも、何もかも決着がついた。私が、ここにいる理由はもうないんだ」
「もう一つの決着は、クロエさんの心の中でつけたものでしょう? 言うだけ言って、答えも聞かずに逃げるんですか?」
シャーリィの言葉に、クロエは弾かれたように顔を上げた。あの夜のことを、その場にいなかった彼女が知る筈がない。まさか、とシャーリィの背後に並ぶ仲間を見れば、一人申し訳なさそうに苦笑いする男の姿がある。
「シャンドルめ……!」
「どうなんですか、クロエさん」
詰め寄るシャーリィの肩を叩き、クロエは眉根を下げて微笑んだ。
「良いんだ、シャーリィ。クーリッジの気持ちは、傍で見ていれば良く分かる」
「……クロエさんの、意気地なし、頑固者」
ぷ、と小さく噴き出す声がシャーリィの背後から聞こえた。そちらを睨みつけることもできず、クロエは口元を引きつらせる。
「言葉にしないと、伝わらないこともあるんです」
「シャーリィ……」
何故自分の名前が出たのだろうと小首を傾げるセネルは、ジェイとウィルに口を閉ざすよう指示される。
「クロエさんにとって、その気持ちすらその程度のものだったんですか? ノーマさんたちと一緒にいた時間も簡単に捨ててしまうような、軽いものだったんですか?」
ふるり、とクロエは小さく首を振る。
「……そんなこと、あるものか」
「クロエさんにとって大切な居場所はここよりも、別にあるんですか?」
「そんなことないよね〜」
口を挟んだのは、ノーマだ。ノーマはニコニコ笑いながら、クロエの背後に回って彼女の背をポンと叩く。
「理由がなくても居たって良い場所はあるっしょ。それに、大陸よりここにいる理由の方が、探すの簡単だと思うけどなぁ」
「ノーマ……私、ここにいても良いのかな」
「そうじゃなくて、クー」
ぼろ、とクロエの目頭から雫が零れ落ちた。
「ここに、いたい……!」
クロエの言葉に、セネルたちはホッと安堵した。ノーマはクロエを抱きしめ、シャーリィも安心したように頬を綻ばせる。ノーマに揶揄われた涙を指で拭って、クロエはシャーリィへ微笑みかけた。
「ありがとう、シャーリィ」
「いえ。私、クロエさんに勝ち逃げされたら嫌ですから」
シャーリィはキュッと握りしめた手を胸元へ当て、クロエを見つめた。
「私、まだお兄ちゃんとしか呼べません、一緒に暮らせるほど強くもありません。でも――負けません、クロエさんにも、誰にも」
弱弱しさはあったが、その声は芯に凛としたものを秘めていた。クロエも微笑み、「そうか」と頷く。二人の様子を眺めていたノーマは、顎へ手をやって眉を曲げた。
「これはクーも危ういか?」
「ノーマ」
「はいはい」
咎めるクロエにヒラリと手を振って、ノーマはシャーリィへ抱き着いた。
「ごめんね、リッちゃん」
ぽそり、と耳元で囁くと、シャーリィはノーマの腕へ手を添えながらゆっくりと首を振った。
「ノーマさんの気持ちも分かります」
「……別に私、リッちゃんのこと嫌いなわけじゃないからね?」
「そうなんですか?」
「もう! そうなの!」
目を丸くするシャーリィの頬へ自身の頬をすり合わせ、ノーマはユラユラと身体を揺らす。クロエは無理強いをするなと窘めようとしたが、シャーリィがクスクス笑っていたので、まあ良いかと吐息を漏らすに留めた。
「なんや、嬢ちゃんたちだけで盛り上がりよって」
「でも、良かった。俺じゃあ、クロエを引き留められなかったから」
疎外感に唇を尖らせるモーゼスの隣で、セネルはフッと目を細める。その横顔を一瞥し、モーゼスはため息を吐いた。
「……罪作りじゃの、セの字」
「は?」
全く意味が分からないと言った顔でこちらを見やる視線を受け流し、モーゼスは銀髪をぐしゃぐしゃに撫でまわした。
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